下
見上げて、反省した。
三隅はどうやら、私の事を助けたらしい。
薄暗い階段の上では、三隅が男の手から鉄パイプを叩き落すところだった。鳩尾に一撃を入れ、階段の下に落す。そこへ新手が現れて、ナイフで切り付けた。三隅はそれも叩き落し、腹に拳を入れて片付ける。そうするとまた次がくる。キリがない。私が慌てて階段を登ろうとすると、鋭い声で怒鳴られた。
「邪魔だ! 応援呼べ」
それもそうだ。急いで車に戻り、無線を取る。車内で状況と場所を伝えていると、フロント硝子が白く濁った。一瞬、何事か解らない。耳に届いているはずの音と、映像が結び付かなかった。もう一度、バンッと風船が破裂する様な音がする。
フロント硝子が白く見えたのは、ヒビのせい。そのヒビは、バットや鉄パイプで車体を滅茶苦茶に打たれているせい。しばらくして、そう気が付いた。
「伏せろ、馬鹿!」
いつの間にか助手席に乗り込んだ三隅が、乱暴に頭を押えて低くさせる。自分はその上に覆いかぶさり、バラバラと降ってくる硝子の破片から私を庇った。
長くそうしていたと感じたが、実際はほんの少しの間だったのだと思う。車の窓は事故などに備え、特殊な加工がされている。そのためにフロント硝子は割れ難いが、窓の部分は簡単に砕けてしまうのだ。
それでも車から引き摺り出されてしまう前に、応援が現れた。
私達、つまり警察官への暴行と言う罪で、今の今まで暴れていた男達が次々と逮捕されて行く。続々と到着するパトカーと、それに乗せて運ばれる男達を何だか呆然と眺めてしまった。
そうしてふと気が付けば、三隅がいない。
無残な姿になった車から慌てて降り、三隅を探す。と、すぐに見付かった。
ビルの裏手から、こちらに向ってくるところだ。手錠を掛けた江南の腕を掴まえて、もう片方の手に大きなアタッシュケースを持っている。
それだけで、何となく事情が見えた。
江南は表で部下達が暴れている間に、アタッシュケース一杯の覚醒剤を持って逃げようとしていたのだ。
身内が大量に逮捕されているにも関わらず、顔も見せない江南の動向に三隅はピンときたらしい。何とも鼻の利く事だ。裏手の非常階段から逃げたと睨んで、見事掴まえる事に成功した。
しかも、手には覚醒剤の土産付き。至れり尽せりだ。
恐らく、これが理由だろうと納得した。
これだけ大量の覚醒剤なら、末端価格は幾らだろう。億の位は下らないに違いない。
こんなものを抱えている時に、警察に嗅ぎ回られるのは避けたかったはずだ。幹部でも何でも逮捕して、さっさと終らせて欲しいと思うのも解る。しかも差し出すのは、大事な時に事件を起したりする厄介者だ。どちらが大事か、考えるまでもない。
「怪しいと思って、その場で口にする馬鹿がいるかよ」
言って、三隅はため息を吐く。
頭には包帯が増え、開いた脇腹の傷を再び縫った。ベッドの頭を中ほどまで起し、だるそうに背中を任せている。
私は返す言葉もなく、病室の中で頭を下げた。
どうやら、私の不用意さのせいらしいのだ。秘密があるなどと呟いたせいで、江南は全部知られたと勘違いして部下達を暴れさせた。
「すいません」
「すいませんじゃねぇだろ、馬鹿。刑事向いてねぇよ。辞めちまえ」
「辞めません」
「じゃあさっさと出世して、官僚にでもなっちまえ」
確かに、それが一般的だ。
私と三隅は同じく警察官だが、その立場は全く違う。三隅は東京を管轄とする警視庁採用の地方公務員なのに対し、私は全警察を統括する警察庁に採用された国家公務員だ。
一般にキャリアと呼ばれる私達は、警視庁を含む全国の警察に出向した後、警察庁に戻る。そうなれば、警官よりも官僚の色が強い。
でもそれは、私の望みとは違う。
「私がなりたかったのは、警察官です。官僚ではありません」
「お前がどう思おうが、関係ない。向いてねぇんだ。諦めろよ」
「三隅さんなら向いている、と言う事ですか?」
「あ?」
「確かに優秀です。私には見えないものが見えてるとしか思えない。でも、三隅さん。あなたと違うからと言う理由なら、私は自分が警官に向いてないとは思いません」
「俺と比べろなんて、言ってねぇ」
「じゃあ、何です? 私の事を知らないくせに。……覚えてもいないのに、勝手な事を言わないで下さい」
目標にした人から否定されて、どうしたらいい?
