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茫洋の冬 中編

あなたは自己矛盾に陥ったことはありますか?

 このトラップ地獄の攻略開始から既に一時間ほど経過したが未だ僕達はスタート地点からおよそ5メートル程度しか進むことができていなかった。挙句の果てに結梨が元から幼児以上に甘えん坊であったのにも関わらずこの催眠地獄の影響で精神が相当やられたのか幼児退行してしまったのもここまで到達するのに一時間ほどかかった理由の一つだ。

 「あぁ、きぃちゃん…だめ…行っちゃだめだよぉ…。そっち危ないよ。だめ!」

 これだけを見ると一見駄々をこねる子供のように見えるが、実際結梨の"そっちは危ない"は当てになるのが恐ろしい。一体どこでトラップを見極めるような技術を習得したのだろうと思ったがここで深い思考に入り込むのは危険だと思われるので隅に置くことにした。

 結梨に言われた通りにその危険地帯を避け、一行はトラップ地獄を進みゆく。これをひたすら繰り返すことができれば無事にこのトラップ地獄を突破することができるだろうが今はそれよりも結梨の精神状態が心配でならなかった。結梨は人間であって地雷探知機ではないのだ。なのであまり無茶をさせないよう結梨に頼りきりになるのは避けるのが好ましい。しかしながら僕達には結梨のような地雷探知技術などは無論持ち合わせていないので結梨に頼りきりになるなというのも無茶な話だった。

 「そこで僕が考えた策はずばり、結梨を休ませつつ、地道にこのトラップ地獄を攻略していくというものだ!」

 「紀伊、それは名案だ。だがそんな勝ち誇ったような表情で言うことでもないぞ。そんな一捻りも二捻りも三捻りもされてない案誰でも思いつくものだ。」

 まさかのすぐ後ろにいた永絆さんに咎められてしまった。この流れなら維か結梨がなにか言ってくれるかなと正直なところ少し期待していた僕が馬鹿みたいだ。維の方へ目をやるといかにも虚ろという表現が当てはまる表情をしていた。どうやらここまで殆ど休止も無しにやってきたのがここに来て仇になったようだ。

 結梨はというと僕が背負っていた分僕の体重に結梨の体重が加算される形で結梨への肉体的負担は殆どない代わりに僕の足腰には途方もない重圧がかかっていた。

 背負っている結梨を少し揺さぶってみるとその小さな乳房がいい感じに僕の背中に擦れ思わず感嘆してしまった。

 そんな僕をほか二名である維と永絆さんは無機物でも見るようなそんな冷めた視線を僕に向けていた。それこそ"視線が痛い"と言ってやりたいくらいに─言わなかったけれど。

 確かに今さっき僕は結梨に対してセクハラに等しい行為をしたがそこまで冷たい目で見てくるだろうか。もしかすると僕の思い込みが激しいだけで実際は永絆さんと維は疲労で目つきが多少悪くなっているだけで僕の方へ目などくれていないのかもしれないし、元々僕の事が大嫌いで見下すような視線を向けていたのかもしれない。

 しかしどちらにしたって今気にするようなことではなかった。

 「おい、なにが今気にするようなことではないだ。それに当たり前のように独白のような言い方をしているが全部口に出ているぞ。」

 雪女の如く冷たい息を吹きかけるように僕への恨みつらみを吐いていく永絆さん。

 「だからそれやめろって、次からはお前の独白に全てカギ括弧をつけてやろうか。」

 ここで永絆さんと組んだのは間違いだったのかもしれない。

 「だからいちいちやかましいっ!」

 と─、唐突に僕の発言に対して鋭いツッコミを入れてきた。いやツッコミならそれよりも前の行で何度か入れられたがそれは僕の脳が認識を拒んでいるのでなかったことにしておく。語り部が僕で良かったと思わざるおえないエピソードだった。

 と、ここでオチをつけてしまっては『俺たちの戦いはこれからだっ!』といった打ち切り漫画と同じ系譜に飾られてしまうのでここは良い経験だったと言い換えておくことにする。

 今僕も独白したように今までの独白は全部僕のセリフなのだ。

 つまり僕は自分のセリフだけあえてカギ括弧をつけていなかっただけということなのだ。

 べつに全てのセリフにカギ括弧をつけろなどというルールは存在しない。まあもしそんなルールが存在するのならばルールブレイクするまでだ。

 「チッ……さっきから煩い。」

 先ほどの永絆さんの雪女と同様冷たい声だったが今度の声は永絆さんではなかった。

 後ろに目を向ければ今までに見たこともないような睨みを利かせている維が─いや、維さん─がいた。

 維さんの威圧感に気圧された僕は無自覚にも謝っていた。先ほどまでのたのしい雰囲気が崩れていくような、そんな感覚が僕のなかにはあった、いや、そもそもこの攻略を楽しんでいたのは僕だけなのかもしれない。僕だけだったのかもしれない。

