第1話 グッバイ、平穏な日常(1)
「あつぅ、なんで私が…」
紬は大きなため息とともに青空へぼやいた。
兄のおさがりの自転車でゆるやかな坂を上っていく。真夏の日差しは紬の想像以上に厳しく、皮膚をじりじりと刺して痛い。蝉の大合唱が、より一層暑苦しく感じさせた。
なぜ紬がこんな日に自転車をこいでいるかというと、紬の曾祖母である久子の遺品整理のためだった。
久子はだいぶ前に亡くなっているが、久子の住んでいた屋敷はそのままになっていた。親族による長い話し合いの末、とうとう屋敷を売ることに決まり、遺品を早くどうにかしなくてはならなくなったのだ。
しかし、両親は海外赴任で日本におらず、兄は地方の大学へ進学したために、手が空いている紬がやらざるをえなかった。
”たしかに、家に帰ることもできなくはないんだけど、せっかくの夏休みはやっぱり遊びたいじゃん?紬ヒマだし別にいいだろ?そんじゃ、あとはよろしく☆”だってさ。
「後でお兄がこっそりためてる貯金でハーゲンダッツ買ってやる‼」
ぎしぎしと音を鳴らしながらしばらく自転車をこいでいると巨大な洋館が見えてきた。
「ひいばーちゃん、ここに住んでたの…!?オヒメサマじゃん」
築百年を超える洋館はとても古びていて、薄汚れているが風情があった。
紬が洋館の扉を開けた瞬間、冷たい風が吹きつけてきた。中を見渡すと埃だらけで、蜘蛛の巣があちこちにできている。
「きったな!」
足を踏み入れるとふわっと埃が舞った。
紬は鼻の奥がむずむずしてくるような感じがした。
「と、とりあえず、掃除から、、、」
「げ、屋根裏部屋まである…」
やっと一階と二階の掃除が終わったと思ったら、屋根裏部屋を見つけてしまった。懐中電灯で中を照らすと、中には大量の荷物が置いてあった。
そこには大正ロマンを感じさせるものばかりあった。まるで時間に置いて行かれ、忘れられてしまったようなワンピースや、アールヌーヴォーのティーカップ、そして黒い棺桶。
…かんおけ??棺桶って、ロマンというよりホラーでは…?
なんで棺桶?だれの?何のために?もしかしてひいばーちゃんのシュミ…?
あれこれ考えながら紬は棺桶を端から端まで観察する。
どこからどう見ても何の変哲もない黒い棺桶。埃をかぶっているのにつやつやしている。
開けてみたい…けど、もし遺体らしきものが入っていたら…だめだ。これは開けないまま粗大ゴミに出そう。
そう思っているのにも関わらず、紬はどうしてか、棺桶のふたを開けた。――それを開けただけで紬の人生がひっくり返るとも知らずに。
「ん…」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」
棺桶の中に人が、それも超絶美人な人が眠っていた。
乱れてはいるが艶やかな黒髪、透き通るような白い肌、血のように輝く瞳。クラシカルな燕尾服を身に着けていて、まるで…
「すみませんが、今は何年ですか」
男はゆったりと大きなあくびをしてからにこやかに尋ねてきた。
「えと、どちら様…?」
「ああ、橘馨と申します。どうぞよろしく」
紳士っぽく頭を下げた彼はとんでもないことを口にした。
「見ての通り吸血鬼です」




