第二十話 簡単なお仕事さ➂
一段目に足を掛け、鉄パイプを背負ったハキがこちらを見上げていた。
「いくら客人とはいえよォ。うちの商売を邪魔した奴を、そのまま帰すわけにゃいかねえよなあ」
彼がそう言い終わる前に、二人の距離が詰まる。
「速いッ――!」
ロランは反射的に身を翻すしかなかった。
何が起きたのか理解できていない給仕が、口を開けたまま立ち尽くしている。
その横を抜け、ロランは階段へ向かって走った。
「待てやゴラァ!」
屋敷の中が一気にざわつく。
人の波を割るようにロランが進み、その背後から鉄パイプの音が追ってきた。
だが、屋上へ通じる扉の前で足が止まる。
――外に出るための扉が、閉まっている。
鍵が掛かっているらしい。
次の瞬間、視界が跳ねた。
「ぐあっ」
足を払われ、床に叩きつけられる。
背中で空気を吐いた拍子に、バイオリンケースが弾けた。
中からマチェットが転がり出る。
「カカカ……その中身がマチェットとはねェ。最初から俺たちの命狙いだったってわけか」
ハキが鉄パイプに体重を預け、見下ろしてくる。
「暗殺ごっこは失敗だ、坊ちゃん。ここで大人しく終わりにしとけ」
鉄パイプが振り上げられた、その瞬間。
ロランは懐から一本のペンを抜き、投げた。
――ドスッ
乾いた音。
鋭利な先端が、ハキの右腿に突き立つ。
「チッ……!」
ハキが思わず足を押さえた。
その隙に、ロランは床に転がった二本のマチェットを掴み取る。
「……やっとだね、ハキさん」
息を整える暇もなく、刃を向ける。
「やっと、僕にも武器を使う順番が回ってきたね」
「このクソ犬がァ! 小賢しい真似しやがって!」
ハキも鉄パイプを構えた。
「来い、犬小僧!!」
先に動いたのはロランだった。
左のマチェットを袈裟切りに振り下ろし、右を腹へ突き出す。
だが、ハキは一本の鉄パイプで二つの刃を流し、そのまま頭上へ叩き落とした。
金属音が弾ける。
ロランは二振りで受け止め、そのまま踏み込み、刺さったペンへと蹴りを入れようとする。
しかし、ハキは体を仰け反らせる――紙一重で躱された。
「攻撃が当たらないっ!」
ロランが油断した次の瞬間、鉄パイプの逆側が腹にめり込む。
「ぐっ……」
一発だけ受けて、ロランは距離を切った。
互いに、踏み込める間合いの外で動きを止める。
「勝算はねえぞ、犬公。貴様らは人間より下等なんだからな」
ロランは口元の血を手の甲で拭った。
「口を動かす余裕があるなら、次を出せよ……竜巻だっけ?春巻きだっけ?どっちでもいいよ」
「てんめェ!!」
再び距離が詰まる。
今度は、ロランの刃が押した。
速さと角度が増し、ハキが後ずさる。
そして振り抜かれたロランの右手。
マチェットは彼の肩を切り裂き、縦に赤い筋を作った。
ここにきての初負傷。
思わず動きが鈍るハキ。
「ぐっ……!」
忌々しそうに傷を見つめ、ハキが呻く。
だがロランは止まらず、追い打ちをかけた。
「これで――ッ!!」
左手を持ち上げ、ハキの首へと振り下ろし、彼の首筋に刃が――。
――落ちなかった。
その、ほんの零点数秒前。
ハキの、負傷した方の腕が下から跳ね上がったのだ。
ロランのみぞおちに衝撃が走る。
「ごはァ――っ!!」
血反吐を吐くロラン。
二人同時によろめき、睨み合った。
「……やるじゃねえか。まさか当ててくるとはな……だが、相手が負傷した方の腕で攻撃してくることも読んどけ。命が救われるなら腕の一本くらい安いもんだろ」
ロランは腹を抑えたまま、だらだらと口から血を流している。
どうやらあばら骨が何本か折れているらしい。
それでもロランは、歯を食いしばってさらに前へ踏み込む。
