ぬくもり
「私が初めてはるるんに会ったのって、確か小学部三年生の時だったよね」
ハルルの家に遊びに来たアヤが、お茶をしている時にふと呟いた。
「そうだったけ?」
あまり覚えていないのか、ハルルは首を傾げる。
「そうだよ。小学部の時さ、両親に感謝する日っていうのがあったじゃん。手紙とか絵とか書いて、その日に両親に渡すっていう」
「あるね。小学部だけの行事だけど。確か、午後の授業二時間使ってやるんだよね」
「そう、それ」
頷いたあと、アヤは両手で抱えるように持っていたカップから紅茶を一口飲んだ。そして、一息吐いたあとに、懐かしそうに言った。
「私、その行事が嫌いだったんだよね」
他の人が聞いたら、意外に思っただろう。アヤはいつも笑っているし、こういった行事を嫌うような人ではないのは、少し話せば判ることだからだ。
しかし、ハルルは驚かなかった。だが、
「…………」
何か言うこともできなかった。
今はちゃんと両親と暮らしているアヤだが、数年前までアヤの両親は行方不明だったのだ。ハルルは、そのことを知っていたがために、容易に言葉をかけられなかった。
「一・二年生の時は我慢してたんだけど、最後の一年は、教室を抜け出して授業に出なかったんだよね」
何も言えずに固まったハルルの様子に気付かなかったふりをして、苦笑しながら言った。
「その時に、はるるんに会ったんだよ」
木の葉が赤色や黄色などに染まり、秋が深まりだす。そのころ、国立中央魔法学校の小学部では、毎年恒例の行事が行われる。
両親に感謝する日。
毎日感謝の気持ちをもっていることも大切だが、この日はその感謝の気持ちを形のあるものにして親に贈り物をする。そういったものを、午後の二時間の授業を使って準備する。
そして、今年もその行事の日がやってきた。
午後の授業が始まる時、小学部三年の星組の担任であるセシリアは、生徒が一人いないことに気が付いた。教室にいない生徒は、アヤ・フォルアナ・ウィルソンだった。
今姿が見えないアヤには、両親がいなかった。彼女が幼いころ、行方不明になってしまったのだ。そのため、今は両親の兄弟である人の元で暮らしている。
仮の両親である(代理の)王と王妃は優しいが、アヤもまだ子供だ。本当の両親の温かさに触れたいと思ってしまうのは、何も不思議なことではない。
学校の裏側。ちょっとした裏庭に、小さな女の子の影があった。
同じころ、この日の午後の授業がない古代文字の教師――ハルル・セイエナ・トラプソンは、裏庭を散歩していた。
ふと視界に入った小さな影が気になったハルルは、その人影に近付いていった。制服から、小学部の生徒だと判り、驚く。しかし、何か理由があるのだろうと思い、落ち着いた声で話しかけた。
「こんなところでどうしたの?」
少女の肩がビクッとはねる。それと同時に、きれいな金髪が揺れた。そして、少女は小さくうずくまってしまった。どうやら、驚かせてしまったようだ。
「ごめん、驚かせちゃったね。私はハルル。どうしてここにいるのか、教えてもらってもいいかな?」
ハルルは優しく問いかけた。
「……教室に、いたくなかったから」
ハルルのお願いのような質問に、小さな声で返答があった。
ハルルは一瞬、まばたきするのを忘れた。小学部の生徒から、まさかそんな答えが返ってくるとは思っていなかったのだ。
「そうなんだ。じゃあ、私と一緒にお茶でもしようよ」
ハルルは、教室にいたくない理由を尋ねずに、そう言って笑った。
怒られるか、もしくは理由を訊かれるだろうと思っていた少女は、ハルルの反応に驚いた。
ふと顔を上げると、少女の翡翠色の瞳が、ハルルの深い緑色の瞳とぶつかる。
「どうする?」
「…………」
ハルルが尋ねても、少女は何も答えなかった。そして、そのまま下を向いてしまう。
ハルルがどう接しようかと考えていると、少女がチラッと自分を見たのが判った。その様子を見て、少女はハルルの迷惑にならないのか考えて答えられずにいるのだろうと思った。
