6.罪③
主人公の養父は天使の召喚者だった。
一方、地獄では島民を滅ぼす計画が立てられる。
私が帰宅した頃には、日は沈んで空にはすでに星が見えました。
「ずいぶん遅かったじゃないか……心配したぞ……ちょっと言い過ぎちゃったのは、父さんも悪かったって反省しとったんじゃ……」
私は養父の家である質屋の店先から、奥の自宅部分の板間に草履を脱いで上がりました。
養父は、竈門の前に立って明日の夕飯の作り置きを作っていました。
「私こそ言い過ぎたわ、ごめんなさい……きっと山の神様も、お父さんがヨモギを誰かに譲ったことは、ちゃんと見ていてくれるわよ……」
「そうじゃな……一回は見逃してやろう……茜、早くご飯食べちゃいなさい……レミエルも一緒にな」
今日の夕飯は、いつも通り昨日の作り置きです。
私がお膳を並べていると、兄が襖を開けて出てきました。今まで寝ていたのか、ほっぺたに畳の跡がついています。
「遅かったな……お腹減ったぞ……」
「ごめんね……今日ね、お兄ちゃんと同じ様に、羽が生えてる子に会ったのよ」
「なんだって」
兄は半開きだった目を急に大きくして、私に詰め寄りました。
「どうしたのよ。きっとお兄ちゃんや私のように、大きな島から来た子でしょう」
「おまえ、まだ私が本土から貿易船に乗ってきた一家の息子で、何らかの事情でこの島に置きざりにされて、七之助に拾われた人間の子供だと思ってたのか」
「……そうじゃないの」
「この際だから言っておく、私は人間ではない。天国からやってきた天使だ」
「天使って何」
「神様に仕える偉くて善良な存在だ。神様と言っても、この島の山の神様みたいに、規模が小さい存在じゃ無いぞ。私の神様は、全人類に自分の教えを適用したいと願っている存在だ」
「……あの子も天使だったのかしら。片羽はあなたと同じ白鳥だったけど、もう片方はカラスみたいだったわ」
天使の兄はため息をつきました。
「それは天使じゃない。悪魔だ。そいつは非常に悪い存在で、関わるとひどい目にあうぞ。まあ、私と一緒の時なら問題ないが……一人の時に近づいちゃいけない」
養父と私は、昨日からすでによそってある冷えた煮物と、三日前に炊いた、白米を極限まで減らした冷たい雑穀米を、お膳に乗せました。養父に言わせると、料理は大量に作り置きするのが、一番燃料費ががかからないそうです。その上、どんなものでも仕事というのは、早め早めにこなしていくのが最善と考えているので、彼は、その日のご飯を、その日になってから作るなんてことはせず、必ず前日より前に作り、私にもそのように指導しています。したがって私達は、できたてのご飯というものを食べたことがありません。
「そういやあレミエルの正体を、おまえには言ってなかったなあ。どうやら父さんがうっかり呼び出しちゃったばっかりに、この子はわしの寿命がくるまで、自分が住んでたところに帰れなくなっちゃったらしいんじゃ。かわいそうで、見捨てられん。それに、きちんと教えてやれば、いずれこの子も島のために仕事ができるようになるじゃろう。人材は最重要投資。これは山の神様の教えじゃ。そういうわけで、今までわしが面倒を見てきたのじゃ。
言っても理解できんと思って、今まで黙っておったんじゃが……気がつけば、おまえももう二十歳じゃからなー。早く教えてあげればよかった……よく考えてみい、レミエルと十五年以上一緒に生活しとるのに、全然成長しとらんじゃろ」
「……そういえばそうね」
私がこの家にきた時、確かに兄は私よりも年上のように見えたのですが、いつの間にか私だけが成長して追い抜いてしまいました。今では、兄というより弟のようで、不器用な兄の身支度を手伝うのは私の仕事になっています。
この島以外はどこだって異世界の私には、今さら兄が人間であろうとなかろうと、どこの出身だろうと、あまり感慨がありません。兄は兄です。私が冷たい里芋をつつきながら、思い出していたのは、今日海岸で会った彼のことでした。一体、悪魔とはどういうものなのでしょうか。
※
再び五臓六腑(地獄)、ベリアルたちのいる広場。
「えー、これまでの話し合いで決まった作戦の概要を確認します。題して『山の神様乗っ取り作戦(Y.N.S)』です。
まず島全体に音声が届けられる拡声器を使い、山の上から島民共に向かって、「我々こそが山の神様」であると宣言します。島民共は、最初のうちこそ信じないでしょうが、適度な脅しと、口八丁手八丁で、日に日に信じざるを得なくなる方向へもって行き、互いの対立を煽っていきます。
そうしながら、ベリアルの召喚者である茜さんにだけ分かる仕方で、我々の正体を仄めかします。
島民の信仰心が完全に歪んだところで、ベリアルの号令とともに、彼らに殺し合いを始めさせます。
そうなれば、人間社会に帰る場所を失った茜さんは、自分の望みを叶えてくれた悪魔のもとに、喜んで馳せ参じることでしょう。めでたし、めでたし」
「完璧じゃないですか。ベリアルさんの声を毎日聞かされて、堕ちない人間なんて、いないですもんね」
ベリアルは、計画の全容を聞きながら、そこで課せられる自分の仕事について、拒否しようとタイミングを見計らっていた。そして、ちょうどその話題が上がったので、慌てて口を挟んだ。
「俺は毎日の演説はやらない。俺は、一対一で相手をたぶらかすのは得意だが、大勢に向かって長々と話をするのは苦手だ。原稿は俺が考えるから、実際に話すのは、アムドゥシアスがやってくれ。最後の殺し合いの号令だけは、俺がやらなければ呪いがかけられないだろうが……」
「了解した」
「たしかに、一人を言いくるめるのと、大勢を一度に説得するのとでは、ノウハウが違うわね。原稿の草案も、ベリアル一人が考えるんじゃなく、その道のプロの意見も聞いたほうがいいんじゃないかしら」
「なんだ、その道のプロって」
「いるじゃないですか。ほら、ベリアルさんの幼馴染の『地獄一の弁論家』が……」
デカラビアの示唆に応じて、皆はしばらく当該の悪魔について考えた。
「……そういえば、あいつ最近、召喚先で犬になったらしいぞ」
「どういうことよ。カイムって、ツグミの悪魔でしょ」
「遠慮深い変態の考えは、俺にはわからん……まあ、あいつのことはひとまず置いといて……ベリアル、ソロモンの指輪は持っているか。目下の課題は、それを召喚者に渡し、おまえだけでなく、俺たち全員を人間の世界に召喚してもらうことだ」
ベリアルは、ふところから年代ものの金の指輪を取り出した。
「分かってる……今夜渡す」




