還る者と帰らぬ者
少年は薄暗い部屋の真ん中で、膝を抱えて虚空を見つめる。
ぼんやりとした赤色が、部屋の端でゆらゆらと揺れる。
その虚な瞳は、何も像を映してはいない。
ただぼんやりと、灯が見える。
扉が開き、白い服を着た男が入ってくる。
『おい、――チッ、ピクリともしやがらねぇ。薄気味悪ぃ奴だ』
男は少年を足で小突く。
バランスを崩した少年は床に倒れた。
そのまま起き上がることもなく、見開かれた黒い瞳が、少年の不気味さを物語っている。
『おら!起きろ、食え――まだ言葉がわからねえのかよ、めんどくせぇな』
男は少年の黒い髪を掴んで、無理やり起こす。
そして強引に口を開けさせ、皿に入った"食事"を口に詰め込む。
どろどろとした灰色の液体が、一気に喉に流れ込む。
それは気管を圧迫し、少年は生理的に咳き込み、それを吐き出す。
それでもなお、男は少年の口に"食事"を運ぶ。
『こんなもんでいいだろ』
男は誰にともなく、言葉を発する。
そして、散らかった部屋と床に倒れ、浅い呼吸を繰り返す少年をそのままにして立ち去る。
部屋に残された少年の元へ、今度は赤い髪の女がやってくる。
『やぁnull、食事はとったか?――はぁ、半分も食べれてないじゃないか、男どもはこんな仕事も満足にできないのかまったく』
女はそう言うと、手に持った煙草を口に咥えて、空いた手に匙を持つ。
そして皿に残った"食事"を少しずつ、少年の口の中へ運ぶ。
少年の顎に手を添えて咀嚼を手伝い、首を傾けて嚥下させる。
それを数度繰り返す。
女が吐き出す煙を顔に受けて、少年の目尻に涙が溜まる。
女はそれを気にした様子もなく、"食事"を口に運び続ける。
そして皿の中が空になると、女は立ち上がり、言う。
『さぁ、勉強の時間だ』
少年は流れ落ちる涙の意味すら、まだわかっていなかった。
――――――
「……ルさん、ヴェルさん!起きてください。着きましたよ」
ヴェルが目を開けると、栗色の髪の少年がヴェルの顔を覗き込んでいた。
「大丈夫ですか?少し顔色が悪いような……」
レイは覗き込んだヴェルの顔に違和感を覚えた。
だが彼の顔色が悪いのはいつものことなので、あまり心配はしていないが。
「――いや、問題ない。――行ってくる」
ヴェルはそう言うと、背負い袋を肩にかけ、馬車を降りる。
周囲を見渡すと街道の先に、小さな森が見える。
目的地まではまだ距離があるようだ。
だが付近まで馬車で向かえば、敵に気付かれる可能性もある。
そのため、ここからは徒歩で移動だ。
「……よろしくお願いします」
ヴェルは無言で頷くと、遠くの森へ向かって歩き出す。
見送るレイの表情は暗い。
それもそうか、今回の依頼内容は討伐から帰ってこなかった――冒険者たちの捜索依頼なのだから。
ことの起こりは7日ほど前。
ある新人冒険者のパーティが、魔物の討伐依頼を受けた。
そして戻らなかった。
言ってしまえばそれだけである。
依頼は単純。街道付近の森に、魔物が住み着いた。
危険だから討伐してくれ。まぁよくある依頼だ。
これは街道を通る街の住民からの依頼だったようで、報酬額も低い。
そして魔物の正体も不明。
ベテランならまずこの手の依頼は受けない。
受けるとすれば、暇人の腕試しか、金のない新人達だ。
そして新人冒険者達が依頼を受け、戻らなかった。
今回は捜索依頼と言われたが、実質遺品回収のようなものだろう。
おそらくもう、生きてはいない。
新人達が依頼を受けてから、時間が経ち過ぎている。
討伐に失敗し、全滅した。
よくあることだ。
