結婚
全体的に甘いです。執着具合が半端ない。
内心では一瞬、逡巡しつつも、押し進めていく彼の強引さが、私の好みです。
「ATMって…」
「Automated Teller Machine 日本語にすると、現金自動預け払い機、ですね。」
「貴方・・・?」
何か信じられないものをみたと言わんばかりに呆然とする彼女
「平凡な国家公務員、独身、30歳でしたが。」
さあ。どう出る?
「嘘でしょう?」
「嘘なんて言って、どうするんです?私は乙女ゲーム何て全くプレイした事も無ければ、興味もありませんでしたから。前世と思われる記憶がある上に、文明の発達具合がチグハグなこの国、世界の成り立ちに常々疑問を感じていました。先日、貴女と話して、一気に理解が、進みましたよ。」
初めは半信半疑だったが。調べてみると、彼女は、公になっていない彼女の言う攻略対象の個人的な話を知りすぎている。
「でも、結婚しなくても。」
「まだ言ってるんですかこの口は。」
初めて唇にキスをする。
「んっ…」
彼女が真っ赤になって、羞恥に震える様子に、満足感を感じる。
「はぁっ…」
「破滅フラグとやらを折りたいのでしょう?ならば、ちょうどいいではありませんか。何かあっても、必ず私が守ります。あんなに泣くぐらいなら、私の隣で笑っていればいいんですよ。」
もう、立場的には逃げられないようにした。あとは、欲しい物は君の心だけ。
「泣いてなんか。」
「6月の夜会で目が腫れ上がるほどに泣いていたではありませんか。」
君が覚えていなくても、必ず君を助けると決めた。
「その話し方…」
「ああ。これは、この世界に生まれてからのものですよ。前世での一人称は俺です。貴女、押しに弱いですからね。急がないと、他の男にすぐに持っていかれそうでした。知りませんでした?貴女、結構、男性から人気あったんですよ。」
貴族家の男性には、個人宅で受けるマナー講座に、女性とどう接するのか、という講義がある。女を誑すようなセリフばかり言いたくなくて、その講義は、あまりやる気がなかった。講義を真面目に受けないと父に報告され、講義時間を2倍にされて、珍しく、失敗したなと思ったものだが。その講師に言われて一人称を私に変えた。人から見られる自分を意識させてくれた恩人でもある。何より、今、その誑す技術を発揮する日が来るとは自分でも驚きだ。
「人気なんて知らないし、押しに弱いって…」
「事実でしょう?ちょっとの揺さぶりで動揺して。本当に婚約する気が無いのなら、手玉に取っている悪女役にでもなれば、私から逃げられたのに。頑張って、私に話を合わせて。」
困ったように視線を逸らすのを、頰に手を当てる事で、自分から目を逸らさないようにする。
「だから、私に捕まったんですよ。」
これからは、私だけを見ていたらいい。第3王子をはじめとする攻略対象とやらは、確かに顔が良く、能力も高い。だが、そんな奴等には渡さない。絶対に負けない。
「はぁ。」
ため息をつくのは、どうしてなのか。ため息などつかれたら、無理矢理、捕まえたんだと、まだ、心を手に入れていないのだ、と、言われているようで。
「ため息をついたら、幸せが逃げると前世の方が言っていませんでしたか?」
「そうですね。」
急に彼女の態度が随分とそっけなくなる。自分の中で、焦燥感が増す。
「私が貴女を幸せにしますよ。」
「大した自信ね。」
さっきまで真っ赤になっていたのに、今はやたら冷静に話す。そのギャップも、不思議だ。
「独占欲は強いので。覚えておいて下さいね。本当は、学院なんて辞めさせて、横に置いておきたいんですが。」
もし、君が嫌いだと言っても、もう、逃す事は出来ない。出来そうにない。ここまで、人に執着するのは初めてだから。
「転生者だからって、何でそんなに好きになる要素があるのよ。私ぐらいのレベルの令嬢なんて、そこら辺にいっぱいいるじゃない。本気なの?」
ああ。やはり、元々の日本人の感覚が彼女の中で強いのか。この世界で、美しい容姿に生まれたというのに、その美しさを、本人が目立たないようにと考えて行動する事で、抑えこんでいる。
自己評価が低いのだろう。
こんなに君は美しいのに。
「ええ。この顔も、髪も、身体も、貴女の優しい性格も。自分で運命を何とかしようともがくところも。全てが私の好みです。」
これから、その美しさ一つ一つを意識させて、自信をつけてやればいい。その過程で、私をもっと意識するといい。
また、真っ赤になってしまったレイローズ。
やはり、面と向かって、愛を囁かれるという行為には慣れていないらしい。
嫌いな人間に、恥じらって顔を赤らめる者はいない。その反応を見て、安堵する自分がいる。
「そうやって、純粋に頰を染めてしまうあたり、私は嫌われてはいないんだと安心しますよ。甘やかしてあげますから、私の事をもっと好きになって下さいね。」
