011 単一世界
◇
「ふむ。そろそろかの?」
並行世界のベルたちが自分の世界に戻って二時間。ルシードを連れてホープが待つ近くの街に戻ろうかとも考えたベルは、そこで並行世界の自分が姿を現しては混乱どころではないだろうと思い、ジェフリーの研究所を動けないでいた。
「む、戻って来おったか」
まだ時間がかかるものかとも思われたが、流石は自分か。歪む空間に気づいたベルは、そこから顔を出した並行世界の三人の自分に、疑問符を浮かべた。
「どうした? 二時間ではルシードの村までたどり着けんかったか? それともすれ違ってしまったか?」
それもそのはず、並行世界のベルたちは、一様に気難しい顔をしていたからだ。
「……いや、村は見つけた。だが、お主の言うところのルシードに会うことは叶わんかった」
「む? お主もか?」
「な、なんじゃと? もしやワシの世界だけではないのか?」
並行世界の一人が発した言葉に、他の二人も何かに気づいたのだろう。一人目に視線を移し、目を見張った。
「どうしたと言うのじゃ? ワシにもわかるように説明せんか」
一人取り残されたこの世界のベルに、他の三人は困った顔を向けるが、確認のためにも話すしかない。諦めたように、ベルたちの一人が口を開く。
「結論から言うと、ワシの世界のルシードは……すでに亡くなっておった」
その言葉に、二人目と三人目が頷く。
「ワシの世界も同じじゃ。村の者に話を聞いたところ、村を襲った野盗の凶刃からテオという名の老人を庇い、命を落としておった」
「……ワシの世界も細部まで同じじゃ。ワシも同じ話をテオと名乗る老人から聞いたよ。なんでも、今にも野盗の凶刃に倒れようとしたテオを守るようにして間に入り、その命を落としたと。村はその際に隙を突くことができたテオによって野盗の頭を討つくことで救われたそうじゃが……ルシードが死んだことに間違いはない。墓も確認した」
それぞれのベルから出てくる言葉に、この世界のベルは信じられるものではない。
「……ば、馬鹿な。どの世界も同じ道を辿ることは知っておる。だからこそ、お主たちの世界でもルシードは生きて村を出るのではないのか?」
ベルはルシードが旅に出た経緯を聞きはしなかったが、おそらくはこの世界でも同じような出来事があったはずなのだ。どうしてこの世界のルシードは生き延び、他の世界では死んでいるのか、並行世界であっても同じ人間は同じ道を歩むと思っていた自分が間違っていただけなのか、それを判断することはできない。
「さて……な。ワシらがお主に呼び出されて驚かんように、ワシらもお主と同じ道を辿っておることは確かじゃ」
「そうじゃな。並行世界のワシを呼び出す魔法を編み出す過程で、現れたワシと何度か話してはみたが、誰もが同じ道を辿っておった」
「お主との違いがあるとすれば、ワシが呼び出せるのは二人までというところか」
三人目に共感するようにして頷くベルたちに、ベルは苦笑する。
「ワシが三人まで呼び出せるようになったのも、ルシードに負けじとした想いからかの。それほどまでに、こやつはワシを変えてくれた」
「……それほどの男とは、な。もう少し、詳しく話してはくれぬか?」
まだ最近起こった出来事を、眠ったようにしか見えないルシードを見つめながら懐かしむベルに、並行世界のベルたちは自分がそんな表情をするのかと、この世界へ来て驚くことばかりだと改めて実感する。
「そうじゃな。……ルシードとの出会いは、こやつがレーヴェにやって来たところから始まる」
ベルはルシードとの思い出を語る。
しかしそれは、そう長いものではない。ルシードとの出会いから始め、弟子に取った経緯、自分が冒険者になったことを簡潔に伝え――
「そして、ワシはエンバリーの街であの方と再会した」
自分が本当に変えられた本題に入る。
あの方が誰なのか、並行世界でも同じ道を歩んできた自分に伝える必要はない。それが誰かを知るベルたちは、続きはどうなったのかと固唾を呑む。
