流刑
優美な旋律と共に、大海原を駆け巡る……。
それが、オルダー王国式の航海術というもので、看板の上では弦、木管、金管、打楽器の各楽器が組み合わさることで生まれる複雑かつ重厚なな演奏が流れ、集った精霊たちを大いに喜ばせていた。
乗船した楽団の演奏に魅了された精霊たちは、そのまま帆に宿り、自然界の風では生まれ得ぬほどの推力を発生させ、速やかな航海に寄与してくれるのだ。
……それにしても、である。
「なんか、いつもより船足が速くないか?
いつもなら、もう少しゆったりと進むだろう」
ある水夫が、同僚とそんな会話を交わす。
実際、その勘働きは正確であり、航海士や船長など、船の頭脳と呼ぶべき役職の者たちは、顔を突き合わせて相談をしていたのであった。
だが、下された結論はただ一つ。
――奏者たちの調子が良くて、精霊も上機嫌なのだろう。
……このようなものだったのである。
二柱の大精霊相手ならばまだしも、通常の精霊というものは気ままに漂い、ただ音楽へ吸い寄せられてくるものなので、その真意を計り知れないのは致し方のないことであろう。
そして、もう一つ……。
船の首脳陣を、悩ませている問題があった。
「貴賓室の騒音、なんとかならないものだろうか?」
このことである。
船長の言葉に、幹部と呼ぶべき中間管理職の一人が難しい顔をした。
「不敬罪にこそ問われましたが、マディ・フレイ・キュリーは、かつて何度も大精霊様からお褒めを頂いた英雄……。
楽器を取り上げるのは、やはりどうかと……」
「幸い、貴賓室は他と隔離された場所に存在します。
他の罪人を騒がせる心配もありませんし、船員が立ち寄ることもそうそうないので、放置すればよろしいかと」
別の中間管理職も同意すると、船長が渋面を作る。
「船長室は、貴賓室の近くにあるのだが、それは要するに、わしが我慢し続ければよいということか?」
船長の言葉に、他の者たちが曖昧な笑みを漏らす。
それは、彼の言葉を肯定する行為に他ならなかった。
「まったく……。
罪人に堕ちたとはいえ、名門キュリー家の子息で、かつての天才でないならば、さるぐつわでも噛ませて他の罪人と一緒にぶち込んだものを」
「そんなに、やかましいのですか?」
忌々しそうに吐き捨てる船長へ、航海士がそう尋ねる。
「ああ、まあなあ……」
船長は漏れ聞こえた騒音を思い出すように、あごへ手を当てながら考え込んだ。
「別段、音程が外れているとか、不協和音であるとかはない。そこは、さすがに英雄と言うべきだろうな。
ただ、とにかく品がない。
しかも、歌っている内容も現在の王政を批判しているものなのだから、聞いていて気分が悪いわい」
「そういったものですか……」
航海士がうなずくと、船長はさらに続けた。
「しかも、あれを聞いているとあの日……大精霊様に奉じる音楽祭を嫌でも思い出す。
わしは、あの場にいたのだがな……。
あの後、楽堂内の冷え込みぶりときたら……。
大精霊様方は、続く演奏を聞いても黙して何も語らなかったが、それがかえって恐ろしかったものだ」
よほどに、そのことが怖かったのだろう。
ぶるりと身を震わせながら、船長が語る。
これは、それだけオルダー王国の人間にとって、二柱の大精霊が絶対的な存在であることを物語っていた。
「大精霊様の不興を買い、年に一度の音楽祭を台無しにするとは……。
まったく、死罪ではなく流刑で終わったのが不思議でならんよ」
「それだけ、過去の功績が大きかったということなんでしょうなあ」
船長の言葉に、中間管理職の一人が腕組みしながら答えたのである。
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その頃……。
貴賓室で愛用のヴァイオリンをかき鳴らしていたマディは、ようやく一息ついたところであった。
ふと、船窓を見やれば……。
そこには、いくつもの精霊光がちらちらと瞬き、果たして今の演奏にどのような礼をすればいいか、考え込んでいるのが伝わってくる。
「センキュー……。
礼なんかいらないぜ。
今のはただ、歌いたかっただけだ」
そう精霊に話しかける青年の表情は、晴れ晴れとしたものであった。
真紅のフロックは、音楽祭の時と同じものだが……。
カールしていた亜麻色の髪は、すでに野性味のある形に整え直されている。