やけに色気のある鎖骨を少し舐めると、もう、ますます真っ赤になって、また涙目になっている。
そのまま、襲いたくなる。まだ、心までしっかりと手にいれてないのに。無意識に煽らないでくれ。
私の理性を試さないでくれ。
これ以上、こうやって組み敷いていると、もう、本当に我慢ができなくなると思い、抱き起こして膝に座らせた。
恥ずかしい様子で固まっている。
「重いですから、下ろして。」
か細い声で言われても、離す訳がない。
「重くないですよ。これでも、身体は鍛えてるので、貴女は私には軽いです。捕まえましたからね、もう、離しませんよ。」
視線を合わせずとも、真っ赤になっている彼女の様子に満足感を覚える。
もっと。もっと私を意識して、他の男など目に入らないようにしてやろう。
今日、帰っても、私の事ばかり思い出して考えるように。
不安ばかり考えている、君の心を、私で満たそう。振り回して、振り回して。しばらくは、私の事しか考えられないように。
来月には正式に婚約の書類を交わし、卒業を待って、婚姻を結ぶ事にした。
夜会の夜は更けていく。もうすぐ、帰さないといけないのに。
「貴女を帰したくない。」
自然と本音が口を突く。
また、真っ赤になってしまったレイローズを見ながら、ああ、でも“急いては事を仕損じる”だなと、無理矢理自分に言い聞かせ、止まる事のない欲望を抑えて、ファシエ家に帰す事にした。
夏の暑い日が続く。9月中旬の婚約に向けて、調整する。婚約と言っても、両家で書類を締結するだけなのだが、それにつけて、毎週のように呼び出し、第3王子以外のゲームの内容とストーリーを確認する。
確認できたのは以下の通り。
攻略対象10名。隠しキャラ無し。
キャラ1、第3王子アーサー
2、闇の魔法使いクロード・ハリス(侯爵家次男)
3、聖職者(ラトル教法王の息子)キラ
4、騎士アレン(庶民上がり)
5、炎の魔法使いガイナック・バルドー(バルドー辺境伯長男)
6、アーサーの侍従ルークスタッド(庶民上がり、元々、王家の陰となる者)
7、現在学院主席のリレイ・レルド伯爵令息(母クラリッサの妹の息子なので、従兄弟になる。)
8、隣国ガレスティーンからの留学者クライン
9、教員のマルロー・レンス(現レンス子爵家当主の弟)
10、商家の息子マルス
今年はまあ、優秀な学生がそろっているとは思っていたが、余裕だな。蹴落とす必要のある人間がいない。楽で助かる。
1、7、アーサーとリレイは、昔から、私が勉学を教えているから、勉学は出来て当然。もちろん、師であるからして、奴らは私に頭が上がらない。
2、クロードはリリスティールがいれば良さそうだ。元々、普通の出来であったし、闇魔法が強いのも、リリスティールから魔力を抜いているだけ。
3、キラは幼少期から神殿で育っているため、女性との接触はひどく嫌がる。潔癖なのだ。ヒロインとやらが接触しなかったため、潔癖のまま。そのまま、神殿内で、聖職者として上りつめていくだろう。
4、騎士アレン。脳筋。問題なし。
5、ガイナック。彼はバルドー辺境伯の長男として、立派に育っている。バルドー辺境伯も優秀で、自分の立ち位置をよくわかっている人間だ。学院卒業次第、バルドーの地に戻り、戦力となる。
6、ルークスタッドは、元々、私と前宰相が視察中に下町で拾って、陰の者にした。王子の級友という立ち位置で表に出て王子を警護しているが、偽名である。これも問題なし。
8、クラインは交換留学の学生であり、ガレスティーン国公爵家の長男である。国には婚約者がいる。
9、マルローは数学馬鹿だが、この国の数学がそう進んでいないため、特段問題ない。数学教師という職が好きな男だ。
10、マルスはカイザス商会の次男であり、優秀な兄がいる。彼も優秀なのだが、マルスの方がやんちゃで、よく寮を脱走しては遊んでいる。卒業後は普通に商会の仕事に就くか、新しい商売を興すだろう。
いくらレイローズの覚えているストーリーと現状を比較して、今後の展開を考えても、ほぼ、放置して何の問題も無いな。ヒロインとやらと接触しないからか。普通の若者達だ。レイローズは回避しようとして逆に現状把握が出来ないため、変に不安を感じるのだろう。念のため、彼女には知らせず、陰から見守る護衛をつけた。
レイローズは、リリスティールを転生者だと言うが、この話の変化具合から見ると、ヒロインの男爵令嬢も転生者なのだろう。こちらも調べてもらったが、卒業後は実家で男爵家を継ぐ勉強をするらしく、幼馴染の騎士を婿として考えているようだ。男爵家で収まってくれて、嬉しく思うよ。何の取り柄もないのに、ゲーム通りに色気だけで男を虜にして分不相応にしゃしゃり出てこられたら、消すしかなかった。多分、常識が通じる女性なのだろう。男爵領の民の為に力を入れているようだ。この様子なら、監視は継続しつつ、まあ、あの領が困っている街道整備では国道扱いで、優先的に予算配分してやってもいいかと思われる。
