好きが嫌いな人-1-
――好きになって。それから、嫌いになって。
「こんにちは、いつも応援してくれてありがとね」
大好きです! と言われる。
「嬉しい。今度のドラマもみてね」
愛嬌と、あふれんばかりの笑顔を「大好き」という言葉のお礼に返す。
はい。これで、おしまい。
芸能人とファンの関係は、いつも一方通行だ。
葉山は「嬉しい」を演じているだけ。全部が作りモノ。
星芸能は業界大手の芸能事務所。所属しているのは、お笑い芸人から俳優、歌手まで多岐に渡る。リーチする年齢層も幅広い。
葉山真幸は、その星芸能の俳優で、いま業界の新しい若手俳優として注目されている。
事務所のガラス張りのエントランスを抜けたとき、すれ違った女性に、まるで天使にでも出会ったかのような目で見られた。
これが葉山の「今」の日常だった。
葉山は若手俳優らしく手を振って、元気に愛想をふりまきながら関係者専用エレベーターがあるエリアに進んだ。そんな葉山の日常のなかへ突然黄色い声が割り込んでくる。
エントランス横のロビー。通路の向こうには、同じ事務所の先輩、俳優の岬圭一が立っていた。
岬はマネージャーと何か話しているようだった。そこにいるだけで周囲の視線を集めていた。
葉山が一瞬で霞むほどの存在感。年は二十八歳。業界歴も長いベテラン俳優だ。
葉山が、よくファンに言われるような「王子さま」みたいな褒め言葉だと違和感がある。
岬は華のある、名実とも本物の役者だ。
偽物の葉山とは違った。
前髪を掻き上げる仕草が気障っぽいとかじゃなくて、人に演技を感じさせないほどに自然でハマっている。タバコの煙をふかすだけで、ただその場に立っているだけで絵になる。
(今日は結婚詐欺師みたいな格好してる)
葉山はフロアを挟んで遠くから岬を盗み見ていた。
今日は事務所併設のスタジオで、来季のドラマ撮影だったのかもしれない。カジュアルなネイビーのダブルのスーツを着ていた。黒髪は綺麗にセットしているし、頭の先から足の先まで隙なく誠実に見える。けれど全体的に整いすぎて逆に胡散臭く感じるのは、葉山が同性だからだろうか。
葉山が十八歳で、まだまだ子供の域を出ない男だとしたら、向こうには完璧な大人の魅力があった。
岬は、いつだって人を言葉と演技で圧倒し翻弄するような、鋭い針と毒を持っていた。
――葉山は、ある舞台の公演最終日から岬に共演NGを出されていた。
岬の顔を見ると後ろめたさから、落ち着かなくて心がざわざわした。直接「お前とは二度と同じ舞台に立たない」と言われたわけでもないのに、もう一度岬と話すことが怖かった。
そんなことを考えていたら、一瞬だけ岬と目があった。そして、ふっと綺麗に微笑まれた。
距離があったので葉山の気のせいかもしれない。ただ、その笑顔が、限りなく本物の偽物だということは知っている。
本当の岬は、あまり笑わない人だ。
葉山は逃げるように踵を返して、エレベーターに乗り込み息を吐いた。
(俺も、そうか。あんまり一人だと笑ってないな)
社内は、どこも明るくてシースルーだ。
外が見えたって周りはビルばかりなのに、エレベーターさえも全面ガラス張りだった。
明るく染めた自分の髪は、外から差し込む日に反射してキラキラと天使の輪が浮かんでいる。その輝きに反して、表情は暗い。
こんな陰気な顔をした天使なんていないだろう。葉山が、そう思った次の瞬間には、元通りの元気な笑顔になる。
エレベーターに人が乗ってきたからだ。
この事務所のエレベーターに乗っていると、お前は芸能人なんだから一秒たりとも気をぬくなと言われている気分になる。
少し前は事務所の決めた「アイドルみたいにキラキラした俳優」を演じるのは楽だと思っていた。けれど今は少し疲れを感じ始めている。
初めて岬と共演したとき彼に「近いうちに見失う」と言われた。その通りの未来。
頑なに葉山が守っていた役者の仮面が剥がれ始めていた。
岬と出会わなければ、こんな自分にはならなかった。
けれど岬のせいだと認めてしまうのは、負けを受け入れるようで嫌だった。