「ワシはルシードたちを守ろうと戦うつもりでいたよ。エンバリーへ招き寄せてしまったのは自分のせいじゃと、過去を忘れ、自分の役目を忘れてしまったワシのせいなのじゃとな……」
「そ、それでどうなったのじゃ!? お主が生きてここにいるということは――」
「ふふっ、そう急かすでないわい。ワシがあの方の足元にも及ばんことは、お主らが一番知っておるであろう?」
「で、では、どうやってその場を凌いだのじゃ!?」
魔王との邂逅は並行世界のベルたちにとっても大問題だ。早く続きが聞きたいと、まるで寝かしつけられるはずの子どもが母の話すお伽噺に興奮のあまり、眠れないといった感じである。
「結局のところ、あの方が見逃してくれたにすぎん。それでもワシはその背中を追おうとして……ルシードによって引きとめられた。もしやすると、予感があったのやもしれんな。ワシが追えば、戻っては来ぬと」
全力で戦って勝てる相手でないことは、自分自身が知っている。
それは、並行世界のベルたちを招集したところで同じ結果になるということも。
「だが、いつかまた、あの方はルシードのもとに現れる。そう思ったからこそ、ワシは自身の過去をルシードに告げ、再びあの方に挑むことに決めた」
「……む? その割には楽しげに話すではないか。その様子では、いまだに挑んではおらんのじゃろう?」
その時のことを思い出していたベルは、いつしか自分が笑っていたことに気づく。あの時のルシードの一言こそが、自分を変えたのだから。
「うむ。結果として、ワシはあの方に挑むことを止めた」
「何故じゃ? ワシが言うのもなんじゃが、ワシは一度口にしたことを曲げるような……いや、心当たりは山ほどあるが、あの方に関して言えば、逃げ出したあとの後悔は大きい。再びあの方に出会えば、もう一度逃げるということはないはずじゃ」
自分のことは自分が一番よく知っている。
混乱した様子の並行世界のベルたちに、この世界のベルはもう一度笑う。
「そこでルシードがワシに言ったんじゃ」
「な、なんと言ったんじゃ!?」
「だからそう急くでないわい。順序というものがあるじゃろうが」
早く答えを聞きたいと集中する視線に、ベルはすべてを話すつもりはないことを心の中で謝っておく。
やはり、ルシードとの思い出は自分のものだ。並行世界の自分とはいえ、譲れないものもある。
「あの方がワシに言った言葉を覚えておるな? 『私を殺せる存在になれ』と」
「……もちろんじゃ」
頷く並行世界のベルたちに、ベルは頷いて続ける。
「あの方の言葉を、ワシは言葉通りに取った。……だが、ルシードは違ったよ」
並行世界のベルたちも同じ解釈をした。では、ルシードはなんと言ったのか、また口を挟めば頓挫してしまうと、ただじっと続きを待つ。
「ルシードは……あの方が『自分と並び立つ存在になれ』と言いたかったんだと言った。寂しさからワシを作り出し、本当はそう言おうとして、失敗してしまったのだと」
だが、次に飛び出したベルの言葉に、並行世界のベルたちは目を数回瞬かせた。
「……ワシには到底信じられるものではないな」
「じゃが、同時にそう思いたいと思う気持ちもある。……違うか?」
「……否定はできんな」
そうだったらどれほど嬉しいだろうか。大好きだったあの少女と敵対することなく、同じ道を歩む未来があったならば、それほど嬉しいことはない。
並行世界のベルたちは思い、そして同時に、自分たちの世界でルシードがすでに亡くなっていることを悲しくも思う。
「これではますますルシードに会いたくなるというものじゃな」
「うむ。ここは手分けして、ワシらも並行世界のワシを呼び出すとするかの」
「おお、それは良いアイディアじゃ。どうしたことかワシらは恵まれんかったが、別の世界では生きているはずじゃ。次の者たちがダメでも、そのまた次の者に呼び出してもらえばよい」
勝手に盛り上がる並行世界のベルたちに苦笑するも、この世界のベルもルシードが生きる世界があるならば、見てみたい。
