俺の音楽が騒音だって?
――大陸で最も優美な音の流れる街。
それが、オルダー王国の王都リパを指した言葉である。
その評価は、伊達や酔狂によるものではない。
道を行く人々の大半は、この国における代表的楽器――ヴァイオリンをむき出しで持つか、あるいは鞄に入れた状態で携帯しており……。
例えば、道に敷かれた絨毯の上で、優雅にそれを奏でたりしているのだ。
これはただ、思いつきで弦楽器の旋律に酔いしれているわけではない。
奏者が乗った絨毯……。
それが、しばらくするとひとりでに浮き上がり、奏者を乗せたまま空中を移動し始めたのだ。
よくよく見てみれば、絨毯の下を支えるように、無数の小さな光が集っていることへ気づけるだろう。
彼らは、精霊である。
その意思は、動物のそれと比べれば薄弱であり、言語などを用いて意思疎通することはできない。
ただ一つ、彼らと交信を図れる手段……。
それこそが、音楽なのだ。
しかも、精霊たちにとっては、耳にする旋律こそが食料にあたり、彼らのお眼鏡にかなうそれを提供することができたならば、見返りとしてこのように様々な恩恵をもたらしてくれるのである。
似たような光景は、街のそこかしこで……。
ばかりか、王都の外においても見ることができた。
例えば、新たな建物を建てようとしている建築現場。
柱や壁となる材料を上層部に運び上げるというのは、人力ならば非常に疲れる作業であり、時として危険を伴うそれでもある。
だが、精霊たちに頼めば、そのような苦労は無縁だ。
外構部に集ったヴァイオリニストが一列となり、おだやかな……そして力強い旋律を響かせる。
すると、街のそこかしこから小さな光がいくつも集まり始め……。
それらは、奏者たちの演奏により力を得て、対価として彼らの望む通り建築資材を運び上げてくれるのであった。
郊外に存在する、田畑においては……。
やはりヴァイオリンを手にした奏者たちが、哀しく……胸の奥底へと響き渡るような調べをかき鳴らす。
すると、田畑の真上には、これを聞きに来た精霊たちが光の雲がごとく密集し……。
まるで、感動の涙かのように、雨粒を降らしたのである。
水資源に乏しいオルダー王国で飢えに苦しむ必要がないのは、ひとえに精霊の力あってこそであった。
精霊の助けを得ているのは、何も生産的な事柄のみではない。
治安維持においても、同様である。
例えば、王都リパのほど近くに存在する森林地帯……。
そこで今、一人の旅人が恐るべき脅威に晒されていた。
……魔物である。
その魔物は、一見すれば、熊によく似ていた。
しかしながら、堂に入った直立二足歩行は、尋常な獣のそれではなく……。
両の前足に備わった爪も、もはや刃物と呼ぶべき硬度と鋭さを備えているのだ。
このような相手に狙われたならば、ひとたまりもない。
……通常ならば、である。
旅人の幸運は、この場に森林警備を司る奏者たちが駆けつけたことであろう。
森林内ということもあり、その装いは動きやすさと頑丈さを重視したものであった。
だが、手にしたヴァイオリンで奏でる演奏は、まさに優雅の一言。
鋭く、耳朶を穿つような調べは、しかしながら、気品と格調高さを失っておらず……。
聞いていると、この場に百の騎兵が現れたかと錯覚するような勇壮さである。
だが、実際に現れたのは、騎兵たちではない……。
風の流れへ乗るようにして集まり始めたのは、やはり多数の精霊光であった。
今度、精霊が素晴らしき音楽の返礼として生み出したのは――風の刃である。
真空によって形成された刃は、断頭台のそれにも匹敵する分厚さと切れ味であり……。
これを胴体に受けた魔物は、断末魔の叫びを上げながら倒れ伏すことになった。
移動、建築、農業、戦い……。
あらゆる物事に、音楽と精霊とが深く関わっている。
それが、オルダーという国であった。
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数百年の歴史を誇る聖楽堂内部には、音楽と精霊にまつわる様々な絵画、彫刻が存在しており、訪れた人々にオルダー王国の歴史というものを教えてくれる。
