辺境の髑髏
泣き疲れて目覚めたサクは朝餉の匂いに包まれた。
支度をして外へでると、第九隊が朝食の準備をしている。
いつも指揮していたセキの姿はない。
代わりに、シュウがその場を取り仕切っていた。
その日は魚介と山菜を大鍋で煮た簡単な料理だ。
サクが朝食を口に含む。
新城の付近は、川魚が豊富な土地である。
第九隊の出す食事も日々この地に馴染んでいた。
婦好軍の非戦闘部隊である第九隊は悲しみの中でも休むことはない。
同僚に比べ自分の甘さにサクは怒りを覚えた。
罰するように己の両頬をぱちりと叩く。
「シュウ。ここはシュウの代わりをいたします。シュウはどうか休んで」
「サクちゃん、ありがとう。毎日のことだから大丈夫よ。あら? その裾、どうしたの?」
「えっ」
サクが己の背後に視線を移すと、気が付かぬうちに裾に茶色の滲みがついていた。
「月のもの、ね。サクちゃん、おめでとう」
シュウはにこり、とやわらかく笑う。その笑顔がサクにはたまらなく切なかった。
――どんなときでも、なぜ笑顔でいられるのか。
サクは思わず、入隊以来の友人を抱きしめた。
「シュウ、あなたは強い人です」.
「うふふ。もう泣くのには飽きちゃった。ほら。月のものがきたしるし、腕に巻いてあげる」
シュウはサクの腕に赤い布を巻き、ぽん、と叩いてその胸中を告げる。
「サクちゃん。わたしはセキさまを目指すことにしたの。だから心配しないで」
シュウの言葉にサクは、はっとした。
「おっしゃるとおりです、シュウ。わたしたちは、遺志を引き継がなければなりません」
「そうそう。泣いてばかりはいられないわ。さあ。サクちゃんは望白さまにこのお粥を運んできて。たぶん、望白さまもサクちゃんに話しておきたいことがあると思うから」
サクは食事を運ぶ。
望白はいまだセキのそばにいた。
「望白さま。お食事です」
サクが部屋の外から呼びかけると声だけの返事が届く。
「いま行きます」
望白は、切り株の上に座り、魚介を口に含む。
「サクさん。セキさんの言葉をお伝えします。亡くなる前に遺言のように残されました」
食事の間、望白はサクに伝える。
セキがシュウは大邑商の切り札であると言ったこと。
神となった婦好を人間に戻せるのは、サクしかいないと告げたこと。
婦好はセキに生きる意味を与えたこと。
「シュウが、切り札……? わたしは、神となった婦好さまを、人間に戻す……? どういうことでしょう」
「わかりません。本当の最後の言葉でしたので、それ以上を聞くことはできませんでした」
望白は城をぐるりと見渡した。
鳥が空を横切る。長閑である。
「この城には細部までセキさんの思想が宿っています」
彼女は再び骸に向き合う。
「僕はこの人の胎内で生まれ変わったのです。亡骸は朽ちていきます。しかし、僕らは物を口に運べば動きます。女であるからと言って望邑の城門でくすぶっていた僕ですが、覚悟を決めますよ。サクさん」
◇◇◇
サクが広場を通ると、婦好を中心に人だかりができていた。
セキの訃報を知り、邑の人が集まったのだ。
「婦好さま、我々にもセキさまを弔わせてください」
「よいだろう」
「あなたがたは、この邑にとってかけがえのない人です」
婦好はサクに気付いて近寄る。
主人はサクの腕のしるしを確認した。
「そうか。めでたいな、サク。体調はどうか」
「婦好さま。昨日は申し訳ありませんでした」
「謝ることなどない。しかし、残念だ。その身では祭事には参加はできないな」
サクは頷いた。
血を流している間は、神に対しては忌むべき身である。
「サクに伝えたいことがある。シュウを第九隊隊長にする。さあ、軍議を開くぞ。弓臤とセイランが到着している」
「そ! セイランちゃん、とうちゃくだよぉ!」
