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9.契約召喚①(地獄との共生社会を目指した国の末路)

 生まれ故郷を捨て、各地を放浪していたパトリアは、ふとしたことから祖国が大国による侵略の危機におちいっていることを知る。

 警鐘のために馬を飛ばし、久しぶりに故郷の地を踏んだ彼に、追い打ちをかけるように、思いがけない悲報が知らされる。


 パトリアは「国軍」を結成している友人ソルとの再会を果たしたものの、彼らだけで祖国を守ることは不可能。

 絶望の淵に立たされた二人に残された道は、悪魔召喚術に手を染めることだけだった。

 

 一体、禁忌の術は、この国に何を与え、何を捨てさせたのか。


 悪魔たちの残酷劇グランギニョル、第二幕の開幕!!


(地獄の銭湯のコーヒー牛乳はちょっと甘すぎる)


「本当に出てきた……」

「これは……本当に悪魔なのか……天使様ではないのか」

「見た目に騙されてはいけない。悪魔は、人を油断させたり、誘惑したりするために、美しい姿で現れる場合がある」

「こいつをよく見ろ。半裸だぞ。天使様が、こんな卑猥な姿で現れるわけがない」

 気がつくと、悪魔のカイムは、法衣を着た数名の人間の前に立っていた。窓が無く、四方は石の壁で囲まれ、数本のろうそくで照らされた暗い部屋、おそらく地下室。冷たい床に撒かれた生贄の血の跡。自分を囲む稚拙な魔三角らしき図形。人間どもはそれと対になった、魔円陣の中に立っていた。

 つい数秒前まで自分は、地獄(五臓六腑)にある銭湯の脱衣所にいたはずなのに。どうやら、人間の世界(一二)に呼び出されてしまったらしい。

「なんだかこいつから、異臭がするぞ」

「硫黄だ。悪魔は、硫黄の臭いとともに現れるというのは本当だったか……」

 温泉成分の入った風呂から上がったばかりだから、しかたがなかった。また、シャツを着ていないから卑猥だとか言われても、脱衣所で服を着ている途中で呼び出したのは、そっちである。下半身だけでも着衣していたことをありがたく思ってほしい。

 しかしこれは、正式な召喚ではない。カイムは、数秒目を閉じて自省した。正式な召喚の場合、まず召喚者が自分の名を呼ぶ声が聞こえる。そして、最高に神聖で最低に下卑た感情とともに、人間の世界に現れ、そこに神を見る。この世で一番尊いものに向かい合った幸福感と、近づき難さからくる切なさ。にも関わらず、この人を完全に支配するか、反対に完全に支配されてしまいたいという支配欲と奴隷根性。次に、この方が自分にくれる一瞥次第で、世界は圧倒的に幸福にも、圧倒的に不幸にもなるという予感。とにかくもう、その人のことで頭が一杯になり、他になにも考えられなくなるはずである。

 悪魔は目を開けて、辺りを見回した。それらしい声を聞いた記憶もないし、我が神たる召喚者らしき人の姿も無い。尊い人のことで頭が一杯になるどころか現在、自分の頭の大部分を占めているのは相変わらず、風呂上がりに飲むつもりだったコーヒー牛乳のことである。

 目の前にいる人間のうち一人が、意を決して一歩ずつこちらに近づいてきた。この場にいる唯一の女性で、年は若い。儀式用の装飾の多い短剣を手にしていることからして、悪魔召喚の儀式を行ったのはこいつらしい。彼女は、自分が立っていた魔円陣のキワまで悪魔に近づくと立ち止まり、こわばった顔を無理やりゆがませて笑顔をつくった。

「わたしの名前は、ステラといいます。あなたのお名前と、階級をお教えください」

 そういえば、彼らの言葉は、こちらもたまたま少しは話せる言語だ。何を言っているのか理解できてしまうからには仕方がない。風呂上がりの半裸の悪魔に、丁寧な言葉で話しかけてきた向こうの期待に答えるために、ここは一つ威厳を見せておこう。

 ステラが尋ねた「階級」とは、人間の世界に伝わる魔導書等で、各悪魔に割り当てられている「王」とか「大公」とか「公爵」とかのことである。これは悪魔たちが、自分たちも忘れてしまったくらい昔に、それぞれが一度に呼び出せる使い魔の数に応じて割り当てたものだった。しかし魔導書を後生大事にしている人間の悪魔学者たちとは違い、地獄では、何万年も前に自分たちが作ったくだらいない設定のことを今更気にしている悪魔など誰もいなかった。ちなみにカイムの階級は「総統」だったが、そんな古の設定を聞かれているとは思わなかった彼は、首にかけていた銭湯名入りの手ぬぐいをそっと取って、人間を尊大な目つきで見返しながら次のように答えた。

