ダンジョンの前に
訓練終わりの重い体を引きずりながらシシツキは、学園の無駄に広い建物を呪った。
毎回、移動するのも億劫になるくらい容赦なくアカツキに扱かれているシシツキだが、訓練には真面目に行っている。
わざわざアカツキが、シシツキに訓練を受けさせるということは、何か起こるということを危惧…いや、予測しているからだろう。そうでないと、宮廷魔道士以上の実力を持つシシツキに、わざわざ訓練を受けさせる必要が無いからだ。
シシツキは、自分の義兄のこういう時の予測がよく当たることを知っている。だから、大人しく訓練に参加しているのだ。
もう、目の前で誰かが死んでいくのは、ごめんだし。
シシツキの胸のうちで呟かれた言葉は、当然誰にも届くことなく、シシツキの胸に重く沈んでいった。シシツキの表情は、いつもの無気力さはない。ただ、自分をひどく責めているそんな表情をしていた。
シシツキの周りだけ重くなった空気をかき消すように、静かな廊下に、声が響く。
「先生」
女子特有の透き通るような高い声が、シシツキを呼び止めた。
シシツキは、聞きなれた声の主に、ゆっくりと視線を合わせた。
「どうしたの、カレンさん?」
そう。声の主は、勇者の中でもトップクラスの光属性の適性を持つカレンだった。彼女は、シシツキを探しまわっていたのか、微かに頬を赤く染めながら、シシツキに近づくと、何かを言おうとして、結局言葉が出ずに俯いた。
シシツキは、その様子を見て悟った。
きっと彼女は、自分に相談をしに来たのだ。いや、それは相談というより、不安を抱え込めなくなって、シシツキに助けを求めに来たのだ。
シシツキは、彼女が何かをいう前に、口を開いた。
「とりあえず、俺の研究室においで。そこで話を聞こう」
シシツキの提案に、カレンはコクコクと小刻みに頷いた。
その様子には、いつも教室で見る、みんなの中心に立っている彼女の姿はない。ただ、不安に震える少女の姿があるだけだ。
2人は、特に会話するわけでもなく、シシツキの研究室に着いた。
自分の研究室であることもあってか、無言でシシツキが扉を開けると、そこではアイカとシキが真剣に向き合っていた。
何をしているのだろうかと、シシツキが声をかけようとした瞬間、耐えきれなくなったのか、アイカが声を荒げながらシキに言った。
「だから、先生にはこっちの服の方がいいんです!!」
「いや、そんな女子みたいなヒラヒラしたのより、こっちの袴の方がいい!」
「ヒラヒラって、そっちもヒラヒラしてるじゃないですか!」
パタン。シシツキは、今のを見なかったことにして、扉を閉めた。
あれは一体どういう争いをしていたのだろうか。お互い服を握って力説していたようだが、どちらも女も……。いや、何も聞かなかった、見なかったことにしよう。
そう決意したシシツキはカレンを見た。
「ごめん、別のところに行こうか」
「あ、はい」
カレンは、空気が読める子だ。だから、今のことを見なかったことにした。
それより、カレンが気になったのは、シキの事だ。
僅かな扉の隙間から見えた彼の表情は、取り繕ってもおらず、それでいて隠しもしていない、素の表情だった。
「紫樹のあんな顔を久しぶりに見た」
カレンがそう呟いた声は、シシツキまで届いた。酷く消沈しているカレンに、何か言葉をかけようと思ったシシツキだが、気が利かないことを自覚しているので、結局大人しく口を噤んだ。
さて、騒動を見て研究室を引き返したシシツキだが、行くあてもなく、さりとて研究室へ戻る気分にもなれず、宛もなく歩き始めながら、カレンに聞いた。
「カレンさんとシキくんは仲がいいの?教室では、話しているところ見たことないけど」
基本的に、用事が無ければ研究室に籠るシシツキは、先程も言ったように気が利かないため、人付き合いを得手としていない。だから、オブラートに包めず、直球に聞いた。
あまりに率直と言うより、無遠慮な質問だったが、カレンはクスクスと笑ってそれを容認した。彼女の心はシシツキの無神経な言動も許せるほど大きく深いらしい。誰かさんにも見習わせたいものだ。
いや、シシツキがそういった配慮が苦手であることを知って、相談しに来たのだろう。本音を包み隠さない彼だからこそ、頼ろうと思ったのかもしれない。
カレンは自身の行動をそう推測しながら、昔のことを思い出した。シシツキに相談するにあたり、全てを話す覚悟はしていたのだろう。カレンが言葉を紡ぐのに躊躇はなかった。
「私と紫樹は、幼馴染なんです。家が隣で、物心ついた頃には、 一緒に遊んでいました」
カレンは、その当時のことを懐かしむように、目を細めた。視線はシシツキから離れ、過去へと向けられる。カレンの頭には、幼い頃シキと遊んだ、楽しく明るい思い出が過ぎる。
しかし、その表情はすぐに崩れ去る。
何時からだろう。シキとの思い出が少なくなったのは。
シシツキはカレンの瞳に揺れているのが、寂しさや怒りであるのを見た。感情に釣られてか、彼女の声はひどく落ち込んでいく。