「まだ終わってないぞ……命が救われたかどうかは、この戦いが終わってみないと分からないんじゃないか?」
「逃げる気はないみたいだな。いい根性してんじゃネェか!行くぜ!!」
何度も何度も刃とパイプがぶつかり合った。
ハキの鉄パイプももうへしゃげた形をしていた。
不意にロランの蹴りがハキの脇腹へ入り、ハキの鉄パイプがロランの左肩を強打する。
もう二人とも限界が近かったが、目から闘志の炎は消えていなかった。
「僕らは下等種族じゃない、今すぐ証明して見せる!!」
「いい加減くたばれ!そろそろ降参したらどうだ?」
「弱気になったのか?また詰めるぞ!」
どちらの身のこなしも素晴らしかった。
ロランが攻めに転じたかと思うと今度はハキが攻め、徐々に二人の傷が増えていく。
「しまっ――!!」
その中でついに、ロランが左手のマチェットを落とし、ハキの膝蹴りにより膝をつかされた。
「クックック、ハッハッハッハッハッハッハ!所詮犬の成り上がり、俺には勝てねえよ!」
ハキは両手を天に掲げ、勝利を確信する。
天井にかかったシャンデリアが揺れ、ロランの肋骨にすら音が響いた。
ハキが鉄パイプを構えたが、もうロランはそれに反応できるほどの体力は残っていない。
「雑魚雑魚雑魚ザコォ!!」
ハキがついに凶器を振り下ろす――そのとき、ロランの頭の中で低い、大きな声が響いた。
「イツまで手加減しテいるつもりダ」
声の主はロランに語り掛け、彼の殺意を増幅させていく。
「そんなに人ヲ殺したくないのカ?本能のママに生きよウじゃナいカ……」
その刹那、ロランの五感が急激に鋭くなった。
鉄臭い匂い。パイプか――?血の匂いか――?
向かって左から振り下ろされる音と風圧。
まるで世界が遅くなったような感覚。
ロランの犬歯が鋭くなり、目が獰猛な光を見せる。
爪も伸びて、耳も大きくなっていった。
スローモーションの世界でロランの意識だけが覚醒し、目まぐるしく回転する頭の中と世界。
「……そレデいいのダ」
気づくと、自身の右腕はハキの喉へと狙いを定め――横に振っていた。
「何だ、これは、はy」
ロランの鉤爪が、ハキに見えない速さで横一文字を描く。
ハキの喉から血が流れ始め、その後すぐに地面へと倒れる。
その衝撃がロランへと伝わり、戦闘終了のゴングとなった。
「勝っ……た……」
しかしロランの意識は、それを最後に暗闇の中へ溶けていく。
まどろむような、飲み込まれるような、不思議な感覚へと。
倒れたハキは、かすれる声で最後の一言を呟いた。
「伝説は――存在したのか――」
♢
ロランが崩れ落ちた、その瞬間だった。
彼の正面――屋上へと続く扉が、外側から乱暴に押し開かれる。
スーツ姿の者がまず一人、続いて金属製の装甲を着た影が二つ、三つ。
彼らの装甲は真鍮と革で構成されている。
肩や胸にはネジと歯車が埋め込まれ、蒸気駆動のマスクが呼吸ごとに音を発していた。
扉口で詰まることもなく、彼らは流れ込むように室内へ踏み込んできた。
靴音が重なり、空気が一気に濁る。
先頭のスーツを着た獣人の男が立ち止まり、通信機に口を寄せた。
「こちらキリ。ジョンベネックの屋敷内。ベネックのガードと、赤髪の獣人が倒れているのを確認」
短く区切られた言葉が、ザラついた音になって流れる。
「了解。そのまま作戦を続行。敵襲に注意しろ」
返答は間を置かなかった。
キリと名乗った男は長身で、黒髪。
顔立ちは整っていて、瞬きをするたびに長いまつ毛が揺れた。
装甲の男たちはロランとハキを担ぎ上げ、そのまま屋上へと向かう。
隊長であろう、キリという男から金属音が遠ざかっていった。
残ったキリが、背後も振り返らずに言った。
「僕は屋敷内を調べてから行く。暗殺組織のコソ泥が、まだ残っているだろうからね」




