無音の用兵
ラクと別れたあと、サクはひとり第八隊の宿舎を歩いていた。
──衝動的とはいえ、嬰良に対して、自分はなんということを口にしてしまったのか。
サクは恥じた。
己の将来よりも、先にすべきことがある。
鬼方、土方の沚馘侵攻への撃退。
そして、人柱たる役目を負っている第八隊を救うこと。
それがいま、サクが双肩に担うことである。
特に、第八隊の改善は急務である。
誰の助けもない。
頼れるのは、己の知恵だけだ。
──もう、退路を絶ってしまおう。
第八隊に、白装束は要らない。
サクは第八隊の備蓄庫から、白装束数十着を取り出した。
そして白い輝く布を、染料で黒く染める。
サクが作業をしていると、キビが後ろからのぞきこんできた。
「サク、なにしてるの? 嬰良さまと一緒じゃなかったの?」
「旗を、作っております」
「それ、第八隊の服じゃない! どういうつもり?」
「第八隊にこの装束はもう必要ありません」
なかば自暴自棄になっているようにみえるサクに、キビはため息をついた。
「それで、なにを作ってるのよ」
「この布を使って、明日の朝までに、外壁の回廊に掲げます。沚馘軍の本隊が到着したと見せかけて、敵を欺き士気を削ぎます」
「ふうん。ひとりで作る気?」
「はい」
「だめよ。あなたの悪いところよ。ひとの上に立つのなら、もっと、ひとの力を使いなさい」
ふたりは第八隊の乙女たちとともに、敵を欺くための沚馘旗を作った。
***
翌朝、第八隊は外城の上に、沚馘旗を掲げた。
漆黒の沚馘旗が天になびく。
沚馘の旗を掲げることについて、婦好に問われた。
「サクよ。これはどういうことだ」
「旗を敵に見えるように掲げました。敵に沚馘さまの本隊が既に到着していると思わせます。そして相手の士気を削ぎます」
「敵に警戒される。逆効果ではないのか」
「昨日までの戦闘は、ほぼ互角。沚馘軍本隊が加われば、こちらの優位。それは、敵もわかっていることです。敵は本隊の到着前に、落城を目論んでいたものと思われます。敵の士気をすこしは削ぐことができるはずです……」
サクは、一度視線をはずして、目を伏せた。
「……というのは、建前です、婦好さま。
ただの思いつきです」
「天啓か。嫌いではない」
「重ねて、婦好さまにお願いがあります」
「申してみよ」
「次の戦、城壁の回廊から戦を俯瞰し進言したいのです」
「壁の上から、進言? 声量が届かぬのではないのか」
「第八隊の乙女たちに、それぞれの隊に対応した旗を掲げさせます。陣形に合わせた合図を送ります。その旗に合わせて、動いていただきたいのです」
「無茶なことを言う。
戦は一時の動きで命の有無が決まるものだ。旗の動きなど、確認している暇などない。
こちらが無視することもあろう。それでも良いか」
「構いません」
「ならば、やってみよ」
すこし沈黙のときが流れた。
サクは婦好に切り出した。
「ところで、婦好さま。嬰良さまから婚姻の申し出がありましたが、断りました」
「そうか」
関心がないと言わんばかりの、淡々とした婦好の返事であった。
婦好の心にとどめておきたくて、言おうとして選んだ言葉をサクは飲みこんだ。
***
婦好軍は出撃を開始した。
婦好とギョウアンを乗せた馬車が先頭を走る。
「婦好軍よ! 集い闘え! 沚馘の旗のもとに!」
婦好が鼓舞した。
今回出撃するのは、婦好隊、第一、二、三、四、五隊までの各部隊である。
婦好隊は、最も先頭をゆく敵を狙って、突進した。
そして鬼法と土方の、わずかにできていた隙を突く。
一方、サクは第八隊十二名の乙女を引き連れて、城壁の回廊に立っていた。
城壁は、大人五人分くらいの高さである。落ちれば、命はないであろう。
サクは天に手が届きそうな気がした。
東風がサクの髪を過ぎ去って、沚馘の旗を揺らす。
第八隊の乙女には、白装束ではない可憐な服を着せた。
乙女は、ふたりで一本の柄を持たせて、計六本の旗を掲げている。
サクは天から戦場を見下ろして、両軍が衝突する瞬間を目撃した。
地を這っていたときにはわからなかったことが、よくわかる。
敵味方の配置。
力の差。
兵の移動速度。練度。
土方軍は士気が高く、力はあるものの、練度が低い。
鬼方軍はある程度の強さを有するが、士気は低く、団結力に乏しい。
婦好軍の動きは洗練されているものの、力が弱い。
婦好軍には、まだまだ改善の余地がありそうだった。
婦好軍は、婦好の強さに頼る部分が大きい。
