シニアの戯れ10
時代逆行主義万歳。朝鮮人部落万歳。笑止千万か?
私は差別偏見の構造意識に彩られた、沼のごとし世間を忌み嫌っている。
だが作家としての視点で物を申せば、私程人間好きはいないだろう。
物語り操作に於ける作家の使命は、大衆と共にその苦楽を共にする事だと言い切れる。
だから昔かたぎの物書きは、清貧を旨として、喜怒哀楽を大衆と共に分かち合い、その苦悩する姿を大衆は人生の教師と捉らえ、崇めていたのだ。
だから私は所謂最下層でうごめいている大衆が、自分と同じ苦しみを耐え抜いて、懸命に生きている姿を活写したいのだ。
私は在日韓国人として、祖母や父から、昔の話しをよく聞かされた。
昔は朝鮮人部落というのが在って、殆ど江戸時代のような生活を営んでいたと聞いている。
洗濯機やテレビ、冷蔵庫などもなく、土間で米を釜炊きしていた時代。
苛烈な差別意識に晒されながら、貧しくても朝鮮人同士が、連携して助け合い、力強く生き抜いていた時代。
そんな熱いバイタリティー溢れる時代に私は産まれたかったというのも正直な気持ちだろう。
何かこんな事を書くと、死んだ我が祖母にこんなお目玉を喰らいそうだ。
「馬鹿野郎、大変な時代だったんだ。お前みたいに半端な奴なんか直ぐに死んでしまうわい」
ごもっともだと思う。
だが私の中にも朝鮮人としての熱い血潮は逆巻いているのだ。
私は熱い。
そして私は一本気だ。
と、待てよ。
タリラリラン。
私は社会不適格者だからこそ、自己破産もしているろくでなしじゃないか。
そんなろくでなしだからこそ、苦労が足りないから、赤貧に甘んじて、顎が出る程の労苦を味わっているわけだ。
お笑い草の人生が私の人生ではないか?
笑い、笑い、笑いしかない。
ろくでなし一代記がこの脳梗塞と戯れてという小説になるならば、こりゃ、えっささ、せめてもの罪滅ぼしに、福島のじいさん愉しませてやるわい。
タリラリラン。
てか?
私はらりぱっぱの酩酊したピエロかい?
情けないの一言か?
笑止千万か?
やっと脳梗塞と戯れてらしく戯文調になって来たな。
時代逆行主義万歳(^0^)/
部落民万歳(^0^)/
笑止か?