 よく見てみれば永絆さんと維はかなり疲弊しているし、後ろに背負っている結梨は僕の背中によだれを垂らし虚ろなる表情を浮かべていた。

 そう、もともと僕以外はこのやり方に乗り気ではなかったのだ。もしかしたら自分は既に催眠にかかっているかもしれないという危機感と自分が今いる場所は現実だと信じたいと思う感情による自己矛盾によって精神的にも肉体的にもかなり疲弊しているのだろう。

 結梨は心ここにあらずといった様子で催眠トラップが設置されているであろう場所を指差していく。

 お陰で難なく先に進むことができるが既に一行の心はボロボロだった。

 「永絆さん、ここで一旦休みましょう。結梨のこともあるし、それに二人もそろそろ休憩したいでしょう?。」

 僕の言葉が二人に届いたかどうか分からなかったが二人は僕が立ち止まったことに気づきその場にどっかりと腰を下ろした。そのとき後ろに背負っていた結梨が半狂乱になって『ああああ』と呻きだした。

 「結梨?、どうした?、もしかしてここにもトラップが?」

 結梨は僕の質問に答えないかわりに永絆さんと維が腰を下ろした場所を必死に指さした。

 「っっ!?」

 僕は衝撃のあまり腰を抜かしそうになったが、後ろに結梨を背負っていたことを思い出し寸でのところで留まった。

 まさかここに来て結梨の地雷探知を掻い潜るトラップが出てくるとは。あまりの予想外にそのトラップを設置したであろう催眠通り魔には感嘆せざるおえなかったが今はそんなことに思考を割いている暇などなかった。

 やはり結梨にばかり盲目的に頼るのは危険だったのだ。盲目の少女に依存した結果自分達が盲目になっていたとはまさに皮肉だった。

 いくら過去の自分を責めたところでもう遅い。

 まずこれまでの状況をまとめてみよう。僕達は元々維を探すために永絆さんと協力関係を結び─僕一人では結梨を守りきれないというのもあった─街なかへと歩き出した。そこで倒れている維を発見した僕達が倒れた維に近づこうとしたところ上空から落ちてきた"魔物らしきもの"によってそれは阻まれる。

 無事魔物らしきものの討伐に成功した僕達は維を連れて目的を維の救出から生存者の発見へと変更した。

 再び行動を開始した僕達のもとへ現れたのは先ほどの催眠通り魔だった─。

 そして僕たちが催眠状態になっている短時間でここ一帯にあの催眠通り魔は催眠トラップを仕掛けていった。

 それから僕たちは結梨の謎の地雷探知能力によって催眠トラップが仕掛けられているであろう場所を粗方特定し、そこを避けながら行動するというのを繰り返してきて今現在ここにいるわけだ。

 さて、状況整理の終わったところでまだ課題はのこっていた。それはつまり今起こっていることの状況整理だった。

 今の結梨の判断が正しければ二人の座った場所には催眠トラップがあり、それは既に発動して僕たちは催眠状態に陥っているはずだ。

 しかし、やはりといえばやはりだったが"いつどのタイミング"で催眠状態に陥ったかはわからなかった。そもそも今僕達が催眠状態に陥っているかさえもわからない状況だったのだ。

 疲労困憊の僕達のところに試練のごとく舞い降りてきた催眠トラップに疲弊しつつも今はどうにか対処する他ないので、僕は結梨を背中から下ろし、この催眠世界の違和感を探すことにした。

 今更ながら思ったのだが催眠によって眠った人を外側から─肩を叩くなどして─起こすことはできるのだろうか。今までに催眠トラップに引っかかった回数は10回、そしてそのどれでも一番最後に目を覚ますのは僕だった。だからそれも検証できていなかった事象の一つだったのだ。