「我が名はカイム。階級は……地獄の図書館のバイトリーダーである」

 人間どもから聞こえるざわめき。悪魔は、自分が何か間違ったことを答えたらしいことを知った。

 ステラは、めげずに続けた。

「地獄一の弁論家として名高いあなたに、お話したいことがあります。私達は、争いを好みません。私達は、あなたがた悪魔と、価値観を共有し平和な関係を築きたいだけなのです。私達は、人間も悪魔も、武器による戦争ではなく、言葉による話し合いによって、お互いを理解しあえると考えています……」

 「地獄一の弁論家」ことカイムの個人的な統計では、「言葉による話し合いによって、お互いを理解しあえる」などとのたまう人間の九十九.九九%が、そうした話し合いの結果、自分の価値観が、討論相手、ゆくゆくは世界中に浸透することを夢想しているが、反対に自分が言い負かされて、相手の価値観に染まる結果のことは想定していない。

 なんだかこの人間の話は、長くなりそうである。カイムを、悪質なキャッチセールスにつかまった人間のような感情が襲った。しかしこの場を逃れて、地獄に帰る方法は簡単で、すべての悪魔が、こうした緊急事態の対処法を知っていた。自分を呼び出す儀式を行った術者の首を落せばいい。

 人間どもが気づいた時にはすでに、悪魔は、自分の呪術道具である日本刀を地獄から呼び寄せ、自分を締め出す効果の全く無い魔円陣に侵入して、若い女性の首を落としていた。胴体を離れた首は宙を舞ってカイムの懐に飛び込んだので、彼は思わずそれをつかまえた。


 その数秒後にはもう、悪魔は人間の世界から姿を消し、懐かしい地獄の銭湯の脱衣所に立っていた。

「あ、カイム、いきなり消えちゃって、どこ行ってたんだよ」

「ねえ、コーヒー牛乳といちごミルク、どっちにする?」

「ちょっと、カイムさん。この銭湯は、血抜き処理をしていないナマモノは、持ち込み禁止ですよ」

 彼が銭湯の経営者のクロセルに、脱衣所を生首から滴る鮮血で汚したことで、掃除を命じられたことは言うまでもない。



 


 馬にまたがったパトリアは、疾走していた。跳ね返った泥も、たまにすれ違う人の視線も気にしている場合ではなかった。一秒でも早く故郷の地を踏み、人々に伝えなければならないことがある。伝えてどうなる? おそらくどうにもならないことに、彼は薄々気づいていたが、馬を走らせることに集中して、あえて考えないようにした。

 彼が故郷の窮状を知ったのは、昨日の晩だった。周辺国を転々としながら、その土地の酒場で働いていた彼は、遠いところにある大国が、遠征の手を広げており、その拠点として、水資源が豊かで物資の補給もしやすい、我が故郷を狙っているという情報を聞いたのである。


「おまえ『名無しの国』って知ってるか」

「あー『世界中の人は言葉によって一つになれる。神が作った世界に国境は無い』とかいう信念の元に、国名を捨てたバカな国だろ」

 騒がしい酒屋で働いていたパトリアは、テーブルの一つから、故郷につけられたあだ名と、聞き覚えのある教義が飛び出したのを聞き逃さなかった。

「あそこにイグニス国が、五万の兵を連れて侵攻するらしい」

「いくらなんでも五万の軍隊は大げさすぎないか。あの国の人口と変わらないじゃないか」

「そもそも名無し国を取るためだけの軍隊じゃないからな。その先にある別の大国、ヴェンタス国と戦争をするための軍隊だよ」

「名無し国には、まともな軍隊すらないんだろ」

「どうして」

「大昔にヴェンタス国から攻められた時に、当時王政を敷いていた名無し国は、激しく抵抗して大勢の犠牲者を出した。その後降伏して、ヴェンタス国の統治下になったんだが、その統治の仕方がゆるく、最終的には自治も認められ、結果的に名無し国は戦前よりも発展した。

 そのおかげで世論は『だったら最初から、抵抗なんかせずにさっさと降伏すればよかった。犠牲者がたくさん出たのは、王様が「国を守れ」などと国民を先導したせいだ』という方向に傾いた。そうして国民は、王様をその座から引きずり下ろして、世界平和革命派を名乗る教会を祭り上げた。ついでに王政と一緒に、国名と国防も捨ててしまった」

