番外編➀ クラクーファのその後
クリスとロランがクラクーファを去ってから、数日が過ぎていた。
街は暖かく、静かだった。
誰の命も奪われず、誰の支配も受けない自由がそこにはある。
朝には市場が開き、子どもたちが石畳を走り回る。
夜になれば灯りがともり、酒場には笑い声が響く。
それらすべてが、かつては当たり前で、いつの間にか失われていた光景だった。
「……ここに残ってほしかったんだけどね」
小さな礼拝堂の控室で、ピュラは窓の外を見ながら呟いた。
「そうだね。でも、彼らにもやることがあるから」
隣で衣装を整えながら、ヤクブが穏やかに答える。
彼らの視線の先、街の中心広場には、青い光を放つアルマトストーンが鎮座していた。
不思議な石だ。
人の心に反応するように輝き、時に災いを呼び、時に街を守る。
今はただ静かに、澄んだ青色をたたえている。
「……あの二人がいなかったら、ここまで来られなかった」
ピュラは小さく微笑み、胸元で手を組んだ。
「ちゃんと、お礼言えなかったな」
「きっと伝わってる。言葉にしなくてもね」
ヤクブのその言葉に、ピュラは少しだけ安心したように息を吐く。
やがて、結婚式の時間が近づく。
街の人々が集まり、祝福の準備が進んでいく中で――。
ピュラは、もう一度だけ窓の外を見た。
「……遅い」
ぽつりと、少し不機嫌そうに言う。
「まさか、今日まで来ないなんて思わなかった」
「無理に来なくてもいい、と言ったのは君だろう?」
「それは、そうだけど……」
ピュラは唇を尖らせる。
「でも、こういう時くらい、父親らしいことをしてもいいのに」
その言葉には、怒りよりも、寂しさの色が強かった。
まだ諸悪の根源であるゼリクからの介入はない。
嵐の前触れのような不穏さも、今は感じられない。
だからこそ、この時間は貴重だった。
クロノス教の鐘が鳴り、結婚式が幕を開けた。
ヤクブはピュラの前に立ち、真っ直ぐに彼女を見つめる。
「ピュラ。何が起ころうと、僕は君を守る」
「……うん」
「誰かが君に傷をつけることは絶対ない。神に誓うよ」
誓いの言葉は、ロマンチックでも、派手でもない。
だが、神聖でいて重く、彼女の不安を全て取り払ってくれる一言だった。
司祭が一歩前に出て、静かに頷く。
「それでは――誓いのキスを」
その瞬間。
礼拝堂の扉が、ゆっくりと開いた。
軋む音が響き、人々の視線が一斉にそちらへ向く。
そこに立っていたのは、一人の老紳士だった。
質素だが整った衣服、度のキツい瓶底眼鏡。
無言で礼拝堂に足を踏み入れた彼は、長年何かと戦い、様々なものを背負ってきた者特有の気配を纏っている。
しかし、その表情には、普段は映さないであろう迷いと、不確かな覚悟が入り混じっていた。
彼は何も言わない。
ただ、静かに中へ足を踏み入れる。
ピュラは息を呑み、言葉を失ったまま、その姿を見つめていた。
青く輝くアルマトストーンの光が、窓越しに差し込み、
老紳士の影を、長く床に落とす。
「ピュラ、ヤクブ君――。