「流刑地、か……」
船窓を覗き込んでも、見えるのは雄大な大海原だけであり、目的地である島はまだまだ先であった。
「そこから、また始めるさ」
そうつぶやいて、懐からペンダントを取り出す。
開いたその中にあったのは、年若き女性の肖像画……。
今はもう、この世にいない人間を描いたそれだ。
「落ち込んでなんか、ないぜ……」
強がりであることは自覚しながら、肖像画に向けて語りかける。
そうすると、どこか遠くの世界にまでこの声が届くような……。
そんな、錯覚へ浸ることができた。
「これからさ……。
俺は、世界をあっと言わせてやる」
物言わぬ相手との語らいを終え、ペンダントをしまい込む。
それで、休息は終わり……。
貴賓室には、騒音と断じられた演奏と歌が再び響き渡ったのである。
唯一の観客である精霊たちは、それを聞いて大いに輝き……。
求められたわけではないが、ひとまず、溢れた力を発散するべく船足を速めてやったのだった。
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グド島について端的に説明するならば、オルダー王国の植民地であり、また流刑地でもあるということになるだろう。
気候は熱帯性であり……。
産業としては、さとうきびやカカオ、コーヒーを栽培して加工し、これを本国に輸出している。
労働力となっているのは、主に――咎人だ。
オルダー王国本土において、罪人とされし者たちが送り込まれ、過酷な南国での労働に従事しているのである。
ただし、労働者の全てが罪人というわけではない。
罪の重さにより長さは異なるものの、一定期間、国から課された仕事に従事すれば、その後は晴れて自由の身となれるからだ。
だが、自由になったからといって、本国へ帰還することが許されるわけではなく……。
結局のところ、島内には初期入植者たちの二世や三世が溢れており、送り込まれた罪人たちと共に、産業へ貢献しているのである。
そのような土地であるから、港湾部は長年をかけて整備されており、王都と比べてもなかなかの賑わいを見せていた。
人足として雇われた男たちが、赤銅色の肌を晒しながら重たい積み荷を運び出すか、あるいは輸出される荷を運び込んでおり……。
漁船が使う区画では、取れた魚の鮮度が落ちぬ内に水揚げがなされている。
市場も人でごった返しており、水揚げされた魚介類はもとより、島内で生産された農作物や乳製品もここでやり取りされていた。
まさしく、島の台所としての役割を担っているのだ。
こうなると、オルダー王国本土と比べても負けずとも劣らずの発展ぶり……と、言いたくなるところであるが、ただ一つにして絶対的な違いがここには存在した。
……音楽だ。
本土においては、どこにおいても流れていた優雅な旋律が、ここにはなく……。
当然ながら、あらゆる産業が精霊の手を借りず、人力によってなされている。
――罪人及び、その子孫らに音楽と精霊の恩恵へあやかる資格なし。
……というのが、王家の触れであり、実際、島内には輸送のため訪れた船舶が連れてきたそれを除けば、精霊の姿が一切確認できないのであった。
そんな島の埠頭に、降り立つ男が一人……。
マディである。
「それでは、あらためて……。
罪人マディ・フレイ・キュリーに告げる。
過去の功績を加味し、他の犯罪者とは異なり、重労働を課すことはなし。
ただし、本国への帰還は許されないものとする。
よろしいか?」
左手に剥き出しのヴァイオリンを携え、右手では荷物のズタ袋を肩がけにした彼へ、係官が手にした羊皮紙の内容を淡々と読み上げた。
「オーケー。
要するに、この島で自由に暮らしていいわけだ。
なかなか、シャレた刑罰じゃねえか」
貴族の鑑とまで呼ばれた、かつての姿はどこへやら……。
あまりに気安く話す彼を見て、係官が溜め息を吐く。
「……ここは、罪を犯した者やその子孫が暮らす島です。
あまりのん気に構えていては、一週間と経たぬ内に死体となりますよ?」
「おっかないねえ。
だが、こちとら伊達や酔狂で生きてるのさ」
そう言い放つと、マディは島へ向けて歩み出した。
そして、これまで長旅を過ごした船には……。
ひいては、生まれ故郷である王国には……。
決して、振り返らなかったのである。