「そうじゃな。ワシはお主たちを呼んだことでこれ以上は呼べぬが、お主たちは――」
「残念だけれど、それはやめておいた方がいいね」
すっかりその気になっているベルたちのもとへ届く声。
その声の主を、ベルたちは忘れるはずがない。
「なッ――どうしてここにいるんじゃ!?」
「ここへ来た理由はいくつかある。……ただ、ここへ来て良かったとは思っているよ」
その声の主――魔王と呼ばれる少女は、いつからそこにいたのか。ベルたちが気づかぬ間に、壁に背を預けるようにしてそこにいた。
瞬時にしてベルたちは戦闘態勢を取り――
「そう身構えないでくれ。私に戦う意思はないよ」
かつて、まるで手を引いてくれた時のような穏やかな少女の様子に、呆気を取られる。
「……では、何をしにここへ来たんじゃ? それに、先程のやめておけとはどういうことなんじゃ?」
「質問は一つずつにして欲しいところだけれど……そうだね。まず、二つ目の質問に答えるならば、その少年が生きていた世界は、ここにしかないんだ。いくつ世界をまたごうとも、その少年が生きている未来は見つからない。……少年は師と仰ぐ老人を庇い、命を落とす。これは必然であり、絶対だ」
どうしてそんなことがわかるのか。ベルたちは疑問に思うと同時、納得もする。
魔王と呼ばれるこの少女ならば、並行世界であろうと覗き見ることは容易に違いない。たった一人の少年から、その過去から未来までをも見通すと言われても、信じてしまう。
「……言われてみればそうかもしれん。おそらくはこの世界よりも先を行く世界があるに決まっておる。にもかかわらず、ワシは呼び出されたことがなければ、世界の修正も働いておらん。ワシがそうしようと思ったように、この時点に達した者がおれば、なんとしてでもルシードを死なせまいとしたはずじゃ」
そして同時に、ベルは気づいた。
どこかに一番先を行く世界はあるのだろうが、この世界がどの世界よりも先を行っているとは考えづらい。どうして自分が呼ばれた経験がないのか、どうしてルシードが死んだ状態でここにいるのか、そう疑問に思えばすぐにでも気づいていたに違いなかった。
「それでは、この世界の歴史だけがまったくの別物であると?」
ならばこの世界だけが別の歴史を辿っているのかと、ベルは尋ねる。
「そういうわけでもないんだ。その少年が生きていようがいまいが、歴史に影響はない」
「何故じゃ? ルシードが生きて村を出たことで、多少なりとも歴史に影響が出ているはずじゃ。ワシと出会うまでにも、どこかで起こした行動が、何かに影響を及ぼしているのではないのか?」
ベルが知るルシードの力は大きなものだ。ルシードが誰かと出会い、会話をしただけでも、その人物に影響を与えているはずである。
「その少年がいなくとも、歴史は変わらないんだ。この世界で少年が壊滅させた野盗も、別の世界では周囲の村から集まった者たちが行い、ある村を襲った魔獣も、そこに居合わせた英雄の子どもたちの奮闘、兄の窮地に魔眼の力を制御した妹の力によって解決される。つい最近に起こった獣人の蜂起も、穏健派のもとへ捕らわれた獣王の妹の奮起により、妹を大事に想う獣王は和平への道を選ぶこととなる」
ルシードがこれまでどう歩んできたのかを知らないベルたちには、少女が何を言っているのかわからない。
それでも、この世界のベルは黙ってはいない。
「今の話にはレーヴェでの話がないではないか。ここにいるワシらはともかく、ミラ、セラフ、サーシャ、ルーファの四人はどうじゃ? あの者たちが無詠唱の魔法を覚えたことには、どう説明がつく?」
自分は並行世界へ関与する力を持っていることからも、自分だけは影響を受けない。
では、ルシードがかかわった他の者たちはどうなのかと、ベルは問う。
「……その四人ならば、ワシが無詠唱を教える手筈になっておる」
「うむ。それはすでにワシも経験しとる」
「ワシもじゃ。まだ最近の話じゃが、塔の問題を解決しよったからの……。その見返りとして、教えることになったわい」
