電脳神の疑問
これこそがインターネットの神視点です。
今思えば、あの時の僕は本当におかしかったと思う。
およそ二年ほどひきこもり、外界との関係を必死に拒んで、インターネットの世界に身を投じていたというのに。
人の温度が、心が、残酷さが、絶対的な正義を信じる危うさが、全てが恐ろしかった。
人はなんだってできる。何にだってなれる。
それを身を以て知っている僕は、温度のない、心のない、ただ数字とデータでできているインターネットの世界にのめり込んだ。
ここが僕の世界だと、心の底から認識していた。
感情のない、心のないこの世界は、まるで僕のようだと思った。心地が良かった。
正直、この世界に僕以上にインターネットというものを理解しているものはいないだろう。
それがたとえ、インターネットを開発した、偉大なる研究者達であったとしても。
それほどまでに、インターネットを中心として生活し、外界との関係を徹底的に拒んできた僕。
やはり、今思えばおかしかったのだ。
外は出てみたくなったーーいや、呼ばれたような気がしたという方が正しい。
ーーあの時、なぜ僕は外に出ようと思った?
絶対、ありえないはずなのに。