 なのでこういうのは一番最初に起きた人に聞くべきだろうということで僕は目の前の地面に座り込んでいる永絆さんに声をかけた。

 「うるさい、そんなのどうでもいい…。」

 ばっさり斬り捨てられてしまった。斬り捨て御免の"き"の字もないくらいにばっさりと斬り捨てられてしまった。

 不確定要素はできる限りなくしておいたほうが僕的にかなり安心できるが1番の証人である永絆さんが黙秘を選ぶなら今は引いたほうがよさそうだ。

 わざわざここで永絆さんの黙秘権を奪って言い合いになるのは僕としても不本意だ。

 というわけで目の前の問題へと目を向ける。

 まずは自傷。

 結梨に持たせていた鞄から雑に布に包まれたガラス片を右手の手のひらに持ち、これを左腕の手首をへと軽く当て、少し引く。

 ガラス片の場合はかなり切れ味がいいから少し切るだけでも適度な傷ができるから切るという一面においてはナイフよりも優れているだろう。

 しかし、残念ながら傷が塞がったり、傷口から血がダラダラ出てきたり、傷口から虫が出てくるような異様な光景は僕の目に映らなかった。

 まあこの程度で違和感が露呈してしまっては催眠通り魔の面子も丸潰れだろう。

 ここまでは想定の範囲内、次の作戦に移るまでだ。

 「維、いつものあれ頼める?」

 「もう疲れた。歩きたくない。」

 「少しでいいからさ、頼むよ。今動けるのは維だけなんだ。」

 そんな僕の発言に維が今までにない鋭い視線を僕に向ける。そしてその視線をゆっくりと隣にいる永絆さんへと向ける。

 「永絆さん、維の代わりに頼めますかね。」

 「断る。なんで休憩時間にもなって動かなくちゃいけないんだ、そんなの一番疲れていないそこの小娘にでもやらせればいいだろう。」

 永絆さんの投げやりな言葉に僕の中で何かが崩れた。

 気づけば僕達はかなりの間同じことで言い争っていた。そろそろ維の許容量も限界に来るだろうというところで永絆さんが僕の肩に掴みかかり、背中を壁に押し付けた。

 「っっ!、痛ぇよっ!」

 冷静を完全に失った僕を一瞥もせずに永絆さんは呟く。

 「維、こいつはやっぱり足手まといにしかならない。今のうちにここで縛って置いていこう。」

 ちょっと待て、今なんて言った。永絆さんの倫理観は遂に壊れたのか。それなら尚更ここに置いていくべきは永絆さんだろう。

 「維っ…こいつの言う事は聞かなくていいから─」

 僕の言葉を遮るように維のきつい拳が僕のみぞおちに入る。僕が弱ったのを見て永絆さんは見下したような視線を向けながら手を離し、その場を維に任せる。

 いくら女の子でもほぼ大人という年。しかも急所を殴られてしまってはいくら僕でも耐え兼ねる。

 「ぐぇ…あぁ、けほっ…。」

 なんとか呼吸を整えようとするがみぞおちを殴られたのが相当効いたのか嗚咽が止まらない。心なしか呼吸が苦しくなっているような気がする。

 そのとき、ビチャリと明らかに唾を地面に吐いてもならないような異音が僕の目の前で鳴る。

 目を瞬かせながらゆっくりとピントを合わせていくと、わずかに見えた赤色が輪郭を持っていく。 

 それは今までに見たことのないくらいに鮮やかなようで暗い色をした血だった。光の当たり具合で鮮やかに見えるだけで実際は真っ黒なのかもしれない。でもこんなに黒い血なんて出るのだろうか。

 「え…、え?」

 げほっ、ビチャ、ビチャビチャ。

 一度吐血すると栓が外れてしまった消火栓のように喉から血が噴き出してきた。

 そんな僕を見て焦ることも哀れむこともなく維を僕の上に馬乗りになる。

 「え、ちょっと…維、なにを─」

 またも言い終わる前に維は僕に向かって幾度となく拳を振り下ろす。そのたびに骨が砕けるような音が鳴り、僕の視界は歪みゆく。

 あれ、これもしかして死ぬのだろうか。

 直前になって焦燥感がこみ上げてきた僕に気づいたのか気づいていないのか維はさらに拳の速度を速めていく。

 人は死ぬ直前世界がスローモーションのようになって見えるというが実際はそうでもないらしい。なにせ維の拳は一倍速で僕の顔面へと落ちてくるのだから。

 もはや痛みなどそこにはなかった、だって僕は。既に只の肉塊なのだから。

 

 もはや何度目になるかもわからない目覚めだった。だが今回は今までの目覚めとは決定的に違うなにかがあった。それは僕から見てすぐ右にあるビルの裏路地、そこに催眠通り魔の姿があったからだ。

 僕の周りにはまだ眠っているであろう三人が倒れていた。永絆さんと維の体を踏みつけないよう気を張りながら結梨のもとへ近づき、結梨に持たせていたバックから眠気覚まし用のガムを一包み手に取る。

