第六十九話 闇の中。
頭痛がする。僕は跪き、頭を抑える。
この感覚。覚えているぞ。体育館で、スクリーンを見た時に感じた感覚だ。
僕は鼻で笑った。
「同じ手を喰らう程、僕は愚かじゃ無い。」
脳を冴え渡らせる。どちらが支配する側なのか分からせてやる。
ひゅうがの近くに長い間いたお陰か、呪いの力も弱っていた様だ。
呪いで強化された肉体だけが残り、支配から脱した。
力が漲る。頭は先程よりも冴えていた。
ポタリ、ポタリと涙を床に落としながら、つかさは、歩きながら僕に近づく。
走って体育館の真ん中へ走ると靴と床の擦れる高音が響く。
暗闇の中で、バスケットボールのゴールリングが月の光を反射して光る。
隙間風の音が、外の風の強さを伝える。
「つかさ、その腰についている巾着、まだお菓子は残っているのか?」
僕の質問に、つかさは真っ直ぐと前を見たまま、ゆっくりと手を動かして巾着を触った。
「うちの使用人が作る菓子は美味い。一緒に食べよう。」
ズボンのベルト通しについているカラビナから巾着袋を外して、中を開けようとした瞬間、つかさの動きが止まった。
巾着袋を持つ手をパッと離した。中に入っていたクッキーやカップケーキの入ったビニール袋が体育館の床に散らばる。
瞬間、つかさは僕の目の前に移動した。
「まあ、そんな簡単にはいかないか。」
殴りかかってくる拳をブリッジで避け、床についた手に力を入れ、バク転しながら後ろに下がる。
「チートは使わないのか?空間支配だったか。」
僕は話しかけながら、体育館の端に沿って走る。
つかさは少し前屈みになりながら、首だけ動かし僕を見続ける。
ヒューと風の音がして、目の前に移動する。
「風の音でバレているぞ。」
僕は逆立ちをして両足をあげ、つかさの肩に足を掛ける。そのまま太腿で首を挟み、つかさの頭を地面に叩きつける。
鈍い音を立てて地に着いた頭。そのまま大きく転倒する。僕は太腿を離し、後転して立ち上がる。
「手加減するくらいなら、もう戦うな。僕も戦いたく無い。」
返事は無い。それどころか倒れたまま動かない。
「つかさ?」
僕は少し不安になり、一歩前に出て様子を伺う。
風の音がする。しまった。反応が遅れた。
つかさは移動した後、直ぐに僕の首を掴んで持ち上げる。
僕は両手でつかさの腕を掴むが、びくともしない。
「グッ!!ぁ……。」
苦しい。息が出来ない。窒息は五分経ったら意識を失う。考えている余裕は無い。
腕の力で下半身を持ち上げ、つかさの腕にしがみ付き、上半身を捻り肘の関節を外す。
握力が弱まり自由になった瞬間、僕はつかさを抱きしめた。
「……頼む。元に戻ってくれ。」
声が震える。いつの間にか流れた涙が、つかさの肩を濡らした。
【一方その頃、つかさの精神世界。】
真っ暗な闇の中を歩き続けた。どれくらいの時間、どれくらいの距離を歩いたのか分からない。
まだ数分しか経っていない様な気もするし、もう何年も経った様な気もする。
何で歩いているのかも、自分が何者なのかも見失ってしまった。
遠くでずっと声がする。だが、気のせいだと思う。
声は遠くなったり、離れたりしている。だが、気のせいだと思う。
酷く重くなった体。歩くたびに痛みが増す足。激しい動悸と乱れる呼吸。
吸った後に吐く。吐いた後に吸う。次は吸うんだっけ、吐くんだっけ。
肩と背中が固くなって痛む。
ずっと耳鳴りがしている。
「つかさ……。」
誰かの声がする。これは気のせいでは無い。
そうだ。俺はつかさだ。
「小童よ。気がついたか。」
「誰だ!」
俺は周りを見回す。何処もかしこも闇だ。
「吾輩の名はぬらりひょん。お主に取り憑く妖怪。負の感情に支配され、力が暴走してしまったのじゃよ。」
激しい頭痛に襲われる。
「俺に何かしたのか?頭が割れそうだ。」