「でも、中学生になったくらいから、紫樹の態度がよそよそしくなり始めて、高校生になった頃には、紫樹は誰とも話さない今の教室で見る紫樹になってしまって、私とも関わらなくなりました」
「……」
何故、シキがカレンをいや、全ての人を避けるようになったのか。シシツキはその理由を知っている。この間話した時に、彼自身に聞いたからだ。
大事な人を、妖との争いに巻き込みたくなかったから。
そう告げた彼は、酷く静かな顔をしていた。何かを捨て護る決意をした者の、圧倒されるような表情だったと言えば良いのか。
日常的に、陰陽師として妖と命のやり取りをしていた彼は、その矛先が、自分の大切な人に向けられることを、ひどく怖がっていた。その結果が、今の教室で見る根暗な彼の姿なのだろう。
守るための行動と、守られる者の気持ちが完全にすれ違ってしまっている。
ただ、この問題は、当事者であるシキとカレンで解決すべき問題だ。部外者になるシシツキが、どうこうしていいものでは無い。
だから、シシツキは一言、そうと相槌を打っただけだ。
カレンとて、その話をしにした訳では無い。だから、必要以上の返答は求めなかった。
「それより、何か話があるんじゃないの?」
ちょうど、人気のない中庭に差し掛かったところで、シシツキはカレンに問いた。
カレンは、ちょっと躊躇って、口を開けては閉じるを数度繰り返す。
シシツキはそれを急かすことなく、ただ隣で待っていた。
「先生、怖いんです」
カレンがようやく絞り出した声は、消え入りそうなほど小さかったが、確かにシシツキに届いた。
「怖い?戦うこと、戦って死ぬこと?それとも、命を奪うということが?」
「全部です」
命を失うことも奪うことも、そもそも戦うのが怖いのだと。カレンは堰を切ったように話した。
シシツキは、それにうんうんと、相槌を打つ。
それはさながら、爆弾の爆発のようだった。文としては、まとまっていない言葉の数々を受け止めるシシツキは、静かに瞳を閉じた。
彼女はずっと苦しんでいた。ずっと悲しんでいた。
それを受けるのは、やはり、担任である自分の役割なのだろう。
やがて、吐き出しきったカレンは、感情的になり、溢れ出してきた涙を拭いながら、シシツキを見た。
吐き出したことで、幾分はスッキリしたのか、カレンに先程までの張り詰めた空気は無い。シシツキは少し屈んで、カレンと視線を合わせた。
ただ聞くだけが教師のすることではない。聞くだけなら、そこらに居る幼子でも出来る。聞いた上で、助言をするのが教師の役割だ。
「俺は別に、君たちに嫌々戦って貰うつもりは無いよ。むしろ、それなら、早々に別の道を探してほしいと思う」
カレンは、静かにシシツキを見た。彼は今、一体どういう気持ちでこの言葉を紡いでいるのだろうか。
いつもの気だるげな雰囲気のシシツキは、容易に彼の本心を覗かせてくれない。
「そもそも、俺自身、戦うのは不得手だからね。騎士や冒険者の人を否定する訳では無いけど、戦いが日常になるのは、俺も耐えられない」
俺も、死にたくない。戦いたくない。なにかを傷つけながら生きたくない。
シシツキの言葉を、カレンは意外なほど冷静に受け止めた。
正直、少し前の自分なら、こんなことを聞いたらヒステリックに叫んで、シシツキが悪い訳では無いのに、彼をひどく責めただろう。
何故、自分を勇者にしたのか、と。
自分の気持ちを吐き出すだけ吐き出して、冷静になったのか。いや、シシツキの雰囲気が、声音が、カレンの精神を落ち着かせているのだ。
だから、カレンは次に続くシシツキの言葉を、聞き入れることが出来た。
「でも、俺は剣を持たなければならない時に、躊躇はしない。それで、家族が護れるのならば、俺は戦う。どんな敵であっても。最終的に、それを殺さなくてはならなくても。君はどうなんだ、ニカイドウ・カレン」
「でも、私は…」
「別に、この世界の人を救うなんていう理由で戦わなくていいんだ。君は勇者カレンとして戦う必要は無い。君は君自身の目的のために戦っていいんだよ」
シシツキの言葉に、カレンはハッとなった。
別に戦うことは義務ではない。勇者は、喚びすぎたくらいなのだ。しかし、カレンは責任感が強すぎて、その事を忘れていたのだ。
だから、勇者という称号に縛られ、その重圧がいつしか戦うことへの恐怖へ変換されしまっていたのだろう。
「先生は、何のために戦うのですか?」
カレンの口から出た言葉に、シシツキは一瞬答えることを躊躇した。この答えに、彼女がまた捕らわれてしまうのでは無いのだろうかと。
しかし、それは杞憂だろう。カレンの瞳には、既に強い意志が宿って、いや、戻っているのだから。
「俺はね、義姉さんとの約束を守るために戦うんだよ」
そう言って微笑んだシシツキが、次の瞬間に消えてしまうのではないかというほど儚く、そして美しくて、カレンは思わず見惚れてしまったのだった。




