一話 「千年の目覚め」
草木の生い茂る山奥に、ひっそりと鎮座する、ヒビの入った石板。
それは、突如として禍々しい紫色の光を放った。
その直後、森の静けさを掻き消すような轟音が響き、石板の割れ目から真っ黒な腕が飛び出す。
それは「ベキベキ」と音を立てながら折れ曲がり、自らを押し留めているであろう石板へと指先を伸ばしていく。
そして、その腕が石板を握り締めると、凄まじい炸裂音と共に散り散りとなっていく。
砕け散った石片を、黒い足が踏み潰す。
それと同時に、地面が大きく窪み、拉げた。
砂埃が散った、その先。
そこには、漆黒の翼に、禍々しいオーラを纏う手足、そして、神々しいまでの純白さを持つ御体があった。
その生物は、両手を広げ、大きく息を吸う。
そして、薄ら笑いを押し殺しながら、ゆっくりと息を吐いた。
「……ククク……空気と戯れるのは幾年ぶりか……!」
ソレは、真っ黒な手を前方へと翳す。
ボソボソと何かを呟くと共に、掌の中で炎が育つ。
「『焔獄』」
どす黒い炎が打ち出された直後には、前方の木々が焼き尽くされ、炭の香りが場を占めた。
「……ハハハ……! 悪くない……!!」
そして、ソレは空を見上げ、張り裂ける程の笑みを浮かべた。
「俺こそが『魔王』だ……!」
─────
『初代魔王』それは、人類を絶望の底へと叩き落とし、暴虐の限りを尽くした邪悪の権化。
伝説の初代勇者をもってして、完全に滅ぼすには至らなかった。
その絶対的な存在が千年の時を経て、現代へと蘇る───
─────
「この空気の感覚……ざっと八百、いや、千年は経ったか……?」
魔王は、指先で炎をくるくると回し、空高くへと飛ばす。
空に浮かんだ炎は、ある一方向を指して止まった。
「人里は東か……さて、どの程度のものか」
魔王は翼を拡げ、天高くへと飛び上がる。
そして、下界を見下ろすように、ゆっくりと、ゆっくりと空を歩いた。
─────
やがて、山の先の小さな村が、魔王の視界に入った。
「……貧相な村だな。……軽く嬲ってやるとしよう」
魔王が軽く手を振りかざすと、黒い火の粉が宙を舞う。
そして、散った火の粉を一つに纏め、赫灼の槍を創り出す。
「『昇臨』」
その槍を魔王は握り締め、思い切り村目掛けて投げつける。
眩い光を放つそれは、流星と見紛う程に煌めいていた。
しかしそれは、村に辿り着く前に弾け、消えた。
「………………」
(『魔法障壁』……俺の魔法を弾くほどの……?)
魔王は消滅した魔法の残滓を見て、ニタリと嗤った。
「……ほう……もう少し確かめてやろう」
魔王は舌をべろりと出す。
すると、舌が裂け、もう一つの口が現れた。
「「『二重詠唱』……!!」」
魔王の周囲が震え、魔力が増幅していく。
「『焔獄』✕『昇臨』」
焔が形を成し、漆黒の槍が現れる。
「『撃臨』」
黒い焔を撒く槍を、今一度村へと解き放つ。
「キィィィン……」という金切り音にも似た音を立て、宙を穿つ。
しかし、それすらも村に届く前に消え失せた。
それでもなお、魔王は笑みを浮かべた。
「!」
その瞬間、魔王が察知したのは、『莫大な魔力の塊』。
人間が放つものとは似つかない何かが、己を狙っていると直ぐに理解した。
「『二重魔法障壁』……」
魔王が障壁を張ったのも束の間、特大の魔力弾が魔王を襲う。
(これは……受けられんな)
攻撃を見切った魔王は、直ぐさま回避姿勢を取る。
しかし、ほんの少し遅かった。
「っ…………」
魔力弾は魔王の片腕を大きく削ぎ落とした。
それを受けてなお、魔王は口角を吊り上げていく。
「……ハハハ…………面白い……!」
魔王は削がれた腕に魔法陣を浮かべると、抉れた肉の繊維が蠢き、新たな腕が生えてくる。
(『魔力の起こり』や殺気が感じられなかった……人間の手を媒介としない、全自動の迎撃……それすらも可能としているのか……!)
「これが現世の叡智の結晶ならば……それを力で踏み躙ろう……」
魔王は天高くに腕を掲げる。
「出し惜しみは不要だな」
そして、掲げた拳へと魔力を集中させていく。
魔王の拳からはまるで紫炎を纏うように魔力が溢れ出している。
「『滅獄掌』」
魔王は一気に村を護る結界へと突撃し、垂れ流された魔力の軌跡は空に墨汁を塗りたくるように穢していく。
そして、拳が結界に衝突する。
「…………ぉぉぉぉ……!!」
その拳は、結界を割り、小さな穴を開けた。
「はぁ……はぁ……ハハハ……」
魔王は結界の中へと侵入し、村を見下ろす。
村人の一人が、こちらを唖然としながら見上げているのがわかる。
「な、なんだ……魔物か……!?」
魔王は村人を見下ろし、指先を向ける。
「光栄に思え。最初の贄は貴様だ」
魔王の指先に、魔力が集結されていく……
はずだった。
(……魔力が扱えない……?)