 ガムを奥歯に噛ませながら、落ちていたポールをしっかりと手に握る。ずっとこんな重いものを握っていたせいか、既に手のひらはマメだらけだった。

 でも今はそんなことを気にしている場合ではない。

 「やあ、さっきぶりだね。少年。」

 「さっきからこのトラップ地獄を攻略する僕達を鑑賞するだけ鑑賞して、一体なにが目的なんだ。」

 薄っぺらいどのラノベにもあるようなセリフを口にする僕に催眠通り魔はシニカルの笑みを向ける。見たところ先ほどと同じよう丸腰だが、隣に連れていた獣人の姿は見当たらない。

 「私はなにか間違ったことをしていると、君は思っているのかい?。なら逆にこっちから質問させてもらうわ。ゲームの製作者が、自分の作ったゲームをプレイするプレイヤーのこと鑑賞して何が悪いの?。」

 質の悪いことにこの女は自分が悪事を働いている自覚がなかったようだ。ならばこれ以上の会話は不毛だ。こちらとしても冷静さを欠く前にあいつを処理したい。

 しっかりとポールを握り直し。催眠通り魔に一歩近づく。

 「それじゃあボスらしく自己紹介させてもらうわ。私の名前は鷹眼眠子、催眠術師。裏社会なんかでは爆弾魔なんて呼ばれていた時期もあった。あぁ、きみの想像するような裏社会とは決定的に違っているからここで訂正しておく。私の言う裏社会っていうのは異常性癖者の集まりのことだよ。それも犯罪者のね。

 ロリコンから始まり解体癖持ち。さらには一家惨殺癖を持った者まで。私は今言った中だと、まあ全て当てはまるんじゃない?。

 でもさっきも言った通り私の異名は爆弾魔。催眠も好きだけど、やっぱり無粋よね。催眠なんて自分のフィールドに他人を引きずり込んで嫐っているようなもの。そんなことをして一体なにが楽しいの?、そんなゲームがあったら捻り潰してやりたいわ。

 まあとにかく私の趣味は爆弾。爆弾を使って人の体をバラバラにすることが趣味の殺人鬼。

 それにしてもここは香ばしいわね、年頃の女の子二人に、男の子。それに成人済みの女性まで。爆破しがいがあるわ。」

 どうやらこの女は相当気が狂っているらしい。もはや会話など無意味に等しいだろう。

 今この女が言ったことが本当なら爆弾を使った戦闘をしてくるはずだ。爆弾による戦闘ならいくらかひねらなければならないだろう。

 その分僕は単純な鈍器。これをただただあの女の脳天めがけて振り下ろすだけで十分なのだ。

 それにしても爆弾魔か、点と点が繋がった。催眠と地雷を掛け合わせたようなトラップにも合点がいくというものだ。

 結局のところあのトラップがどういう仕組みで動作しているのかは分からない異常ここで無理に動いてこの女の言うところの爆弾ば炸裂でもしたら僕だけでなく周りにいる三人の体もバラバラに吹き飛ぶことになるはずだ。

 そうなれば全滅だ。それだけは絶対に避けなくてはならない。

 「それにしても君は、特に爆破のしがいがあるわね。もはやオーラともいえるレベルで自らのトラウマをぶら下げながら歩いている姿を見るのは心地がいいわ。そういう人間を見ると、骨抜きしたくなる。」

 骨抜き、一体どういう意味なのだろう。言葉の真意が見えないというのはこういう場面においてかなり厄介だ。

 この百足にでも体を縛られ、身動きの取れなくなったところを蛇に品定めされているような感覚は魔物に初めて遭遇した時のような感覚だった。

 「ふふ、あはははははは!。どうやら君のはトラウマとはまた違ったもののようね。それは、ふむ、そうか。潜在的恐怖ね。そういうレアケースは私の1番の好物よ。運が悪かったのね、少年。」

 どうやら既に品定めは始まっているようだった。

 「──勝手に人の心をっ─

 僕の言葉を遮った女の言葉はさっきとは一際冷たい声だった。

 「そして、その潜在的恐怖の奥底にいるのがそこの桃色の髪の少女、穹月結梨か…。」

 「ちょ…おいこら─」

 さすがに結梨の話題を出されて冷静さを保っていられるはずもなかった。おそらくこれは催眠術の一瞬で僕の冷静の仮面を少しずつ剥がしていって深層心理を顕性化し、最終的には僕を催眠状態にするつもりなのだろう。

