第二十一話 教団への招待➀
キリは館の中を見渡し、ここで何が起こったかを推測した。
「この壁の傷は、少年の仕業――?にしては、痕に爪の大きさが合わない……獣化でしょうか」
彼が壁についた傷と血痕に触れた時、下の階から悲鳴が上がった。
すぐさま部下に逃げ道をふさぐよう指示し、中央階段を素早く降りる。
すると、そこでは一人の青年が、野次馬に来た給仕たちに囲まれ逃げあぐねていた。
――彼がルーシーさんから名前を聞いた少年ですかね。確か……クリス?
キリは背負っていた小型クロスボウで、クリスへと照準を合わせた。
「そこの君、大人しく止まるんだ!」
それに気づいたクリスが、人混みをかき分けて出口へと向かう。
「待て!」
キリが咄嗟に矢を放ち、その矢が彼の脛を掠った。
想定外の痛みに顔を顰めるクリス。
「逃げきれねぇ――ロランはどこにいんだ!!」
突如現れた謎の男から逃げられないと考えた彼は、咄嗟に近くの食料保管室へと逃げ込んだ。
食糧庫の分厚い扉を閉め、その前に座り込んだクリスが、部屋の中から大声で叫ぶ。
「黒髪クロスボウ!お前はベネックの手下か?それとも警察か?」
しかし、キリは勢いよくドアを蹴破って入ってきた。
ドアを全身で塞いでいたクリスは窓際まで吹き飛ばされる。
全身を強打した痛みに耐えるクリスに、キリが言った。
「うーん、多分敵ではない……ですかね」
窓枠に寄りかかるクリスを見つけたキリは、クロスボウを構えながら近づく。
クリスはうまく逃げたつもりだったが、逆に逃げ道を塞がれてしまう結果となった。
クリスに残された選択肢は唯一つ。
小麦の入った袋に囲まれた、狭い食糧庫。
背後には壁。
――戦うしかない。
「じゃあその弓を構えるのをやめてもらおうか」
そう言うと、クリスはダガーを構えて臨戦態勢に入る。
狭い部屋で弓は不利と判断したのか、キリもベルトのホルダーからダガーを抜き取り、近接戦へと切り替えた。
「僕の目的は、君が何者なのか調べること……心配しなくても殺したりしませんよ」
「へぇ……そうには見えないけどね」
「大人しく僕に掴まってくれると良いのですが」
キリは言い終わるや否や、クリスへと距離を詰めた。
互いが互いのダガーを弾き落そうと、刃がぶつかる。
火花が散り、クリスの腕に痺れが走った。
腕の血液が震え、筋肉が一時的にいう事を聞かなくなるほどの痺れ。
「――ッ!!」
ここでクリスは、キリについて一つ、ある情報を得る。
それは――埋めきれない程の、圧倒的な実力差である。
今までの敵とは比べ物にならない程の技術、腕力。
「こりゃマズいかも――!」
額に汗を浮かべるクリスだが、お構いなしにキリが猛攻を仕掛けていく。
そこで繰り広げられるのは、ゼロ距離で、互いの腕が絡みそうになるほど複雑な攻防。
クリスとて戦闘に不慣れということでもなく、二年間訓練を重ねてきた。
だが、目の前にいる男はそんなレベルの敵じゃない。
キリの攻撃に垣間見える格闘技や古武術の動き。
クリスは前世でこそ映画やゲームで見覚えがあった。
CQC――高度に練り上げられた近接戦闘術。
独学と戦闘術とではレベルが違う。
実際に自分の身で受けきれるわけがない。
「考え事してる余裕はないですよ?」
――スパァアアアン!!
