第18話 魔女と老人5
まさかリリアが来てくれるとは思わなかったが、これで二人は助かる。
「嫌な予感がしたの!」
「リリア! 頼む! 二人を治療してくれ! 呼吸が止まっているんだ!」
「課長も焦げてるじゃん!」
「俺はいい! とにかく二人だ! 死んでしまったら回復できない!」
死んだ人間を生き返らす魔法は、この世に存在しない。
死ななければ治癒魔法でなんとかなる。
「分かった!」
リリアが手をかざすと、掌が光を帯びた。
治癒魔法がセルジール夫妻を包み込む。
その瞬間、俺は背後から殺意を感じ取った。
直後にリリアに向かって、一直線に炎が飛ぶ。
「魔石か!」
燃え盛る魔石が投げつけられた。
「リリア! くっ!」
リリアに衝突する直前で、俺は咄嗟に魔石を掴み取った。
掌が焦げる。
だが、このまま地面に投げ捨てても、芝生に燃え移ってしまう。
俺は両手で魔石を握りしめる。
皮膚が焦げる匂いが広がり、激しい痛みが発生した。
「ぐぅぅぅぅ」
両手で魔石の刻印をこする。
刻印が消えたことで、炎が収まった。
俺の掌は完全に焼け焦げている。
「犯人か!」
一人の男が庭に侵入して、四方八方に魔石を投げ始めた。
「死ね! 死ね!」
男の目は血走っており、もはや人のそれではない。
俺たちという標的を見つけて、興奮しているようだ。
「ひゃははは! 燃えろ!」
俺はリリアに覆い被さった。
治癒魔法をかけるリリアは無防備だ。
守らなければならない。
「くっ!」
俺の背中に何度も魔石がぶつかる。
背中はもうとっくに焼け焦げていた。
「課長!」
「俺は大丈夫だ! 魔法に集中するんだ!」
男に視線を向けると、麻袋から魔石を取り出し投げつけている。
魔石はまだ大量に残っている様子だ。
「あ! お爺ちゃんの竜が!」
「リリア! 集中しろ!」
リリアが突然立ち上がった。
「もう治ったよ! こいつだけは許さない! 許さない!」
リリアの視線の先で、一体の彫刻が燃えていた。
木彫りの竜で、俺の身長よりも大きい立派な彫刻だ。
「同じ苦しみを味わせてやる!」
「リリア!」
三つ編みのツインテールが、ゆっくりと逆立つ。
「リリア! 落ち着くんだ! リリア!」
「許さない! 死ね!」
リリアが片手をかざすと、巨大な炎の塊が放火犯に向かって放たれた。
「ぎゃああああ!」
一瞬で炎に包まれた犯人。
いくら放火は死罪とはいえ、これはやりすぎだ。
これほどの大事件だし、犯人は生かして当局に引き渡すべきだろう。
原因を追及した後に、法で裁かれて正式に刑が決まる。
「リリア! 落ち着くんだ!」
リリアの暴走。
俺はこれを最も恐れていた。
俺は犯人に向かって飛びかかり、抱きかかえながら地面に転がる。
火を消すためだ。
「くそ! 消えないか!」
リリアの魔力で作られた炎は、そう簡単に消えない。
俺は犯人を抱きかかえ、何度も地面を転がる。
なんとか火を消し止めたが、俺のスーツは完全に焼け焦げた。
肌が焦げた臭いが鼻につく。
俺は髪も顔も大きな火傷を負ったようだ。
犯人に目を向けると、肌は焼け落ち、黒く焦げている。
仰向けの状態で口を大きく開き、肘を折り曲げたまま固まっていた。
「が……がが……」
だが、まだ辛うじて息はある。
「リリア! 犯人に治癒魔法をかけろ!」
「嫌だ! そんな奴死ねばいい!」
「ダメだ! 殺してはいけない!」
「嫌だ! 課長を回復する!」
「リリア! 犯人は法で裁く必要がある! 回復させるんだ!」
「嫌だ!」
「リリア! 言うことを聞け!」
「うっ……。わ、分かったよ」
犯人に治癒魔法をかけたリリアは、続けて俺も回復してくれた。
「ありがとう、リリア」
「課長、ごめんなさい」
逆立っていたリリアの青い三つ編みが元に戻っている。
表情もいつもの可愛らしいリリアだ。
なんとか止めることができた。
「俺の方こそ怒鳴ってごめん。君が来てくれて本当に助かった。早く夫妻を病院に運ぼう」
「こいつは?」
犯人を指差すリリア。
「犯人もだ。死なせては意味がない。法で裁くんだ」
「でも、お爺ちゃんの竜は燃えちゃった……」
リリアは俺に背を向けて、竜の彫刻に視線を向けた。
「やっぱり……殺す」
芝生に倒れたままの犯人に、リリアが掌をかざす。
リリアの青い三つ編みが、また少しずつ逆立つ。
「リリア! ダメだ! 落ち着くんだ!」
犯人がリリアを睨み返した。