 冷静さを欠き、このまま女に意のままに動くという選択は全滅という未来へ猪突猛進していくイノシシと何ら変わりない。

 僕は人間だ。たとえそこに大切な人が関わっいたとしても冷静だけは欠いてはいけない。

 落ち着け、深呼吸だ。これ以上の追撃は許すな。

 ポールを握り直そうと手元に視線を移すと手が小刻みに震え、掌が汗で滲んでいるのがはっきりとわかる。もう既に平静を保とうというのには無理があった。

 「じゃあ、私が君のその潜在的恐怖を解消してあげるわ。まず、そのポールをしっかり握って。そうしたら次にそのポールを持って穹月結梨に近づく。」

 この女は一体何のつもりだ?、恐らく僕に結梨を殺させるつもりなのだろうがそもそも催眠にかかってもいないないのにわざわざ敵の命令に従うようなバカは存在しない。いや、それは少し言い過ぎかもしれない。ゲーム感覚で敵に寝返る奴もいれば寝返っていることにすら気づけない愚か者もいるのだ。

 だが大半は脅されているわけでもないのにわざわざ敵の命令に従うような愚か者はいない。大切な人を命を奪えと命令されているなら尚更だ。

 「あらそう、どうやら君レアケース中のレアケースのようね。あなたみたいなタイプはこう言えば大抵命令通りに動くのだけれど。」

 まるで僕の頭に異常があるとでも言いたげな様子だった。いや、あの目は完全に人のことを狂人として見ている目だ。そしてその視線を向けられているのは僕自身。

 「もしかして、君。異常者の自覚がないの?。そうなればそれはもう本物ね。

 本物の異常者よ。私達でも遠く及ばないレベルの異常者だわ。はっきり言ってもう手遅れよ。」

 さっきからやたらと鼻につくような物言いをしてくるがこの女一体何様のつもりだ。

 別に結梨を悪く言われたわけではなかった。

 別に家族を悪く言われたわけではなかった。

 別に仲間を悪く言われたわけではなかった。

 ただ、自分のことを悪く言われただけなのに、なぜこんなにも憤りを感じるのだろう。

 こんなくだらないことで冷静さを欠くなど僕らしくない。 

 いや、これはもっと単純な話なのかもしれない。

 そう、ただただ、核心を突かれたから。

 この女の言い回しはかなり回りくどく分かりづらいが。僕は深層心理でその言葉の一つ一つをすべて拾い理解していた。

 結梨を失うのが怖い。

 結梨に嫌われるのが怖い。

 でも嫌われるのが怖いからと会話を避ければ結梨に目をつけた誰かが結梨を掻っ攫って行ってしまうかもしれない。

 結梨を失ってしまうくらいなら、今のうちに殺して僕だけを見たまま終わらせたい。

 でも殺してしまうのは常識の範囲外でそんなの論外だし。だからと言って殺さなければ誰かに靡いて僕のもとを離れてしまうかもしれない。なら結梨を一生自分のモノにするために監禁でもして支配してしまえばいい。結局のところ1番の問題は結梨が社会にかかわってしまうことが問題なわけだから人間社会から完全に断絶、いや僕という橋渡しだけを残してそれ以外を全て断ち切ってしまえば結梨は僕以外とはもうコミュニケーションすることが不可能なのだから誰かに靡く心配もない。

 だがそんなことをすれば結梨はきっと僕以外に好意を向けることがなくとも僕に好意を向けることはなくなってしまうだろう。

 このジレンマが僕にとって恐ろしくて堪らないのだ。

 これがあの女、鷹眼眠子の言った僕の潜在的恐怖なのだ。

 だが、今はこのジレンマを断ち切らなければならない。ここでこの二律背反に決着をつけることこそが、爆弾魔、鷹眼眠子との勝負の行く末を決める。

 僕どっちを選ぶ。

 1.結梨の幸せ

 2.僕の独占欲

 

 もはや、迷う理由など必要なかった。

 僕は再びポールを握り直す。今度は手汗で滑ることはなかった。

 「ふぅん、それじゃあもう催眠は効かないわけね。あなたももう気づいているだろうから説明は不要だろうけど一応言っておくわ。

 私の催眠っていうのは自己矛盾を軸とした心の隙間を利用してそこに都合のいい情報を流し込んであげるっていうシロモノなんだけれど。

 これって自分のなかに絶対的なものがある人間には通じないのよね。特に今のあなたのように狂うことに徹底した人間はもっとたちが悪いわ。」

 そう、鷹眼の言う通り人間の脳というものはいつも楽な方に逃げようとするように設計されている。例外はない。

 彼女の言う"隙間を突く"の意味はよくわからなかったが確かに心のなかで大きな矛盾が発生しているときは心が揺らいでいるわけだからそこに揺さぶりをかける感覚で相手にとって都合のいい言葉を流し込んでやればあっさりコントロールすることができるのは事実だが、それなら相手にとって都合のいい言葉、情報は一体どこから手に入れているかというのが問題だった。

