1.秘密⑪
「秘密」の最終話。ジュリエットが悪魔に告げた「最後の願い」。二人が初めて結ばれてから数日後、少女の肉体は終わりを迎える。
十日以上生死を彷徨った後、私は久しぶりに恋人とベッドに入りました。私は着替えの時、一番たくさんレースがついたネグリジェを選びました。綺麗な衣装に反して、いつの間にか私の身体は今まで以上にやつれていました。腕なんか骨と皮です。彼は、私の見た目を気にしてはいません。しかし、二人の残り時間については、すでに察してくれているでしょう。ガリバーもオデュッセウスもすでに長い旅を終えました。
今日も窓から月光が差し込んでいます。窓の外の白い雪を被った林は、今日に限って、私たちのこの小さな世界を守ってくれる重要な城壁のように見えます。窓台のクリスマスローズ。ベッドに身を起こして、横にいる恋人と触れ合っている肩の感触。この瞬間、私に感じられる物すべてが愛おしいと思いました。
私は手を伸ばして、悪魔の耳に触れました。
「あなたの耳についているたくさんのピアスって、誰かからもらった物なの」
「ああ、左耳についてるクジャクの羽のは、知り合いの悪魔から押し付けられたものだが、右耳にたくさんついているのは、みんな私を呼び出した人にもらった物だな」
「一番古いのは、いつのものなの」
「縁についている金色の輪が一番古い物だが、残念ながら、いつ誰にもらったか覚えていない。私の記憶力は三千年が限界だ。その横のピラミッド型の透明な石がちょうどそのくらい前のもので、私が覚えているものの中で一番古い。くれたのは、私を息子のように可愛がってくれた男性だった」
「ねえ、枕元の引き出しに小さな箱が入っているからとってくれるかしら」
彼は言われた通りに、手を伸ばして引き出しを開けて、ベルベット生地のケースを私の手に置きました。私はふたを開けて、青い宝石が一粒ついたネックレスを彼に見せました。
「これ、私の宝物なの。綺麗でしょう」
「……そうだな……」
私は、私の手元を覗いている、彼の耳にささやきました。
「あなたは知らないでしょうけれど、この石、あなたの瞳と同じ色なのよ。あなたの右目は、こんなに綺麗な色をしているのよ」
私が箱を渡すと、悪魔はしばらく宝石を見つめていました。瞳が潤んで光っていたので、彼が嬉しかったらしいことがわかりました。
「それ、あなたにあげるわ。私がいなくなったら、真ん中の石を取り出して、ピアスにしてあなたの耳にもう一つ追加して頂戴」
私は、彼の耳に青い宝石がついているところを想像しました。当然、その横に私はいません。確実にそれは近い未来、現実になるでしょう。私の恋人はしばらく黙った後、ようやく震える声でつぶやきました。
「……こんなものがなくても三千年間なら、おまえのことを忘れはしないがな……」
「でもこれがあればその三千年の間に、あなたはいやでも時々私のことを思い出してくれるでしょ」
「……わかった。約束する」
彼は、ネックレスの箱をベッドの端に置くと、しばらく考え込みました。私はほっぺたを触って邪魔をしました。それから、彼が何かを言う前に、恋人の首に両腕を回しました。
「……ねえ、カイム……今から私を魔女にして……」
返事はありません。
「……私、最後のお願いを考えたの。ねえ、最後のお願いって、多少の無理は叶えてくれるんでしょう」
「……ああ」
「……私が死んだら、私の魂を食べてほしいの……」
「どういうことだ……」
「そのままよ、私の魂をあなたのお腹におさめてほしいの。でもいくら悪魔でも、初めてだったら、身体から魂を取り出してそれだけ食べるのは難しいでしょう……だから、あなたがそこに魂が入ってるって思った私の臓器ごと食べてちょうだい……身体を動かせなくなっても、あなたが食べてくれるまで私の魂は臓器にしがみついて、きっと待ってるから……」
