第1話 英雄、報酬の世界へ
砕け散る角の感触。指先に残る硬質な振動。
焦げたオゾンの臭いが、終焉の玉座を覆い尽くしている。
足元に転がるのは、第十の世界を統べた魔王の骸。
網膜の端。半透明の青いウィンドウが明滅を繰り返す。
『討伐完了』
『評価:SSS』
『同時視聴者数:98,500,000人――上昇中』
無機質な電子音が脳髄を撫でる。
終わった。これで、すべて。
柄を握る握力を緩める。
血塗られた剣が石の床に落ち、硬い音を立てた。
*
視界が反転する。
肺を満たすのは、血と灰の匂いではない。
排気ガスと湿気を帯びたぬるい空気。
足裏から伝わるアスファルトの照り返し。
背後で自動販売機のコンプレッサーが低く唸りを上げている。
白昼のスクランブル交差点。
すれ違う人々の頭上に、緑色のマーカーが浮かんでいる。
『NPC』『NPC』『NPC』。
十の世界を渡り歩き、システムから与えられた『報酬』の世界。
平和な現代日本。
右手が微かに震える。
常に握りしめていた鋼の重さがない。
網膜の端。青いウィンドウは消えていない。
『同時視聴者数:102,340,000人』
一億の眼球が、こちらを見つめている。
*
ブレーキの絶叫。
鼓膜を劈くような摩擦音。
交差点の真ん中。
信号を無視して突っ込んでくる無人の暴走トラック。
横断歩道に取り残された、小さな影。
世界が泥に沈んだように遅くなる。
脊髄に染み付いた反射。
膝の筋肉が収縮し、瞬時に地を蹴るための姿勢を作る。
脳内に赤いアラートが弾けた。
『緊急クエスト発生:少女を救出せよ』
『予想視聴率:過去最高』
数値が跳ねる。
一億五千万。二億。
画面越しに注がれる熱狂。
その質量が、物理的な熱となって肌を焼く。
*
踏み出しかけた右足を、止める。
息を吐く。肺の中の空気を、すべて。
収縮した筋肉を、強制的に弛緩させる。
「続編」の開幕。
ここで跳べば、この平和な世界は新たな舞台へと姿を変える。
新たな敵。新たなヒロイン。際限のない消費。
ただ、見つめる。
トラックの巨体が、迫る。
悲鳴。
激突。
『クエスト失敗』
青いウィンドウの数値が、滝のように崩れ落ちる。
二億。五千万。一千万。百万。
『警告:視聴者の関心が急速に失われています』
不快な警告音。
踵を返す。
血の匂いとパトカーのサイレンが鳴り響く雑踏に背を向け、暗い路地裏へ。
コンクリートの壁。黒ずんだ雨だれのシミ。
その輪郭を、一つずつ数え始める。