 さすがに適当を言っていわけではないだろうし、なによりあの催眠トラップには説明がつかない。

 疑問は多いが今はこれ以上混乱を招くのは避けておきたい。また自己矛盾に陥ってしまえば相手の思う壺だ。

 一歩を踏み出そうとするが、脹ら脛が言うことを聞かず僕はポールを投げ出して転倒してしまう。

 クソ、何をしている。いくらなんでも隙をさらしすぎている。背中の傷は剣士の恥だとか某漫画では言っていたが、現実に背中に傷を受けそうな状況にさすがの僕でも焦りを隠しきれなかった。

 必死に立ち上がろうと藻掻いてみるが、やはり足は言うことを聞いてくれはしない。漫画だったらここで仲間が立ち上がって一緒に戦ってくれるか、主人公が覚醒して敵を一方的に嬲るというのが通例だが現実はそうはいかなかった。

 鷹眼眠子はその爆弾魔という異名には不釣り合いな最新型であろう手榴弾をポケットから取り出し。そのピンを抜く。

 猶予を与えるつもりなのだろうか、鷹眼はピンを抜いたものの安全レバーを握ったまま僕を一直線に見下ろして仁王立ちしている。

 「猶予?、ちがうわね。私はフェアな戦いがしたいのだから君が立ち上がるのを待っているだけよ。言ったでしょ?、私は君にこそ遠く及ばないものの、異常者の一人なんだって。」

 戦いに喜びを感じる異常性癖者か、確かにその点で言ったらもしかすると僕も同じなのかもしれない。

 久しぶりに、生きた心地を感じられそうだった。

 今度は足が縺れることも、言うことを聞かないことも、言い訳をすることもなく素直に立ち上がれた。やはり人間というものは快楽に弱い。エンドルフィンが過剰分泌しているのだろう。

 エンドルフィンが過剰分泌すると異常な高揚感、痛覚の麻痺、快楽依存、そして判断力低下が生じるらしいがむしろそれが枷になるとは到底思えなかった。

 死闘というものはエンドルフィンが過剰分泌して、快楽を追求してこそのものなのだ。それはゲームでも同じ。無双ゲーなんかで高揚感だったり爽快感を感じるのは実はこれが関係しているからなのだ─実際にエンドルフィンが関係しているかはわからないが─。

 掌に握ったポールに忘れていた熱が灯る。

 体中の血液がどこかに集中することなくひたすらに循環していることがこの火照った感覚からわかる。

 もはや過剰に循環しているのではないかと錯覚に陥るほどの火照りだった。

 「それじゃあ、始めましょうか。爆弾魔、鷹眼眠子。この戦いは、どちらかの命が果てるまで決着は無しです。そして他者による介入も無し。お互いに1v1での勝負です。オーケーですか?」

 「勿論、異論はないわ。それじゃあ死闘を始めようか、人類最低の異常者、水月紀伊。」

 ええ、それじゃあ恨みっこなしで殺し合いを堪能しましょう。


 お互いに貧血にでもなるんじゃないかというくらいに傷だらけになっても尚、やはり勝負が決することはなかった。

 僕は手榴弾の破片を幾度となく受けて。

 鷹眼眠子はポールによる打撃を幾度となく受けて。

 因みに開戦したあとすぐに僕達は結梨たちを巻き込まないためにフィールドを屋外から屋内へと変えた。

 死闘は移動前に始まったわけだからもちろん移動中も戦闘を繰り広げていたわけだがそれだと本末転倒ではないかと思われそうだが移動は死闘ではなくウォーミングアップだったので本末転倒になるのは避けられたと思われる。

 そして現在、僕達は屋内での死闘を繰り広げている中エンドルフィンが切れてしまったのか蓄積した疲労がキャパオーバーしたのかお互いにひと言も発さずに遮蔽物に身を隠し英気を養っているというところだった。

 いくら幾度とない攻撃を耐え抜いているからといってもさすがにこれだけ長時間戦っていればかなり疲弊するのだ。

 と、そんなとき暗黙のルールを破るようにひとつのボールが転がってくる。手榴弾だ。

 僕は幾度目になるのか慣れた様子でポールを握り、手榴弾を打ち返す。

 すると遮蔽物からわずかに離れたところで手榴弾が炸裂したであろう爆音が響いたのでそれが契機だろうと僕は遮蔽物に背を向けながら素早く立ち上がり。鷹眼が隠れているであろう遮蔽物へと走り寄る。

