014 新しい家族
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「……おはようございます、ますたー」
目覚めた少女の声に、ルシードは目を丸くしてベルを見た。
「マスター?」
「……お主が目覚めさせたことで、そやつの主人として認識されたんじゃろうな」
生命の樹の存在をすっかり忘れていたベルは、ルシードに宿った今、それを使えばホムンクルスの一体や二体、それどころか人間すら無から生み出せてしまうのではないかということを今更ながらに思い出し、どうしてこう肝心なことばかり忘れてしまうのかと、己の愚かさを嘆くように説明した。
「えーっと、なんだっけ? ……あれか? 刷り込みみたいなものかな?」
「……似たようなものじゃ」
相も変わらずよくわかっていなさそうなルシードに呆れつつも、ルシードが順序だてて覚えたこともなかったことから、これも今更かとベルは苦笑する。
「今の能力。……いや、目覚めさせた心臓の力の方じゃが、これからはワシの許可なくして使ってはならぬぞ」
とはいえ、そうぽんぽんと人間を作られても困ると、ベルも忠告を忘れない。
「心臓? そういや、さっき心臓に何か感じたな。……え、何? 俺の心臓って、傷を塞いでくれただけじゃないのか?」
「う、うむ。ちぃとばかりダメになっておったようでな。別の物で代用しておる。……何、そうたいしたものでもないわい。気軽に……いや、今の力を使ってはならぬが、気にすることのほどでもない」
ルシードが伝承すら知っているかは謎だが、まさか世界の至宝とも呼べる生命の樹で代用しているとは、ベルは言えない。
やんわりと、だがしっかりと釘を刺しておく。
「そ、そう?」
その様子にただならぬものを感じるルシードだが、聞いてしまえば聞きたくないことまで聞かされそうで、聞くに聞けなくなる。
「あ、体を拭いてやらないとな。風邪を引いたら大変だ。自分で拭けるか?」
「……はい」
ルシードは忘れそうになっていた少女に目を戻し、冒険者カバンから大きなタオルを取り出して少女に持たせ、自分は別のタオルで長い髪の毛を拭いてやる。
「こんなところかな?」
「……ありがとうございます」
魔法で温めたタオルで吹いたがために早々に拭き終わったルシードは、視線を少女の足元から頭まで動かし、少女の返事に一つ頷く。
「あとは服だけど……サイズが合いそうなものは持ってないんだよな。……ベルは持ってないか?」
そこまで黙って見ていたベルは、ルシードの声を受けて冒険者カバンから自身の着替えを取り出す。
ベルは体を自在に成長させることから、服は体に合わせて伸縮する布を使ったものを愛用しているのだ。生命の樹の存在をすっかり忘れていたとはいえ、目覚めさせてしまった責任をルシードだけに押し付けるつもりもない。
「ほれ、これでよいか?」
「ありがとう、助かるよ。……着方、わかるか?」
ベルから受け取った赤を基調とするローブを受け取ったルシードは、思っていたよりも小さな布であることに驚きを覚えながらも、少女とは意思疎通ができることからもある程度の知識があるのではないかと想定し、少女の知識がどの程度あるのかを知るべく、まずは服の着方がわかるかと問うてみる。
「……わかりません」
かすかに目を逸らすそうにして言う少女の姿は、どこか怪しい。
だが、それよりも先に、無表情であることに加え、少女の反応が少しばかり遅いことにルシードは頭を捻る。
もしかすると、無理矢理目覚めさせてしまったことで、なんらかの不具合が出ているのだろうか……。それとも、目覚めたばかりで不安なのだろうか……。
ルシードは考え、まずは服を着せるべきだろうとベルに助けを求める。
「ベル、この服ってどう着ればいいんだ?」
「む、どうも何も、他のと変わらんわい。腕を通せば布も広がる。そもそも培養液の中で育ったホムンクルスならそれくらいの知識は持っとるはずなんじゃが……どれ、ワシが着せて――」
「必要ありません」
そこで間髪入れないとばかりの声に、ルシードとベルは同時に少女に目を向ける。
「ルシード。もしや、こやつ……」
「対象を敵性と認識。これより排除します」
「――えっ?」
ベルが何やら言おうとしたところへ少女の声が重なり、ルシードとベルは同時に声をあげる。
そうしている間にも少女はベルに掴みかかろうとし、抵抗するベルの手と組み合う。
