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伊藤博文1

初回の冒頭、いきなり安重根(あんじゅうこん)に撃たれる場面から始まる。

「伊藤、死ね!」

ダーン!

韓国語の声と、銃声が響きわたる。たちまち血のりに覆われる。

安重根(あんじゅうこん)は、その場ですぐに取り押さえられ、連行されていった。

薄れ行く意識の中で、伊藤の脳裏には、

これまでに歩んできた道のりが、走馬灯として甦る。

そして、伊藤はそのまま息を引き取る。

「伊藤さーん!」


次の場面は、1841年、伊藤が生まれた日の場面だ。

もともとは、農民の家に生まれ、利助(りすけ)と名付けられた。

その後、足軽となり、伊藤の姓を名乗るようになる。

成長すると、俊輔(しゅんすけ)や、春輔(しゅんすけ)と名乗り、最終的に博文(ひろふみ)と名乗るようになったという。


1853年にペリーの黒船が浦賀沖に現れたのをきっかけに、幕末の動乱に入る。

基本的に、長州藩や、伊藤博文の周辺人物の動向が中心となる。

一方で、幕府側の人物の動向は、ほとんど描かれない。長州サイドから見れば、描く価値が無い、という認識だ。

吉田松陰が安政の大獄で捕らえられ、老中の間部(まなべ)下総(しもうさの)(かみ)の殺害をほのめかす供述をしたのちに死罪となり、その一報を聞いて伊藤をはじめ、長州藩士たちが嘆き悲しむ様子も描いておきながら、

一方で処刑を命じた側の井伊(いい)直弼(なおすけ)は、なんとナレ死という扱いになる。

この程度の扱いで充分、という長州サイドの認識である。

桜田門外の変で実際に井伊を討ち果たしたのは、水戸藩の浪士たちであり、長州藩は直接関係無いといえば、関係無いといえる。


吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作、桂小五郎【後の維新の三傑、木戸孝允】などは、

ほぼ主要人物として登場する。


長州五傑とも呼ばれ、幕末の1863年に国禁を破って英国へ密航留学したことでも知られる。


伊藤博文【内閣制度】

山尾庸三【工学】

井上馨【外交】

井上勝【鉄道】

遠藤謹助【造幣】


彼らは欧米の文明を学び、帰国後に日本の近代化・工業化を推進し、明治政府の礎を築く顕著な功績を残した。

もちろん、このエピソードは重要なエピソードとして書かれる。

詳しく調べたところ、このような記述があったので引用させてもらった。


メンバーと主な功績


5人はロンドン大学(UCL)で学び、それぞれ異なる分野で日本を牽引しました。


伊藤博文(俊輔):初代内閣総理大臣。

山尾庸三:日本工学の父。工業・技術教育を推進。

井上馨(聞多):初代外務大臣、大蔵大臣。

井上勝(野村弥吉):日本鉄道の父。鉄道ネットワークの構築。

遠藤謹助:造幣局長。貨幣鋳造の近代化に貢献。


背景と密航


当時、長州藩は「攘夷(外国を排除する)」の急先鋒でしたが、5人は西洋技術の優位性をいち早く理解し、開国と近代化こそが日本を列強の植民地化から守る道だと確信していました。

彼ら20代の若き藩士たちの働きかけによって、長州藩は攘夷の急先鋒から、開国、近代化、西洋化、そして倒幕の急先鋒へと、思考を変えていったのでした。


年齢: 密航時20代の若者たちでした。

留学先: イギリスのロンドン大学。


てめえが戦で手柄を立てればいいような時代は終わった、これからは国を挙げての総力戦、お国のために何かしろという時代だ、お国のために尽くせば、結果的に自分にもそれが還元されるんだ。

欧米列強につけこまれ、このまま日本が

植民地化したら、それこそどんな歴史になっていたと思う?

男は一生、奴隷として強制労働させられ、

女は乱暴されたり、戦利品として本国に売り飛ばされたりすることになる。

それを阻止したんだ、ということになる。


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