唇を噛み、顔を壁に向ける。悔しさで、涙が浮んできそうだった。
少しすると、背中で長いため息を聞いた。呆れているのだろうか。
泣けばいいと思ってる。これだから女は。そんな事を思われるのだけは嫌だった。
振り返る。泣いていないと示すために。
「忘れるわけ、ねぇだろ」
私は、驚いた。
きっと機嫌悪く、睨み付ける様に私を見ているだろうと思っていたのに。そこにいた三隅は今までになく困り果て、どこか拗ねた様な表情を見せていた。
「初めて助けたんだぜ。それも一人で。忘れねぇよ」
「……私の、事ですか」
「他にいねぇ」
あの時の子供だと、知っている。
だからこそ、辞めた方がいいのだと三隅は言った。
しかし。
だったら、今までの態度は何なんだ。
「ひ、酷くないですか?」
「どっちがだ。そっちだろ、忘れてんのは」
「忘れてる? 私が?」
何を忘れていると言うのだろう。あれはもう、トラウマだ。忘れたくても、誘拐された時の事は今でも鮮明に覚えているのに。
すると三隅は実に軽蔑した様な顔で、「その後だ、後」と投げやりに言った。
後。制服の三隅に縋り付き、交番まで走る自転車の上で。
私は警察官を志した。
「いいじゃないですか。初志貫徹」
これは覚えている。私に人を守ると言う使命感にも似た意識を、植え付けたのは他ならぬ三隅だ。
「覚えてるなら、理解できるはずです。私がどうして警察官になりたかったか」
「だからだ」
「解りません」
三隅は傷の疼きを堪える様に、眉をひそめた。
「お前、結構なお嬢だったろ。それが好き好んで警官なんかになるって、原因は間違いなく俺じゃねぇか」
「原因って。確かに理由ではありますが」
三隅は片手を頚に当て、頭を俯ける。
「それで死なれでもしたら、いたたまれねぇよ」
ボソリと落されたこの言葉ほど、私を驚かせたものはない。
心配だから、辞めろって事なのか。もしかして。
三隅は私が打ちのめされるほどの驚きの中にいるとも知らず、ぼそぼそと愚痴を零す。
「あの時だって止めたんだ、俺は」
安月給で仕事は辛いし、女が大事にされない職業だから止めておけ。子供にするには生々しい言葉を尽くした甲斐あって、私は渋々ながら諦めると約束したのだと言う。
代りに「じゃあ、おまわりさんのお嫁さんになる!」と言う、できれば穴に埋めたい代案を思い付いたそうだ。
「……言いましたか? そんな事」
見事に全く記憶にない。
信じられないものを見る様に、三隅が喚いた。
「ふざっけんなよ! いつこの話持ち出されるかでこの半年、生きた心地しなかったんだからな!」
だから私を避けようとしてたのか。
「そんなに怒らなくても、子供の考える事じゃないですか。まさか本気に」
「っ……する、わけねぇだろ!」
不穏な間が気になるが、これには触れない方がいいんだろうな。きっと。
何だか、力が抜けてしまった。
三隅と言う男は、ずっとこんな人間だったのだろうか。私が憧れた硬派で破天荒な敏腕刑事は、幻だったのか。
なら1課のデスクで捜査資料を睨み付け、何かが閃くと矢も盾もたまらずに飛び出して行くあの姿は? 捜査で納得が行かなければ、どれだけ階級が上であろうと構わず噛み付く無鉄砲さは? 犯罪者を前にして、恐いくらいに研ぎ澄まされた気迫を感じるあの瞬間は、間違いだったのだろうか。
――いや、それとも。
どれも本当の三隅なのか。ただ平凡なごく普通の男が、許せないと言うだけの理由で犯罪と戦っているのかも知れない。
変貌を強いるほどの決意を以って。
「三隅さん」
私は薄く笑んで、真っ直ぐに三隅を見た。
「私は、警察官を辞めません。あなたの様になりたいから」
無力な人間ではあるけれど、それでも守れるものがあるのだと信じよう。
そう信じ、戦う人がいるのだから。
(シェパードの忠実/了)
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職業小説参加用小説です。
迷宮に迷い込みました。
職業小説って……何だ。(ゲシュタルト崩壊)
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