ヴェルもこの手の依頼は、何度も受けたことがある。
だが今回はギルドからの正式な依頼ではない。
受付嬢のミーナから依頼された。
捜索依頼としての報酬は出ないが、魔物の情報料、もしくは討伐すれば、その報酬は出るらしい。
ミーナの顔色は良くなかった。
新人冒険者達の受付をしたのが、彼女だったそうだ。
少し寂しげな顔でヴェルに頼んできたのだ。
それをヴェルは独断で受諾した。
そして依頼に向かう途中、どこから聞きつけたのか、ロックが現れ、レイを送迎につけてくれた。
ヴェルは森の入り口に着くと、魔力の痕跡を探る。
澱みはない。
以前戦った死糸を織る者のような強敵ではないだろう。
ヴェルは肩にかけた皮袋を背負い直す。
その皮袋は、いつものよりも大きい。
遺品の回収、あるいは死体そのものを運ぶ可能性もあるので、そのためだ。
ヴェルは、何の感慨もなくそんなことを考え、森へと入っていった。
森に入ってからしばらくすると、辺りが静かすぎることに気がつく。
鳥や小動物の気配がない。
聞こえるのは風に揺れる木々の枝葉の音。
そしてそれに混じって、ガサガサとこちらに近づく何かの足音。
ヴェルは音のする方へ警戒を向ける。
拳を握り、魔力を練る。
だが、聞こえてくる足音は次第に増えていく。
気づけば四方を囲まれていた。
敵の姿はまだ見えない。
だが、集団で狩りをし、森に潜む魔物は、
「――ゴブリンか」
ヴェルは見えざる敵をそう判断し、四方に気を配る。
そして一瞬の静寂の後、ヴェルの背中に衝撃が走る。
トスッと軽い音がして、後ろを見れば、ヴェルの背中に短い矢が生えていた。
威力は大したことはない。
頭と心臓だけ守っていれば問題ないだろう。
そしてヴェルは矢が放たれた方へ駆けていく。
そして茂みに飛び込むと、緑色の肌をしたゴブリンが次の矢をつがえていた。
ヴェルはそのまま地面に引き倒し、間髪入れずに硬質化した拳をゴブリンの顔面に叩き込む。
顔面を陥没させたゴブリンは、砕けた頭蓋の隙間から血と脳みそを溢れさせて絶命する。
ヴェルはゴブリンの足を掴み、元いた場所までずるずると引きずっていく。
そしてゴブリン死体を足元に放ると、それを足で踏み躙る。
すると周囲の茂みから、ギャイギャイと耳障りな怒声が上がる。
そして頭に血が上ったゴブリン達は、奇襲の利を捨て、わらわらと茂みから出てきて、その醜悪な姿を現す。
ヴェルは、周囲を見渡し、敵の数をざっと数える。
(――8…9匹か)
足元に転がる骸を入れれば10匹になる。
ゴブリンの背丈は、大きい者でもせいぜいヴェルの腹の下くらいだ。
子供の手を捻るのと変わらない。
だが奴らは各々に、粗末だが武器を持っている。
(短剣、短槍――弓から殺すか。)
ヴェルは即座に方針を決めて、集団の一歩後ろにいる弓兵に狙いを定める。
そして姿勢を高くしたまま、弓兵に向かって走る。
短剣と短槍を持ったゴブリンが、ヴェルの前に立ち塞がる。
ヴェルは速度を緩めない。
所詮大人と子供の体格差だ。
ヴェルは、勢いもそのままに2匹のゴブリンを轢き倒す。
その際に、振り回された錆びた刃が引っかかり、ヴェルの足を赤黒く染める。
そして弓兵の正面に立ったヴェルは、鉄板の入った硬いブーツのつま先で、ゴブリンの顎を蹴り上げる。
その際に放たれた矢が、ヴェルの腹に深く突き刺さるが、毎度のことながら気にも留めない。
首をありえない方向へ曲げたゴブリンが、静かに倒れる。
ヴェルは腹に刺さった矢を、強引に引き抜く。
