第十九話 簡単なお仕事さ➁
「ハキさん。だせぇ自己紹介、ありがとよ」
叫ぶように言って、クリスが再び距離を詰める。
だが、パイプの牽制が前に出る足を止めた。
次はハキが低く薙ぐ。
クリスは跳んで避ける。
振り抜かれた鉄パイプは、そのまま壁にめり込んだ。
抜く隙を狙って、ロランが上段蹴りを入れる。
見もせずに避けられた。
次の瞬間、引き抜いた鉄パイプが大きく円を描く。
空気を巻き込むような一撃が、同時に二人を襲った。
クリスは身を投げてかわす。
ロランはバイオリンケースで受け流した。
距離が開く。
手も足も出なかった。
最初はただの喧嘩だと思っていた周囲も、ざわめき始める。
その時だった。
笛の音が路地に響く。
「こら! 君たち、何をしているんだ!あ、ベネックんとこの用心棒、また君か!」
警官が駆け寄ってくるのを見て、ハキが舌打ちした。
「チッ……ご主人に喧嘩がバレると面倒だ」
鉄パイプを肩に回す。
「この勝負は、お預けだな」
そう言い残し、ハキは路地の奥へ走り去った。
クリスとロランも、顔を見合わせる間もなく、警官の視線を避けるようにその場を離れた。
♢
暫くして、クリスとロランは指定された飲食店に入った。
暗殺組織から聞かされていた名を告げると、店員の男は一瞬だけ二人を見てから、無言で引っ込んだ。
ほどなく戻ってきた男は、封を切っていない手紙を差し出した。
「席でお読みください」
それだけ言うと、男は厨房の方へ戻っていく。
二人が席に着くと、皿が運ばれてきた。
ステティアの伝統料理らしい。焼いたソーセージと、山盛りのマッシュポテト。
ロランは一瞬、視線を皿と手紙のあいだで往復させたが、クリスは何も言わずにスプーンを取った。
「毒なんて入ってねーよ」
マッシュポテトを口に運びながら言う。
「今から俺たち、使われる側なんだぜ」
「……じゃあ、読むよ」
ロランがそう言うと、クリスは口に物を入れたまま親指を立てた。
手紙を開く。
「暗殺依頼。対象はジョン・ベネック……はじめての依頼だからか、相手は一般人らしい」
「ふぅん」
クリスは焼き立てのソーセージを一口で噛み切った。
皮が弾ける音と、脂の匂いが広がる。
「さっきみたいに、ドンパチやる相手じゃなさそうだな」
「……うまそ」
ロランが思わず呟く。
「で、なんで殺されるん?」
クリスは白いナフキンで口元を拭きながら、あっさり聞いた。
「理由は書いてない。名前と、家までの地図だけ」
ロランはポテトを口に入れながら続ける。
「理由は僕たちには必要ない、ってことなんだろうね」
「ていうかさ」
クリスがふと思い出したように言った。
「さっきのハキって男、警官に『ベネックんとこの用心棒』って呼ばれてなかったか?」
「……さあ」
ロランは少し考えてから首を振る。
「逃げるのに必死だったから、そこまで覚えてないよ」
「まぁいいや」
クリスは残ったソーセージを平らげる。
「今回もフサルト村と同じだろ。悪いやつだったら殴る。良いやつだったら助ける。それだけ」
♢
指定された住所にあったのは、庭にヤシの木を植えた大きな屋敷だった。
外周は白い壁で囲われ、正門には警備員が立っている。
どうやら金持ちのようだ。少なくとも、警備が必要なほどには。
クリスとロランは、その屋敷に隣接する建物の屋上から中を見下ろしていた。
「どうする。二人で入るか」
クリスが声を落として言う。
「屋敷が広い。一人よりは効率がいいね」
「じゃあ、日が落ちる前ににここだ」
それだけ確認すると、クリスは外壁に取り付き、音もなく屋敷の中へ消えた。
ロランも少し遅れて屋上から庭へと飛び降りる。
クリスが最初に入り込んだのは書斎だった。
屋敷の中には人の気配があったが、足音は立てない。
通路を抜け、扉を引き、すり抜ける。
書斎の北側一面に並ぶ本棚には、契約書の束や商売に関する本が詰め込まれていた。
実用一辺倒で、趣味の匂いはしない。
扉を静かに閉め、机に近づく。
帳簿には名前と金額。横に置かれた腕時計は、場違いなほど高そうだった。
地図や鍵を探していると、廊下から足音が近づいてくる。
隠れ場所は一つしかない。クリスは迷わずソファの裏に身体を滑り込ませた。
扉が開く。
革靴の音が一定の間隔で響き、机の前で止まる。
何かを置く気配。
視線を上げると、小太りの禿頭が見えた。
手には、赤い石をはめ込んだ杖。
男がこちらに向き直った瞬間、クリスは首を引っ込める。
男はクリスに気づくことなくソファの前へと進むと、何やら独り言を言い始めた。
「もうけた、もうけた。ガハハ……あの犬カスが二百ゴールドとはな」
男がソファに腰を下ろしたその刹那に、首元へと刃が当てられた。
喉仏に冷たい感触。
男が反射的に暴れようとするが、動かない。
「誰だ! 俺はこの屋敷の――」
「動くな。切る」
耳元で囁く。
「ジョン・ベネックに用がある」
「まさか、奴隷商管理組合か!今月の金は来月まとめて出すから許してくれって言っただろ!」
「なるほど。お前がベネックだな」
「何?お前、組合じゃないな?誰だ!いや、ち、違う!とにかく俺はベネックじゃないんだ、逃がしてくれ!」
――コンコン
ノック音が入る。
クリスが追い返すよう、顎で促す。
「今忙しい」
男が声を絞り出す。
「騒がしかったのでどうされたのかと……」
名前を呼ばれない。
その事実に、男の表情が一瞬だけ緩む。助かった、とでも言いたげに。
その直後だった。
「何かあればお申し付けを、ベネック様」
扉の向こうの声が、はっきりとそう言った。
「馬鹿たr!!!」
叫びかけた男の声は、途中で途切れる。
視界が反転し、床が近づいた。
喉を裂かれた――と、ジョン・ベネックは思った。
だが実際には、刃は引かれていない。
クリスの手刀が、正確に首筋を打ち抜いただけだった。
「……往生際が悪い」
男はそのまま、糸が切れたように崩れ落ちる。
気絶しているだけだ。
クリスは一瞥をくれると、ダガーを収めた。
「初任務、完了」
淡々とそう呟く。
服に、血は一滴も付いていなかった。
「ま、二度と悪さしないように、ちょっと痛い目に合ってもらうか」
◇
一方、ロランは屋敷の中を堂々と歩いていた。
背中のバイオリンケースのおかげで、誰も足を止めない。
皆、彼のことを音楽家か何かだと思っているのだろう。
「あの、ベネックさんはどちらに?」
近くを通りかかったメイドに声をかける。
「書斎だと思います。ご案内しますね」
中年のメイドが先に立つ。赤い絨毯の廊下を、靴音が規則正しく刻む。
屋敷内は手入れが行き届いており、使用人や警備もしっかりと配備されていた。
踊り場の花瓶までも、手入れが行き届いている。
中央階段へ向かったところで、階下から上がってくる男と目が合った。
気づいたのは、向こうが先だった。
「あらら……これはこれは。さっきのクソ犬じゃありませんか」
ロランは足を止める。
「君は……!」
「まさか、忘れたわけじゃねぇだろうな?このハキ様を」