「しかし今度攻めてくるのはイグニス国だ。ヴェンタス国のように穏便にはいかないだろう」

「イグニス国は残忍だからな。征服された国の人間なんて、同じ人間だとは思わない。名無し国のやつらは、財産や資源を差し出すだけじゃ許されないだろう。全員もれなく、ただ殺されるより、ひどい目にあう。子供は売り飛ばされ、女性は凌辱され、その他はことごとく、年寄りだろうが病弱だろうが、弾除けの肉の壁として前線に送られる。逆らったやつは、見せしめとしてみんなの前で生皮を剥がされる」

「ま、いいんじゃないか。名無し国のやつらの考えじゃ、どんな人間とも分かり会えるらしいからな。『残忍なことをする気持ちも分かる』と言って、喜んで財産もその身を差し出すんだろうよ」

「名無し国のやつらは、国防に精を出す俺達、周辺の小国を野蛮だといって、馬鹿にしていたからな。いい気味だよ」

 そのテーブルにいた一同は、声をたてて笑った。

「その軍隊はいつ到着するんだろうか」

「一ヶ月後らしい」


 こうしてパトリアは、その夜のうちに月光を頼りに馬を駆り、危機を知らせるために故郷を目指すことになったのである。

 パトリアには、ソルとステラという男女の幼馴染がいた。子供のころから、何をやっても人並みにしか能力を発揮できないパトリアに比べ、二人は勉強をさせれば一を聞いて十を知り、人望も厚く、それでいて謙虚で、体力のいる仕事を任せれば、誰よりも率先して働いた。

 パトリアは、ステラに淡い恋心を抱きながらも、自分では彼女に相応しくないし、きっとソルが彼女と結婚するんだろうと思っていた。しかし、まったくそうはならなかった。

 大人になるに従い、ソルとステラの間で、喧嘩が増えていったのである。原因は、政治的、宗教的な信念の違いだった。ステラが聖職者を目指して教会に入り、ソルが国防の必要性を訴えて国軍を復活させたのをきっかけに、二人の不仲は顕著になった。

 「名無し国」の教会の教義で一番大切にされていることは、武力を捨て言葉の力を信じることだった。言葉を話すすべての存在は、お互いを理解する可能性が常に開かれており、真摯な話し合いの末に、皆は一つになり、世界には恒久的な平和が訪れるはずだというのが、その骨子である。その理想世界には当然、国境も身分差も無く、あらゆる民族も宗教もそれぞれの価値観の違いを乗り越えて、お互いを理解し共存している。

 そんなことは所詮、絵空事で、話の通じない連中には、連中の道理に従い武力で対処しなければならないこともあると考え、人を集めて軍事訓練をはじめたソルとは、まったく意見が合わないのも無理はなかった。

 彼が繰り返した主張はこうだった。

「『価値観の違いを乗り越えてお互いを理解する』ってなんだ。『価値観』って個人や民族や宗教の根幹をなす一番重要な部分だろ。そこが折り合わないやつを理解するって、一体何を理解してるんだ、論理的に不可能なことを、きれいな言葉でまるで実現可能な理想のように見せかけているだけじゃないか」


 教会の教えに慣れ親しんでいる名無し国の人々は、ソルの主張に耳を傾けようとしなかった。そして、他者を排斥するような考えで若者を誘導し、物騒な訓練を始めた彼に、白い目を向けた。人々の幼馴染に対する評価が下がったことで、パトリアは彼に対する劣等感から少しだけ解放された。しかし同時に友人の没落を喜んでしまった自分に嫌気がさし、国を出た。



 しかしそんな感傷的な思惑も、故郷の危機を前にすべてどこかへ行った。故郷というのは、遠く離れている時の方が、かえって意識してしまうものである。自分を育んだ故郷。少々呑気すぎるが、優しい人であふれた故郷。なにより、大事な友人のソルとステラがいる故郷。あの国の危機を救ってくれるなら、言葉でも、軍隊でも、神でも悪魔でもなんでもいい!


 夜通し走って祖国へ到着した彼は、懐かしむ間もなく馬を降りた。すると彼に気付いた顔見知りが、こちらに走ってきたので、何はともあれ急報を告げようと思った。しかし向こうから先手を打ってかけられた言葉に、その気を無くしてしまった。

「パトリア、おかえり。ステラの葬式に参列するために戻ったんだろう」


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