 しかし予想外なことにグレネードが括り付けられた矢が僕の脇腹を貫く。

 「ぐぅっ…!」

 火事場の馬鹿力で脇腹に突き刺さった矢を引き抜き、少し重かったので槍投げの要領でで矢が跳んできた場所目掛けて投擲する。

 「あたったか─!?」

 「残念っ!」

 どうやら今の矢に括り付けられていたものは手榴弾ではなかったようで爆発しなかった。代わりに僕が立っていた地面に設置されているC4が足元で破片を辺りに飛ばしながら爆散する。

 さすがにこれほどの爆風の爆心地に入れば破片で串刺しになるか全身やけどでもするかと思ったが、幸い殆ど無傷に等しかった。

 爆弾が足元で爆散してなぜここまで無傷でいられるかはわからなかったが都合が良かったためあまり深くは考えずに今は目の前の問題へと目を向けることにした。

 足に刺さった破片を指で一つ一つ抜きながら物思いに耽る。

 一発目の矢には本物の手榴弾が括り付けられていたが、二発目の矢には偽物の手榴弾が括り付けられていた。そして足元にあったのはC4。

 この手際の良さは将棋で何手も先を読む棋士のようだった。だが少なくともこの世界は将棋以上に複雑だ。故にここまで要領良く僕を誘導できるはずもない。

 「ん〜?、なになに?、私に未来予知の能力が備わっているだって?。まあそれはないわね、私はただただ棋士の如く二手先を読んだだけよ。」

 「いや、それはあり得ない。この世界は将棋ほど単純じゃない!」

 僕は少しだけ声を張り上げながら言う。

 「馬鹿で単純ね、やっぱり君異常者だけで中学生の餓鬼よ。

 なにも世界を読む必要なんてない。重要なのは相手を読むことよ。」

 「相手を読むこと…。」

 「そう、どんな勝負事でも相手を読めなければ勝機は掴めない。自分と互角、または自分よりも強い相手なら尚更ね。あぁ、一応言っておくけど私は君が強い相手だと認めたわけじゃないわ。ただこれは私の癖よ。」

 はあ、癖か。癖ね。

 鷹眼の言葉を反芻しているうちにあるアイデアが浮かんだ。それは鷹眼が自分の癖を長所だと思い上がっているからこそ使うことのできる作戦だ。もし鷹眼が分析癖を長所ではなく短所と理解していればこの作戦は通用しない、それどころかかなりの痛手になりうる。

 一か八かだ。」

 鷹眼の予想ならこのあと僕は遮蔽物を出て真っ直ぐ鷹眼の隠れている遮蔽物へと向かってくるだろうと考えるはずだ。なぜなら僕は直前までそうしようと思っていたからだ。

 遠距離攻撃には近距離攻撃。ジャンケンと同じ理屈に考えるのが僕の癖でもある。

 そして鷹眼は既にその癖を見抜いている。

 だからここは、突拍子もない行動をする。

 それは、逃避。

 「え…?、え!?、ちょっと紀伊君!、私を置いてどこに行くつもり!?」

 僕の予想通り鷹眼はかなり驚いた様子を見せた。あれはここ数十分で見てきタ演技とは確実に違っていた。

 これで間違いない。あとはこの先の選択さえ間違えなければ勝機ありといった様子だった。

 「っ、クソっ、僕の足っ持ってくれぇぇっ!」

 最速を目指すマラソン選手のように必死に足全体を使って階段を降りていく。ところどころ崩れており何度か足元が縺れるがそれでも止まるわけには行かない。

 既に平静を取り戻したであろう鷹眼が手榴弾付きの矢をひたすら撃ち込んでくる。よく見えなかったがあの連射速度からして鷹眼が使っている武器は弓ではなくクロスボウなのだろう。

 と─、足が縺れてしまい、僕は階段を転げ落ちてしまう。

 「っ…いってぇ…」

 追いついたであろう鷹眼の爆散矢が僕のすぐ後ろに突き刺さる。

 やばい、避けられない。

 時すでに遅し、手榴弾がま後ろで爆裂し爆風で僕は一気に階下へと吹き飛ばされる。

 地下ではないが今はもうなりふり構っていられない。とにかくあそこへ向かうのだ。あの場所なら鷹眼を欺き、この長い死闘に決着をつけることができる。

 すぐに態勢を立て直し、目前の男子トイレへと駆け出す。

 「ッチ、あぁあ、紀伊君どこ行っちゃったのかな?、私すっごく寂しいわ。

 はぁ、もうルールとかどうでもいいわ、出てこないなら三人を人質にとって屋上に立てこもるから、オーケー?」

 疲労困憊であろう鷹眼がけだるげに言う。

 「ねぇ、まだ出てこないの?、これだから堅気の餓鬼と戦うのは嫌なのよね。武士道精神はないくせに詐欺師の才能はやたらとあるんだから。」

 そのひとことひとことは僕を刺激するために言っていることなんだろうがわざわざ気にするほどのことでもない。これは所詮せ戦略でしかない、引っかかる価値もない薄っぺらい言葉だ。