だが、反論しようとした一点でさえも、並行世界の自分からダメ出しをされ、黙り込むしかない。
「ふふっ、そういうことだね。覚える時期こそ違えど、その少年がこの世界で無詠唱の魔法を教えた者たちは、その四人からいずれ教わることになる」
ただ、少女は語らないが、確かにこの世界の歴史に影響は出始めている。
その一つが、獣人国に残してきた魔獣の存在。別の世界では、存在し得ないものだった。
そしてそれは、テオと呼ばれた老人の死もあるかもしれない。
あまつさえ、アルマリーゼと呼ばれる魔剣は、別世界では依然、封印された地で眠ったままであり、賢者殺害事件にも、ベルが絡むことはない。
決定的とも言えるのが、レアと名乗る少女の存在だろうか。
昨日、少女は久しぶりの客人に興味を引かれ、その存在を覗き見ていた。
そして、その存在には珍しく驚いたものだ。
レアは別世界でも生まれることにはなるが、生まれた村を出ることはなく、人としての生涯を終える。魔法を覚えることがなければ、少女のもとを訪れることもなく、人として狂うこともない。
だからこそ、少女はレアとの出会いと、その口から語られた言葉により、今ここにいる。
本来は王都へと出向き、そこでベルと再会する予定だったのだ。予定を早めたのも、この先も他の世界と同様の未来を作っていくのか、それとも違った未来を見せてくれるのか、少女がここに来た理由は、そこに興味があったからでもある。
「さて、それでは一つ目の質問の答えといこうか」
やはりルシードはどの世界にもいないのか。そう落ち込むベルたちに、少女は話を戻す。
「……ベル。今まで辛い思いをさせてすまなかった」
「な、なにを……?」
突如、顔を伏せた少女に、ベルはたじろぐ。この少女が謝ったところなど、一度として見たことがなかったからだ。
「その少年の言う通りなんだ。有史以前から常に一人だった私は、ある時戦争の被害を受けた村で君を拾い、育てることにした」
「なっ!? ……ワシは、あなたに作られた存在ではないのか?」
何が少年――ルシードの言う通りなのかはわからないが、ベルは聞き捨てならない単語にそちらを優先した。
「いくら私でも、人間一人を無から作り出すことはできやしないよ。君は……私が立ち寄った村で拾った子どもだ。頭を打ったのか、目覚めたあとにそれまでの記憶はなかったようだけれどね」
長年の疑問が解決したにもかかわらず、ベルは驚きのあまり、言葉が出てこない。
「君にとって帰る場所がないこと、そして記憶がないことから、当時の私は寂しさのあまり、手元に置くことにした。……ただ、それまで碌に人と会話などしたことがなかったからね。たいして言葉を交わすこともままならないうちに、真に伝えるべき言葉を取り違えてしまったんだ」
そうしている間にも、魔王と呼ばれる少女は続ける。
「謝ることさえも不出来な私は訂正する言葉も出せず、君が出て行ったあとも、追うことができなかった。それからというもの、遠くから見ていることしかできない自分に、何度不甲斐なさを感じたかもわからない。本当は――」
少女は一瞬の逡巡を見せ、一度深呼吸をすると、
「本当は、少年がそう解釈したように、私の隣でともに生きて欲しいと伝えたかった。随分遅くなってしまったけれど、許してくれないだろうか?」
ベルにとって、一番嬉しい言葉をくれた。
「……今更じゃな」
ベルたちの目元からは自然と涙があふれる。
「ワシが……許さないはずがなかろう?」
かつて、その言葉を聞けていたならばとは思わない。
辛い別れにはなってしまったが、たどり着いたレーヴェでの触れ合いは、ベルにとっても忘れがたいものになっているのだから……。
「やはり、勇気を出してここへ来て正解だったね。また君とこうして語り合えることを、嬉しく思うよ」
どこか照れた様子の少女は腕を広げ、四人のベルたちは子どものころを思い出すようにして、その腕へと飛び込んだ。