【番外編】私だけの小人さん(電子書籍発売記念)
お久しぶりです。
いつも読みに来てくださってありがとうございます。
前回の続き……ではなく番外編で申し訳ありません。
本当は9月6日(クローの日)記念に投稿したかったのですが、間に合いませんでした……無念。
でも頑張って書いたので、少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
そして、ひとつお知らせがあります。
いつも読みに来て下さる皆さまのおかげで、このたび『魔法使いの弟子から嫁にジョブチェンジ』が電子書籍として発売されることになりました。
本当にありがとうございます!
電子書籍について興味がおありの方は、活動報告のほうに書いておりますので、よろしければそちらものぞいてみてください。
むかしむかし、向こうの世界でまだお母さんが元気だった頃、私の家には『小人さん』がいた。
お母さんが呼ぶとサッと現れてお手伝いをしてくれるのが、張り切りやさんの『小人さん』だ。
でもその『小人さん』は小さくて、多分あんまり役に立ってないときのほうが多くて、そんなとき代わりにヤレヤレとばかりにお手伝いをしに来てくれるのが大きな『小人さん』だった。
私の隣に立ち大根をおろしているクローを見て、長い間忘れていたそんなことをふと思い出した。
なんだか無性に食べたくなって、夕食をハンバーグにしようと決めたのはつい先程のこと。
冷蔵箱から出した牛と豚の塊肉を、大きめの両手鍋にペイッと投入して蓋をする。
まだ仕事中のクローのところへ運び、作業が一段落するのを見計らって「お願いしますっ」と差し出せば、彼ももう慣れたものである。すぐに「いつものでいいの?」と笑顔で受け取ってくれるのが頼もしい。
クローは椅子に腰掛けたまま、蓋が外れないよう両手で鍋を固定した。次の瞬間それはガタガタと暴れだす。
すました顔で蓋ごと押さえつけるクローの手の中、初めはガタンガコンと不規則に暴れていた鍋はそのうち小刻みに揺れだし、最後はべションボションと濡れた音をたて始めた。
この間僅か二十秒足らず。
静かになった鍋の蓋を取り、クローと二人覗き込むと──。
嗚呼、魔法ってなんて素晴らしい!
そこには立派な合い挽き肉が出来上がっていた。
だけど、「はい」と鍋を手渡してくるクローは、そこでふと気づいたように言った。
「あれ、でも確かケチャップ、切れてなかった? 」
ミンチ=ハンバーグ=ケチャップ、とクローが認識する程度には、今やハンバーグは我が家の立派な定番メニューと化している。
そして彼の言うとおり、倉庫の棚のケチャップの指定席には今、カラの瓶しか並んでいない。
が、しかし。
今日のハンバーグにケチャップは必要ないのだ。
「今日はね、いつもとちょっと違う味にするから大丈夫なの。でもケチャップもまた作っとかないといざってときに困るからさ、近いうちにまた作ろうと思うんだけど、トマトがもうあんまりないんだよね。今度買い物に行った時にトマトが安かったら、いっぱい買うからよろしくね」
この「よろしくね」は、もちろん荷物持ちは任せた、の意である。
実は今うちで使っているケチャップ、マヨネーズ、各種ドレッシングの類は、向こうの世界から持ち込んだレシピによる私の手作りなんだよ。
さすがに醤油や味噌、ウスターソースの手作りなんて、レシピがあってもできる気がしないから買ってくるけど、材料さえ揃えば自分でも作れそうなケチャップやなんかに関しては、こちらの世界で見つからなかったときの保険にと、念のためレシピを持ってきていたのである。でもそれが大正解だった。
何しろ、サザナンで探し回ったときに一応それっぽいのは見つかったんだけど、やっぱりこっちのはどこか微妙に違うからね。
手作りのほうが好みの味に仕上がるし、何よりも私にはクローの状態保存の魔法という強い味方がある。つまり、ちまちまと毎回作らなくても、相当量の作り置きが可能なのだ。
しかもそこからのアレンジでタルタルソースやとんかつソースなんかも作れちゃうんだもんね。
そんなわけで、特にしょっちゅう使うケチャップとマヨネーズは、ドカンと大量に作って瓶に小分けし、保存することにしているのだった。
「いつもと違う味?」
「そう、楽しみにしててね」
首を傾げるクローにくふふんと笑ってみせ、私は鍋を捧げもつようにしてキッチンへ戻った。