突然、婦好の背後から姿を現したのはセイランである。
「セイラン! ご無沙汰しています」とサクは驚く。
「サクちんー! 無事でよかった。ハツネっちも心配してたんだよぉ。ハツネっちも無事だから、安心してね」
サクはほっと胸を撫で下ろす。
「ハツネ。良かった……」
「ハツネっち、かなり敵の情報を操ってて、危ない橋渡ってたよ。もうすぐ虎方から帰ってくるから、ねぎらってあげてね!」
「もちろんです」
「セイラン。そなたもよくやったな」
と婦好が褒める。
「にゃはは。婦好ちん。もっと褒めてぇ!」
◇◇◇
軍議のための部屋に、婦好、サク、望白、セイラン、弓臤の五名が会した。
「さあ、勝利の戦のお楽しみぃ! 武功の分配だよーーん!」
セイランは今回、婦好軍の傭兵という立場での参戦である。セイランは後方にて、望邑の内乱を鎮めていたのだ。
「セイラン、この度の戦の功を称す。褒美の望みはあるか」
婦好のねぎらいに、セイランは飛び跳ねる。
「やったぁ! 今回の報酬は、金と銅が欲しいな! あと、婦好ちんを女神と慕う連中。あたしの信者にしちゃったけど、問題ないよね」
「問題ない。好きに使うが良い。弓臤、今回の戦でそなたの目的は果たせるだろうか。殺しすぎたか」
「婦好、敵を殺すことに何を恐れる必要がある。辺境の異民族にはますますお前の名は広まるであろう。派手にやってくれたおかげで、かの戦場跡に敵除けの髑髏棚を作らせているところだ。この呪力では敵も再起不能だろう」
この言葉に、サクは『邊』という文字を想う。
『邊』とは首級を祭壇に並べた髑髏棚のことである。異民族へ見せしめ、国境とする。
「今回の俺の任務は労働力の確保だ。虎方の者は奴隷としたところで使い物にはならん。言葉は不明だし、抑えることはできそうにない。そこで」
弓臤は望白に向き合った。
「望白とやら。この戦いの対価として、お前の弟の配下を隷人として商へ連れてゆくことにした。異存はないな」
「お好きにどうぞ。その代わり、次の望邑の長は僕であると、王にお認めいただきたい」
「お前を望邑の長とすること、婦好からの推薦もある旨、王へ言っておこう。しかし、最終決定はお前の父だ。のちのことはお前の手腕にかかっている。ぬかるな」
「ご心配いただかなくても、重々承知です。この地から僕は始めますよ」
軍議のあと、サクは弓臤に手招きされた。
「体調を崩したそうだな。見舞いだ。受け取れ」
眼帯の男は袖の下から果物を投げる。
「これは、なんの実でしょう」
「知らん。が、食える」
サクはそれを半分に割った。半分を義兄に渡す。
義兄が口にしたところで、サクもまた味見した。ほのかな甘さが口に広がる。
「今回の戦いで、婦好の名はますます知れ渡った。名は大事だ。戦の抑止力にもなる」
「敵からすれば、悪名でしょうか」
「ははっ。義妹よ。お前は甘い。敵のことも考えすぎる」
弓臤は半分になった果実を再び懐に入れた。顎に手を当ててつぶやく。
「しかしまあ、それゆえに価値がある」
「価値?」
サクが訝しむと、弓臤は誤魔化す。
「いや……お前と言う存在は切り札だと言ったのだ」
「わたしが切り札であるのなら、お義兄さまはわたしの手札です」
「はっ、言うようになったな」
「わたしも変わらなければならないのです。今回の戦。婦好さまに対して初めて、計り知れない恐怖心を感じました」
「あの現場か。俺も見たぞ。凄惨だったな。しかし殺さなければ殺される。悪名は今後の防御にもなる。なにも悪いことではない」
「名が通れば、相手の行動も変わる。血を流さずとも守り続けられるとでも言うのでしょうか」
「そうだ。小事より大事。大局が肝要だ。それにいまさら、何に罪悪を感じている? 多かれ少なかれ、ここにいるものはみな、人殺しだ。お前も含めて、な」




