22 カナリアは自由に歌う
今年の社交シーズンも終わり、所領を持つ貴族たちは早々にタウンハウスを閉じ、所領の本邸への移動を始めていた。
リリエッタも明後日には、レスター侯爵領に向かって出発する。しばらくの別れを前に、リリエッタはマリアにお茶に招かれてマリアの屋敷を訪れたのだった。アルフレッドはロドリックと共に、王宮で行われる近衛騎士団の閲兵式に参加しており、そのあとでリリエッタを迎えに来ることになっていた。
「王都もずいぶん静かになってきたわね」
花と菓子で彩られたテーブルに差し向かいで座る。マリアがお茶を準備してくれていたサロンも、夏の間は涼しい風を通すために開け広げていたガラスの扉を閉じ、日差しの暖かさを守るようになっていた。
三日前、約束の十日丁度に新プライス侯爵から、すべての処置が終わったという報告があったということをアルフレッドから聞いた。その少し前にはサーキス伯からトラヴィスとエリカの名が貴族名簿から除かれたという報告を受けたことを父から聞いていた。
その報告がなされるまでに起こったさまざまなことは、もう誰も尋ねなかった。
「プライス侯爵夫人の話を聞いたわ。私たちに迷惑をかけたからと、アルフレッドがロウに話してくださったの」
マリアと婚約してから、公爵家の交遊に加わったロドリックは、弟の面倒を見るようにアルフレッドが身体を鍛え、剣の腕を磨くことの手伝いをしてきたことで、二人の間には兄弟のような親愛が育まれているらしい。
「幼いころのアルフレッドのことはよく知らないの。わたくしは、自分以外に興味がない子どもだったし、アルフレッドは……とても控えめな子どもだったから」
言い淀んだそこに、長いこと心を傷つけられていた幼いアルフレッドの姿が浮かんだ。
「ある時、気づいたら顔を上げて話をするようになっていて、ロウを紹介してからは、ロウにいろいろなことを尋ねたり、一緒に馬や剣の稽古をしたりしていたから、話しする機会も多くなって。だから、いつの間にかわたくしたち、彼のことを弟のようにも見ていたの。それなのに、あんな思いをしていたことに気づきもしなかったことが申し訳なくって」
マリアは、いつになく肩をおとして呟いた。マリアは気が強いけれど、一度懐に入れた人に対してはとても優しい。
「プライス侯爵夫人がモーヴ様をアルフレッドに嫁がせようとなさっていたのは有名な話で、それにアルフレッドがひどく冷淡な対応をしてきたのも知っていたわ。冷淡で当然よね。よくもまあ、平気な顔でそんなことをできるのもだと思うわ」
でもね、とマリアは続けた。
「プライス侯爵夫人も、わたくしと同じ婿を取って高位貴族家を継ぐ立場だった。そう考えたらぞっとしたわ。以前話したけれど、ロウがいなければ、わたくしも自分のしていることが間違っていると気づかないままだったかもしれないもの」
「もし、侯爵が夫人に注意なさっていたら、とは思ったけれど、あのご夫婦の様子では難しかったでしょう。プライス侯爵夫人は、受け入れるおつもりがなさそうだったもの」
「結局は人との巡り合わせ、ということなのかもしれないわね」
リリエッタの言葉にマリアはしみじみと相槌をうった。理不尽な辛さを味わった幼いころのアルフレッドを思って二人は言葉を途切れさせた。けれど、すぐにマリアが空気を変えるように朗らかに言った。
「でも、まさかその時にリリと巡り会っていたなんて。実はね……」
「ただいま、マリア」
マリアがからかうような表情で何かを言いかけた時、ロドリックの声がした。
振り返ると、ロドリックがアルフレッドを伴ってサロンに入ってきたところだった。
二人とも、近衛騎士団の参与として正装の軍服姿だった。
真っ白な軍服に金モールの飾り。黒髪に黒い瞳のロドリックも、軍神のように凛々しい姿だったが、その隣に立つ銀色の髪に濃い蒼の瞳をしたアルフレッドは、絵本の中の王子様のように麗しい姿だった。
