貴族社会の建前と実際と
とまあ、そんな流れでサラ嬢と俺は二人で上級ダンジョンに挑むことになってしまったわけだが。
「いいですか坊ちゃま。お二人だからとて油断せず、慎重に慎重に!
一泊はもちろんのこと、二泊三泊当たり前のお心積もりでご準備なさいませ!」
などと、普段は重ねた歴史相応に温厚なご婦人である我が家の侍女頭が鼻息荒く俺に物申してきた。
普通ならば軽く聞き流すところだが、彼女とて武の家グロスヴァーグ家で侍女頭なぞ務めている女傑。
かつては上級ダンジョンでブイブイ言わせていたこともあったらしく、俺が幼少の頃は彼女にも鍛えられたもんだ。
「お、おう……」
だから俺としては頭が上がらず、曖昧に頷くしか出来ないわけだが。
侍女頭として、貴婦人としてその発言はどうなんだろうとも思う。
サラ嬢と俺は、婚約する方向で話は進んでいるが、一応まだ正式な婚約者ではない。
そんな二人が、ダンジョン挑戦とはいえ泊り前提の遠出をするのは問題があるのではないだろうか。
何しろ、俺達のお付だとかが付いてこれるのはダンジョンの入り口まで。
そこから先はパーティメンバー、つまりサラ嬢と俺だけになる。
……改めて考えると気恥ずかしいというか……いや、それ以上にこれ、問題ないか?
「な、なあ一つ聞いておきたいんだが。
男女二人でダンジョン挑戦っていうのは、世間体的に問題がありすぎないか?」
「今更ですか?」
「そうだよ、今更だよ! 悪かったな、そこまで気が回らなくて!」
心底呆れた顔で侍女頭が言う。
くっそう、俺を小さい頃から知ってるだけあって、容赦ってものがまるでない!
ここから更に舌鋒鋭く畳みかけられる予感しかしないが、かといって気づいた以上聞いておかないわけにもいかない。
……女性とダンジョンに挑むなんて完全に想定外だったから、この辺りの機微なんて学んでこなかったしなぁ……。
そんな俺をしばらくジト目で見つめた後、侍女頭が口を開いた。
「とはいえ、朴念仁が服を着ているような坊ちゃまがそこに気が付かれたことは評価いたしましょう」
「別方向に容赦ないなぁ!?」
元々わかっちゃいたが、最近改めて自覚することが増えて、一応自分なりに気をしていたところを的確に突いてくる。
それだけ俺のことをわかっているということの裏返しでもあるのだが。
「さて、ご質問に対して回答いたしますと。
実は世間体的には問題になりません。建前上は」
「……建前上は? どういうことだ?」
「考えてもみてください。二日以上かかるようなダンジョンに二人で挑んで、よからぬことを起こせるような余力があるはずがないでしょう。
坊ちゃまならともかく」
「最後の一言は余計なんだがな!? 俺だって大した余裕なかったっての!」
「ソロで踏破をした方が何をおっしゃいますやら」
ちくしょう、ああ言えばこう言う!
口じゃ侍女頭に勝てる気がこれっぽちもしねぇ……。
つか、稽古でだって今でも油断したら一本取られるしな……。
「ともあれ。たとえ魔力豊富な貴族であろうとも、普通の、一般的な、常識の範囲内にある鍛え方であれば、一日の終わりには精も根も尽き果てているのが当たり前ではあります」
「……なんだかまだ遠回しにチクチク言われてるように思うのは、気のせいか……?」
「気のせいです」
さも当然とばかりに力みのない、同時に容赦もない口調ですっぱりと言われて、俺はそれ以上の追及ができない。
力技なはずなのに、そうは思わせない。こんなところにで年の功を痛感させられるとは。
「……坊ちゃま?」
「いや、なんでもないぞ?」
ジロリ、とした目を向けられて、俺は慌てて目を逸らす。
危ない危ない、ご婦人相手にこの手の表現は避けるに越したことはない。
まして彼女相手であれば、内心であっても。
改めて自身を戒めてから、俺は小さく咳ばらいを一つ。
それから、話を元に戻す。
「ともあれ、話はわかった。そういう前提がある以上、そうだったとするのが建前でありマナーではあるわけだ。
実際、どうだったかなんて腕利きの密偵でも送り込まないと確認できないし、そんなゴシップ探しに使うなんざ無駄遣いにも程があるし」
「その通りでございます。さらに言えば、二人で上級ダンジョンに挑めるような技量と魔力を持つ方が希少ですし、そんな方々を敵に回したい人間はそうそういない、ということもございます。
そもそも、二人で上級ダンジョンに挑むような信頼関係のある男女であれば、そうなったとしても問題ないことがほとんどでしょう」
「……まあ、そう、だろうなぁ……」
納得してしまって、思わず俺も頷いてしまう。
他家の貴族の立場に立って考えてみよう。
婚約話の進んでいる、次期王妃ほぼ確実な公爵令嬢付きの侍女であり、諜報に長けた家の令嬢であるサラ嬢と、次期国王の側近であり武門の家として名を馳せている伯爵家の令息である俺という二人の名誉を汚すような噂話を好き好んでしたがるかどうか。
……まあ、まともな貴族ならないわな。
まともじゃないっぽい侯爵に心当たりはあるが、あれは一般論で言えば例外だろう。
「とりあえず、世間体的に問題がないのはわかった。建前上は、というのが引っかかりはするが」
「それはもちろん、実際は起こるべきことが起こったのだろうと思われますよ、本音の部分では」
