第24話 知恵熱
外に出ると校門の前に見慣れた馬車が止まっているのが見えた。
「ゔゔん」
フィオナは咳払いをして目を擦り、もう一度目の前の光景をしっかりと視界に入れる。
(見間違いかと思ったけど間違いない。あれはエンデール公爵家の馬車)
フィオナがゆっくりと近づいていくと、馬車の傍に立っていた御者が扉を開け、中からリナルトが降りて来た。
「どうぞ」
リナルトはフィオナの手を取り、馬車に隣り合わせで乗り込んだ。
馬車はすぐに走り出した。
(……距離が近くて緊張するぅ)
チラっと横目で見ても隣に座るリナルトはやっぱり整った顔立ちですごく素敵だ。
(ご尊顔が近いし眩しすぎて見ていられない)
フィオナは目眩がしそうになりながら、リナルトとは反対方向の窓の外をぼんやりと眺めていた。
どこも怪我をした訳ではないフィオナを甲斐甲斐しく世話をして寮に連れて帰ろうとするリナルトは何だか昨日のシェナみたいでお母様みたい、とフィオナは思う。
「こんなに心配してくださって。嬉しいです」
政略の婚約者でしかない自分なんかにここまで親身にしてくれるなんて。
フィオナは感激していた。
「勿論。……君の身に何かあったら、耐えられないのは、俺だから」
「そう、なんですか?」
リナルトの言葉にフィオナは一瞬キョトンとしたが、すぐににこりと微笑んだ。
(私に気を使ってくださっているんだわ。やっぱりリナルトは優しくて素敵)
フィオナはリナルトを見つめた。
「あぁ」
するとリナルトは顔を背けて、腕のバングルを抑えた。
「リナルト様?」
気だるそうに顔を背けるリナルトの手にフィオナは手を重ね、彼を覗き見る。
「はっ!だ、大丈夫だ」
リナルトはフィオナが重ねた手を払うようにしてその手で口元を抑えた。
彼の表情は、何かに耐えているように見える。
フィオナは手を払われたことに少しショックを受けたが、彼が特に気にすることなく話しかけてくれたのでそんなことは霧散した。
「フィオナは今日の事故に関して、犯人に心当たりはないか?」
「心当たり、ですか。あると言ったらありますが……」
(リナルトの婚約者であることも心当たりの一つになり得るんだけど。他のことで言えば)
「仕返しに関して色々調べていることを邪魔に思う者がいるかも知れませんね……あ」
フィオナはリナルトに心配をかけまいとして出来るだけ穏やかに話していたが、ふと思い出した。
「私落とされる時に制服のスカートの裾が見えたんですけど。……紺色だったんです、よねぇ……」
「裾が紺色のスカート。今の学年では——」
リナルトがチラリとフィオナの制服のスカートを見る。
「えぇ。私と同じ、一年生が紺色です」
リナルトもそう思っていたのだろう。
「そう、だよな」
と同意した。
馬車はフィオナの住まいである女子寮に向かって帰路を直走る。
フィオナの頭の中はアズ学中庭での一件、ニコル先生が脅されていること、リアナとカルロの出会い、そして今回のこと、全てが繋がっているような気がしてグルグルと巡っていた。
(それに……『入れ替わり』。あれが意味するものは一体なんなのだろう)
フィオナは彼に心配をかけぬよう、たいして意味のない会話をして平常心を装った。
リナルトは、フィオナが不安そうにする素振りがなければきっと安堵するはずだ。
彼が安心して職務を全うできるようフィオナは不安な気持ちを押し殺した。
馬車の窓からは寮までの景色が流れるように移り変わって見えて、擦れる木々の葉も細切れになるかのように音を立てる。
そうこうしているうちに馬車は女子寮に辿り着いていた。
フィオナは自身の姿が見えなくなるまでリナルトに見守られ、女子寮の自室に無事戻ったのだった。
*
翌朝、目が覚めるとフィオナは激しい頭痛に襲われた。
(あったま、いったぁ!)
一瞬昨日エインツに叩かれた所為かとも思ったがこれは違う。
(じゃあ階段から落ちた所為?)
