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ある日、心臓病で自宅のベッドに寝込んでいたデイジーの元に、婚約者が来訪してきた。
「フィリップさん、こんにちは、お越し頂けて嬉しいです……ごめんなさい、こんな格好で……ごほっ」
「…………」
咳は病のせいではなかったが……デイジーが咳をするとフィリップは露骨にしかめ面をした。
「いまメイドに紅茶とお菓子を用意させますので……」
「必要ない。二人きりで話をすると言ってある。僕は断りに来ただけだからな。用が済めばすぐにでも帰る、こんなところ」
「用……?」
「お前との婚約を破棄させてもらう」
「っ⁉」
デイジーは目を見開いた。
フィリップは反吐が出るという顔をした。
「お前みたいな病弱な令嬢なんか、結婚しても意味がないからだ。初夜もままならず子供を生むことも難しく、何より僕の家まで病気になったら取り返しがつかない」
「そんな……私の心臓病は感染症じゃ……」
「子供に遺伝したらどうする。ま、お前に子供は生めないがな」
「……っ!」
デイジーはショックを受けて、二の句が継げなくなってしまう。
「お前なんかといたら俺達家族にまで迷惑が掛かるんだよ。病気持ちの家だってな。僕の家に傷が付くんだよ」
「……っ」
「僕の両親もお前と婚約させたことを後悔していた。お前の両親にもこのことは既に通達している。僕がわざわざここまで足を運んで、お前に言ってやるだけありがたいと思え」
「…………」
「じゃあな。ま、どーせお前は直に死ぬから二度と会うことはないが」
最後にそう言って背を向けると、男は部屋から出ていった。
独り取り残された室内で、デイジーは膝を抱えるようにして泣いた。布団に涙の染みが広がっていった。
男の言葉は正しいと思ってしまったので、デイジーはなにも言えずに泣くことしかできなかった。
○
デイジー=イーザはイーザ伯爵家の一人娘だった。
妙齢になったころに両親によって婚約を結ばされたのだが、その直後に心臓病にかかってしまったのである。
無論、病気を治すための方法を両親は模索したのだが、なかなか手掛かりの一つも掴めていなかった。
ノス伯爵家のフィリップは婚約を結んだ当初こそデイジーの元を訪れて、彼女を可愛いや美しいや可憐だと褒め称えていた。病気に罹患した最初のときも、
『すぐに治るさ』
と楽観的に捉えていた。
しかしその病気が治りにくいものだと分かってくると、次第に態度を冷たくしていき、デイジーの元には訪れなくなっていった。
そうしてしばらくぶりに再会したのが先日のことであり、そのときにデイジーに婚約破棄を言い渡したのである。
「娘の様子はどうだね?」
デイジーの父親が、彼女の世話をしているメイドに尋ねる。メイドはデイジーを不憫に思っているように、目を伏せて答えた。
「あれから……婚約破棄を言い渡された日から、お嬢様は前よりもいっそう寝込んでしまっておられます。以前はときおり散歩や読書などもしておりましたが、いまは……」
「そうか……」
「お薬もお飲みになられなくなってしまいましたし、このままでは本当に死んでしまうかも……あ、申し訳ありません……っ」
「いや、君の言う通りかもしれん……いま飲んでいる薬は、対症療法的に処方されたものだからな。特効薬ではないから……」
慌てて頭を下げるメイドに、デイジーの父親はそうつぶやくだけだった。
不安そうに顔を上げるメイドのことは気にしていないように、父親はぶつぶつと独り言をつぶやいた。
「誰か、人を呼ぶか……娘を何とかしてくれるような人を探して……」
そうしてメイドには目もくれずに、父親は屋敷の廊下を歩いていくのだった。
○
数日後。デイジーの住む実家の屋敷にて。寝込んでいる彼女の部屋のドアがノックされた。
「デイジー、起きているか? 今日は薬師の方に来ていただいたぞ」
父親の声に、しかしデイジーは答えない。頭は起きていたのだが、応答する気力が湧かなかった。
彼女の代わりにメイドがドアを開けて応答していた。室内に聞こえるように父親が言う。
「入るぞ」
父親とメイド、薬師とやらの足音がデイジーの耳に届いてきた。うっすらと弱々しく目を開けて、彼女は彼らを見る。
「お父様……私は……」
「この方が薬師の先生だ」
父親の紹介に、デイジーがそちらを見る。その薬師が一歩前に出て、自己紹介した。
「ファルマ=シークエンスです。以後お見知りおきを」
デイジーと同年代の若い男の薬師だった。
父親がデイジーに言う。