「む!? こ、こやつ……なんて力じゃ!」
少女の姿からは想像を絶する力に、ベルは目を見張る。
並行世界の自分を呼び出すためにいささか力を使いすぎたせいもあるが、それを抜いても少女の力は尋常ではない。
「こ、これ、何をボーっと見とるか! さっさと止めよ!」
「……へ? あ、こ、こらやめなさい! ベルは味方、味方だから!」
呆然と様子を見ていたルシードは慌てて止めに入り、少女をベルから引き剥がす。
「……はい」
ルシードに制止され、離れた少女に、ベルは考える。
反応が遅いところを見るに、ホムンクルス特有の命令を受諾するまでの間なのかとも考えていたが、そうではない。
おそらくこの少女は人間そのものだ。命令を受けるまでもなく、自分で考え、自分で行動する。
一拍空いたあとの返答も、答えるべき回答を考え、導き出しているのだろう。
しかしそれも、ルシードに対してのみといったところか。気づきそうになったベルをすぐに止めようとしたところからも、もはやホムンクルスなどという括りにできるものではない。主人の命がなくとも行動する、人間そのものである。
「……まったく、おかしな拾いものをしたもんじゃ。本当にルシードとおると退屈せんな」
「ん? 何か言ったか?」
側を離れて行くベルが小声で呟いた声に、試行錯誤をしながらも少女に服を着せ終えたルシードが反応する。
「なんでもないわい。早く帰って酒が飲みたいと言っただけじゃ」
ルシードに聞き取れなかったものが少女に聞かれたとは思えないが、すでに主人を取られまいとした少女によって敵として認識されているのだ。
これ以上面倒なことになっては厄介事ばかりが増えそうだと、ベルはやれやれといった感じに誤魔化し、ルシードにジェフリーの遺体を見せる必要はないと、作り出した広間を隠すため、先に通路へと出て行った。
「……そうだな、他には何もなさそうだし帰ろうか。君も一緒に行こう。これからは俺のことを家族だと思ってくれれば嬉しいな」
ルシードは少女に向けて手を差し伸べ、
「……はい、ますたー」
少女はその手を取って、ともに歩き出す。
「マスターじゃなくて、ルシードって呼んでいいよ」
ルシードは慣れない呼び方に苦笑しつつ、少女に訂正を求めるが、
「……はい、ますたー」
自分で考える少女にとっても、自分に命を吹き込んでくれた主人の命でも聞けるものではなかった。
「ルシードで良いんだって、ほら言ってごらん」
「……ますたー」
これからは家族としてやっていくつもりなのだ。ここだけは譲れないと、ルシードはなおも訂正を求めたが、それでも少女はルシードを名前で呼ぶつもりはない。
「る、し、ぃ、ど」
「……ま、す、た、ぁ」
それでも負けじと訂正するルシードだったが、ここにきて何かがおかしいと思う。
まさか少女の中では『ルシード』という単語が『マスター』に置き換わっているとでもいうのだろうか、と。
そこで一つ、試してみることにした。
「今から俺の言う言葉を繰り返してみて」
その方法とは、自身の名前を一字で区切り、発音できるかという至ってシンプルなものである。
「……はい」
その試みに少女は頷き、ルシードは自身の名前を分解する。
「エル」
「……える」
「ユー」
「……ゆー」
「シー」
「……しぃ」
「アイ」
「……あい」
「ディー」
「……でぃー」
最後まで正常に発音できたことにルシードは頷き、本題に入る。
「Lucid」
「……ますたー」
ここまでやってダメだったということは、やはり少女の中では自分の名前が置き換わっているのではないか? そう勘違いしたルシードは、これは諦めるしかないかと断念する。
「これ、何を遊んどるか。そもそも名前ならばその娘に付けてやる方が先じゃろうて」
部屋から出てきたルシードたちが遊んでいるようにしか見えなかったベルは嘆息し、少女に名前がないことを指摘する。
最後にジェフリーが叫んでいた名前はあったが、この少女にジェフリーの娘の名前を付けさせるつもりはない。
おそらく少女の外見はジェフリーの娘のものであるはずなのだ。その名前を付ければ、同じ外見と名前からジェフリーの作品であることが広まってしまうかもしれないという懸念がある。妻子のために狂ったということが近々明るみになってしまうことからも、少女にジェフリーと繋がるものを残すわけにもいかない。
「名前……名前かぁ」
