第1話 舞坂 麻衣 その1(202X年7月10日)
朝食を摂り、図書館から回収された書物に目を通して昼食。ともにこの体育館に避難した友人と歓談して夕食。二日に一回、お風呂代わりにプールの水で身体を洗って就寝。
それが、あの日――世界にモンスターが溢れてからの、わたくしたちの日常ですわ。
贅沢を口にしている自覚はありますが、体育館に漂う気だるい雰囲気に溺れそうです。
(このままでは、いられません)
この身体も心も腐っていく実感に身を委ねるわけにはいきません。
それを今日改めて思い知らされました。
「お嬢さま?」
「……昨晩、夢を見ました」
手が勝手に動いて、お腹を抑えました。重く冷たいものを飲み込んだかのような錯覚があります。
夢。
あの日の、惨劇の夢。
一緒に机を並べていたクラスメイトが犯されて、殺されて、食べられていく一部始終が、夢の中で何度となく繰り返されるのです。うなされて、目を覚まして――恨めしげな眼差しを振り切るように逃げた自分の不甲斐なさが込み上げてきて、涙となって目尻から零れ落ちます。
もう、こんな思いは真っ平です。
「斗真、わたくし、決めましたわ」
「麻衣……お嬢さま、それは……」
「わたくしも、モンスターと戦います」
わたくしに向けられる斗真の顔は、厳しく歪められています。
幼いころからずっとわたくしの傍に仕えてくれている斗真の気持ちは……最近よくわからなくなりました。
彼は我が舞坂家から多額の借金をした守屋家から、借金のかたとして売り飛ばされてきたようなものです。世界がこんなになってしまって、もはやお金なんて何の価値もなくなってしまって、彼を縛るものは何もなくなったと思うのですが、なぜか今もわたくしに仕えてくれています。
(まぁ、それは置いておくとしまして)
わたくしたちは今、体育館の空き部屋で柔軟体操をしながら、ふたりで話し合っていたのです。避難所暮らしはお世辞にも快適とは言えません。じっとしていては身体がなまってしまいます。
ですので、生徒会に申請すれば空き部屋を使わせていただくことができるのです。ここは密談をするにはもってこいの場所です。一緒に避難したみなさまを悪しざまに言いたくはありませんが、人目につかない場所でないと、どうにも同調圧力めいたものがあって息苦しいのです。
「否とは言わせませんわ」
異変が起きてから、この体育館に避難してから、すでに二週間が経過しています。
生徒会長である『円城 環』先輩は、しきりにモンスターと戦ってレベルを上げるよう毎朝声を張り上げておられますが、その声に応える生徒はひとりもいません。
かく言うわたくしも、今日の今日まで決断することはできませんでした。
「お嬢さま……」
斗真からも何度も思いとどまるよう説得されました。
でも、それは違うと思うのです。世界が変貌してしまったからこそ、わたくしたちは戦う力を手にするべきなのです。
「斗真……わたくしは、あなたに戦えと命じるつもりも、懇願するつもりもありません」
「……」
懸かっているのは命ですもの。
わたくしは今まで彼の人生を縛り続けてきました。
これ以上斗真に奉仕を……命を捧げさせるわけにはいきません。
「お嬢さまのお気持ちは、理解できました」
「よろしくてよ。では……」
「僕もご一緒させていただきます」
「あのね、斗真……わたくしは……」
どうして?
わたくしは斗真を死なせたくはありません。どうしてわかってくれないの……
「僕はお嬢さまに命を救われた身です。ご恩を返しきっていないのに、勝手に捨てられては困ります」
「……バカなことを」
「何と言われようとも、ここだけは絶対に譲れません。どこまでもお供します」
まっすぐにこちらを射抜いてくる斗真の瞳。
わたくしは知っています。この目をした斗真が決して引き下がりはしないことを。
「はぁ……わかりました。好きにしなさい」
「ええ、勝手にさせていただきます。ですが……」
「なんですの? まだ何かありますの?」
「いえ、ふたりでモンスターと戦うのは危険ではないかと。何かお考えが?」
「わかっています。それについては円城先輩がおっしゃっていたように、すでにレベルアップしている人たちに協力していただくつもりです」
「お嬢さまが無謀でなくて何より……ちなみに、助力を仰ぐとして、誰に?」
「そうですわねぇ」
円城先輩が言うところの『すでにレベルアップしている人たち』は、いくつかのチームに分かれて活動しているようです。単純に考えれば、強い人に助力を頼むべきでしょう。
では、生き残りの中で一番強いのは誰でしょうか?
答えは『一之瀬 一輝』さんに違いありません。この体育館に避難する際に、光輝く剣と盾でモンスターをバッタバッタとなぎ倒していった姿は、今もわたくしの目蓋の裏に焼き付いています。
あれこそまさしく希望の光と言うほかありません。
「まず、一之瀬さんは――」
「できればお考え直していただけないかと」
「わかっています。言われるまでもなく却下です」
そう、彼はダメですわ。
一之瀬さんは快く引き受けてくれるかもしれませんが……あの人を取り巻いている女子たちに問題があります。IIFCのメンバーは、自分たち以外の女子が彼に接近すると見苦しいほどに敵愾心をあらわにするのです。わたくしの目にはそう見えますし、他の方々も同じような印象を持っておられます。世界がこんなになってしまう前からです。
(ある意味暢気な人たちなのかもしれませんわね)
斗真だけなら、男子だったら大丈夫かもしれませんが……いえ、やっぱり難しいですね。あの方たち、内側も結構ギスギスしています。あんなところに斗真を放り込むなんて絶対に却下です。たとえ天が許しても、わたくしが許しません。
「護道さんは……恐ろしい方ですわ」
「……はい」
その名を口にするだけで、身体に震えが奔ります。
『護道 竜司』さんは、ご実家が日本を影で支配するフィクサーです。ご本人は派手な見た目とは裏腹に真っ当な方だと思うのですが……護道家に借りを作ることは、とてもではありませんが無理です。両親に顔向けできません。
「……かと言って、中等部に頼るのは情けない感じがしますし」
ほんのわずかとはいえわたくしたちの方が年長なのです。
わたくしたちが彼らを守るのがあるべき姿ではないでしょうか?
「……となると、残りは生徒会ですか」
「あるいは……桧川さん」
実質一択ですわね。
生徒会は、避難所の運営を行っておられます。
お三方ともいつも忙しそうにしていて、とても声をかけづらいです。
結論としては桧川さんになる……のですが……
「……」
「そんな顔をしないの、斗真」
斗真は顔をしかめています。
『桧川 拓郎』さんのお名前は、異変の前から耳にしていました。学業成績優秀な特待生で、いつもひとりで勉強ばかりしている根暗な人だったとのことです。
でも、今は違います。
剣道部のエース『篁 亜衣』さんをはじめとした見目麗しい女子(複数名)と一緒に行動しておられますし、ハレンチな姿をした見慣れない方を連れていたりもしておられます。聞くところによるとモンスターを操って戦わせるそうで……とても響きが悪い物言いになってしまいますが、ハッキリ言って不気味です。
下手に借りを作ったら何を要求されるやら。斗真が渋面になるのも無理はありません。
「桧川くんで、本当に大丈夫なのでしょうか?」
「わかりません。ですが……このまま手をこまねいていては、わたくしたちに未来はありませんから」
「……そうですね」
我慢しなければなりませんわ。
戦う力を持たない者に選択肢はありません。
その残酷な事実を突きつけられて、改めてため息が零れました。
一刻も早く、このような状況から抜け出さなくては。だから、そのために――今、動かなければならないのです。




