お互いに語り合おう【北野みちお】
俺は、北野みちおという。
その人物の最終的な値打ちは、死んだことが伝えられた時に、どの程度の衝撃度の大きさだったかで決まるという。
ただしそれは、天寿を全うして、寿命が尽きて死んだ時の話だ。
殺されたり自殺したり、あるいは戦争、事件、事故、災害などの場合は、また別の話だ。
1947年、いや、昭和22年と言おう。その年の生まれだ。どうも俺たちの世代は西暦じゃなくて昭和で言わないと、しっくり来ないんだ。
第二次世界大戦の終戦から2年後に生まれた。その頃に生まれた世代は、全ての世代の中でも一番人数の多い世代と言われ、いわゆる『団塊の世代』と言われる。
たしか、堺屋ナニガシとかいう人が、俺らの世代を『団塊の世代』と命名したんだとか。
他の作者、あるいは読者のみなさんの中に、同世代の人はいるかな?
同世代の女の子たちは、グループサウンズとかに夢中になっていた。俺らのような野郎どもは、苦虫を噛む思いでそれを見ていたか、あるいは女の子たちにモテてやろうと、グループサウンズの真似ごとをしていたことだろう。
そんな中、俺は学生運動に走る。
かつて、俺たちにも、世の中や、周囲の大人たちに不満を持ち、暴れてやりたいと思うような、そんな時代があった。
東大の安田講堂の攻防戦が行われ、安田講堂が陥落した後、学生運動は急速に下火になっていった。
俺もまた、そのタイミングで、学生運動からは身を引いた。
結局、何も変えられなかった敗北感を背負い、就職が決まって、髪を切ってきた時は、もう若くないさと、言い訳したものだ。
その後は、満員電車に揺られながら、通勤ラッシュの人ごみをかき分け、企業戦士という名の戦士となり、仕事という名の戦場で戦った。
それから時は流れ、定年退職し、長年連れ添った妻を看取った。
若いときから、メカをいじるのが得意でな。
いつか、『鉄腕アトム』のような未来が、現実に来るのではないか?と思いながら、生きてきた。
最初の、1964年【昭和39年】の東京オリンピックを直接見たことがあるメンバーは、俺と、小田切武男の二人だけだ。
最初の、1970年【昭和45年】の大阪万博を直接見たことがある。まあ、並ぶ方が長かったけどな。その時に一緒に万博に行った彼女が、後の俺の妻だ。
その頃には、俺は学生運動からは身を引いていた。
時は流れた。戦争を経験した世代が次々と死に絶え、完全に死に絶えるのも時間の問題とされている。
いや、戦争経験世代の次は、我々の、団塊の世代の番になるだろう。
我々の世代までが死に絶えた後は、いったいどうなってしまうのだろう。
ある若い世代から言われた。
「あーあ、世の中何にも変わってねえな。」
我々のやってきた、学生運動は、本当に無意味だったのか。
「じじいども、さっさと死ねよ。お前らが生きてたって税金の無駄遣いだ。」
こみ上げる怒りを、すんでのところで抑えながら、その場を立ち去った。
それにしても最近は、寿命で死ぬ人よりも、戦争で虫けらのように殺される人々や、事件や事故の被害者とかの方が大きく取り上げられることが多い。
こんなことでは、それこそ令和で終わってしまうかもな。