不意にキリの重い左ジャブが、クリスの顔にクリーンヒットした。
そこで一度、クリスが壁際まで距離を取って逃げる。
「ってぇな……」
背後には窓があり、身をよじれば外に出られそうだった。
だが、その考えすらも読み取るキリ。
「無駄だ。逃げようとしても僕の弓の的。大人しく捕まるのが一番賢い選択でしょう」
「うるせぇ!お前、ここで雇われた奴じゃないな?もっと戦闘に特化してる――特殊部隊か何かだろ」
「うーん……そんなとこですかね?」
キリが、じりじりと距離を詰めてくる。
壁際まで追い込まれたクリスは、視線だけで室内をなぞった。
逃げ道は一つ。
そして、使うべきものも決まっている。
彼から逃げるための秘策。
それは煙幕だった。
この世界ではまだ、このような化学的な武器はまだあまり開発されていないらしい。
山賊でもその有用性は実証済み。
今回もその効果へと、大いに期待できる。
懐に手を入れ、指先に触れた球体を手中に収める。
そしてキリの正面へと突き出した。
見慣れないそれに、キリは一瞬だけ眉を動かした。
しかし、臆することなくクリスへと距離を詰めた。
「それが何かは知らない――けど、使う前に捕まえてあげればいい事!」
言葉の途中で火が放たれる。
「これは……煙幕。使うまで一秒もかかんねーよ」
黒煙が弾け、部屋を塗り潰した。
キリの視界が奪われ、喉を灼く刺激が流れ込んだ。
動きが鈍る。
その隙に、口を押さえたクリスは窓へと向かった。
「じゃあな――」
足を掛けた、その瞬間。
踏み出していない側の足首が掴まれる。
「ッ……!」
煙の奥から、充血した目がこちらを睨んでいる。
涙を流しながらも、手の力は緩まない。
――キリは煙幕では怯まなかった。
「僕を舐めてもらっちゃ困る。想定外の事態も処理できないようじゃ、半人前ですからね!」
クリスは部屋の中へと引きずられ、床に叩きつけられた。
顎に衝撃が走り、思わず呻き声が出る。
キリの手が離れ、鈍い痛みと共に床へ手をついた。
「いってェ……」
よろめきながら地面に片膝を付くクリス。
しかしクリスの目は、未だ燦然と輝いていた。
「……でもさ」
そしてゆっくり立ち上がり、顎をさすりながらキリの方へ向いて言った。
「ここまで含めて、想定内だったら?」
「……?」
その手には何かが詰まった麻袋。
キリには、煙の中うっすらとしか見えていない。
「俺よりはるかに強いあんたならここまで食らいつくと思ったよ。でもこれは俺の勝ちだね」
薄暗い中、キリの方へ何かが飛んでくる。
キリは向かってくるそれを、思わずダガーで切った――が、切ったものは小麦粉。
ただの小麦粉が入った麻袋だった。
攻撃性のない一手に、首を傾げたキリ。
一瞬で小麦粉が宙に舞い、煙の中白い靄が溢れ出た。
その向こう、窓辺に腰掛ける影が一つ。
――クリスである。
右手には、小さな火。
クリスが右手に持っていたのは、煙幕に火を点けた小さなライターだった。
彼は得意げに笑うと、キリに言い捨てた。
「粉塵爆発って知ってますぅ?俺はアニメや漫画で何回も見たんだけどねぇ」
返事を待たず、彼は身を翻した。
窓の外へ消えるのと同時に、火が放られる。
――次の瞬間。
轟音が館中に響いた。
空気が裂け、炎がうねる。
白い粉が燃え、熱が跳ね返り、部屋を包み込む。
床も、壁も、置かれていた食料も、区別なく焼かれていく。
ドカァァァアァァァァァン――――!
爆風が窓から噴き出した。
最初からクリスの狙いはこれで、“お手製の煙玉なんてものは彼に効かない”と分かっていての策だった。
――実力差は意外性で越える。
それは、彼が前世、漫画で学んだ一番の戦術だった
クリスは屋敷から転がるように外へ出ると、そのまま地面に仰向けになった。
背中に伝わる土の冷たさが心地いい。
死地を切り抜けた後の安ど感が彼の身を包んだ。
疲労感からか、無意識に目を閉じる。
「……流石に、あんな化け物と正面からは無理だろ」
独り言のように吐き出して、息をついた。
胸の上下が少しずつ落ち着いてくる。
――刹那。
すぐ目の前に、何かが「いる」。
そう感じて反射的に目を開けた。
「――ッ!?」
開けた視界の大部分に、灰色の塊があった。
それは三メートルはあるだろうか。
視野を塞いでいるのは、巨大なオオカミだった。
毛並みは灰色だが、ところどころが黒く焦げ、傷ついている。
その獰猛な顔が、すぐ目の前に。
理解が追いつく前に、狼の口が動いた。
「残念。僕の勝ち……ですかね?」




