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花と才

 夕刻、サクは嬰良(えいりょう)とともに馬車に乗っていた。

 もの静かなラクが馭者を務める。


 沚馘(しかく)の宮城の一角にたどり着いた時、嬰良が馬車を止めた。池のほとりに花が咲いていた。


「ここで、馬をとめてください。さあ、サクどの。こちらへ」


 嬰良が紫の衣を翻(ひるがえ)して軽々と馬車から降りた。

 サクは手をとられ、嬰良に身を預けた。


「きれい」


 蝶や蜂を誘うために色付いた草木に、サクは近づいた。

 名はあるのだろうか。サクの指先よりも小さい藍色の花弁が夕暮れに染まる。

 サクは婦好軍に入隊して以来、花などをゆっくりとみたのははじめてであった。


「美しい、ですね」


 嬰良はすこしこわばった面持ちで、サクに話を切り出した。


「サクどのは、心にきめた異性はおられますか」


「おりませぬ、が」


 サクの返事に、嬰良が低く決意に満ちた声を響かせた。


「ならば、前向きに考えてほしい。わたしの、妻になりませんか」


 まっすぐな少年の瞳が、サクを捉えた。

 十五歳の少年と、十四歳の少女。

 婚姻を結ぶとしても、おかしくはない年齢である。


「わたしは」


 サクは直感的に見つめ返してはいけないと感じ、腕を組み、視線を逸らした。


「わたしは大罪を犯した罪人ですゆえ」


「大罪、なんの罪ですか」


「くわしくは、言えませぬ。王室の禁忌に触れました」


「それで、あなたような方が軍に居るのですね」


「お気持ちだけ、ありがたく」


「婦好さまは、サクどのをいたく気に入っておられる。商王に、許していただくのはいかがでしょうか」


「いえ。その必要はありません。わたしは自分の意志で、ここにいるのです」


「サクどのの意志」


「嬰良さまは、わたしのどこを気に入っていただけたのでしょうか」


「出会った瞬間から、美しいと感じました。加えて、聡明でお優しい」



 嬰良の褒め言葉は、単純に嬉しかった。

 ──しかし。


 出会った瞬間から美しいと感じ、聡明で優しい。


 サクにとってのただひとりの人物を心に浮かべた。


 否(いな)。シュウやリツ、レイもそうだ。

 あのいじわるなキビですら、該当する。


「わたしのような者は、探せばどこにでもおります」


「いえ。サクどののようなかたは、なかなかおりません。あなたの美しさに、わたしは惹かれたのです。ほかでもない、あなたがいいのです」


 サクは答えに迷って、指の先の花びらを弄(もてあそ)んだ。

 いくら可憐な花でもいつか朽ちるのが、神の定めた掟である。


「花を愛でるにも好みがあります。しかし時を経て美しさが失われたのなら、枯れた花弁が散るように、わたしも捨てられるのでしょうか」


 すこし意地の悪い質問かもしれないとサクは思った。

 そして、なぜ自分は喜ぶべき立場なのに陰鬱な気持ちなのか、とも。

 しかし、この質問に答えられないのなら、これ以上の問答は、無用である。



「仮に花は朽ちても、愛(め)でましょう。心の美しさは変わりません」



 ──愛(め)でられるだけでは、足りない。


『わたしはサクの胆力と発想を、愛している』


 あの美麗な人から放たれた甘い呪詛が、まるで蔓(つる)のようにサクに巻きついて離さない。


 もし嬰良のもとへ嫁げば、女としての祝福を約束されているだろうことは、サクには十分にわかっていた。


 ──しかし、自分は、


 己の『才』を愛する人のお側にいたい。


 もし出会う順番が違っていたら、導き出される答えは違っていたかもしれない。

 あの人に出会ってから、自分はなんと変わってしまったのだろうか。



「申し訳ありません。わたしは、わたしにしかできないことを、成し遂げたいのです。ですから、期待に応えることはできません」


「わたしのそばにいても、あなたにしかできないことはあるはずです」


「嬰良さま。申し訳ありません。このお話はなかったことに」


「ですが」


「わたしは、婦好さまのそばにいたいのです」


 現実に、音として零れ落ちた本心。はっとして、サクは唇を指で触れた。


 サクはこれ以上のことは、話したくはなかった。

 サクは、馬車に乗った。

 馬車の乗り方も、以前よりはずっと慣れたように思う。それだけ、サクは戦場に染まっていた。


 サクはふと、嬰良の顔を見た。

 刻一刻と迫りくる夜の闇は、嬰良の整った顔に影をさしている。


「ラクどの。サクどのを連れて、先に、おゆきください。少し、夜風に当たりたい」


 他人の気持ちを踏みにじる。本当はそんなことはしたくはなかった。しかし、己の決意は曲げられない。


 サクは逃げるように、その場から去りたかった。


「ラクさま、馬を」


「サクどの。覚えていてください。

 わたしは、諦めませぬ」

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