前編
「そういうところだよ、真白ちゃん」
昼休みの喧騒。教室で相対する千尋は、半分こにしたクリームパンを受け取りながら言った。
「なんのことよ?」
「別に。パン、ありがとね」
千尋はパンを咥えながら手を振り、足早に教室を出ていった。担任から頼まれごとがあるとか何とか言っていたが、詳しくは知らない。パンを食べながら歩く千尋は行儀が悪くも見えるが、クラスの中心人物たる彼女だから、お小言は胸の内に留めておく。私と違って忙しいのだ。
手元に残った、歪に千切れたクリームパン。千尋には若干大きい方を渡したので、ちょっと昼食には物足りないかもしれない。まあ、甘いカフェオレをお供に選んでいるから、カロリー的には十分だろう。
濃厚なクリームを甘いカフェオレで流し込むと、脳にエネルギーが行き渡るようだった。もやもやと、ぐるぐると、千尋の発言を脳内で咀嚼する。
『そういうところだよ』
これは彼女が私を評するところの恒例句だった。私が何かをする度に、彼女は似たようなことを口にする。
千尋曰く、『真白ちゃんは金色』だそうだ。
中学時代、いやもっと前。彼女に初めて金色と評されたのは小学生の頃だったと記憶している。詳しくは覚えていないが、大方、橙色の西日が色素の薄い私の髪に反射していたとか、そんなものだろう。
そもそも、私なんかより彼女の方がよほど金色な人間だ。
運動、勉学、人間関係。およそ考えられる高校生活の全ての要素において、私が千尋に勝る点はない。幼馴染として誇らしい反面、対価一つなく彼女の隣に立つことはコンプレックス足り得る上、陰口すら耳に届く。
千尋はいい子だ。私は隣にいていいものか。
血糖値が廻りすぎた。身体も重いし、思考も重い。午後の授業に向けて目を閉じ微睡むと、マイナスの脳内は胃の腑との境目がわからないほどドロドロに溶けていく。
湿気高い季節の鋭い陽射しの中、まるで全身が液体になるようだった。
事件というか事故というか。それは放課後、生徒もまばらな教室で起きていた。
ゲリラ豪雨の湿気で不快指数の高い教室、そこに嘔吐の音と臭いが加わった。窓を開ける程度では換気も追いつかず、酸い臭いは教室に充満している。
季節柄、傷んだものでも口にしたのか。不快な気候にやられたのか。原因は定かではなく、重要でもない。
苦しそうに保健室へ誘導される患者、彼女に付き添う取り巻き、侮蔑の目を向けて足早に去る男子生徒。真に重要なのは、教室がもう彼らのものになっていることだけだろう。
私といえば、机を移動し、バケツと雑巾を一人準備しているところだった。もちろんビニール手袋とマスクも装備した。
誰に頼まれたわけでもないが、誰もやらないし、やりたくないことなのだろう。
嘔吐物の処理をしているのは自主的であり、私自身の意思だった。そこには義務感や優しさなどは無かった。
粗方掃除も終わり、机を戻している最中に教室の扉が開く。
千尋が立っていた。
「やっぱりいた」
「何さ、やっぱりって」
「別に。手伝うよ、ほとんど終わってるみたいだけど」
釈然ともしないが、千尋の言葉はありがたく。私たちは机を運ぶ。
後で窓も閉めねばと目を向けると、豪雨はすっかり上がっていて、雲の切れ目からは光の線がスポットライトみたいに伸びていた。
清掃作業が落ち着いた私たちは席につき、幾ばくかの休憩をとる。千尋は自らの腕を枕代わりにしながら、横目で呟いた。
「真白ちゃんはいつも損してるね」
「何それ、悪口?」
「褒め言葉。誰も見えないところで損ばっか。しかも自主的に」
褒め言葉の意味はわからないが、損ばかりというのは言い得て妙に思えた。
「覚えてないでしょ? 私が初めて真白ちゃんを格好いいと思った時も、今日と同じようなシチュエーションだったよ。馬鹿な男子が教室にこっそりした落書きを、一人で消してたの」
頬杖をついて考えてみるが、確かに覚えてもいないことだった。
それだけ言うと、塾があると千尋は帰っていった。忙しいくせに、私を手伝う彼女こそ褒められて然るべきだろう。
窓の外を見ると、雨はすっかり晴れていた。小走りにグラウンドを進む千尋こそ、太陽に照らされて金色だった。
窓ガラスに映る私など、汗で制服は張り付き、膝は埃に塗れている。その姿はやっぱり金色とは程遠かった。




