第一話 ママって何が得意なの?
「ママって、何が得意なの?」
夕食後のリビングで、娘の陽菜が何気なく聞いた。
私は思わず手を止めた。
「え?」
「だから、ママの得意なこと」
陽菜はソファに座りながら、ピアノ教室の宿題をしている。
本当に何気ない質問だった。
テストに出るわけでもない。
誰かを傷つける意図もない。
それなのに、その一言は妙に胸に刺さった。
「仕事……かな」
少し考えて答える。
すると陽菜は首を傾げた。
「仕事以外は?」
「えっと……」
言葉が続かない。
料理?
夫の方が上手い。
掃除?
苦手。
裁縫?
ボタン付けも怪しい。
運動?
学生時代から普通。
ピアノ?
陽菜の方が上手い。
ダンス?
もちろんできない。
私は三十五年間生きてきたはずなのに、自信を持って言える特技が見つからなかった。
「まあ、いいや」
陽菜は興味を失ったように宿題へ戻った。
だが私は戻れなかった。
心のどこかが引っかかっていた。
「今日のハンバーグ、美味しかったよ」
夫の恒一が食器を片付けながら言う。
「それ冷凍だよ」
「美味しかったことに変わりはない」
恒一は笑った。
四十八歳。
ITコンサルタント。
料理が上手く、掃除も洗濯も苦にしない。
娘の送り迎えも積極的にやる。
正直に言えば、家事能力だけなら私より圧倒的に上だった。
「お風呂入ってくるー!」
陽菜が駆け出していく。
その後ろ姿を見送りながら、私はスマホを手に取った。
SNS。
ニュース。
動画。
いつもの流れ。
ふと、画面の隅に見覚えのあるアイコンが目に入った。
昔使っていたライブ配信アプリだった。
「あ……」
懐かしい。
二十代の頃、ほんの少しだけ配信したことがある。
視聴者は数人。
すぐ辞めた。
今さら開く理由もない。
そう思いながら、なぜか指はアプリをタップしていた。
配信者たちの画面が並ぶ。
雑談。
歌。
料理。
ゲーム。
若い女の子。
イケメン配信者。
様々な配信が流れていく。
その中でふと思った。
みんな楽しそうだな、と。
仕事では部下に指示を出す。
家では母親。
妻。
会社員。
毎日いろんな役割をこなしている。
でも、
私自身はどこにいるんだろう。
そんなことを考えた。
「また配信見てるの?」
いつの間にか風呂上がりの陽菜が後ろに立っていた。
「見てるだけだよ」
「やってみれば?」
「え?」
「ママ昔やってたんでしょ?」
私は思わず笑った。
「無理無理」
「なんで?」
「今さらだし」
「別にいいじゃん」
陽菜はあっさり言った。
「ママ暇そうだし」
「失礼だな」
二人で笑う。
その夜。
家族が寝静まったあと。
私は一人でリビングにいた。
スマホの画面には配信開始ボタン。
指先が少し震える。
三十五歳。
既婚。
子持ち。
会社員。
そんな人間が配信を始めてどうする。
そう思う。
でも――。
『ママって何が得意なの?』
昼間の言葉が頭から離れない。
私は深く息を吐いた。
そして、
配信開始ボタンを押した。
画面に表示された視聴者数は――
0。
こうして、
「みさママ」の物語は始まった。