「今日はもう授業がないから大丈夫だよ。一緒に行こう?」
ハルルは、そっと手を差し出した。
少女は小さく頷くと、ハルルの手をとった。ハルルは少女の手を握り、嬉しそうに笑った。
ハルルに手を引かれるまま、少女は歩いた。
そして、特別棟一階の一番奥にある小さな部屋の中へ入った。そこは、古代文字資料室の隣にある、先生方用の小部屋だった。
「そこのソファーに座っててくれる? 今お茶の準備をするから」
少女はハルルに言われた通り、ソファーに腰をお下ろした。
ハルルがお茶の準備をしている間、少女は部屋の中を見渡した。
私物が多いような気がした。
「はい、どうぞ」
少女の前にケーキとお茶が差し出される。そのあと、少ししてからハルルが自分の紅茶を持って少女の向かい側にあるソファーに座った。
「このケーキ、先生が食べようとしてたんじゃないんですか?」
「んー? 気にしないでー」
「でも……」
ハルルがそう言ったにもかかわらず、少女はまだ腑に落ちないようだ。
「じゃあ、一口だけもらおうかな」
ハルルはそう言って、一口だけケーキを食べた。
「はい、あとはあなたの分」
ケーキの乗ったお皿を再び少女の方へ差し出し、ふわりと笑う。少女は、まだ納得がいかないようだったが、とうとう諦めた。おずおずとフォークに手を伸ばし、ケーキを口にし始めた。
「そういえば、まだあなたの名前を聞いてなかったね。よかったら、教えてくれる?」
「……アヤ。アヤ・フォルアナ・ウィルソンです」
少女の名前を知ったハルルは、驚いた。
小学部の教師をしている友人の話を聞いた時からずっと、一度会ってみたいと思っていた人だ。その生徒が、今、自分の目の前に座っていた。
しかし、妙な違和感を覚えずにはいられなかった。
友人の話では、アヤは明るい女の子のはずだ。少なくとも、今目の前にいる大人しい女の子であるはずがないのだ。
そう思ったハルルだったが、大人しいのは何か悩んでいるからだと考え直し、一人で納得した。
「アヤちゃんね。よろしくね」
ハルルはにっこりと笑った。
「といっても、私は高学部の教師だから、めったに会わないけどね」
「……。あの……」
「ん?」
「ハルル先生は、古代文字の先生なんですか?」
「そうだよ。でも、珍しいね、古代文字を知ってるなんて。まさか、読めたりする?」
「一応……」
アヤは答えにくそうに言った。
「そっか。すごいね!」
ハルルはそんなアヤに気付かなかったふりをして、明るく笑った。
静かになり、少し経つとアヤがうとうとし始めた。
「眠かったら寝てもいいんだよ?」
舟を漕ぎ出しそうなアヤを見たハルルが、優しく声をかける。アヤは首を縦に振って頷いた。
それからまた少しして、
「……今日だけ、午後の授業には出たくなかったんです」
不意にアヤが話し出した。
「今日は小学部だけの行事、感謝の日なんです。でも、私には両親がいないから……」
ハルルは、静かにアヤの話を聞いた。
「去年までは、今お世話になっている人達に贈り物をしていたんです。今年も、そうするつもりでいたんです。でも……」
何かあったのだろう。
急に声が小さくなった。
「今年は、クラスメイトとちょっとケンカをしてしまって……、それで、教室にいずらくなってしまって」
だからあんな場所にいたのかと、ハルルは納得した。
「そうだったんだ。ゆっくりしていって大丈夫だからね」
「ありがとうございます」
再び部屋に静寂が訪れる。ハルルは、本を読み始め、アヤは紅茶をゆっくり飲んでいた。
少しして、ハルルが本から目を離してアヤを見た。
眠ってる。
アヤはソファーにあったクッションを枕に、すやすやと眠っていた。ハルルは膝かけをアヤにそっとかけてやった。
授業終了の鐘が鳴り、休憩時間になる。ハルルは新しく紅茶をつくり、一人くつろいでいた。
「――――っ」
突然、アヤの苦しげな呼吸が聞こえてきた。
心配になり、慌てて近寄る。アヤの様子を見てみると、静かに泣いていた。