そして、起きあがろうとする短槍を持ったゴブリンの喉へと、その矢を突き立てる。
血飛沫が上がり、ヴェルの体は汚い体液で汚れていく。
わずか5秒で2匹のゴブリンを殺した。
――これで3匹。
だが、ゴブリン達もただ見ているわけがない。
残ったゴブリン達は一斉にヴェルへと飛びかかり、背中や足に組み付く。
そして、各々の武器でヴェルを滅多刺しにしていく。
そんな滅茶苦茶な状況でも、ヴェルのやることは変わらない。
1匹ずつ、確実に殺していく。
煩わしい虫でも払うかのように腕を振り上げ、そのままゴブリンの顔面へと振り下ろす。4。
両手で首を掴み、窒息を待たずに頸椎をへし折る。5。
首を折られ、弛緩したゴブリンの体を振り回し、足元の1匹に叩きつける。
倒れたゴブリンの頭蓋を踏み砕く。6。
7……8……9。
もうゴブリンは勝てないことはわかっているだろう。
だが、それでも止まらない。
仲間の死体を踏み越え、ヴェルへと肉薄する。
憤怒に燃える表情で、一矢報いらんと飛びかかる。
ヴェルは手近に落ちていた木の棒を拾い、無慈悲にもゴブリンの頭を目掛けて大きく振り抜く。
10。
――――――
ヴェルは暗くなった森の中を一人歩く。
ずるずると、重たい"荷物"を引きずって。
ゴブリンを殺した後、ヴェルは奴らの巣穴を見つけた。
そこは、まるで地獄のような光景だった。
おびただしい数のゴブリンの死体と、その中心に倒れる冒険者。
おそらく、冒険者達はここでゴブリン達と戦ったのだろう。
そしてそのゴブリンの死体の中に、一際大きな個体が確認できた。
――ホブゴブリン。
群れのボスか、それに近い存在のはずだ。
冒険者達はそれに勝った。
だが、その後も押し寄せるゴブリンによって、やがて力尽きた。
冒険者の死体はおそらく3つ。
うち2つは身体をバラバラに引き裂かれている。
ヴェルは死体の中を歩き回り、彼らの腕を探す。
そして見つけた腕から認識表を外し、装備も可能な限り回収する。
そして形を保っている死体の一つを死体袋に入れて、引きずりながら、歩く。
そして馬車で待つレイと合流すると、レイはヴェルの格好を見て咄嗟に口元を押さえる。
「ヴェルさん…その、大丈夫ですか?」
ヴェルの格好は酷いものだった。
服はボロ雑巾のようで、体のいたるところから血が溢れている。
それによく見れば、背中に矢が刺さったままだ。
これじゃ塞がる傷も塞がらない。
彼が歩いてきた道は、点々と血が滴って地面を赤黒く染め上げていた。
だがまぁ自分の足で帰ってきたので、まだ"最悪"ではない。
そしてレイは、ヴェルが運んできた死体を確認する。
死体の顔を見た途端、レイは青ざめた顔でそっと目を逸らした。
「――知り合いか?」
「……いえ、違います。――ただ、以前ギルドで見かけたことがあるだけです」
レイの表情を見るに、とてもそれだけとは思えないが、ヴェルには関係のないことだ。
「それより、ヴェルさんは大丈夫ですか?――かなり傷は深そうですが」
レイは気丈に振る舞うも、少し声が震えている。
ヴェルはそれを無視して答える。
「いつも通りだ。問題ない。――それより、彼らはゴブリンと戦ったようだ。森の中に他の二人の死体もあった。」
「そうですか、彼らは……」
レイの言葉にヴェルは無言で首を横に振る。
「そう…ですか」
「燃やした方がいい。――あのままではいずれ、澱む」
「わかりました。では、行きましょうか」
そしてレイと共に、ゴブリンの巣穴へと戻る。
死体を一箇所に集め、燃やす。
ゴブリンの死体と、冒険者達。
死ねば皆同じだ。