物思いにふけりながらも、ファンサービスを最後まで丁寧にこなし、予定時間に少しだけ遅れて目的地についた。
「社長、葉山です」
礼儀正しくドアをノックすると、中から入室を促す声が返ってくる。
いかにも社長室という重々しい扉の中では、不機嫌な顔をした社長が待っていた。
「おっそぉーい。約束の時間、十分の遅刻だぞぉ、真幸ちゃん」
「すみません。ちょっと廊下で絡まれちゃって」
「なんですって! 自分の事務所の商品に絡むなんて! どこの不届きものよ、名前をいいなさいっ! 叱ってくるわ!」
社長の人柄に嫌悪感を持ったことはない。
社長は過去に葉山を拾ってくれた恩人だ。葉山が社長に向ける感情は、感謝の気持ちが大部分を占めている。ただ、時々このねっちょりした絡み方と話し方は面倒だなぁと思っていた。全身が装飾過多。オネエな中年男性が星芸能の社長だ。
「大丈夫ですよ。挨拶されただけですから」
「真幸ちゃんは、ホント人がいいんだからぁ。愛想よくするのは、お仕事中だけでいいのよ。四六時中気を使ってたら身が持たないでしょう」
日常でも器用に役を使い分ける岬みたいな芸当が、自分も出来たら良かったのに。
今更、違う役と人格を一から作ろうとしても、それは一朝一夕には出来ない。
それに世間に「アイドルみたいな葉山真幸」が望まれているなら、このままの自分でいるのが正しいと思った。
「事務所の社員でも、自分にとってはお客様には変わりないですから」
葉山がそう返すと、ホント律儀ねぇと言いながら社長は話を続けた。葉山は今日、次の仕事の件で社長室に呼ばれていた。
「ところで、最近大丈夫なの? ちゃんと病院は行ってる?」
「病院、ですか」
「そう、病院! 紹介したでしょう」
「健康そのものですよ。何か、最近の仕事で俺に問題でもありましたか」
葉山は、はぐらかすように笑顔を返した。ドラマの撮影現場で倒れて以来、お決まりのように訊かれる体調確認だった。
「……ないわよ、完璧ね」
「ありがとうございます」
「もーお仕事も次から次へと入ってきて、文句のつけようがないわ。不動の若手人気俳優ね」
「なら、いいじゃないですか。俺もお仕事楽しくさせてもらってますよ」
それ以上の追求から逃れるように、重ねてふわりと微笑んだ。
「その口ぶりだと行ってないのねぇ、病院」
社長は仕方ないわねぇと息を吐く。葉山は体に悪いところがないのなら、病院に通ったところで意味がないと思っていた。
「今度、時間見つけて行きますから、それに心配しなくても、もう治ってるんですよ」
「あのね、真幸ちゃんが色々複雑な生い立ちなのは、わかっているつもりよ。あたしが気にしているのは、真幸ちゃんが辛くないかなって」
「つらいことなんて、ありません」
また、嘘をついた。もう限界だろうって、心の中では思っている。
「あなたを救うために顔の傷を治して、葉山真幸という名前と役を与えたけど、それがあなたの歪みにつながるなら、あたしは無理強いしない。あなたが心から幸せじゃないと、いい演技なんて出来ないんだからね」
「無理なんて……社長が考えた「葉山真幸」が世の中に求められて、いま役者としてたくさんの仕事がある。それが答えでしょう」
「あたしは真幸ちゃんの希望を聞きたいんだけどなぁ。まぁ、いいわ。その件も踏まえて仕事の話をしましょうか」
社長は机の上の手を組み直す。
「単刀直入に聞くけど次のドラマの件、榊原マネから聞いているわよね」
「はい『青の鬼火』ですよね、ESKプロダクションのHIROTOさんが主演の」
「真幸ちゃんがヒロインよ」
「……え、と。そのヒロインって言葉には抵抗あるんですが」
「男同士の恋愛ドラマ分かってる? ボーイズラヴ。まぁラブって言っても結構ハードなストーリー。真幸ちゃんには難しいと思って。だから断ってると思ってたのに、あっさり受けてるんだもの。びっくりしたわ」
「俺、頂いた仕事を断れるような大物俳優じゃないですよ。いい経験になるし、なにより俺がやってみたかったんです」
「本当に本当? 無理していない? 今からだって、あたしが断ってあげられるのよ」