そうとは知らないルシードは、名付けるという行為に、どうやら自分は絶望的にセンスがないということを思い出し、なんと名付けてよいものかと迷う。
「ちなみに聞くけど、名前はないのか?」
少女に名前があるならば、それに越したことはない。ルシードは少女に尋ねるが、
「……ありません」
少女は否定。
もちろんこれは嘘である。
少女にはジェフリーが作り出した培養液の中で吸収した知識から、名前らしきものがあることを知っている。
だが、今の少女にとってはルシードこそが親そのものなのだ。ルシードに名付けてもらうこと以上の喜びはない。
「そうか、ないのか……。ちょっと待ってくれ、今考える」
これまたそうとは知らないルシードは、少女に名前を付けるべく頭をフル回転させる。
「ホムンクルスで女の子だから……ホム子? それともホムホムとか? ……いや、青い髪に青い瞳だしな。空をイメージするのも悪くないけど、ミレット村を忘れないためにも、水か氷に関係するようなものの方がいいか? たとえば……スイミー! ……は何か違うか。あとは……」
出口を目指しつつも考え込みながら呟くルシードの声に、手を引かれて隣を歩く少女も流石に無表情を保てず頬が引きつる。
ルシードの口から次々と出される名前は、それが主人から授かるものでなければ絶対に拒否したい類のものばかりだ。
今からでも名前があると伝えるべきだろうか。少女は考えるが、それでは嘘をついてしまったことが露見してしまう。
出口が近づくにつれ、外の冷気で気温が下がる中、少女は悩み、ルシードは考える。
そして――その時は来た。
「名前なんてなんでもよかろう。ほれ、もう外に出るぞ。……む、やはり積もっておったか」
何か重い物でも乗っていたのだろうか。ベルは登った階段の最上部、天板状になっていた扉を力任せに押しのけ、扉を開く。
一瞬にして吐く息を白く変化を遂げ、肌を刺すような冷たい風が身に染みる。
階段を上りきった先、そこにあった光景は――一面の雪景色だった。
地下にいると知らなかったルシードは、建物の中は暖かかったことから気づかなかったが、季節は死んだ時と同じ冬のようだと知る。
ルシードは花びらのように舞い散る白いものへと目を向け、
「――雪」
道理で冷えるわけだ。
ルシードがそう考えたその時――
「に、認識しました」
今までとは打って変わってどこか慌てたように反応した少女の声に、ルシードは何事かと手を引く少女へと視線を落とす。
「……私のことは、ユキとお呼びください」
そこにはどこか安堵した様子の少女。
「いや、でも――」
「す、すでに認識済です。……変更はできません」
ルシードはただ呟いただけの単語で決まったことに納得できないのか、せっかく考えていた名前を採用されないことが残念なのか、今のは違うんだと告げようとしたところを少女によって遮られ、それもできなくなってしまった。
「……まあ、君がそれでいいなら。俺も水か氷に関係する名前にしようと思ってたところだったしな」
固有名詞をつけてはあとあと苦労しないだろうかという疑問を持ちつつも、少女が名前と認識して変更することもできないと言うのなら諦めるしかない。
ルシードは吹きすさぶ風に上着の左胸に開いていたことを思い出し、服に魔力を流して修復させ、次に少女へと向き直り、コートもなしでは寒いだろうと、母から受け取ったコートを冒険者カバンから取り出し、魔法で保温効果を与えて羽織わせる。
アルマリーゼでも大きかったコートは、更に小柄な少女が着るにはぶかぶかだったが、ないよりは良いだろう。
ルシードは少女の目線に合うように屈み込み、決まった名前で呼ぶ。
「それじゃあ、君は今からユキだ。名前を聞かれた時は、そう答えるんだよ」
「……はい、ますたー」
こうして、ホムンクルスの少女――ユキの名前は決定した。
「なんじゃか平凡な名前に決まったのう。ワシならもっと良い名前を考えてやったんじゃがな。たとえば――」
「対象を敵性と再認識しました。これより排除します」
意地悪な笑みを浮かべたベルに何かを感じ取ったのかもしれない。ユキは再びベルに掴みかかり、それを笑いながらもベルは防ぎにかかるのだった。
今回の事件、一つとして救われなかったジェフリーがただ一つ救われたとすれば、それは本来の歴史ではここに存在しえなかったルシードが生命の樹を体内に宿したことで、娘の分身に命を吹き込まれたことなのかもしれない。