ハンバーグの作りかたはいつもと同じだ。
炒めた玉ねぎのみじん切りと、例によってクローにパンを粉砕してもらい保存してあるパン粉、卵に塩胡椒、ナツメグ。隠し味に味噌、醤油、砂糖、マヨネーズを目分量で混ぜ合わせ、中の空気を抜きつつ小判型に丸めていく。
できあがったら皿に並べて一旦冷蔵箱に入れ、今度はつけ合わせだ。
キャベツを高速で千切りにし、皿に盛りつける。
サッと茹でたほうれん草をキノコと一緒にバターで炒め、塩胡椒を振り醤油で香り付けしてキャベツの横に添えた。
そうしているうちに、ご飯が炊きあがった。
以前クラウスに頼んで特注で作ってもらったこの炊飯専用釜は、私のこだわりで試行錯誤を繰り返した結果、大変優秀なものに仕上がった。
元の世界の炊飯器と比べても遜色ない美味しいご飯が、まさかこっちで食べられるとは思わなかったよ。
クラウスは『これは商品にしても売れないだろうなあ』とボヤいてたけどな。
なにしろこっちの世界では、お米は一般にはあまり認知されていない。
食べ方も、せいぜいスープの具に使う程度らしい。
でも私は、お米に関しては普及活動をするつもりは全くないのだ。
この世界のお米でいわゆる食品として販売されてるのは、上質な粒の揃ったものが少しだけ。
それがもしも普及活動によってお米の色々な食べ方や美味しさが浸透し、みんなが欲しがるようになったら、私の買う分がなくなってしまうじゃないか。
──という大変利己的な理由によるものである。
ちなみにお店に並ばないほとんどのお米は、調味料の原料になったり、鳥の餌とか畑の肥料になったりするのだそうだ。
余談だけど、私が行くたびにお店にある分全部買い占めるもんだから、とうとうお店のご主人に「前もって注文してくれ」って言われてしまった。
買いに行ったときに次の分を注文すればいいだけだから、全然問題ないけどね。
どうせなら、ポン菓子とかお煎餅とか作れたらいいのにな。あいにく作ったことがないからレシピも分からないんだけど、作り方はなんとなく想像できるし、失敗覚悟で今度試してみようかな。
とりとめなく考えながら、サラダを作っていく。
キャベツとキュウリ、彩りに人参を少しと、ハムも入れちゃおう。これらを全て荒微塵にして、マヨネーズにレモン汁とオイルを混ぜた特製ドレッシングで合えればコールスローサラダの出来上がり。
スープはお昼のが少し残っているから、具を足して味つけし直せばOKだ。
私は一度冷蔵箱に入れたハンバーグのタネを取りだし、フライパンに並べて焼き始めた。
さて、ハンバーグを焼いている間にソースを作っちゃおう。
といっても、醤油に酢と柑橘の搾り汁を合わせた自家製ポン酢に大根おろしを混ぜるだけ。
そう。今日のメインは、和風おろしハンバーグなのだ。
昨日リンダにお裾分けしてもらった、ご主人の家庭菜園で穫れたという大根を見ているうちに、無性にさっぱりしたハンバーグが食べたくなってしまったんである。
だけど……。いざ大根をおろし始めたこのときになって、ようやく私は思い出したのだった。
自分が、大根をおろすのがめちゃくちゃ苦手だってことを。
最後に大根をおろしたのはいつだっけ。
一人暮らしを始めてすぐの頃だったか?
それにしても、いくらなんでも以前はもう少しはマシだったような気がするんだけど。
私は大根を鷲掴みにしたまま、ガックリと肩を落としため息をついた。
ほんの数分腕を動かしただけで、息があがるのは何故だろう。腕はダルいし、力の込めすぎか大根を掴む指の関節も痛む。
そのくせできあがった大根おろしは、悲しくなるほどちょっぴりしかない。
こんなに頑張っているのになんでだ、と唸りながら器の中の大根おろしを睨んでいると、不意に後ろから影がさした。
振り返ると同時に、手の中の大根がクローの手に移っている。
「仕事もう終わったの?」
「うん。いい匂いがしてきたし、いつもと違うハンバーグが楽しみだから、今日はもう終わりにした」
嬉しそうなクローの言葉にギョッとする。
肝心のソースがまだできてないんだけどっ。
そしてこのペースではまだまだ時間がかかりそうだ。
「もしかしてお腹すいてる? 早く食べたい?」
焼いてる途中のハンバーグを慌てて裏返しつつ言うと、クローは笑みをみせる。
「楽しみだし、はやく食べたいから手伝うよ。この大根をおろせばいいの?」
うちの旦那さま、最高か!
