4.世界⑩
クロセルのプロポーズ。
カイムは今回の召喚を終えた。
私が山菜採りから帰ると、クロセルがいつになく神妙な顔をして待っていました。どうしたのか聞くと、真っ青な美しい羽を一本、黙って私に差し出しました。
「何これ」
私は受け取った羽を、日にかざしつつ聞きました。
「私の羽です。十年に一本くらいの割合で、真っ青なのが生えるんです。多分何らかの原因で、色素が薄くなったんでしょう。私の羽は、一見真っ黒のように見えて、実はものすごーく濃い青なのかもしれません。人間で言うところの、白髪みたいなものでしょうな」
「なんで私が、あなたの白髪をもらわなきゃならないのよ」
「ごもっともです」
彼は、真顔で黒と緑の目で私を見つめたあと、開けた障子から見える初冬の白い空へ視線を逸らしました。
「ごもっともですが……悪魔にとって、白髪になっていく人間というのは、とても美しく見えるんです……歳を取らない私たちから見ると、歳を取った人間というのは、私たちが何千年生きても、到達できない何かを悟っているような……そんな風に見えるんです……」
そして、横顔をこちらに見せたまま、一呼吸置いて続けました。
「私はあなたが白髪になっていくところを、ずっとそばで見ていたいんです……藍さん……私のために、この島から一緒に逃げていただけませんか」
私は顔が赤くなったのを気づかれないように、わざと少し声を出して笑いました。
「……それ、結婚の申し込みのつもり?」
「……はい……」
「一体私で、何回目なの……」
その瞬間、私は自分の身体が数秒間、金縛りにあったように感じました。その間、周囲と自分の間に薄い水の膜が張られていく気がしました。ようやく動けるようになったので、辺りを見回すと、景色がすべて何となく青みがかって見えます。クロセルを見ると、彼は口を動かしていますが、何を言っているのか聞き取れません。
「……初めてですよ……」
黒い悪魔が一番大切なものに向かってつぶやく直前、覚えのある感覚に襲われた彼は、自分が誰に包まれたか、その人が何をしようとしているのか悟った。弟子は、古の師匠に、聞こえよがしに、大きなため息をついた。
「……ねえさん……いらっしゃると思いましたよ……前も申し上げた通り、そろそろあなたは、私に回したこの腕を解いてくださってもいいんじゃないかと、思っているんです……昔、クロセルと呼ばれた悪魔は、ひょっとしたらあなたのことが好きだったのかもしれません……でも、今の私は、あなたの記憶が一切ない。今のクロセルはすでに、あなたににかまっていただける資格を、完全に失っているんですよ」
※
休み時間、地獄に帰ったロセルが広場にいくと、オリアスが鐘楼に寄りかかっていた。深刻そうな様子である。
「クロセル……カイムがね……帰ってきたの……」
「帰ってきた」つまり、召喚者が亡くなって、召喚から帰ってきたということである。
「そうですか……」
クロセルは彼女の隣に寄りかかった。
「カイムさん…また、すごく泣いてましたか……」
「…それがね……帰ってきた時には、もう泣いてなかったの……すでに散々泣いた後みたいだったの……様子が変なの……」
オリアスによると以下の通りである。
彼女が広場へ行くと、へたり込んでいるカイムを見つけた。オリアスが友人の元へ駆けつけると、服装は乱れ、口元は真っ赤で、目は泣いた後のように潤んでいる。
「……オリアス……ただいま……今度の召喚は終わりだ……」
彼は震える声で言い終わると、放心した。彼女はしゃがんで、うなだれている彼の両肩を掴んだ。
「カイム……どうしたの……その格好……ジュリエットの最後の願いと関係しているの……」
しばらくの沈黙の後、ようやく返事がした。
「……美味しいと……思ったんだ……リンゴみたいで……最高に幸せな気分だった……最低だろ……」
「どういうこと?」
友人が答えずに、その場で動かなくなってしまったので、オリアスは彼に肩を貸し、どうにか自宅まで連れ帰った。そしてカイムをソファに座らせると、タオルを濡らして渡してやった。
彼は、大事に抱えていた小さい箱をサイドテーブルに置き、ネクタイを外して放り投げると、受け取ったタオルで顔を覆い、また動かなくなった。心配になったオリアスが、肩に触れようとすると、ようやく声を出した。
「……オリアス…ありがとう……申し訳ないが、出て行ってくれないか……しばらく、ジュリエットと二人きりになりたいんだ……」
オリアスは、咄嗟にどういう意味なのか聞こうとしたが、飲み込んで静かに友人宅を後にした。
事情を聞き終わったクロセルは、しばらく考えた後、ため息をついた。
「……そうでしたか……召喚先で何があったのか分かりませんが、立ち直るのにしばらくかかりそうですね……」
