救うべきもの
磨かれた銅戈は、セイランの首を目指した。
「はは! あたしがあんたたちなんかに殺されるわけないじゃん!」
セイランは乾いた笑いを発する。振り下ろされた矛をかわして蹴り上げた。空に浮いた武具を右手で掴み、反撃する。
「持ち主に噛みつく生贄なんて、いらないんだから!」
セイランは怒りを託すように柄を握りしめた。
鋭利なる刃は、部下の臓器を狙う。
「セイランさま! おやめください!」
制止する声とともに金属の衝突音が響いた。
セイランによる部下への制裁は、頭巾姿の小柄な女性によって止められた。
「ちょっとお、邪魔しないで!」
銅はぎりぎり、と音を立てる。
「矛をお納めください、セイランさま。部下を殺めれば取り返しのつかないことになります」
「あたしに指図しないで!」
セイランが体制を立て直すために一歩、引いた。
漆黒の髪を覆う少女の頭巾は、その顔を隠す。
頭巾姿の少女はセイラン軍の兵士を安心させるように静かに言った。
「セイラン軍のみなさま。ご安心ください。まもなく婦好軍がかけつけます。戦えない者は武器と防具を捨てて無関係の民となり、安全な場所へお逃げください。戦える者は婦好軍第二隊として参集ください」
「婦好軍……? あなた、だれ?」
黒髪が風を受けて舞う。
「影の者です。主の命を受けて参りました」
「……あなた、まさか、サクちん?」
少女は頭巾を解いて告げた。
「いいえ。わたしはサクさまにお仕えする者。セイランさま。主の命により、あなたを救いに参りました」
「……あー、そういうこと。サクちん、キビちんの変わりを雇ったんだ。それでサクちんの手下が、なんでここにいるの?」
セイランは矛を納めながら、ハツネの周りをまるで品定めをするように歩く。
「気づきませんでしたか? 兵が増えていたこと」
「増えた? そお? いちいち気にしてないや」
ハツネはセイランとまっすぐに向き合う。
「セイランさまは ひとりひとりの兵の顔が見えていないようですね。それがいまの孤独な結果に繋がった」
「こどくぅ? なにそれ」
「セイランさまの味方はここには、おりません」
「そんなこと、ないよお。裏切った子がおかしいだけ! ねぇ! あたしについてきてくれる人はこいつを排除して!」
セイランはハツネを指差した。
セイランとハツネを取り囲んでいた女たちは、互いに顔を見合わせる。
もはやセイランの命令で動く者は誰もいなかった。
「うそ……。本当に……? あたしの味方はいないの?」
「セイラン軍は追われています。時間がありません。ここで言い争う暇があれば、逃げましょう。戦える者は婦好軍とともに」
セイラン軍の兵士のなかに、リツに命じられた第二隊の精兵数十名が潜んでいた。
セイラン軍はみな、ハツネの指示に従う。
戦える者は第二隊に従い、
戦えぬ者は、武具を捨てて野に潜る。
この時、事実上、セイラン軍は解散した。
朝に従えていた兵士が次々と離れてゆく様子を、セイランは見つめていた。
「どうして……どうして……? どうして誰もわかってくれないの? あたし、たくさん頑張ったんだよ? これからだって言ってるのに……」
セイランの動揺に、ハツネは淡々と発言した。
「その努力、方向が間違っていたのではないでしょうか。セイランさまは誰もわかろうとはしなかった。だから、誰もセイランさまのことはわかりません。そのようなかたに、ひとはついていきません」
「知らないくせに……。知らないくせに、わかったようなことを言わないで!」
セイランはハツネに掴みかかった。
ハツネはまっすぐにセイランを見つめ返した。
「はい、わかりません。わたしは、あなたではありません」
激昂したセイランに対して、ハツネは冷静に問う。
「セイランさまは、どうされますか。ここに残りますか。もし捕まれば酷い仕打ちを受けることは必然でしょう」
セイランはその場に座り込み、脚を組んだ。
「あははっ! 酷い仕打ちぃ? こっちはそんなの、もう慣れてるの。こうなったらなるようにしかならないんだし、好きにしたらいいよ。婦好ちんに伝えて。セイランちゃんは、敵さんの前で裸で踊りながら死にましたって」
セイランは着ている布を外して、空に円を描く。故郷の唄を歌い、舞踏を始めた。
ハツネは小さく長く息を吐いた。
セイランは自暴自棄になっている。
ハツネの耳に、遠く、軍足の音が届いた。
あと一時でもここに留まれば敵に見つかるだろう。
普段のハツネであれば、セイランに烏頭を授けるところである。
しかし、セイランが捕まれば、ハツネの仕事は完遂されない。
ハツネは踊るセイランの左手を取り、告げた。
「セイランさまにあらかじめ申しておきます。思い違いをしないでください。わたしは、主の発言をお伝えするだけです」
握りしめた手に力を込める。
「婦好軍はあなたを救います」
セイランの虚ろだった瞳が、ハツネのそれと逢う。
ハツネは敢えてサクの声色を模した。
「セイランさま。サクさまは言っていました。救うべき少女は、あなただった、と」