しかし、やはり目玉と呼ぶべきは大陸一の規模を誇る演奏場で、音の響きというものを緻密に計算し尽くした内部は、三万人もの人々を収容することが可能なのだ。
そんな演奏場の、天井部……。
眼下の舞台を見下ろすようにして、漂うモノたちの姿があった。
まず目を見張るのは、その巨体だ。
全長にして、十数メートルはあるだろうか……。
それが二名も浮いていると、広大無比なはずである演奏場の空間が、狭苦しくさえ感じられる。
かように巨大な存在であるが、姿形は、人間と変わらない。
強いていうならば、絶世の美男美女であった。
まるで、人の理想というものを形に押し込んだかのような……。
そんな存在が、大胆に肌を露わにした装束へ身を包んでいるのである。
観客席には、満員の客が押しかけているが……。
皆が皆、緊張した面持ちで、小声を発することすらないのは、彼らの存在が原因であると見て間違いなかった。
静寂を破ったのは、貴賓席へ座っていた初老の男である。
身にまとった豪奢な装いといい、頭に乗せた王冠といい、彼がこの国の王であることは疑いようがない。
だが、緊迫した表情であるのは、彼を睥睨する巨人たちが、より強大で……そして、神聖な存在であることを物語っていた。
立ち上がった王が、演奏場全体に響き渡るような朗々とした声で宣言する。
「それでは、これより……。
大精霊様に奉じる、音楽祭を開催する!」
あまりに、端的な開催宣言。
それがかえって、この音楽祭という催しの重要性を伝えてきた。
『王よ……。
毎年言っていることだが、そう、かしこまることはない』
大精霊と呼ばれた一方……巨大な男の方が、鷹揚にそう告げる。
『いかにも……。
私もバヤンジンも、ただ、一人の客として、そなたらの奏でる調べを楽しみたいだけなのだ』
巨人たちの内、美女の方が、七色にきらめく髪を手櫛にしながら同意した。
『ぐわっはっは!
ミロノヴァの言う通りよ!
今日は奏者たちの演奏を、皆で心ゆくまで楽しみ、大いに酔いしれようではないか!』
筋骨隆々な巨人がカカと笑うと、その音圧だけで押しつぶされそうである。
バヤンジンとミロノヴァ。
二柱は、このオルダー王国に君臨せし大精霊たちであった。
通常の精霊と異なり、その意思は極めて明瞭であり、音楽のみならず、言葉でもって語り合うことも可能だ。
そして、何より特筆すべきは――その力。
両精霊が行使する力は絶大の一言であり、長い歴史の中、王国は幾度となくその権能に助けられてきたのである。
まさに、王以上の王であり、国の象徴そのもの……。
それこそが、大精霊バヤンジンと大精霊ミロノヴァなのであった。
その大精霊たちに楽曲を奉じるというのだから、この音楽祭はまさしく国の威信をかけたそれなのである。
ゆえに、毎年のこととはいえ、王も緊張の色を隠すことはできず……。
「――それでは!
最初の奏者、キュリー公爵家の長男マディ!」
それでも、声を震わせることはなく、第一の奏者を呼んだのであった。
王に呼ばれ、一人の青年が演奏場に姿を現す。
身にまとった真紅のフロックは、オルダー王国の貴族にとって伝統的な装いであり……。
髪をカールさせているのもまた、古式ゆかしい貴族のそれである。
顔立ちは、精悍の一言。
この大舞台で、いささかの緊張も感じさせない胆力と合わさって、二十そこそこという若さでありながら、オルダーの貴族というものをその身で体現しているかのような青年であった。
『ほおう……一番手をマディが務めるか』
この抜擢に、バヤンジンが腕組みしながら笑みを漏らす。
『去年の演奏も、それはそれは見事なものであった。
これは、後に続く者がかわいそうではないか?』
同じように、ミロノヴァがイタズラ気味な笑みを浮かべた。
これは人間の食事でいうならば、メインの品を最初に供するようなものであるから、二柱が驚きをもって迎えたのは当然であろう。
「ほ、本人たっての希望でして……」
――よもや、気分を害したか。
そう考えたのだろう国王が、しどろもどろとなりながらそう説明する。
『ガッハッハ……!
