第13話「君のいない世界で」
世界は、再構築された。
崩壊の痕跡はどこにもなく、王城の大広間は、元の壮麗な姿を取り戻していた。
何事もなかったかのように、楽団は穏やかな曲を奏で、人々はグラスを片手に談笑している。
アレクシス王子は、優しくリリアナの手を取り、愛を語らっている。
リリアナもまた、幸せそうに微笑み返し、二人の間には、誰も入り込めない甘やかな空気が流れていた。
すべてが、誰もが幸せになる大団円。
まるで、そんな物語が、最初から用意されていたかのように。
ただ一つだけ、おかしなことがあった。
誰もが胸の中に、漠然とした違和感を覚えていた。
何か、とても大切なものが、すっぽりと抜け落ちてしまったような、奇妙な喪失感。
しかし、その正体が何なのか、誰にも分からなかった。
その中で、ただ一人。
ゼノン・アシュヴァールだけが、その喪失感のあまりの大きさに、その場に立ち尽くしていた。。
『何かが、足りない……』
頭が割れるように痛む。
記憶に、深い霧がかかっているようだ。
ついさっきまで、ここで、世界の終わりを告げるような、壮絶な光景が広がっていたはずだ。
そして、自分の目の前で、誰かが、命を懸けて、この世界を守ったはずだ。
その誰かは、いつも孤独で、気高くて、本当は誰よりも優しかった。
冷たい仮面の下に、たくさんの涙を隠していた。
『誰だ……? その人は、誰だったんだ……?』
名前が、思い出せない。
顔も、声も、霧の向こう側にあって、はっきりとしない。
ただ、胸だけが、張り裂けそうに痛む。
守ると誓ったはずの、大切な誰かを、永遠に失ってしまったという、確信だけがあった。
「アシュヴァール団長、どうかなさいましたか? 顔色が優れませんが」
部下の騎士が、心配そうに声をかけてくる。
「……いや、何でもない」
ゼノンは、力なく首を振った。
彼の記憶の中では、王太子アレクシスの婚約者は、最初から別の公爵令嬢だったことになっている。
リリアナを巡る恋の障害も、些細なものだったことになっている。
セレフィア・フォン・クライスハルトという存在は、歴史からも、人々の記憶からも、きれいさっぱりと消え去っていた。
彼女が生きた証は、何一つ残っていなかった。
いや、ただ一つだけ。
ゼノンのこの胸に空いた、決して埋まることのない、大きな空洞だけが、彼女が確かに存在したことを、証明していた。
◆ ◆ ◆
それから、数年の時が流れた。
世界は、セレフィアが願った通り、平穏そのものだった。
アレクシスは王位を継ぎ、リリアナを王妃に迎えた。
国は栄え、人々は幸福に暮らしている。
ゼノンは、変わらず騎士団長の職務を全うしていた。
しかし、彼の心から、あの喪失感が消えることはなかった。
彼は、夜ごと同じ夢を見るようになった。
瑠璃色の光の中で、消えていく少女の夢。
夢の中の少女は、いつも悲しそうに微笑んで、声なく何かをつぶやく。
そして、ある夜。
彼は、夢の中で、初めてその少女の名前を思い出した。
「……セレフィア」
自分の口から漏れたその名前に、ゼノンは飛び起きた。
忘れるはずのない、忘れてはいけなかった、世界で一番、大切な名前。
その名前を思い出した瞬間、霧がかっていた記憶が、堰を切ったように蘇る。
断罪の夜、崩壊する世界、そして、自らを犠牲にしてすべてを救った、愛しい人の最後の笑顔。
「……ああ……あああああっ……!」
ゼノンの目から、何年分もの涙が、止めどなく溢れ出した。
彼は、すべてを思い出した。
そして、すべてを失ったことを、改めて理解した。
だが、彼は絶望しなかった。
彼女は、確かに存在した。
そして、この世界のどこかで、生きているかもしれない。
記憶を失い、別人として、どこかで息をしているかもしれない。
再構築された世界が、彼女の存在を消したとしても、彼女の魂まで消すことはできないはずだ。
「待っていてくれ、セレフィア」
ゼノンは、涙を拭うと、固く拳を握りしめた。
「必ず、君を見つけ出す。そして、今度こそ、俺が君を守る」
彼の新たな戦いが、その日から、静かに始まった。
君のいない世界で、ただ君だけを探す、果てしない旅が。