彼はいつの間にか私を引き剥がして、私の両肩を掴んでいました。
「私、あなたに地獄に付き合ってもらうことにしたの。私たちはこのままでは、一緒の地獄には行けないわ。だって悪魔は、皆んなが信じている神様を裏切っても少しも罪を感じてないんだもの。悪魔が住んでいる地獄と、罪を抱えてる人が行く地獄って違うところなのよ。
だからあなたには、最愛の恋人を、自分で食べてしまったという罪を背負ってもらいます。そして私は、最愛の恋人に罪を背負わせたっていう罪を背負うわ。二人とも、神様の代わりに自分を裏切って罪を感じるの。そうやって私は地獄に閉じ込められて、あなたはこれから、生きながら私と一緒に同じ地獄を彷徨い続けるの。素敵でしょ」
私の悪魔はまだ、呆然としているようでした。
「……私、自分の魂が見えないの……神様にも、他の人にも誰にも見えてないみたいなの……でもあなたには、私の魂が見えてるんでしょう。だって、自分の魂の存在を信じられないあなたの魂が、私には見えてるんだもん……」
「それがジュリエットの願いなのか」
やっとつぶやいた彼は、歯を食いしばって何かを堪えてるようでした。
「そう……私が人生で咲かせた花は、すぐに枯れてしまうけど自分でも最高に美しいと思うわ」
私は悪魔の耳元に顔を寄せ、渾身の色気のある声を作りました。
「……あなたが食べた私の魂は、あなただけのものよ。だからいつでも好きなようにして……あなたが私を穢すことと、大事にとっておくことはほとんど同じなのよ……」
私はもう一度、恋人を抱いて、震える背中をしばらくさすった後、先程のセリフを繰り返しました。
「……カイム、今から私を魔女にして……」
それから、彼の肩に顔を埋めました。
「……身も心も全てを捧げるって言った女の子に、悪魔は何も見返りをくれないの……」
私はしばらく黙って、恋人の呼吸を身体で感じていました。
すると突然、私の身体が宙に浮くような感じがあり、景色が回転しました。
気がつくと、私はベッドに仰向けに倒れ、悪魔に身体を上から押さえられていました。天井を背景に、恋人がまっすぐ私を見つめています。優しい青の瞳も、怖い黄色の瞳も両方とっても素敵です。
「後悔はないか」
彼は静かにささやきました。
「ない」
「……部屋の鍵はかけたか……」
「もちろん……」
これ以降のことは二人だけの秘密です。強いて言えば、私は人生の最後に、人生最高の幸福を更新することになりました。まるで空を飛んでいるような、もしくは獣に変身してしまったような気分でした。
全て終わった後、仰向けになって交互に呼吸をしながら、二人で暗闇に潜む天井の幾何学模様を見つめていると、急に悪魔がうめき声を上げて泣き出しました。未だ宙に浮いたような震えが残る身体を動かして、私は恋人の頭を引き寄せました。恋人の頭を撫でながら、私も泣きたい気持ちになりましたが、悪魔が私の分の涙も全部流してくれたので、目からは何も出ません。代わりに私は、痙攣している自分の分身を、眠りにつくまで強く抱いていました。
それから私は数日に渡って、昏睡とわずかな目覚めを繰り返しました。もちろん魔女になったことが、原因ではありません。私の寿命です。意識が戻ると、必ず横にいる恋人が立ち上がって、私の手を握って、涙の跡が残る目で顔を覗き込みます。
これで、いよいよお別れだということを直感した時、私は声を絞り出しました。
「……カイム……睨んで……」
おそらく聞き取れなかったのでしょう。勘違いしたのか、私の悪魔は顔を歪めて格闘した末、目を潤ませたまま、口角を上げてくれました。これはこれで可愛いからいいことにします。目を閉じると、首すじに彼が歯を立てた感触がありましたが、キスをしたのか、早速食べようとしたのかは、永遠にわかりません。




