6.私は言ってないってば!
私は遅れて教室に入り、先生に謝ってから席に着いた。
有栖さんが気になって授業中ちらりと彼女の方を見れば、向こうもこっちもめっちゃガン見していた。
やばい。
たまたま目が合ったって感じじゃない。
視線で私の身体に穴を開けようと目論んでいるのではないかという域だ。
私は窓側の席で有栖さんは廊下側の席であるため、端から端であり間に他の生徒を挟むわけだけれども、彼女達は視線を避けるように少し机をずらしていた。
当然他のクラスメイトが気付いていないはずもなく、皆明らかに引いていた。
ひょっとしたら、このクラスで気付いたのは私が一番最後だったかもしれない。
見開かれた赤目が好意的なものなのか敵意的なものなのかの判別も付かない。
ナツキがマリス人形を窓へ投げ捨てたせいで私も一緒に恨みを買った可能性もあるし、単に気に入られて目をつけられた、という可能性もある。
後者であれと願うのだけれども、気に入られた方がまずいのだっただろうか。
目を合わせたままではいられないし、今更目などと合わなかった体を装うこともまた難しい。
私は誤魔化すよう、小さく彼女に笑いかける。
彼女もにっこりと笑い返してくれた。
やっぱり可愛い。
嫌われてはいないと安堵しつつ、しかしナツキからの忠告に私は頭を悩ませた。
せっかくできた友達だし、こっちから一方的に切り捨てるというのも気分のいいものではない。
ナツキは理屈っぽくて虚無主義で一匹狼を気取っている割には寂しがりやな節もあるので、ひょっとしたら唯一の喋り相手である私に他の友人ができるのを嫌って妙な茶番を仕掛けて来たという可能性もゼロではない。
本人に言ったら原稿用紙数十枚分の言いわけを連れられそうなものだが。
色々考えたところで、結局のところ私は有栖さんの具体的にどこがダメなのかを知らない。とりあえずマリス人形は燃えるゴミの日に出して袋にお札を添えておいてほしいものだけれども、しかしあれを理由に避けるという気にもなれない。
なのに人から聞いた断片的なイメージで偏見を構築して非難するというのは、あまり好ましいことだとは思えない。
とりあえず、とりあえずは様子を探っていって、それから自分で判断しよう。
私は再び有栖さんの方へと目を向ける。
相変わらずこちらを見ているかと思えばそんなことはなく、前を向き直っていた。
良かった、と私が一人安堵の息を吐こうとしたところ、有栖さんは大きく手を挙げ、席を立った。
「あのっ! すいません先生、アリスの席を変えてほしいのです!」
「どうしました有峰さん? 黒板が見えないの?」
数学の担任である九十九先生が数式を書いていた手を止める。
彼女は、ここのクラス担任でもある。
「いえっ! アリス、みっちゃんの隣がいいのですっ!」
「…………」
クラス中が固まる。
当然、私も固まった。
え、なに? この子、何を言い出すの?
「……悪いけど、そういった要望は通せないわ。座りなさい」
「でもでも、マリちゃんもそっちの方がいいって言っているのです!」
言うなり有栖さんは鞄からマリス人形を取り出し、先生に向ける。
「座りなさい」
「ワタシ、マリス。マリスも、アリスの席を移動させてあげるべ……」
「座りなさい」
有栖が人形を自分の顔に当てて裏声で喋るが、九十九先生はあっさりとそれを斬り捨てる。
「で、でもでもでも! みっちゃんもアリスの隣の席がいいって言ってくれたのです!」
有栖さんに集まっていた視線が、ぽつぽつと私に向けられていく。
いや、言ってないよ!
私はそんなこと一言も言ってないよ!
皆、私を見ないで! みっちゃん誰って噂しないで! それから私を指差さないで!
「……貴女、言ったんですか?」
九十九先生の目も私に向けられる。
なんかもう、すでに私のクラスでの立ち位置は修繕不可能なところまで追い込まれていないだろうかこれ。
ナツキ、一歩遅かったよ。
「言ったんですか?」
がっくり項垂れている私に、先生から再度質問が投げ掛けられる。
「言ってません! も、もう……有栖さんったら、冗談も過ぎると先生が困っちゃうよ? 授業の邪魔になっちゃうし……ほら」
ここぞとばかりに周囲に常識人アピール。
これで私まで変人と見られることは免れるはずだ。
自分だけ逃げるようで申し訳ないけど、仕方ない。
決まった! これは決まった! 皮一枚繋がった!
「彼女はこう言っているようですが、有峰さん」
九十九先生も私を盾に、有栖さんを鎮めようとする。
元々了承する気はさらさらなかろうに、なぜこっちに矛先を飛ばしてきたのかと疑問だったが、なるほどこのためだったらしい。
したたかな人だ。
「…………」
有栖さんは黙って俯き、しかしまだ立ったままだった。
「有峰さん? 座りなさい、有峰さん!」
先生から命令されても動かない。
「……みっちゃん、アリスが隣だったら、嫌なのですか?」
「え? い、いや……そういうわけじゃないけど……ほら、それとこれとは……」
「みっちゃん、アリスのこと、嫌いなのですか? だから……席が隣だったら嫌って……」
有栖さんは、特徴的な大きな赤い目に涙を溜める。
すぐに涙が垂れてきて、彼女はそれを袖で拭う。ひっぐひっと、嗚咽を漏らす。
え……これ、私のせい? 私が悪いの?
教室中の空気が凍り付き、再び教室中の目がゆっくりと私に向けられる。
なんとかしてよ、みたいな、そういった類のものを感じる。
「あ……と、わ、私も……有栖さんの隣の席がいいって……言ったような……言わなかったような……でも……」
ちらちらと周囲の反応を窺いながら、私は予防線を張りながら言葉を続ける。
途中から声が自然と小さくなっていっていた。
「……言ったんですね」
「寝言とかで言ってても、不思議じゃないかなぁって……」
九十九先生は頭を押させ、ハァ、と大きく溜め息を吐く。
「特別に、席の移動を認めましょう。有栖さんが移動して……そこと入れ替わりなさい。ただ、貴女、放課後に職員室に来なさい」
「え? わ、私ですか?」
てっきり有栖さんを呼び出したのかと思いきや、完全に先生の目は私に向けられていた。
有栖さんを相手にしてもキリがないと判断したのかもしれない。
でも私は巻き込まれただけなんですよ先生! 一般市民なんです! 私を叩いても何も出ませんよ!
有栖さんは素早く荷物をまとめ、私の隣の席に引っ越してきた。
静寂が支配する教室で、有栖さんの楽しげなスキップの音だけが辺りに響く。
「これから、授業中もみっちゃんのお隣なのです! ずーっと、ずぅーっと一緒なのです! アリス、嬉しいのです! みっちゃんも、喜んでくれてますよね? ね? そうです! 絶対そうなのです!」
「……う、うん」
ごめん、有栖さん。
やっぱり私……ナツキの言ってたこと、もうちょっと考えてみようかな……。