本来、自身が扱えるはずの魔力。それが、一切反応しない。
(魔力そのものを封じる結界……? だが、空を飛ぶ事は出来ている……それに、人間の魔力は感じられるが……)
魔王はゆっくりと地面へと降り、村人へと近寄っていく。
「なっ……えっ……」
後ずさりする村人の首筋に、魔王は手を伸ばす。
そして、村人の首を掴んで持ち上げようと、触れた瞬間。
バ/ヂッ……
「っ……!?」
魔王の手に凄まじい激痛が走った。
「ま、魔物だぁ〜っ!!」
村人は一目散に逃げていく。
それを眺めている間も、魔王の腕はずっと痺れ続けていた。
(これは……『聖』の魔法……? 一部の高位神官のみしか扱えないはず…………まさか、普及したのか……!? 当時よりレベルも格段に高い……)
周囲にいた村人達の悲鳴が響く。
かつては歓喜の象徴だったそれも、今の魔王には雑音でしか無かった。
(そして、人間はこの結界内でも魔法を扱えた……魔物のみに反応し抑制するものか……あるいは別の要因か……)
「探る必要があるな……」
魔王は村の中心部へと向かって、足を踏み出す。
「そこの魔物、止まれ」
その声は、眼鏡をかけた初老の男性のもののようだった。
あまりにも率直で、静かな『命令』。
それは、魔王の逆鱗に触れた。
「………………」
「止まれと言っている」
それでもなお、物怖じせずに男性は言葉を紡ぐ。
魔王は、軽蔑するような眼差しを男に向けた。
「止めたいならば、力尽くでどうにかしてみせろ」
言い終わるやいなや、男性は手に持っていた鍬を置き、取り出した木刀を構え、魔王を睨む。
すると、初老の男性の腕が、一気に筋肉を膨張させる。
(『身体強化魔法』……やはり人間は魔法を使用できるという理屈か……?)
男性は大きな一歩を踏み出し、木刀を迷いなく魔王へと叩き込んでいく。
「っ……!!」
それを魔王は寸前で受け流しながらも、容赦の無い連撃は、魔法の使えない魔王を追い詰めるに事足りた。
(この男……手練れだな。『殺気』が感じられん……動きが読み辛い……!)
「ぐっ……がっ……!!」
男は的確に魔王の堅牢な構えをこじ開け、殴打を与えていく。
魔王の身体に、骨が軋む音が響く。
(チッ……この程度の人間に……魔法さえ使えれば……)
「……!」
そこで、魔王は一つの発見を得た。
目の前の男と、自身の決定的な違い。
それは、『殺意』や『敵意』を持って魔法を使おうとしている事。
(『敵意』の伴う魔法は制限する……人間らしい理屈だ)
「敵意さえ無ければ良いのだろう……?」
「!」
千年前、研鑽してきた数多の技術と、何度も越えた修羅場の数々。
それは、『敵意』を持たない攻撃という技術を会得するに応えた。
魔王の掌に、魔力が集められる。
「『焔獄』」
「ぬうっ……!」
炸裂した黒い炎は、男性の体をいとも容易く飲み込んだ。
「……悪くなかったぞ」
灰となり散ったであろう男に背を向け、魔王は歩き出す。
しかし、背後から感じた、魔力の気配。
「!」
魔王が振り返るのも束の間、既に男は木刀を魔王へと振りかざしていた。
「っ!!」
魔王はそれを両の腕でガードし身を守るも、骨が「バギャ」と折れる音が体内で響いた。
魔王は大きく後ろに踏み込み、男から距離を取る。
(……この感覚…………そうか。魔法の進化に伴う、力の普遍化。千年の時を経て、生来から魔法に対して耐性を持ち得るようになったのか……)
「これだからイキモノは面白い……これからまだまだ魅せてみろ……!」
「……いや、終わりだ」
「……何……?」
男は瞬時に居合の構えを取り、一気に魔王へと詰め寄る。
(それはもう見た…………いや、違うな。これは……)
男の木刀が纏っていたのは、高威力の『聖』魔法の術式。
(『無詠唱』でこの規模の魔法を……いや、だとしてもだ……!)
「っ……ぐっ……!?」
魔王がその攻撃を躱そうとした時には、既に脇腹に一撃が叩き込まれていた。
「ガハッ……!?」
(何だ今のは……魔法、技術……!? どちらだ!?)
「出ていけ……!!」
大きく振り抜いた男の木刀は、魔王の身体を空高くまで跳ね飛ばした。
「ぬぉぉっ……!!」
攻撃をモロに食らった魔王は、結界外へと凄まじい速度で吹き飛んでいく。
(人間風情が……笑わせてくれる……!)
混濁する意識のなかで、魔王は再度笑みを浮かべた。
───さぁ、次は俺に、何を魅せてくれる……!?
「っ……ハハハハハハハハハ……!!」
魔王は笑みを張り付けたまま、意識を失った。
─────
「あ、あれ、大丈夫……じゃないよね……」
男と魔王の戦いを影から見ていた者がいた。
それは、年端もいかない少女だった。
少女は周りをキョロキョロと見ると、結界の外へと足を踏み出していった。
─────
「ゥ゙ゥ゙ゥ゙ゥ゙……」
そして、不注意にも結界から飛び出した少女を、狙う巨大な影もあった。