「何もしておらぬ。お主が自我を取り戻そうとしているだけじゃ。早く目覚めよ。取り返しがつかなくなるぞ。」
風の音がする。隙間風の様な高音。
右肩が冷たい。触ると濡れていた。
遠くで別の声が聞こえる。
「お前に殺されるのは別に構わない。だが、それでお前が傷付くのは許せないんだ。」
「この声は、りんのすけか?声が震えている。」
俺は膝から崩折れ、その場にヘタレ込む。
「今のお主の感情を聞こう。」
ぬらりひょんの声が頭の中に響いた。
「一人になりたく無い。悲しい。寂しい。」
俺はポツリポツリと呟く。
「ならば、どうしたい。」
また頭の中に声が響く。
俺は膝の上で拳を握りしめる。
「皆んなに会いたい。」
目の前に小さな光が見えた。光は大きくなって、闇を照らす。
眩しい光に目が眩み、俺は目を瞑った。
「目を背けるな、光を見据えろ。」
ぬらりひょんの声に俺は従い、恐る恐る目を開ける。顔を上げ、真っ直ぐ光を見つめた。
気が付いたら、知らない場所に立っていた。
目だけを動かし辺りを見る。体育館の様だ。
窓から月明かりが入り込んでいる。
指の感覚、頬の感覚、嗅覚が少しずつ元に戻っていく。
鼻を啜る音がする。首に、肩に、体に、体温が伝わる。
「りんのすけ、ちょっと苦しいかも。」
俺は抱きつくりんのすけの腕を、トントンと叩いた。
りんのすけは、ハッと顔を上げ、俺の顔をマジマジと見る。
俺は状況がよく分からず、左手を上げて「よっ。」と挨拶をした。
涙で濡れた綺麗な顔は、安心した様に緩んだ後、眉間に皺を寄せて不機嫌になる。
「つかさのおたんこなす!!!」
りんのすけは飛び上がり、俺に抱きつき直した。俺はバランスを崩して尻餅をつく。
「ご、ごめん。俺、状況よく分かってないんだけど。」
「分かってないなら謝るな!!バカ野郎!!」
「ええー!いってぇー。右腕なんか変なんだけど!?動かない。」
俺は右腕の肘から先が無くなっているのかと思い焦る。
「関節が外れているだけだ。それについては謝ろう。」
りんのすけは俺の肩に手を置いて体を離すと、頬を膨らめながら不服そうな顔をした。
「謝る気がないなら謝るなよ。俺が何かやらかしたんだろ?じゃなきゃ、りんのすけはこんな事しない。俺の方こそ、ごめんな。」
「よく分かってないのに謝るな!!」
「あー、もう!分かったよ!……あれ、百鬼夜行どうなった?」
俺は顔を強張らせてりんのすけを見つめる。
「おおよそ片付いただろう。ラスボスはつかさだったしな。」
りんのすけはジト目で俺を見つめた。
「えええ!!本気で言ってんの?!」
「空間支配なんてチート能力出されたら、ラスボス以外の何者でも無いだろう。」
りんのすけは立ち上がって歩き出した。
「そんな事したの?俺が?」
俺も立ち上がり、後を追いかける。
「質問攻めにするな。ひゅうがを待たせている。顔を見せてやれ。心配してたぞ。」
体育館の外に出ると、ひゅうがは体育館の壁に寄りかかり、体育座りで待っていた。
俺の顔を見上げると、泣きそうな顔になりながら立ち上がり抱きついた。
「つかさー!!良かった!良かったよー!あれ、普通に外出られたの?呪いは?」
ひゅうがは抱きついた後、直ぐに体を離して、俺とりんのすけを交互に見る。
「呪いは弱くなっていた。僕の精神力で呪いを封じられた程度だ。つかさには元々効いていなかったのかも知れない。」
「そうだったの?!何でもいいけど、二人とも無事で良かったよぉー!!」
ひゅうがは俺とりんのすけに抱きつく。
俺はひゅうがとりんのすけを抱きしめた。
りんのすけは少し顔を赤くした後、抱きしめ返してくれた。
「皆んなの所に戻ろう。」
俺は空間転移を使い、公園の広場まで戻った。
広場に戻ると、酷い有様だった。