ハルルはアヤの頭を優しくなでた。そして、「大丈夫だよ」と声をかけた。
しばらくそうしていると、だんだんアヤは落ち着いてきた。ハルルはアヤから離れようとはせず、そっとアヤの手を握った。すると、眠っているアヤが、ハルルの手をきゅっと握り返した。その様子に、ふっと口元が緩んだ。
その日最後の授業開始の鐘が鳴った。
しばらくアヤのことを見ていたハルルだったが、ついにアヤにつられてしまったのか、ソファーによりかかるようにして眠ってしまった。
そのままゆっくりと時間が流れ、授業終了の鐘が鳴り響いた。それと同時に、ハルルが目を覚ました。寝起きでぼうっとしているところに、古代文字資料室の小部屋の扉が叩かれた。
「はい、どうぞ」
とりあえず返事をすると、扉が開いた。そして、一人の女性が中に入ってきた。
「セシリア」
セシリアと呼ばれたその人は、少々困ったような表情をしていた。しかし、ソファーの上で眠るアヤの姿を見て、優しい目の色に変わる。
「ここにいたんだね」
「ごめん、声かけとけばよかったね」
「いいよ別に。まぁ、ちょっと心配だったんだけどね」
セシリアはそう言って、困ったような表情で笑った。
セシリアは、アヤの星組の担任であり、ハルルの友人でもあった。
セシリアとハルルが話をしていると、アヤが目を覚ました。
「あ、おはよー」
ハルルがアヤに声をかける。アヤは、まだ眠たそうに目をこすりながら、ハルルの隣にいるセシリアを見た。
「セシリア先生……」
「よく眠れた?」
「……はい」
アヤは照れくさそうに頷いた。
それから、三人は他愛のない会話を少しした。そのあと、アヤは城に帰った。
今までとは違う、温かな感謝の日だった。
「懐かしいなぁ。最後の年だけは、つまらないとか思わなかったんだよね」
遠くを見るような目で、アヤが言った。
「一・二年生の時は哀しかったな。でも、仮の両親にそんなことは言えないし、言ったら言ったで悪いような気がしちゃうから、辛かったっけ。三年生の時ももちろん哀しかったけれど、それ以上にあったかかったなぁ」
「それはよかった」
ハルルが微笑む。
勝手に授業をサボったアヤを、ハルルもセシリアも責めなかった。二人とも、アヤがちゃんと自覚しているということを判っていたからだった。
「でもさ、アヤちゃんって、いつもは簡単に心を開かないよね」
ふと。ハルルが不思議そうに呟いた。
アヤは簡単に他人に心を開いたりはしない。その人のことをよく見てから、ちょっとずつ心を開いていくのだ。それに、人によって心の開き具合も違う。いつまでたっても本音を言わないようにしている相手がいれば、すぐに心の内を打ち明けるようになる人もいる。ただ、どちらにしろ、それなりの時間がかかるのだが。
それなのに、あの時はすぐにハルルになついた。
ハルルは、そこが引っかかっていた。
「あー、なんかさ、安心できたんだよ」
アヤはちょっと照れくさそうに言った。
「はるるんって、なんか安心できるオーラみたいなのがあるんだよね。だから、この先生には本当のことを話しても大丈夫だと思ったんだよ」
アヤが嬉しそうに話す。すると、ハルルは花が咲くように笑った。
そんな、あたたかな、午後のひととき。
Fin
…ひとやすみ…
アヤとハルルの出会い話です。
以前から、二人は結構前から出会っている設定はあったんです。ですが、なかなかそれを話にできずにいました。
今回、二人の出会い話を書けて嬉しく思っています。
本格的に仲良くなるのは、アヤが高学部になってからですが、出会いはもっと前という(笑)
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
5/2にサイト開設一周年を迎えました!ssが思いつかなかったので、代わりに、この話を一周年記念小説とさせていただきます。
これからもどうぞ、よろしくお願いします<m(__)m>
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