「ちょっと待てぇ!?」
相変わらずの口調で言われ、俺は思わず悲鳴のような声を上げる。
それはそうってもんだろう。
「結局ゴシップ扱いされるってことじゃないか!?」
「いいえ、ゴシップ扱いはされません。表立っては。そして表で言われないことなど、貴族社会においては存在しないこととして扱われます。
扱わない方が不調法と見なされますしね」
「まっとうな感覚の貴族としては、不調法扱いの方が怖いってわけか……いまだに慣れんな、そういうところは」
「学院を卒業するまでには慣れてくださいまし」
にべもない。
いや、侍女頭なりに発奮をかけてるってのはわかってるんだが。
前世庶民で今世は脳筋一族生まれな俺には少々荷が重い。そうも言ってられん立場に追い込まれつつあるのはどうにかならんもんか。
……ならんよな。
もう、俺の立場だとか世間体だとかは諦めよう、うん。
それはそれとして。
「まあ、慣れるよう努めるとして。俺の世間体と実際だとかもいいとしよう。
しかしサラ嬢の方がだなぁ」
「マルグリット様こそ望むところかと思いますよ? ですからこのようなお誘いをされたわけですし」
「ぐっ……そ、それは……そう、なんだよなぁ……」
言われて、反論などこれっぽっちも浮かんでこない。
そうなんだよなぁ。……いかんいかん、浮かれそうになっちまう自分を、必死に押さえつける。
しかし、無慈悲な侍女頭は、俺が態勢を整える暇を与えてなどくれない。
「ということですので、必ずダンジョン内で宿営を一泊はしてくださいまし。出来る限り長く、二泊三泊当たり前に!」
「だからなんでそうなるんだよ!? 普段の淑女ぶりはどこにいったんだ!?」
なんとか俺がそう言い返した瞬間、侍女頭がしゅっと真顔になった。
え、何。急に圧力が増したんだけど。
「実は、マルグリット家の奥方様お付を務めている侍女は、私の友人でございまして。
ことあるごとに言われるのです。『あの朴念仁はうちの大事なお嬢様をどこまで弄ぶつもりだ』という内容を、何重にもオブラートに包んだ貴族的言い回しで」
「弄んだつもりはこれっぽっちもないんだが!?」
「それは私としてもわかってはおりますが。ええもう、周囲の誰もがはっきりとわかるマルグリット様からの思慕に全く気付かない、そちら方面の感覚が死滅しているとしか思えない坊ちゃまのことをわかっている私ならば。
ですが、そうではない者から見ればどうでしょうか」
「なんか死刑宣告の前振りみたいになってないか!?」
何故だろう、トンプソン・トミーガンというサブマシンガンを突き付けられたような気持ちになったのは。
この世界に、そんなものは存在しないのに。
ちなみに、仮にも子爵夫人の付き人である侍女がそんなことを言っていたのだとしたら、伯爵家令息である俺がその気になれば普通に不敬罪で処罰することも可能である。
もちろん俺にそんなつもりはないし、侍女頭もそのことはわかっている。わかっているからこそのやり取りなのが俺もわかっているから、普通にスルー。
……彼女の信頼を損ねるのは、嫌だしな。
「まさか、私が坊ちゃまの死刑宣告などとんでもない。坊ちゃまのお子様をこの手で取り上げることこそが私が今抱く最大の望みなのですから」
「大分話が飛んだな!? ……いやそうか!? だから二泊三泊だとか言ってんだな!? 婚前交渉だとかそれこそまずいだろ!?」
「大丈夫です、問題ございません。時として神は愛し合う二人に奇跡をもたらします」
「うわっ、その言い回し、そういう意味だったのかよ!? 怒れよ神様、便利に使われ過ぎって!」
この国では、時に計算の合わない出産があったりする。
基本的に出産そのものはめでたいことなので深くは追及されず、大体はお祝いされてそのまま、だったりするのだが。
その時に使われるのがさっきの言い回しなわけで。
くっそ、これもまた貴族的本音と建て前ってやつかよ! いや、他人事なら大した問題だとは思わんのだが!
「もちろん、状況に応じて必要な情報工作などは私が責任を持って行いますので、坊ちゃまはどうぞお心のままに」
「できねぇよ! そんなこと言われたら、なおのこと節度あるお付き合いしなきゃって思うっつーの!」
ぐいぐいと追いつめてくる侍女頭に、俺は必死な声でそう言い返す。
その場の流れだとか、許されるからっていう言い訳があるからだとかでってのは、絶対に嫌だ。
そんな気持ちから、俺は否定の言葉を発したのだが。
すると、意外なことに侍女頭からの圧力が唐突に消えた。
「左様でございますか。でしたらなおのこと、坊ちゃまのお心のままに」
そう言いながら見せた侍女頭の微笑みは、本当に柔らかく、心からのもので。
「お、おう……わ、わかっ、た……?」
その意味するところがいまいちわからなかった俺は、そんな曖昧な返答しか出来なかった。
※随分と間を空けてしまいまして、申し訳ないです!
これからまた更新を再開していこうと思います!
また、ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
もしも面白そうだと思っていただけたら、ブックマークやいいね、☆評価などしていただけたら嬉しいです!
 