私は手に残ったままだったおろし金を、満面の笑顔でクローに進呈した。
「これくらいでいい?」
私が量を気にして見ていると思ったのか、一旦手をとめ首を傾げるクローの手元には、あっという間に器に半分ほどの大根おろしが出来上がっていた。
「うん、それくらいで充分……あ、でもやっぱりそれ一本全部おろしてもらってもいい? そんで状態保存の魔法かけて置いとくことにする。そしたらまたいつでも使えるし」
クローの持つ器と大きめのボールを差し替え、受け取った大根おろしを軽く搾る。
彼は頷き、今度は渡したボールの上で大根の残りをおろし始めた。
「それにしてもすっごく速いねぇ、私と何が違うんだろう」
優雅な手つきにもかかわらずおそろしい勢いで積もっていく白い大根おろしの山を、マジマジと見つめるワタクシ。
クローの手の中の大根はみるみるうちに短くなっていく。
これは本当に、さっきまで私が握ってた大根と同じものなんだろうか?
腕力か? 握力か? 持久力か、それともその全てなのか?
全然力を入れてるように見えないのに、かき氷のようにどんどん盛り上がっていくその様子はまるで魔法のようだ。
だけど『魔法のようだ』と思いつつ、これが決して魔法ではないことを私は知っていた。
なぜなら魔法なんてないあちらの世界でも、優雅さはなかったがこんな勢いで大根をおろす人がいたことを私は知っているからだ。
その昔、まだ私が幼稚園児だった頃のお母さんは、なんだかいつもパタパタ動き回っていたような気がする。
当時はパートで働いていたから、きっと忙しかったんだろう。
まだ本当のお父さんが生きていた頃のことだ。
お父さんが仕事に出かけたあとお母さんは掃除機をかけ、私を幼稚園に送っていってそのままお仕事に行く。
先生やお友だちと遊んでいるといつの間にかお迎えの時間になっていて、お母さんが自転車で迎えに来る。
家に着くと、お母さんはまっさきにベランダの洗濯物を取り込みにいく。
そうしてキッチンで夕食の用意をするお母さんの背中を見ながら、笑佳という名の『小人さん』はせっせと洗濯物を畳むのである。
そう。当時、我が家に出没していた『小人さん』とは、当然ながら私のことだった。
詳しい内容は覚えていないが、幼稚園で読んでもらった絵本に出てきた『小人さん』は、おうちの人が寝ているあいだにお片付けをし、破れた服を繕い、壊れた道具を修理したりする。そして朝起きたみんなはピカピカになったおうちの中を見てびっくりして喜ぶ……みたいな内容だった気がする。
そのカラフルな絵本がとても気に入った当時の私は、動きまわるお母さんのあとをついて歩きながらそのお話を教えてあげた。
『へええ、そんな小人さんがうちにもいてくれたらいいのにねぇ』
お母さんは多分そんな感じのことを言った。
ため息はついていなかったと思いたい。
幼稚園児くらいのお子さまというのは、なかなかに難しいものらしい。
言われたことはやらないし、言われなくてもやらない。そのくせ、して欲しくないことはやりたがってうるさいし、仕方なくさせてみた日には後始末に余計に手間がかかる。
忙しいお母さんにとっては、なんともめんどくさい存在なのだそうだ。
しかも親が根気よく教えて、子供が少し大きくなって、それがちゃんとできるようになると途端にやらなくなるという、やってられない謎の生態。
ちなみにソースは元の会社のパートの主婦さんたちである。
──玄関で靴を揃えたり、脱いだ制服をお洗濯のカゴに入れたり、そんなのできて当たり前でつまんない。取り込んだお洗濯物を畳むのもつまんない。つまんないからしたくない。
そんなことより包丁でトントンしたい。椅子にのぼれば高いところのお皿だって取れるし、床の四角いとこが開くのだって知っている。
でもそういう楽しそうなことは絶対したらダメ、ってお母さんが言うんだよ──
園児の気持ちとしてはそんなところだろうか。
だけど私には小さい頃にお手伝いをしていた記憶があったから、パートさんたちに『私はちゃんとお手伝いしてましたよ』と言ったけど、『そんなことないない。どこの子も一緒なんだから、きっと覚えてないだけよ』と一笑に付された。
そんなことないのにな、と内心思いつつその場は話を合わせて笑って、だけどよく考えてみれば、私の覚えていたお手伝いは確かに遊びの延長だった。
それがいわゆる『小人さんごっこ』だったのである。
記憶のはるか彼方の大昔、お母さんはご飯を作りながら大袈裟なため息をついて言った。
