(最終話]-1)できないことに、ありがとう
わたし(ほのか)は、料理ができません。
正確に言えば、“できなかった”けれど、たぶん今も“得意ではない”というのが正しいです。
焦がしますし、煮すぎますし、そもそもレシピの「ひとつまみ」って、どれくらい?って感じでした。
部長という肩書きに対して、包丁の使い方は小学生レベルでした。
でも——
でも、料理ができなかったから、わたしは佐藤さんに会えたんです。
あの日、仕事帰りにスーパーでお惣菜を選びながら、ふと虚しくなったんです。
「何かを作る」じゃなくて、「何かを詰め合わせる」だけの日々に。
このまま30代が終わっていくのかなって。
そんな気分のまま、裏道を歩いていたら、
“申告制”と書かれた、妙に地味な暖簾を見つけました。
変な名前、と思いました。
でも、変な名前のほうが、なんだか当たりな気がして、入りました。
そこで出されたごはんは、なんていうか——
「あ、これ、わたしの今日のこと、誰かにちゃんと見られてる」って、そんな味がしたんです。
それから、何度も通いました。
食べるたびに、なんとなく話すようになって、
少しずつ、佐藤さんの“沈黙”の意味も分かるようになって。
ある日、ふと気づいたんです。
わたし、料理が上手だったら、この店に来てなかった。
来ていたとしても、たぶん佐藤さんの“背中”は、あんなふうに眩しくなかった。
できないから、会えた。
欠けていたから、満たされた。
それは、わたしの人生の中で、一番おいしい矛盾です。
この前、佐藤さんに焼きそばを作りました。
野菜は大きすぎて、麺はちょっとベタベタで、
味つけもどこか決まりませんでした。
でも、佐藤さんはそれをちゃんと食べてくれて、
「……優しい味ですね」って、
ちょっと不器用な顔で、言ってくれました。
たぶん、これは本当に“恋”なんだと思います。
味じゃなくて、意図で伝わるものがあるって、知ってる人としかできない会話だから。
料理ができないことは、ずっと恥ずかしいと思ってました。
でも今は、少しだけ——ほんの少しだけ、感謝してます。
できないことで、誰かのやさしさに気づけたから。
■あとがき
「できないこと」は、恥ではない。
むしろ、それがなければ出会えなかった“人のやさしさ”がある。
そして、その不器用さがあるからこそ、他人の背中が美しく見える瞬間がある。
それが、人生の一番あたたかな“申告”なのかもしれません。
長い旅路も、残すところあと一歩。
振り返れば、笑い声も、涙も、すべてが風景になっていました。
次回、物語は終着駅へ。
それは別れではなく、新しい物語のはじまりかもしれません。