「おもしろがって見に行っちゃだめよ」
「行かないですよ……」
「……クロセル…あなたは、召喚者とはうまくいってるの」
「……どうですかね……」
「……あなたは召喚者に対していつも一歩引いていて、一見とても冷たようだけど、カイムみたいに全身全霊、相手にのめり込んでしまうよりも、ひょっとしたら正しいのかもしれないとも思うの……」
「……でも、正しくない場合もあるようです……何しろ……今の私が向き合わなければならないのは、「世界」なんですよ……」
オリアスは首を傾げた。
「……自分の存在を誰にも認めてもらえず、不安で仕方がない「世界」を救えるのは、彼女に作ってもらった幻覚だけなんです……」
少女の悪魔は、ますます首を傾けた。
「我々が人間を好きになる限り……好きな人を失う時が、必ず訪れます。彼らとの邂逅で我々は一度満たされますが、それは失った時の渇きと紙一重です。私が召喚者が亡くなっても泣かないのは、大事なものを失ったんだっていう事実を作りたくなかったからです。しかし喪失への恐れから、彼女の手を取ろうとしないのは、彼女よりも自分の崩壊を恐れたわけですから、裏切りでもあったわけです……」
「……わかった、もしもあなたが泣く時が来たら、ちゃんと慰めてあげる……でも友達ができることは限られてるのよ……あなたは自分で乗り越えなければならない……」
「ええ…覚悟はできてます……ところで小さいねえさん、私もあなたのお話を聞いて差し上げることはできるんですが」
「私の話?」
クロセルは遠くを見た。
「……ずいぶん前にジュリエットさんが羨ましいとか言ってませんでしたか……何か思うところでもあったのかなって……」
「……ひょっとして……私がカイムを好きになったと思った? ……怒らないで……違うの……」
「なんで私が怒るんですか」
「あなた、自分以外の悪魔が、カイムを少しでもからかうと、すぐ不機嫌になるじゃない。その反対に、あなた以外の悪魔が、カイムをあなた以上に好きになるのも、許せないんだと思ってた」
「カイムさんは、私の持ち物ですよ。自分の持ち物がぞんざいに扱われたら、誰だって怒るでしょ。その一方で、持ち物が誰とつがいになろうが、知ったこっちゃないです」
「……あなたのカイムに対する感情は置いといて、私が恋をしているのは、彼じゃないの……カイムもクロセルも、世話が焼けるけど、大事な友達だと思ってる……でもこの人しかいないっていう感じとは違う……」
「世話が焼けるのは、カイムさんだけでしょ」
「あなただって、それなりだよ」
「そうですかねえ」
「それで、ジュリエットさんが羨ましいと言ったのは、好きな人にもの凄く好きになってもらえて羨ましいっていう意味」
少女の悪魔はしばらく黙って考えた。それから遠くを見つめたままつぶやいた。
「……ねえ、自分に全てを捧げてくれる人がいて、自分もその人が好きになって、短い時間にたくさん愛し合って、あっという間に亡くなる人間と、何百年も絶対叶わない片想いをし続けている悪魔って、どっちが幸せなのかな……」
「……比較するだけ無駄でしょう……片想いが必ずしも不幸ってわけでもないです。客観的な尺度なんて、くそくらえですよ」
「……そうだね……ありがとう……私もちゃんと自分の気持ちと向き合わなきゃね」
少女姿の同僚が去った後、黒羽の悪魔がため息をついてぼんやりしていると、ゴモリーが走ってこちらに向かってきた。
「あ、いたいた。クロセルー」
「ああ、大きい姉さん……」
彼女は、膝に両手をついて息を整えた。
「君に、報告しなきゃいけないことがあるの」
「あなたも何かお悩みですか」
「違うよ。あのね、昨日また、お師匠の声がしたの。お師匠、ずっと泣いてるみたいだった」
「……そうですか……昨日、呪いが発動しました……」
「やっぱり……」
「私は、藍さんと会話することが一切できなくなりました」
「……また……呪いに抗わないの……」
「いえ……いい加減、鬱陶しくなったところなんで、今度はちょっと抵抗してやろうと思っています……」
「……そうなんだ……でも覚悟はしなきゃだめだよ……これ以上、君が彼女を求めたら、お師匠は君を消してしまうかもしれないよ…」
「……わかってます……ありがとう。でも私もそろそろ、自分が誰の幻覚なのかは、自分で決めたいって思ってるんです。
私、しばらくここへは帰ってこないです……今、自分が好きな人と、昔の自分を好きになってくれた人、両方と向き合わなければならないので、忙しくなりそうです…」
「きっと大丈夫だと思う。君の覚悟が分かれば、お師匠も君が誰かのものになるのを、諦めてくれるよ」
「まあ、せいぜい、あなたにお赤飯炊いてもらえるように、がんばりますよ……」