「ちょっと過保護過ぎませんか? 今は社長が後見人ですけど、社長が拾った時は十五でも、もう十八ですよ。そこまで子供じゃない」
「十八は子供よ! それに、あなたはとーっても繊細な感性を持っている。そんなあなただから素敵な演技ができるの、誇りなさい、だから」
「社長は、俺に、その役が出来ないと言いたいんですか?」
いつもの葉山らしくない反抗をしていた。そんな葉山に社長は優しい視線を向けた。
「あのね。役を降りることは逃げではないと言いたいのよ。もちろん、あなたには選ぶ権利がある。本心からやりたいと思っているなら、これ以上あたしは何も言わないけどね」
「もちろん、俺はやりたいです」
まっすぐに社長の目を見ていた。
「そう。なら、最後まで頑張りなさい。役作り、難しいわよぉ」
「はい」
自分の身に起こった「不幸な過去」を思い出し、撮影現場で倒れたのは一度だけ。
けれど社長は、その一度の失敗を気にしている。社長の気遣いに、感謝ではなく水をさされたと感じる薄情な自分がいた。
養父から乱暴された葉山に男同士のハードな恋愛ドラマを演じることは難しい。
きっと誰だってそう言う。
社長が気にするのは当然だ。けれど自分にとって、それは過去だった。今は「葉山真幸」という役があって、その仮面があれば何でも演じきれると思っている。葉山にだって役者としてのプライドがあった。
「――あの、社長」
「なぁに? 改まって」
「別件、というか、このドラマの件で、折り入ってお願いがあるのですが。岬さんと連絡って取れますか?」
「岬? あの子がどうかしたの?」
「その、俺と岬さん共演NGだったのに、今回お名前があったので、どうしてかなって」
「えぇ、そんな話、聞いたことないけど、真幸ちゃん何か岬にしたの?」
「……ちょっと、心当たりはあるので」
葉山は苦笑いを浮かべた。
「ふぅん。真幸ちゃんが、やらかしたとしても、岬なら全然気にしてないと思うけどぉ。岬の共演NGなんて今まで誰もいないし」
その前代未聞が自分だと思った。
「そう、ですか」
「でも真幸ちゃん何回も岬と共演してるのに、連絡先知らないの? あの子って、共演者なら誰にでもホイホイ電話番号渡してるでしょ。普通にお久しぶりですーって連絡すればいいんじゃない? 岬けっこう軽いし」
それは岬の表向きの演技だ。
「もちろん知ってるんですけど、一度も連絡したことなくて……今更で、気まずい、し」
「あらぁ真幸ちゃん、しっかりしてるのに、まだまだ子供ねぇ。岬に噛みつかれると思って怖いんだぁ」
「そ、そういうわけでは……ないんですけど」
「ま、いいわよぉ、久しぶりの共演だし、うちの子をよろしくねって言っておけばいいかしら?」
「はい。よろしくお願いします」
「でもホント、岬って役者の好き嫌い言ったことないわよ。あの子、興味ある子とは誰とでも連絡とって、しょっちゅうプライベートで遊んでるし」
葉山は何度共演をしていても、一度だって岬から連絡をもらってない。
共演者の誰もが貰っている、お疲れ様でしたメールでさえ一度も貰ったことがなかった。
もちろん葉山の方が後輩なんだから、自分から連絡をすればいいのだが、どうしても怖くて出来なかった。
「そう言えば真幸ちゃんの今度の相手役、HIROTOいるでしょ? あの子、岬のお気に入りなのよね」
「おきにいり? ですか」
「そ、いっつも連れ歩いてるんだからぁ。おしゃれなバーのツーショ、あの子のSNSにいっぱい上がってるし」
「はぁ……俺、事務所の公式以外、個人のSNSやっていないので。岬さん、お酒が好きなんですか」
「違う違う。そういう意味じゃなくて、知らない? HIROTOってバイセク公表しているでしょう。もしかして付き合ってるのかしらって話」
「どうでしょう。俺は、知りませんが。岬さんって、仕事が恋人みたいな人ですよね」
「ま、それは確かにねぇ」
役者という仕事が好きで、多分それが一番。一見たくさんの好きがあるように見えて、その範囲は狭い。
好きな仕事以外のことは、割とどうでもいいと思っている。
そんな人に救われた日から、葉山は岬と同じ役者の世界で生き続けたいと願っていた。