なんて素敵なんだろう、リリエッタは言葉を失った。こんな方ともうすぐ結婚するのかと思うと、次第に頬が赤くなってくる。
「リリエッタ、待たせてごめん。リリエッタ? 顔が赤いけど体調が悪いのか?」
アルフレッドが慌てたようにリリエッタに近寄ってくる。その姿にマリアがにんまりと笑った。
「王太子殿下にお願いして、来年の閲兵式はわたくしたちも見学させていただこうかしら、ね、リリ」
「もう、マリアったら……」
「あら、リリが見たくないならいいのだけれど」
「それは、見たいわ。もちろん」
二人のやりとりの意味が分からず首をかしげるアルフレッドに、ロドリックが助け船を出した。
「リリエッタ嬢は、きみの軍服姿をお気に召したようだぞ。良かったな」
「そうなのか。では、これからはずっと軍服で過ごした方がいいのかな」
「いつもの姿も素敵ですわ!」
半ば本気のようなアルフレッドの言葉にリリエッタは慌てて言い、二人して顔を赤く染めた。いつまでも物慣れない二人の態度にマリアとロドリックも、あたたかな笑みをこぼした。
「それよりも何の話をしていたんだい? マリアがとても楽しそうな顔をしていたけれど」
ロドリックとアルフレッドの紅茶も準備されて、お茶会が再開されるとロドリックが問いかけた。
そういえば、マリアが何かを言いかけたところだったと、リリエッタもマリアを見た。マリアは一度アルフレッドを見ると、満面の笑みを浮かべた。
「今年の社交界が始まってから、アルフレッドが突然リリのことを尋ねてこられたの。女性に興味を示したことのない方だったから、本当に驚いたのよ。でも、ようやく納得したわ。アルフレッドの心にはずっとリリがいたのね」
紅茶を口に運んでいたアルフレッドが思いがけない攻撃に、ごほんと喉を鳴らした。
「リリが参加するとお教えした舞踏会には、確かすべて参加されていたわね。リリと話をしていると、いつもあなたの姿が見え隠れしていて……」
「マリア嬢、あまりそういうことはリリエッタには……」
「あら、いいじゃない。片恋で苦しんでいたころはともかく、晴れてご婚約なさって、春には結婚なさるのだから」
ほほほ、と高らかにマリアが笑う。アルフレッドが慌てて制止するものの力関係は明らかだった。
「この際、あなたがどれだけリリのこと想っていらしたか、知っておいてもらったほうがよろしいと思うわ」
「マリア嬢、それはちょっと」
「マリア、そんなにアルフレッドの話ばかりしていると僕が妬くよ」
見かねてロドリックがさらりと割って入った。
「アルフレッドのことより、僕のことをもっと見ているべきじゃないかな。僕が君を見ているくらいに」
「あなたのことはいつも一番に見ていますわ。当然でしょう」
マリアが大輪の薔薇のように微笑む。二人の心が寄り添っているのが見ているリリエッタにも分かった。
「ロドリック様とマリアは本当にお似合いですわ」
「あら、あなたもそういう人と巡り会えたのではないの?」
思わず言葉がこぼれる。すると、すかさず「あなたもね」という顔で返された。ロドリックの介入もマリアのいたずら心を止められなかったらしい。ロドリックも、もうマリアの心を満足させようと決めたようで、目元を緩めてリリエッタを見守っている。困って、隣を見ると、アルフレッドがまっすぐにリリエッタを見つめていた。その濃紺の瞳は何かを期待するようにきらきらと輝いていた。求婚してくれた日から変わらない熱情をその目のなかに見つけて、リリエッタの胸はときめいた。
「ええ、その通りだわ。あなたと巡り会えて幸せです、アルフレッド様」
カナリアのような美しい声をリリエッタは取り戻していた。その声で、リリエッタはアルフレッドに告げた。
裏切りを知って声を失くしたカナリアは新しい恋をする 了
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あと二つ番外編があります。
続けて読んでいただけたら幸いですが、そちらは幸せな終わり方ではありませんのでご注意ください。




