第二十二話 教団への招待➁
低い声。
ついさっきまで屋敷の中で聞いていた声と、重なる。
「これはさすがにズルいかもしれないけど……大人しく捕まってもらうよ」
クリスの喉が鳴った。
オオカミは一歩踏み出し、そのまま首元に口を寄せる。
牙が触れたが、噛み切るほどの力はなかった。
甘噛みのまま、クリスの体が宙に浮く。
「ま、待て!」
だが、オオカミに噛まれているクリスは、牙の間にがっちりと挟み込まれていた。
手足を必死にばたつかせ、身をよじってみても、拘束は微塵も緩まない。
「放せコノヤロー!お前何もんだよ!この、牙を、どけろ!」
「静かになさい。僕はタフなだけで、耐熱性があるわけじゃないんだ」
キリが冷静に答えると、噛まれているクリスに音が響いた。
「俺はまだ負けてねぇ!放せ!!」
「……僕の傷が痛む。それに、この国で一番強い獣人にここまで健闘したんだ。自分を褒めてやれ」
「こんの、この、あーーーッ!マジでむかつく!何が”一番強い”だよ!!」
オオカミに連れ去られたクリスは、ベネックの屋敷から少し離れた場所まで引きずられていった。
屋敷の外には、すでに数人の男が待っていた。
キリの仲間なのだろう。
言葉を交わす暇もなく、背後から腕を取られる。
力任せに押さえつけられ、何かが腕に突き立てられた。
「注射針か――ッ!」
短い痛み。
反射的に暴れようとしたが、力が入らない。
腕の奥から、じわじわと熱が広がっていく感覚があった。
「……クソ……」
声が、うまく出なかった。
周囲で男たちが話している。
内容は聞き取れない。
ただ、音だけが頭の中で反響していた。
遠くで鳴っているようで、やけに近い。
視界が揺れる。
足元の感覚が曖昧になり、身体が傾いた。
誰かに支えられた気もしたが、それすら確かではない。
まぶたが重く、意識が沈んでいく。
その途中で、ふと視界の端に何かが入った。
――旗だった。
町中にいくつも掲げられている、ごくありふれた旗の一つ。
今まで何度も目にしてきたはずのものだ。
だが、この瞬間、なぜかそれだけがはっきりと見えた。
布が風に揺れ、文字が目に入る。
読み取った瞬間、思考が一瞬だけ浮き上がった。
――違う。
――そんなはずはない。
言葉にならないまま、否定だけが浮かぶ。
だが、視線を逸らす前に、文字は確かに脳裏に焼き付いた。
意識が、急速に遠のいていく。
抵抗しようとしても、身体はもう言うことを聞かなかった。
次の瞬間、視界は完全に暗転した。
彼が最後に目にした旗には、こう記されていた。
――ゼリク元上院議員、大統領に当選。
♢
次にクリスが目を覚ましたのは、コンクリに囲まれた何もない部屋だった。
彼は入院患者のような真っ白な服を着せられて、床に突っ伏していた。
立ち上がったクリスの足は冷たいコンクリの地面を踏み、ここが牢獄なのではないかという考えが巡る。
「こ……ここはどこだ!早くここから出せ!」
クリスが鉄製のドアを叩くが、外からの返事は全くない。
ドアが一つあるだけで全く家具も窓もないし、周りの音も聞こえない。
こちらの声が外に聞こえているのかさえ、分からなかった。
一時間ほど経っただろうか。
叫び疲れたクリスが部屋の中央で寝そべっていると、急にそれまでビクともしなかった開かずのドアが開いた。
入ってきたのはスーツを着た若い女性と、サーベルを持った複数の蒸気鎧兵士。
「やぁ……少年」
そう言った隊長らしき女性は、深茶色のレザーコートを身に纏い、頭上にはゴーグルを付けていた。
クリスは立って身構え、いつでも戦えるような態勢をとる。
「誰だ……お前ら……俺をこんなとこに閉じ込めて何がしたい」
少しの沈黙の後、女はクリスの発言に対し、冷たく答えた。
「――話を聞くのはこちらだ。今から君にいくつかの質問、いや、尋問をするから正直に答えるように」
そう言うと、その女はクリスの周りを歩き始めた。
部屋の中で、彼女の靴が地面を鳴らす。
「君は何者で、何の組織に属している?」
「はぁ?……俺はあの屋敷でたまたま盗みをしていたしがない貧乏人だ」
クリスが眉一つ動かさず、平然と言う。
勿論、嘘だ。
相手の目的が分からない以上、こちらから陣営を明かすわけにはいかない。
ましてやクリス自身、打倒吸血族側にいながら吸血族陣営という、説明すればするほど面倒な立場にいる。
女は一拍置いて、短く息を吐いた。
それから一歩、間合いを詰める。
クリスの正面に立ち、指先でつまんだ小さな銀色の物体を掲げた。
――ロランが着けていたイヤリングだ。
「じゃあ質問を変えよう。“君達二人”は何者なんだ?」
さすがのクリスも額に汗が伝う。
この女性が自分たちについてどこまで知っているのか、それに、もしやロランに何かあったのか。
クリスの頭の中が混乱し始め、気分が悪くなる。
部屋の入り口を固める兵士達の視線も、自身の心を見透かしているようで居心地が悪い。
「さぁ、答えて。これは最後の警告よ」
彼女は冷酷にも、そう告げた。