戦場において、婦好の馬車は特に目立つ。
婦好隊はみな黒の衣服を身につけているが、その中で、ひとり紅を煌めかせる存在。
ただただ、美しい。
婦好の馬車は風に乗るように、戦場を縦断していた。
サクがその華々しさに見惚れていると、第八隊のひとりの乙女がつぶやいた。
「婦好さまは、神の化身でしょうか」
「……。そうかも、しれませんね」
婦好隊は、土方の陣の中腹を畳み掛けるために、縦に陣形を伸ばす。
第二、第三隊が鬼公軍を抑える。残りの隊は土方軍に対応する。
ふと、サクは土方軍の後方に油断がうまれたのを察知した。
レイが率いる第一隊の疾さなら、敵の油断をつけるかもしれない。
「第一隊に、回風の合図を」
サクは、第一隊の旗をもった乙女に柄を旋回させた。第一隊の旗をつかい、レイへ合図を送る。
回風。
サクの合図に気づいたように、第一隊のレイが移動を始めた。
レイが土方の後方に回り込み、隙を突く。
土方軍が混乱した。
婦好軍の優勢である。
しかし、形勢はとある緊張感を生み出した。
「あれは……、呂鯤……!」
呂鯤がレイの馬車をめがけて、突進する。
戦況は一転、レイが危うい。
呂鯤は途方もない強さを誇る。
──レイを敵の後方に送り込んだのは失策だったのか。
サクがわずかに悔いた次の瞬間。
婦好率いる婦好隊が凄まじい速さでレイを援護した。
婦好は、いつでもサクの望んだところに居る。
サクは震えた。
──また、婦好さまに、己の浅慮を助けられた。
天性の、戦の才。
──わたしの主人はなんというお人か。
呂鯤の強さは、婦好隊の強さと互角である。
呂鯤と婦好、ギョウアン、レイが交戦することにより、戦線は膠着してしまった。
──これ以上は、いたずらに兵を疲弊させるだけだ。
サクは撤退の合図を出した。
婦好軍は、まるで潮が引くかのように、鮮やかに退却した。
「良い引き際であった。まるで神の差配を受けているようであった」
「いえ、わたしの献策は、婦好さまの天性の才があってのこと。今日も助けられました」
「はは。サクとは違い、わたしは気まぐれに動いているにすぎない」
──本当だろうか、とサクは疑った。
婦好は、緻密な計算のもとに動いているようにもみえる。
「第八隊の使いかたを、変えているようだな」
「まだまだ、これからです。今日、外壁の回廊を登って、考えました。今夜は、城壁の防衛のために、さまざまなものを用意します」
「まるで第九隊だな。しかし」
婦好はサクの頬を撫でた。
「目の下が青い。サク。しっかり休め。眠りをないがしろにすれば、考えは冴えぬ」
「ありがとうございます。しかし今しかできないことですので」
***
サクはキビと相談して、城壁の回廊内で防衛に必要な品々を用意した。
敵が城壁を突破しようと登ってきたときに、城内の不用品を投げつけるためである。
加えて、第八隊は敵の呪詛のために門にかけられていた沚馘兵の遺体も弔った。
第八隊は、生贄としての役割を断ち、非戦闘部隊としてできる役割を増やしてゆく。
地道であるが、サクは思案し行動を続けた。
それは夕暮れ時であった。
雨が、降っている。
サクはキビとともに、外壁の回廊で作業をしていた。
「サク。なぜ、嬰良さまの申出を断ったの」
「キビさま。その質問、何度目になりますか」
「なんどでもするわよ。ああ、もったいない。なかなかないことなのに」
「わたしは愚かもの、ですか」
「そう、愚か、よ」
くすくす、と笑いあった。
キビとはなにかと対立していたが、次第に心を通わせられるようになったのが、サクには嬉しかった。
作業を進めていると、サクは背後に、巨大な影を確認した。
キビではない。
その影がサクの身体を覆うほどの、巨躯。婦好軍の中では、思いあたるのはひとり。
「……ギョウアンさま?」
「サク! 逃げなさい! 呂鯤よ!」
「がはははははは」
影の正体は呂鯤であった。呂鯤と数名の兵。
「……なぜ……!」
雨によって、どこか、土壁の一部が崩れたのだろうか。敵の侵入を許してしまったようである。
サクは、楼に掛けてあった鼓を打ち鳴らした。
しかし、雨音によってかきけされてしまう。
「青の巫女よ。この前も会ったな。
今日も城壁のうえで、怪しげな呪いをかけていたようだな。忌々しい。
さて。捕らえてどう遊んでやるか」
サクは、逃げた。
しかし、呂鯤の足の速さには、敵わない。
サクは呂鯤に捕らえられてしまった。