「あーあ、そこの洗濯物をたたんでくれる小人さん、どこかにいないかな」
そして私のほうに目をやり、『あら! もしかしてそこにいるのは小人さん?』
我が家の『小人さんごっこ』はそんなふうに始まったと思う。
それまでお手伝いなんてしていなかった(推定)私は、単純にもその遊びに夢中になった。
『笑佳』だとやる気にならないお片付けも、つまらないお手伝いも、『小人さん』だと楽しい遊びに変わる。
そうしてまんまとお母さんの手にのって、小人さんになりきってお手伝いをする遊びにハマってしまったのである。
この遊びは結構長く続いていたと思う。本来ならきっと、あっという間に飽きてしまったと思うのだけど、長続きしたのには理由があった。
この『ごっこ遊び』にお父さんも参加したからだ。
笑佳は簡単なお手伝いをする。
小人さんにできない難しいことは、お父さんがお手伝いをする。
例えばお母さんが大根をおろそうとするときは、決まって小人さんを呼ぶ。でも幼稚園児には無理なのが分かっているので、すぐに大きい小人さんの出番がやってくるわけだ。
顔もはっきり覚えていない、写真の顔しか知らないお父さんだけど、今のクローのようにものすごい勢いで大根を下ろしていたことは印象に残っている。
なるほど。
そういやお母さんが大根おろしを作るときって、必ず小人さんを呼んでいた。
だから大根おろしで小人さんを連想して思い出したんだな。
お義父さんと再婚してからは、大根おろしが必要なときはお義父さんがやっていた。
今にして思えば、お義父さんがいるときにだけ大根おろしを使う料理をしていたのかも。
ようするに、お母さんは大根をおろすのが苦手だったんだろう。
私が大根を上手くおろせないのは、間違いなく遺伝ってことだ。
それにしても、いったいいつこの遊びをしなくなったのか、全く記憶にない。
もしかしたらお父さんが亡くなるまで続いていたのかもしれない。
クローの手の中の大根は、いつのまにか親指の先ほどのサイズになっていた。
私は感動の面持ちでクローを見上げる。
これってもしかすると、今後私は一生大根をおろさなくてもいいってことなのかな。
料理に大根おろしを使うのは大好きだ。焼き魚にも卵焼きにも合うし、和え物にしても美味しい。夏の暑い時期は大根おろしに醤油やポン酢を垂らすだけでもさっぱり食べられる。
だけど一人暮らしをしていたときは、そういうのは全部諦めていた。
一度やってみて、食べたい欲求よりめんどくささのほうが比重が高かったからだ。
それでもどうしても食べたくなった時に、パウチのものを買ってきたこともあったけど、なんだか味気なくてもう二度と買うことはなかった。
仕事が忙しくて料理を楽しむ余裕もなくなった、ってのもあるけどな。
あの頃の私って、ホント何を食べて生きてたんだろう。
手の中に残った一欠片の大根をどうしようかと睨んでいるクローに、私はぴょんと抱きついた。
つまり、クローがいてくれたら大根おろしだって使い放題ってことじゃん。
まるで私のところにも大きい『小人さん』が来てくれたみたいだ。
「どうしたの!?」と私を見下ろすクローから大根の欠片を受け取り、口に入れる。
歯ごたえがあって、噛むと甘みが口の中に広がった。
大根の品種なんてよく知らないけど、こんなに美味しいのはそうそう食べた記憶がない。
家庭菜園もバカにしたもんじゃないんだな。
それともリンダのご主人の腕がいいんだろうか。
「クロー、このお大根すっごく美味しいよ」
「そんなに?」
「うん。クローも味見してみる?」
しがみついたままクローに言って、大根おろしの入ったボールに目を向け、手をのばそうとした。
そしたら頬に手が添えられて、見上げるとクローの唇が近づいてくる。
あれ? 私は純粋に大根おろしを味見してもらうつもりだったんだけど……。
だったんだけど、まあいいか?
「うん。すごく甘いね」とクローが満足そうに笑うので、もういいってことにしよう。
一人暮らしのあの部屋に小人さんはいなかったけど、今は私だけの小人さんが横にいてくれる。
幸せな気持ちで食べたいつもと違うハンバーグは、いつもよりずっと美味しかった。
この日から我が家の定番メニューに『和風おろしハンバーグ』が加わったのはお察しのとおりである。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!