「てめー魔法師団か! 殺せ! 魔法で殺せよ! 街も人も魔法で燃え尽きればいい! ぎゃははは!」
犯人が大声を出して笑い出した。
火傷はほぼ治っているのだが、心までは治らない。
「消してくる……」
「リリア?」
「こんなクズの好きなようにさせない!」
リリアの三つ編みを結ぶリボンが破裂した。
ツインテールがほどけて髪の毛が逆立つと、少し癖のついた長髪がゆっくりと揺れている。
ホウキを握るリリア。
そのままホウキに乗って空に飛び立ってしまった。
「待てリリア! リリア!」
俺の声はもう届かない。
◇◇◇
リリアのホウキが空中に水平停止した。
リリアはその上に両足で立つ。
両手の掌を空に向けると、晴れ渡っていた夜空に雲が発生した。
雲は徐々に広がっていく。
やがて第三街区を覆うほどの巨大な雲に成長。
「消えろおおおお!」
リリアは巨大魔法を使って、第三街区に大雨を降らせた。
だが、雨で火災が消えることはない。
大雨とはいえ、火災を消火するには水量が足りないからだ。
リリアもそれは理解している。
リリアは広範囲の大雨でカモフラージュしながら、火災が発生している住宅の炎だけを真空で包んでいた。
雲の発生自体もリリアのカモフラージュだ。
つまり、自然の雨で鎮火したように見せかけながら、空気を遮断することで消火していた。
使用した魔法は水と風属性だ。
一人の魔法使いが、異なる属性の魔法を扱うこと自体難しいと言われている。
ましてや同時に発動などできるわけがない。
例えるなら、二つの言語を同時に発声するほど不可能なことだった。
だが、リリアは同時に魔法を使用した。
それも各属性の超巨大魔法だ。
この魔法を発動させるために、一体どれほどの基礎魔力が必要で、どれほどの魔力を消費するのか。
それは誰にも分からない。
リリアにしかできないことだから。
◇◇◇
犯人を追っていた騎士団が、セルジール邸に姿を見せた。
俺は手短に状況を伝え、犯人を引き渡す。
そして、セルジール夫妻を病院に搬送するように依頼。
降りしきる雨の中、俺はリリアを追った。
「リリア! 無事でいてくれ!」
この雨はリリアの魔法だ。
しかも雨の中で、火災現場だけ真空にして火を消すという離れ業をやってのけた。
信じられない。
「はあ、はあ」
街中で騎士や消火隊が救助にあたり、住人たちは不安そうに集まっている。
俺はリリアが飛び立った方向に向かって、全速力で街道を走り抜けた。
「リリア! リリア!」
ついにリリアの姿を発見した。
上空でホウキの上に立っている。
しかし、様子が変だ。
リリアの身体が大きく揺れて、前のめりに倒れた。
「リリア!」
俺は空から落ちてくるリリアを受け止めようと、両手を広げた。
「リリアは助ける!」
いくら小柄なリリアでも、上空から落下する人間を受け止めきれるわけがない。
だから……、俺の身体をなげうってリリアを助けるつもりだ。
部下は絶対守る。
「リリア!」
「ニャー!」
落下するリリアを受け止めた。
その瞬間、一瞬だけリリアの身体が軽く感じた。
「ぐっ! ぐううう!」
それでも俺の両肩は外れ、腕や足の骨は折れていた。
「リリア!」
リリアの意識はないようだが、呼吸はある。
身体に傷もない。
「ふう、良かった」
俺はそっとリリアを地面に寝かせた。
すると突然、黒猫のタルドが姿を見せて、リリアの顔を舐める。
「タルドか」
「ニャー」
「リリアを追ってきたのかい?」
「ニャー」
俺はリリアの話を思い出した。
祝福を与えた黒猫は、魔女に幸運をもたらすという。
「なあ、タルド。もしかして、さっきは君が何かをしたんだろう?」
「ニャー」
俺の顔を見つめるタルド。
少し笑っているようだ。
「そうか。君は凄いな。リリアを助けてくれてありがとう」
「ニャー! ニャー!」
「え? 逆だって? あはは、じゃあお互い様だ」
「ニャー!」
リリアの隣に座るタルドが、俺にお辞儀をした。
「こちらこそ。君も立派なメイド課のメンバーだよ」
「ニャー」
続いてリリアに向かって、上空からホウキがゆっくりと落下してきた。
まるで主人の元へ帰るかのような動きだ。
「おっと」
俺はホウキをそっと掴んだ。
「君もリリアが心配だよな」
ホウキが返事をするわけないが、俺にはリリアを気遣っているように感じた。
「さあ、ひとまず病院へ行こう」
「ニャー」
俺は外れた肩を無理やり入れて、リリアを背負い、タルドとホウキと一緒に病院へ向かった。




