不穏な気配
サクは会談で感じた不穏な気を思い返していた。
ハツネは必ず日没頃に現れる。サクは彼女を喚んだ。
「ハツネ。おりますか」
夕陽を纏った木々がざわめく。
葉の影が伸び、サクに似た女性が現れた。
「はい、こちらに」
「セイランさまの状況を教えてください」
「はい。セイランさまは未だに衆人の頭のもとにおり、兵およそ千五百を率いています。衆人の心を捕らえていると思いこんでおりますが、実際は掌握しきれていません」
「掌握しきれていない……。セイランさまだけでなく、配下の女性の肉体をしてもですか」
「はい、残念ですが」
セイランの配下もまた、衆人の兵たちと関係を持っている。それにも関わらず──。
「セイランさまは誰の心も掴んでいないということですね」
「もともと、セイラン軍と組んでいたのは目先の若い身体……餌によるものと推察されます」
「そうですか。蒙方の動きは」
「蒙方もまた、まとまっているわけではありません。有力な一族の連合体。もともと好戦的な民族ではありません。しかし、ここ数日で、大邑商との戦いへ参集する動きがあります」
「数は最大で」
「多く見積もって、三千程度でしょう。まだ察知しておりませんが、鬼方、土方が動く可能性もあります」
「三千、わかりました」
諜報活動を得意とするセイランもまた、同じ情報を得ているであろう。
セイラン軍は三千の兵に対してどのように戦うと考えられるか。
サクは、眼を閉じて告げた。
「セイランさまが得意だと思われている考えは、敵の男性を吸収すること。とすれば、最も考えられるのは、捕虜の──饕餮の兜をしていた、蒙方の男と兵をとりこむことです」
サクの発言に、ハツネの眉間に深い溝ができる。
「そんなことが、あり得るでしょうか。セイランさまは、かの兜の男の恨みを買っています。あり得ません」
「あり得ませんが、お互いが有益な関係であればあるいは」
あり得るのだ、思考を停止するよりは、そう考えた方がよい。
そして、そのゆくすえは──。
***
サクは、婦好の部屋を訪れた。
しかし婦好は不在であったため、隣接する祭祀のための部屋にて主人を待つ。
「サク、待っていたのか」
サクを見つけた婦好は足を止めて、上衣を翻す。
「婦好さま。セイランさまのことで、お話がございます」
「聞こう。セイランはどうなると読む」
「セイランさまはまもなく危機に陥ります。衆人と、捕虜をも取り込み……蒙方を攻撃しますが、失敗するでしょう。あらゆる事態に対応できるよう、全軍へ伝達してもよろしいでしょうか」
会談での不穏な気。
ハツネからの進言。
総合すると、そのような可能性が高い。
「あはは。サクもずいぶんと成長した。頼もしいな。セイラン軍をみて、どう思った」
「士気が低いと感じました。セイランさまひとりが突き進み、誰もついて行けてはいない、危うい集団です」
「無理もない。セイランは性に開放的な神を信仰する民の出身だ。人を従えることに慣れていない。ある意味では、犠牲者だ」
「ある意味では、犠牲者……? どういうことでしょう」
「サクはやはりその方面には疎い」
婦好はサクの襟元に手を滑らせ、その胸を直に掴んだ。
「……!」
婦好の指先がサクの胸部に食い込む。
「見知らぬ男性から、このようなことをされてどう思うか」
長い睫毛に隠れた意志の強い瞳に、サクは怯えた。
「ふ、こうさま、……いたい、です……、」
「齢十くらいでこれよりももっと酷い扱いをされるとしたらどうか」
「いやです。……見知らぬ男性では、いやです」
婦好に掴まれた左胸のために、サクはうまく呼吸ができなくなる。
「その感情を忘れるな」
婦好の掌がサクのなだらかな乳房から離れた。
サクは思わず短く息を吐く。
──……この感情を、なんて。
サクの頭は真っ白である。
顔は火照り、鼓動は速い。
サクの主人はサクの様子など気にも留めずに言った。
「献策は歩きながらでよい。さあ、みなを参集しよう」
***
朝、衆人の頭と饕餮の男を従えたセイランが、崖の上に立った。
「さあ! みんな、戦をはじめるよん!」
セイランの後ろには、男女あわせて二千ほどの兵が居る。
「ちょっとぉ、声が小さーーい!」
「わかってるよ、セイラン。また人を狩ればいいんでしょ?」と、衆人の頭が軽く言う。
「そうそう、楽しいでしょ? あなたも、わかってるよね? それとも取引を反故にする?」
セイランに問われた男は「……わかっている」と言って饕餮の兜を光らせた。
「さあ! 大邑商のために、人も貴重品も、略奪しましょ」




