新たな未来をここから
「街をふらふらと歩いている皇帝が暗殺されたとしても、物取りの仕業として片付けられたでしょうね――物取りでごまかすには皇帝が強すぎたけれど。武官として歩き回っていたとはいえ、想定外よね」
春永と馬医師だけではない。皇宮の内外に、協力者は多数いたようだ。
あの時襲われたのも偶然ではなかったのだと知らされ、改めて背筋が冷えるような思いをした。
翠珠の侍女として薔薇宮にいたのだから、外出の予定を知るのも簡単な話だった。それに合わせれば、襲撃者の手配だって容易だったはずだ。
「病の件だって、そう。下町から始めて、次第に特権層へ。国内が荒れるのを待っていたのに」
「……どうして?」
「主の命令だったから。なぜ、そうなのかは私達が聞いてもしかたのない。国が荒れ、攻めやすくなればなんでもよかった」
隣の牢から声がする。彼はこちらには背を向けていたけれど、会話の内容にはきちんと耳を傾けているようだった。
「上から揺さぶり、下からも揺さぶる――たしかにまどろっこしいかもしれないけれど、国全体を手に入れようと思ったら、そのくらいはしなければならないでしょう?」
春永は、苦笑まじりにつぶやいた。
都だけではなく、病を都の外にまで流出させるところまで計画はできていたらしい。
解決策のない病、無力な上層部。民の間から怨嗟の声がひとたび上がれば、外部からの攻撃に、反抗するなんてできなかっただろう。
(……もし、彼らの計画が成功していたなら)
皇太后の死亡。無力な皇帝――国内が統制を取り戻すには時間がかかっただろう。食糧不足は偶然だったにしても、病の流行は、国を乱すには十分なはずだ。
もし、たまたま翠珠がここにいなかったら。きっと知っている通りの未来になったはず。
毒物の影響を直接受けなかったとしても、身近に患者が出れば人の心は不安になるものだ。そして、季節は冬に向かおうとしていた。
なんとか危機を乗り切ることができたのだと、ようやく思うことができた。
「……本当、あなたって私達にとっては目の前に立ちふさがって邪魔をして、どうしようもない相手だったわよね。しかも、あなたはそれをなんてことないようにするんだもの」
「運がよかっただけ。たまたま、考えていたことが正解だっただけで――私の力じゃない」
「病の感染源まで見つかるとは思ってなかった。あなたを先に始末しない限り、計画はつぶされ続けるんじゃないかと思ったの」
「私は、とめたんだがな。春永は、話を聞こうとはしなかった。それで、このざまだ」
ぼそりと、隣の牢から声がする。
「ごめんなさい……でも、いい機会だと思ったから」
「お前は、考えが足りないんだ。もっとも、あの時お前を始末しなかった私も、甘いんだろうな」
まったく、と小さな声がする。
協力して動いていた二人。そこに好意があったのか否か翠珠にはわからない。
――でも、その歴史は変わった。翠珠の行動によって。
「……わかった。話してくれて、ありがとう」
ここでの友だと思った。けれど、そうではなかった。
「信じないと思うけれど……私、あなたのこと嫌いじゃなかったわよ。」
牢の前を立ち去ろうとする翠珠の背中に、春永がそう声をかけてくる。一瞬足を止め、何か返すべきかと考えた。けれど、今、この場にふさわしい言葉なんて見つからない。
振り返ることもせず、再び歩き始めた。
「おおむね、予想通りだったな」
一言も発することなく待っていた彼の側を急ぎ足にすり抜けようとしたら、自然な動作で並んできた。
「予想通りではあったが、彼らの証言をもとに、俺も調べを進めやすくなる」
「……私は、これからどうしたらいいんでしょう?」
首をかしげて問う。
今まで思うままに走ってきたけれど、やらなければならないと思っていたことはすべて終わってしまった。
大国の頂点に立つものとして文浩がやらばならないことは多数あるだろうが、最大の危機は乗り越えたと思う。
この国が戦に巻き込まれることも、もうないだろう。
「私……このまま、ここにいていいんでしょうか」
ぽろりとそんな言葉が口からもれた。
妃として立つには、翠珠には足りないものが多すぎる。今、翠珠が妃として認められているのは、過去から持ってきた知識のためでしかない。
けれど文浩は、翠珠の懸念を笑い飛ばした。
「俺は翠珠がいいんだ。俺を、友人と言ってくれたから」
七夕の日、たしかに彼にそう言った。彼はいい友人だ、と。
「友がいるのなら、もう少ししっかりしなければならないと思ったんだ。この国の皇帝として。もっとも」
そこで意味ありげに言葉を切った彼は、翠珠の頭をかき回す。
先ほど、彼の訪問を聞いて結いなおしたばかりの髪がぐちゃぐちゃにされて、翠珠は不満の声を漏らした。
時間をかけて、丁寧に結い上げた髪なのに、乱されるのは一瞬だ。
「でも、俺は、友では物足りない。俺の最愛の妃として――どうか、側にいてほしい」
「……そんなの」
なんて返せばいいのだろう。こちらを見ている彼は、翠珠の言葉を待っている。いつまでも、この時をとどめておきたいと強く願う。
愛されない妃のはずだったのに。
――今は、こんなにも愛されている。
(……私、今度は幸せになれると思う)
心の中でつぶやいたのは――前世の家族への言葉。
前世では、物心ついてからというもの病室からほとんど出られないままだったけれど、今回は違う。
健康な身体を持ち、俗物だけれど翠珠を大事に思ってくれる父がいて。いつくしんでくれる母がいる。
「……それなら、私もあなたのことをうんと大事にしますね……ああ、そうだ」
翠珠は勢いよく立ち上がった。
「白鳥を見に行きましょうよ。この間は、見そびれてしまったので」
池に放り込まれたので、白鳥を眺めるどころではなかった。翠珠に向かって、彼は笑う。
「――そういうところだぞ」
だが、そこが好ましい、とつぶやかれ翠珠は頬を染めた。
いつか、死が二人を分かつまで。
その時までこうして手を取り合うだろう。
それまでの時間を、精一杯大切にしたいと願った。
お付き合いありがとうございました!
これにて完結です。
こちらの作品、7月13日創刊予定の【FG Moon】から電子書籍として配信される予定です。
後半を中心に、大幅に改稿をしました。
現時点では、非公開にする予定はありません。このままお楽しみいただけたらと思います。