結構、結構……。
我らを驚かせてみせようとは、見上げた心意気よ!』
『いかにも……。
これは、いかなる演奏をしてくれるのか、否が応でも期待が高まるな』
しかし、当の大精霊たちはといえば、この状況を大いに楽しんでいるようで、気を悪くした風もなく笑ってみせた。
それは、このマディという若き奏者に対する期待の表れでもある。
「で、では……。
マディよ! 演奏を始めよ!」
国王の言葉に、舞台上の奏者がこくりとうなずく。
そして、静かに……手にしたヴァイオリンを構えた。
選び抜かれた素材を、王都でも選り抜きの職人が加工したそれは、マディが幼い頃から愛用してきた逸品であり……。
これで奏でられる調べは、十歳の時から今に至るまで、毎年、大精霊はおろか詰めかけた観客たちも大いに魅了してきたものだ。
――今年は、どのような曲で魅せてくれるか。
あえて一番手を買って出た若き天才に、全員が期待を寄せたが……。
――イイイイイイイイイインッ!
次の瞬間、マディが俊敏な弦捌きでかき鳴らしたのは、全く予期せぬ音であった。
まるで、聞いた音がいつまでも耳鳴りとして鼓膜を震わせるような……。
およそ、ヴァイオリンで鳴らしたとは思えぬ音が演奏場に響き渡ったのである。
「……え?」
驚き、ぼう然となった国王のつぶやきは、すぐにかき消された。
誰かが、言葉を挟む余地もなく……。
舞台上のマディは、次から次へと同じような音をかき鳴らしたのだ。
いや、それだけではない。
「――――――ッ!」
マディは、歌っていた。
さすがは、名門キュリー家の跡取り息子と言う他にない。
歌うのは専門外であるはずだが、美声と称するべき声音ではある。
しかしながら、とにかく心の奥底にあるものを吐き出そうとしているそれは、歌声というよりは叫び声であり、いっそ、雄叫びと称しても差し支えないだろう。
しかも、この歌詞は……。
「これは……王家を批判しているのか?」
「いや、それだけじゃない。
先年に行われた、蛮族の討伐についても非難しているようだぞ」
「なんと、反骨的な……」
観客たちが、周囲の者にのみ聞こえるような小声でささやき合う。
そう、マディが歌っている内容は、ことごとくが現在の王政に対する不満を語ったものであり……。
あまりに……あまりに反社会的な内容であると、断ずる他になかった。
『………………』
『………………』
バヤンジンとミロノヴァ……。
二柱の大精霊が、押し黙ってマディの方を見る。
それが、眼下の演奏と歌へ聞き入っているからでないのは、能面のごとき表情から見て取れた。
「あ、あわわ……」
慌てふためく国王であったが、もう遅い。
演奏されている内容が内容とはいえ、神聖不可侵な舞台上へ割って入れる者などいようはずもなく……。
ついにマディは、歌い終え、奏で終えると残心の姿勢を取ったのだった。
「……センキュー」
一体、何に対する礼を述べているのか……。
ともかく、その言葉に応える者はいない。
『国王よ……』
『この、騒音はなんだ?』
代わりに、二柱の大精霊が王へそう聞いたのである。
「こっ……」
国王の反応は、劇的であった。
「こやつを、不敬罪で牢にぶち込め!」
わなわなと肩を震わせながら、そう宣言したのだ。
一方、不敬罪を言い渡された当の本人はといえば、涼しい顔……。
いや、やるべきことを果たしたという、充足した顔をしていたのである。
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その頃……。
聖楽堂の屋根には、無数の精霊たちが集まり、ちらちらと輝きを漏らしていた。
だが、それは毎年恒例のことであり……。
彼らが、一個人の演奏を特に気に入っていることへ気づく者は、存在しなかったのである。
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