サソリさんは馬乗りになって白山坊をリンチにしていたのだ。見るも無惨な姿になった肉の塊の様になった白山坊は、余りにもグロテスク過ぎて目を逸らしてしまう。
他の人達も、呆然と見つめていたり、吐き気を抑えていたりと、どんよりとしたムードを漂わせている。
西条寺さんが涙目で俺達に駆け寄って来た。
「彼の方を止めてくださいまし。わたくし、もう目も当てられませんわ!」
りんのすけは溜息を吐くと、サソリさんの所まで歩いて行き、首根っこを掴んだ。
「おい、サソリ。妖怪達は生きて送り返すんじゃ無かったのか?」
サソリさんは我に返ったようにハッとして、恐る恐る振り返りりんのすけの顔を見る。
「坊ちゃま!!つかさ様も!ひゅうが様も!ご無事で何よりです!」
サソリさんは誤魔化しついでに、りんのすけに抱きつこうとしたが、りんのすけは足を上げ、サソリさんの顔を踏みつけて阻止する。
「血まみれで僕に触れるな。ばっちいだろ。」
そのやり取りを遠目で見ていると、いきなり誰かに抱きつかれた。
「うわ!」俺は驚いて声を上げる。
「つーちゃん!無事で良かったァァァ!!」
野崎先輩だ。耳元で大声を上げられ、耳鳴りがする。
少し離れた所に居る陰丸君は、チラリと俺を見た後、大きな舌打ちをした。
「つかさ殿!!本当にご無事で何よりだ!!先程はすまなかった!」
人に化けたポンスケは、木の上から着地すると、俺に深々と頭を下げた。
「いやいや、俺の方こそ。」
「つかさ!私の油断が生んだのだ!一発殴ってくれたまえ!」
和田は木から降りようとしているが、降りられずに宙吊りになっている。枝を掴む腕がプルプルと震えていた。
「和田!落ちる落ちる!」俺は慌てて、和田に駆け寄る。
ポンスケと協力して和田を下ろした。
「無茶させて、巻き込んで悪かった。俺は和田を殴る権利なんか無いよ。」
俺は和田と握手した後、軽く抱き寄せて肩を叩く。
和田はボロボロと泣き始めた。
ポンスケに降ろしてもらった左門時先輩は、和田を慰めて言った。
「泣くなよー。」
「自分の不甲斐なさと、安堵で涙が止まらないだけなのだよ!おーいおいおい。」
「そんな泣き方あるかよ!」
ひゅうがは腹を抱えて笑う。俺もつられて笑ってしまう。
その後、サソリさんは何処かから黒いゴミ袋を持って来て、妖怪だった物を詰め込み、何処かへ運んで行った。
野崎先輩の父親から連絡があり、羅刹天の怒りは鎮めたそうだ。どうやって鎮めたのか聞いてみたが、かなりタブーな質問だった様で、教えてもらえなかった。
百鬼夜行で被害のあった建物や一般市民は、りんのすけの家の方で全て無かった事に出来るらしい。謎の権力なのか、謎の特殊能力なのかは分からないが、一先ず安心だ。
外れた右肘は西条寺さんがはめてくれた。綺麗に外れていたらしい。直ぐに元に戻った。無意識に空間支配を使っていたのか、痛みも残らなかった。
全てが片付いた頃には、とっくに〇時を超えていた。
真っ直ぐ家に帰って、眠る事にする。
家に帰り、寝支度を整える。
電気を消してベッドに横になると、ぬらりひょんが俺に話しかけて来た。
「小童よ。楽しかったぞ。」
「何だよ。もう居なくなるみたいじゃ無いか。」
「実は言うと、ぬらりひょんとして復活を遂げた時、既にお主から離れられたのじゃよ。」
「え!嘘ついてたのかよ!」
「ああ。自分の利益より、他人を優先するお主に惚れておったのじゃな。力を貸したくなった。」
「……。じゃあ、お別れなのか?」
「ああ。しかし、吾輩はぬらりひょん。ぬらりと消え、ひょんと現れる。またいつか会いに来ようぞ。」
「分かった。いつでも会いに来いよ。俺の手料理食わせてやるから。」
「フフフ。そりゃ楽しみだ。おやすみ、つかさ。」
「おやすみ、ぬらりひょん。」
体の中からスーッと何かが抜けていく感覚。その後、俺はコトンと眠りに落ちてしまった。