婚約式後は、グラート侯爵家敷地内に元々建てられていた私用の別邸を改装することとした。本来ならば、改装の必要もなかったのだが、何か課題を与えて、考える暇を与えないほうがいいだろうと判断した。徐々に壁紙やカーテン、調度品を選ばせ変更させた。
変更の打ち合わせに呼びつけたり、仕上がりの確認に呼びつけたり、事あるごとに週末は呼びつけて、本邸で夕食を両親と過ごし、家に帰すようにしていた。
母はすっかりレイローズが気に入り、私が呼び出さなくても茶会などに呼び出すようになった。
冬になり、2月。彼女はあと1ヶ月で卒業である。
何度も呼び出されるため、次第に彼女は私に慣れた。以前は人前だけでリオン様と呼び、2人の時は宰相様と呼ばれていたが、1月頃には、彼女自身が自然に、リオンと呼び敬称を省くようになった。
卒業記念パーティーの日。
朝から婚姻書類を王国の戸籍課に提出した。
が、3月は忙繁期である。いろいろな年間予算の決算が出始める。それに伴い、予定通りに進んでいない計画が明るみになる時期なのだ。
朝一から、城下4地区下水路の改修が着手されていなかったことが発覚し、担当部署を呼び出し、3月中に終わらせるように指示する。
ガレスティーン国からの使者が、クラインの留学の謝辞を述べに挨拶に来たのに伴い、貿易の話となり、時間が押す。
レイローズをエスコートする約束だったのだが、間に合わない。
侍従に遅れる旨、伝達させる。結局、到着出来たのは、パーティーが終わろうとする時間だった。
「遅いわ。」
「ごめんね、私のお姫様。」
「お姫様じゃなくて、奥様でしょ?」
やけにスッキリした顔で、笑顔を向けられる。
「もちろん、婚姻書類はキッチリ提出して来たよ。」
「終わったわ。」
にこやかに告げる、その、短い一言に、君はどれだけの思いを抱えているのだろう。
「そうだね。君の不安が1つでも消えたなら、良かった。」
やさしく、頭をなでる。
「夏からずっと、貴方に振り回されてばかりだったけど、わざと?」
「貴女に他の男の事を考えさせる時間なんて、1秒でも減らしたいですから。」
当然だというように答える。
君は知らないだろう。余裕があるように見せかけて、君の心を惹きつけるために、様々な手を使ったこの焦りを。どんな手を使ってでも、君の全てを手に入れようと、攻略対象者達に監視をつけ、学院でも君と最低限しか接触しないように根回しした、この狭量さを。
「どうだか。」
ちょっと顔を赤らめて、フイと横を向く君。
「今日は、私の家に、連れて帰りますよ。奥様。」
「私達の、家でしょう?」
レイローズが、柔らかく微笑んだ。
我が家の馬車で、連れて帰る。
街並みを眺めていた彼女が、ふいに涙を流す。緊張の糸が切れたのか。
「やっぱり、私の奥様は泣き虫だね。」
抱きしめて、涙を拭う。
堰を切ったように流れ出した涙は止められないようだ。抱きしめている私の服をぎゅっと握る手。
自然と、笑いが込み上げる。今、私にしがみついて、声を殺して泣く君は。以前、リレイ草で無理矢理に話させ、泣かせてしまった時とは違う。自分自身の意志で、すがりついてくる手。震える体。
「困ったなぁ。父上も、母上も、君を待ってるよ。でも、泣いて目が赤かったら、早く解放されるね。それはそれでいいかな?」
優しく額にキスを落とす。
家に着くと、両親、使用人一同、首をそろえて待っていた。感動で泣いた事にして、夕食を一緒にとり、母が今までにないくらい機嫌よく、父に話しかけていた。息子から見ると、狸親父と、天然が入っているが筋金入りの狐の母だ。それなのに、驚くほどに相思相愛で仲のよい両親。
この2人は、私にさりげない愛情を注ぎ続けてくれたように、レイローズも可愛がってくれる。
レイローズが疲れているだろうから、と、夕食後はさっさと別邸に連れ帰った。
別邸には、ファシエ家から専属として雇い入れたメイドもいる。レイローズを何度も呼び出し、滞在、確認させた家だ。戸惑う事は少ないだろう。
レイローズは休ませるよう指示し、執事や侍従と諸々の打ち合わせ、明日の予定の確認をして、湯を浴びる。普段、あまり寝ないので、休むのには早すぎる時間なのだが、彼女は待っているだろう。
続き扉から新しい寝室に入る。
「お待たせ、奥様。」
窓辺に立ち、緊張しているらしい彼女が愛らしくて、自然と口角が緩む。
ああ。ようやく、彼女を手に入れた。
これにて、黒の宰相編、完了です。
読んで頂いて、ありがとうございました。
この後の話が、回避できた令嬢は?に続いていますので、この後は、仕事の都合でゆっくり投稿になりますが、そちらで話を進めます。