離心
※セイラン視点です。
「みんなのやる気がないのは、知ってるよ」
セイランは、誰にも聞こえない声でぼそりと呟いた。
セイランの独り言を気に留めるものはいない。
誘惑には期限がある。
だからこそ、短期間で動かなければならない。
人を動かすため、兵士に餌を与えるために、セイランが持つものはすくない。ゆえに他へ恩賞となりうるものを奪いにゆく。
しかし、蒙方の者を従えながら、蒙方を攻めるわけにはいかない。
蒙方に隣接した、大邑商に縁のない土地へ侵略する。
味方には略奪を許した。
それを以って兵士たちへの恩給とする。
大邑商に従ったほうがいいことを、身体で覚えさせるのだ。
大邑商の求めるものは、人と物。そして、領地。
兵士が求めるものは、褒賞。そして、快楽。
「このセイランちゃんが、全部いただくよん」
「ねえ、セイラン。本当に暴れてもいいの?」と、衆人の頭が問う。
「いいよん。全部、ほしいままに略奪しちゃって。あたしが許す!」
セイラン軍千五百、衆人千余の兵士が邑を襲う。
悪虐の限りを尽くした。
「あははははは! 楽しい!」
***
セイランのもとに伝令が到来した。
「北より、蒙方が攻めてまいりました」
敵の襲来にセイランは恐れることなく喜ぶ。
「やっときたあ! 敵の数は?」
「およそ三千」
高台から観察すると、人の塊が黒く見えた。
大軍が、事態が動く。
蒙方の軍は大きな渦を描いていた。
セイランの背に、震えがぞくぞくと走る。
己の色香と引き換えに、敵の兵を併呑して戦わせること。
それは大きな賭けではあるが、自身にしかできないことだとセイランは自惚れた。
男にも婦好にもできないだろう。
「三隊にわけるよ! みんな、やっちゃって!」
セイラン軍が、蒙方の軍と衝突する。
蒙方の軍はセイラン軍よりも強い。
蒙方は寄せ集めの集団だが、一つの集落単位の統率力は非常に高い。
また、異民族の蛮勇なる戦いかたは、儀礼を重んじる大邑商のものとは違う。
セイラン軍が最前線に立つ。
饕餮の男の軍は右へ、衆人の集団は左へと動いた。
「みんな、いい動きしてるじゃん! そのまま押し込んで!」
セイランの掛け声に反するように、陣形の右の翼が敵に併呑された。
饕餮の男が裏切ったのである。
強き一隊はごく自然に敵に吸収され、セイラン軍へと反旗を翻した。
「ええーー、なんで? 約束はどうしたの? 約束を破っていいわけ?」
「おまえに従うわけがない。おまえが俺を利用していたようにこちらもおまえを利用していただけだ」
しばらくセイラン軍として戦っていたようにみえた衆人たちも、左の翼が失われるように離脱した。
「ごめんね、セイラン。君にはもう飽きちゃったんだ。じゃあね!」
「うそ、どうして? 裏切るなんて、信じられない。ひっどーーい!」
二隊の裏切りに遭い、セイラン軍は弱体化した。
「ううん。失敗しちゃったかぁ。残念だけど、いったん撤退するよん!」
セイラン軍は一度引いた。
追撃の手はやむことはない。
セイランは恨みを買いすぎたのである。
後方の兵士は次々に捕らえられてしまう。
命からがらに逃げた。
敵の目を逃れるために山間へ入った。
撤退の途中、部下が沈痛な面持ちで問う。
「セイランさま。これから、どうするのでしょう。ご指示を」
「ふふふっ、問題ないない! これこそが、あたしの目的なんだよ? 誰か、あたしの考えを読めてた人、いる?」
セイラン軍の部下およそ千人の視線がセイランに集中した。
無謀な挑戦による敗戦を喫してもなお、セイランの自信に満ちた様子に、部下たちの顔が曇る。
「大丈夫大丈夫! これはあたしの作戦っ! 蒙方を大軍でおびき寄せるための罠だよ? あたしは、商王のための狩場を作ってただけっ! あたしの策を聞かせてあげる」
セイランは部下へ語った。
その策とは援軍到着までは逃げ切り、その後にセイラン軍が一丸となって本陣に攻め入り、武功を得るというもの。
それに対して、部下が述べた。
「まず、逃げきれられるとは思いません。我々の脚力では……」
「みんななら、できるできる! 作戦はわかった? みんな、商王の援軍が来るまで頑張ろうっ!」
セイランが鼓舞した瞬間、部下のひとりが進言した。
「セイランさま、降伏しましょう」
「はあ? なに言ってるの?」
「もう……耐えることは無理です」
部下の弱音に、セイランは声色を変えて告げた。
「甘いこと言わないで。なら、ここで死んでちょうだい。女の命なんて、豚や羊と同じなんだよ? あたしの言うことに刃向かわないで!」
その瞬間、セイランの首もとに矛がつきつけられる。
「……なにこれ、どういうこと?」
セイランの部下が、粛々として答えた。
「我々は、セイランさまの首をもって、降伏します。もう、セイランさまへついてゆくことはできません」
「はあ? さっき言ったよね? あたしは商王へ活躍の場を用意したんだよ? 逆転はこれからじゃん!」
「もう、限界です。みな、疲弊しています。身体を使い果たし、戦では強者は不在。兵は少なく、勝つ見込みはありません」
「なに言ってるの? これからががんばりどころじゃん。もうすぐ微王の軍がくるんだよ? もちこたえれば、報酬はすぐ目の前なんだよ?」
「もちこたえられません。我々に待っているのは、死です。それならば、生きるための選択を考えます。つまり、セイランさまの首を土産に、敵に赦しを乞います」
「……本気? 冗談だよね?」
「申し訳ありません。セイランさまは、女の命は豚や羊……祭祀の生贄と同じだとおっしゃいました。あなたも例外ではありません」
「耐えれば活路は見いだせるから! ね、あたしを信じて!」
「セイランさまの無謀なる空想によって死した者が、死後の世界にてお待ちしていることでしょう」
部下の矛はセイランの首を狙って高く掲げられた。鋭利なる刃に陽光が反射する。
「さようなら、セイランさま」