灰となり、世界へ還る。
ただ一人――ヴェルだけを残して。
ヴェルは燃え盛る炎の中、ふと思う。
あの娘――セシルに、何も言わずに来てしまった。
ロックあたりから伝わっているとは思うが。
一言、告げるべきだったかもしれない。
今日はヴェルのために、夕飯を作って待ってる、と言っていたのを思い出す。
別に頼んだわけではないが、それでも作ると言っていた。
今から戻っても、帰りは明日になるだろう。
炎が完全に燃え尽きるのを待って、ヴェルはその場を後にした。
ヴェルは帰る。
誰かが待つ、あの家に。
揺れる馬車の中、ヴェルは冒険者達の認識表を握りしめる。
――この冒険者達にも、どこか帰る場所があったのだろうか。
◇
「遅いですねぇ、ヴェルさん」
セシルは誰にともなく独りごちる。
「そーだね、今日はギルドに行ってるんだっけ、何しに行ったの?」
セシルの独り言に、ソファに座るルークが反応する。
「今日はアイルのことで、詳しく話を聞きたいとのことで、呼び出されたみたいですけど」
セシルは膝の上でじゃれつく緑髪の少女に視線を落とす。
「でもさぁ、セシルちゃんもなかなか肝が据わってるよね。――聞いた話だと、一回その子に殺されかけたんでしょ?」
ルークの言葉にセシルは少しだけ表情に影を落とす。
「ええ、まぁ。――でもこの子も悪意があったわけじゃありませんし……」
セシルの言葉にルークは何を当たり前のことを、といった表情で諭す。
「そりゃそーでしょ。魔物に悪意なんてないよ、彼らも生きるために食べてるんだから」
ルークは少し呆れた様子で、はぁと息を吐く。
「まぁわからなくもないけどね、こんな姿で現れたら…ね」
言いながら、ルークはどこから取り出したのか、小さな木苺をアイルの口元へ近づける。
「――あーん!んーまぁー!」
パクッとルークの指ごと木苺を口に入れたアイルは、両手を頬に当てて幸せそうにそれを頬張る。
その様子に毒気を抜かれたルークは、さらにポケットから木苺を取り出し、口の中に入れていく。
だが、その木苺は酸っぱかったのか、アイルは口を窄めて目を丸くしている。
「……可愛いな」
ルークは、先ほどまでの発言を撤回するようにセシルの方を向く。
「――でしょー?」
セシルも何故か得意げな表情で、ルークを見返す。
「でも、ヴェルさんはアイルが苦手みたいなんですよね。いつも避けるみたいに、自分の部屋に行ってしまうんです」
「――ヴェルがパパ、ねぇ。ヴェルにとって子供なんて一番縁遠い存在だろうしね」
ルークはアイルの存在に戸惑い、咄嗟に逃げ出してしまう友人の姿を思い浮かべる。
――彼にも苦手なものがあったんだねぇ。
彼はこのセシルという少女と出会ってから、急激にその世界を広げている。
こんなにも早く、彼に感情らしいものが芽生えるとは。
彼の友人として少し悔しい反面、こんなに喜ばしいことはない。
そしてその友人へ、なんとかして自分の手料理を食べてもらいたい、と奮闘するセシルも実に微笑ましい。
奥のキッチンでは、彼に振る舞うための料理が仕込まれているのだろう。
さっきからとても腹の空く匂いが部屋に漂っているのだ。
なんなら自分もご相伴に預かれないかと、図々しくもこの場に居座っているが、
――はたしてあの友人はいつ帰ってくるのだろう。
その時、ご飯の匂いにつられたのか。
アイルの腹の虫がキュルキュルと音を立てる。
アイル自身も、自分の腹からなった音に驚いて目を見開いている。
その様子を見て、ルークとセシルは2人して声を上げて笑うのだった。