「シークエンスさんは凄い方でな、市販の素材を調合するだけではなく、自ら野外に出て薬の素材を調達してくるらしい。野生の動物や魔物に襲われても対処出来るように、知識だけではなく身体も鍛えているそうだ」
「その患者に最適な薬を調合する為には、市販品だけでは物足りないことがありますから」
恥ずかしがるわけでも自慢するわけでもなく、ファルマは淡々と答えた。
その彼の様子に、デイジーは元婚約者に似たような冷たい印象を抱いてしまう。
「……帰ってください。薬なら、いま処方されているもので十分ですから……」
「しかしデイジー、お前は……」
説得しようとした父親を制するように、ファルマが手を横に伸ばした。
「イーザさん、ここは私にお任せを。イーザさんとメイドさんは一旦ご退出をお願いします」
「シークエンスさん……?」
「私が説得してみます」
イーザとメイドは目を見交わせた。イーザがメイドに言いながらドアへと向かっていく。
「行こう。シークエンスさんにお任せしよう」
心配そうにデイジー達のほうを振り返りながらも、メイドはイーザのあとから廊下に出ていった。
ドアが閉まる。しかしファルマがなにか言おうとする前に、デイジーがぶっきらぼうに言った。
「説得なんて無駄です。いまあるお薬で十分なんですから、新しい薬師の先生もいりません」
「イーザさんに聞きました。デイジーさんは現在のお薬をお飲みになっていないとか」
「それは……私の口に合わないんです」
「だったら新しいお薬が必要でしょう。つまり私が必要ということになります」
「……っ」
デイジーはとっさに言い訳を考える。この男を帰すための口実を。
「か、掛かり付けのお医者様にお願いします。もっと飲みやすくて効果が期待出来るお薬を……」
「その医者がイーザさんに私を紹介しました。まさにいまデイジーさんが仰ったことを、私に期待して」
「……っ」
デイジーは口をもごもごとさせてしまう。とっさには言い訳が続かなかった。
その隙を見逃さずに、ファルマが言う。
「私がデイジーさんのお薬を調合するまでは、まだ時間が掛かります。それまではとりあえずいままでのお薬をお飲みになっていただきます」
「そ、それなら、貴方じゃなくても……」
「新しいお薬の調合には時間が掛かるものです。問診や観察などで、その患者に最適なお薬を作らなければいけませんから」
「だから、いままでのお医者さんでも……っ」
「これは今日の分のデイジーさんのお薬です」
ファルマが三角形に折り畳まれた小さな紙片を取り出す。デイジーの粉薬だった。
「もう飲む時間は過ぎているのに、まだお飲みになっていらっしゃらないと聞きました」
「そ、それは……このあと飲もうと……」
「そう言って、もう何日もお飲みになっていないとイーザさんが仰っていました。今日も私が来なければ飲むつもりはなかったのでしょう?」
「そ、それは……」
「もし飲みたくないと駄々をこねるのであれば、私が飲ませて差し上げます。特別に口移しで」
「っ⁉」
デイジーは目を見開いた。鯉のように口をぱくぱくさせている。
「な、な……っ⁉」
「ちょうどここに水差しもあるようですし。いま薬を溶かしましょう」
ファルマが部屋にあった小テーブルの水差しを手に取り、ガラスのコップにとくとくと注いでいく。そこに粉薬を入れて溶かすと、コップをデイジーへと持っていった。
「さあ、お飲みください。飲まないのなら、本当に口移しで飲ませます」
「……っ」
彼は真顔だった。デイジーが飲むことを拒否すれば、本気で口移しで飲ませるつもりらしかった。
ファルマは容姿端麗で、薬師になれるほどには頭脳も明晰である。デイジーの父親の話では、魔物と戦えるくらいには強いらしい。
だがしかし、だからといって初対面の男と唇を重ねることなど、デイジーには到底できなかった。
「わ、分かりました……飲みますから、口移しはやめてください……」
おずおずと彼女はコップを受け取る。
(……手が滑ったふりして落とせば……)
「ああ、ちなみに薬の予備はありますので、もし手が滑って落としてもご心配なく」
「…………」
彼女の考えを見透かしたように、ファルマは先回りして懐から紙片を取り出した。それも一つではなく、何個も。
「……私を信用してないんですね……?」
「いいえ。信じています。これはただの予備です」
「…………」
いまコップを落としても、今度は本当に口移しで飲まされるだけだろう。デイジーはこくこくと薬水を飲んでいった。
「よく飲めました」
「…………」
まるで小さな子供を褒めるように、そのとき初めてファルマは笑顔になった。
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