 「ふぅん、じゃあ三人人質にとっちゃお。じゃあね、もう二度と会いたくないけどまた会うことになると思うわ、クソガキ、水月紀伊。」

 足音がゆったりとした歩調で遠ざかっていく。まだだ、まだだ、耐えろ。我慢しろ。

 「は"ぁ"ぁ"、紀伊くぅん…本当にそれで─、えぇっ!?、奇襲オチなんてサイテー!!」

 僕は個室の天井付近の隙間から身を乗り出し鷹眼の頭上へとゆっくりとポールを振り下ろす。

 記憶番号03 鷹眼眠子

 私は生まれつき視力が酷く弱かった。

 誰かの助けを借りて生きていくことができればこんな私でもきっとよい人生を歩むことができたのかもしれないが現実はそう甘くはなかった。

 私の生まれは中東の貧民街だった。

 親はいない。私の生まれた頃から既に独りきりだった。でも私は地元に住む大人たちのお陰でそれなりに幸せな生活を送ることができた─衣食住すべてが手にはいることはなかったが─。

 そんなことが続いたある日の晩私の街は戦争によって焼き尽くされた。私を育ててくれた街の大人たちや、唯一できた友達の女の子さえも。火の海へと消えてしまった。

 私はその後戦争孤児という扱いのもと私達の街を焼き尽くした敵兵によって誘拐された。

 でもその後私は全てを失ってもなお、幸せになってしまった。

 連れ去られてすぐのこと、敵兵の一人であったジャックによって私は引き取られ、かつての貧民街での生活では手にはいらなかった綺麗な衣類と、朝と晩の食事と、住む場所を与えられた。

 だがなにかが満たされなかった、それは間違いなく焼き尽くされた故郷に残してしまった大人たちや友人への罪悪感故なのだろう。だが時が経つにつれ私はそんなことも忘れてしまった。

 ジャックは私を戦争孤児としてではなく、一人の娘として扱ってくれた。それはあの街で注がれた愛情よりもより深く感じることができた。あの街で感じだ友情を全て忘れてしまいそうになるほどだった。

 だが、ジャックに愛情を注がれるたびに、私の視力は落ちていった。原因は分からない。でも私はその事実をジャックに申告することはなかった。

 なぜなら、そうしてしまえばもう二度とジャックの愛情を受けることができなくなってしまうのではないかと、私は思ってしまったからだ。

 ジャックからの愛情は尽き果てることなく私の冷めた心へ注がれ続けた。

 そしてついに私は、光すらも感じ取れなくなってしまった。そんな私を見てジャックは完全に愛想を尽かし。私を日本在住のジャックの友人へと預けた。

 その時には既に私の心は粉々に砕けていた。

 その後のことはまるで靄がかかってしまったようにあまり思い出せなくなってしまったが。

 ある日のこと、私に転機が訪れた。何故か突然全て失ったはずの視力が朝起きると元通りになっていたのだ。

 その原因はなんとなく理解していたが当時の私は理解を拒んだ。

 当時の私は愛情恐怖症になっていた、故にジャックの友人で私を預かってくれた日本在住の方─ここから先は父と呼称する─はジャックとは違った形で愛を注いでくれたのだ。

 私が間違ったことをすれば普通の親のように叱ってくれたし、私が良い行いをすれば褒めてくれた。私が学校で虐められれば仕事をバックレてでも跳んできてくれたし、私が誰かを虐めてしまった時も私のところまで跳んできて、叱ってくれた。私を愛してくれた。

 本当の愛を、生まれて初めて、いや生まれてから二度目─つまり、最初は貧民街で受けて大人たちからの愛情─だった。

 だけど、そんな父は、私との些細な喧嘩の最中に死亡してしまった。いいや、私が殺した。

 意図的にではなかったが冷静さを欠いた私は父をベランダから突き落として殺した。

 これが、三度目の喪失だった。

 もう既になにも信用できなかった。

 だけど、愛を思い出すと、度々心が温まるのはなぜなんだろう。

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