だが、頭を打った覚えはないし、そもそもそういう痛みではない。
たぶん熱もあるんだろう。
顔が熱くてぼーっとする。
だが熱がもう上がりきっているようで、寒気はしなかった。
(あぁ。いつもならあまり考えないようなこと、この頃沢山考えてたものね……)
所謂知恵熱というものかも知れない。
意識がぼんやりとして、はっきりしない。
体を起こすことも難しいと感じたフィオナはそのまま瞼を閉じた。
次に目を覚ましたのは昼過ぎだった。
目覚まし時計を見ると、針は十二時二十五分を指している。
その下に見慣れた文字で『学校には連絡しておく』と書かれたメモが置いてあって、シェナがしてくれたんだと分かった。
たぶん朝、食堂に顔を出すことも出来なかったから、シェナが心配して部屋を尋ねてくれたのだろう。
この寮には寮母と言われる寮全体の管理をする女性が複数人いて、主に食事や掃除などを取り仕切っていた。
鍵の管理もその一つで、おそらくシェナは寮母にフィオナの部屋の入室許可を得たんだろう。
心の中でシェナに感謝しながら、フィオナは自分の体調を確認する。
頭はもう痛くない。顔の熱さも引いているようだ。
いつもより少し長く眠っただけで回復したんだろうか。
フィオナの頭にそんな疑問が浮かぶと同時にゴミ箱の中に目が留まる。
空っぽのゴミ箱の中にクシャッと丸まっている紙。
(……薬包紙?)
フィオナはそれを拾い上げ、開いてみた。
間違いなくそれは薬包紙で、粉薬が入っていた形跡がある。
(シェナ?……それとも……)
メモを信じればシェナが部屋に入ったのは間違いない。
間違いないけど、他にもシェナじゃない誰かが部屋に入った可能性もなくはない。
(もし……よ?誰がこの部屋に入ったにしても、眠っている私にどうやって薬を飲ませるのよ?!)
怖い想像をしてフィオナは身震いした。
フィオナにとっての怖い想像。
それは口移しだ。
リナルトだったら大ラッキー。
実家の家族やシェナなら、まぁまだ問題なし。
知り合い、知人。人にもよるけどちょっと嫌かも。
(でも……)
全くの赤の他人ならフィオナにとっては恐怖でしかない。
頭から布団をしっかりと被って丸くなる。
(背筋がゾワゾワするー。やだーこーわーいー!)
フィオナは固く目を瞑った。
フィオナはそこから五時間。
恐怖に怯えながらも、薬の所為かしっかり、ぐっすり、よく眠れたのだった。
そして——————。
フィオナが抱いたこの疑問。
粉薬を誰がどうやって飲ませた問題。
それは意外にもすぐに解決することになった。
フィオナが次に目覚めたのは十八時半を回ろうとしていた頃だった。
フィオナの部屋はカーテンがまだ閉まっておらず、月明かりがフィオナの枕元だけを照らしている。
その月明かりの所為か、眠りが浅くなったフィオナはまだハッキリしていない頭で室内の状況を理解し、身を捩った。
室内に気配を感じるのだ。
その気配はフィオナの毛布の布擦れの音に気づいたのか近づいてくる。
(誰?もしかして!薬包紙の人?)
フィオナはガバッと毛布を勢いよく捲り上げ、ベッドの上に立ち上がって大声を上げた。
「わー!!」
「おっと。吃驚した」
薬包紙の人は手に持っていた器とスプーンの乗ったトレーを傾げないように気をつけながら器用に毛布を避けた。
その人の顔はちょうど月明かりからは照らされない位置でフィオナからはよく見えない。
だが————。
(ん。馴染みのある声?)
「えっと……誰?」
「こんなこと他の奴にさせる訳ないだろ?」
そう言いながら暗闇から月が照らすベッドサイドに歩み寄り、光に照らされるその顔は————。
「リナルト様…………え?ここ女子寮……」
「大丈夫だ。不法侵入には当たらない。ちゃんと許可は得ているし、扉も少し開けているからな。……何より俺たちは婚約者同士だ」
リナルトはフィオナから視線を逸らし扉を指している。
確かに扉は十センチほどの隙間があり、開いているのがわかった。
そして彼はそのまま視線を戻すことなくフィオナに話し続ける。
その表情は不満げだ。
「……あのな。確かに許可を得ているし、俺たちは婚約者同士だ。だからと言ってその格好は……少しどうにかしてくれると」
彼が念を押すように言葉を重ねたので、彼の不満げな表情に疑問を感じていたフィオナはハッとして自分の服装に目を向けた。
(そ、そうだった……)
フィオナは明らかに動揺していた。
普通の寝間着ならまだ良かった。
昨日の夜は疲れて寝間着に着替えることなく、制服のブラウス一枚だけで横になってしまっていた。
しかもそのブラウスすらも五個ついているボタンがかろうじて二個止まっているだけだったのだ。
はだけた胸元は下着をつけているからまだ丸見えではないが、太腿はしっかりと露出していて全く隠れていなかった。
(こんな……こんなはしたない私なんてリナルトに婚約破棄されちゃうかも知れない——!!)
動揺で目を回したフィオナは心の中で絶叫しながらベッドにしゃがみ込んだ。




