10.終幕、あるいは……
「師匠、こっちに来てきたんですか!」
朝陽が駆け寄ると、宗次は柔らかく微笑んだ。
「外京に土蜘蛛が出て、何人か医務棟に運ばれたと報せに受けたからね。帝にお願いして、少しお暇をいただいてきたよ」
四門の当主は宮仕えのため、詰所にはほとんど顔を出さない。宗次も多分に漏れず百徳院のことは周防に任せきりなので、話すのは久しぶりだ。
蜂蜜を溶かし込んだような薄茶色の長髪に、ほっそりとした細面と、宗次は湖面に咲く一輪の睡蓮のように清廉な美形だ。だが纏う空気に儚さはなく、むしろ何百年と根付く大樹のような落ち着きを感じる。
恩人であり、目標である宗次の登場に、朝陽は一気にテンションが上がった。
(やっぱり、師匠はかっけえな!)
目をキラキラさせて見上げる朝陽に、宗次も整った顔を綻ばせた。
「周防から聞いたよ。君が一生たちを土蜘蛛から取り返してくれたと。本当によくやってくれたね」
「昨晩のことはビギナーズラックというか、色々ついてただけで……!」
「謙虚だね」
宗次はくすくすと笑って髪を揺らし、頬を紅潮させる朝陽に一歩近づいた。
「幸運を引き寄せるのも才能のうちさ。しかも君は、その『幸運』で仲間の命も救った。十分に胸を張る権利があるとも」
「師匠……」
「ありがとう、朝陽。仲間を守ってくれて」
宗次の大きな手が朝陽の髪をくしゃりと撫で、朝陽の胸は歓喜に震えた。
(師匠に褒められた……!)
--だから気が付かなかった。朝陽に触れた宗次が、わずかに目を瞠ったことに。
「朝陽」
「はい!」
宗次に呼ばれ、朝陽は元気に答える。けれども宗次は朝陽をみつめるだけで、先を続けない。
朝陽が首を傾げたとき、宗次は何事もなかったようににこりと笑った。
「ううん。相方によろしくね」
「? はい……?」
相方とは一生のことだろうか。それにしては、含みのある言葉選びなような。
宗次はそれ以上は語らず、迎えにきた周防と食堂を出て行ってしまった。
(さっきの師匠、もしかして八雲のことを言ってたのか?)
朝食を終えて廊下に出たところで、朝陽は今更そのことに思い当たった。
宗次は創立者・吉備張角の再来と言われるほどの実力者だ。何かを感じ取って、朝陽と八雲との繋がりに気付いた可能性もゼロではない。
(けど、八雲に師匠がよろしくなんて言うかな?)
八雲に気付いたのだとしたら、アレがヤバい幽鬼なのもわかったはずだ。「よろしく」だなんて、呑気なことを言うだろうか。
「ていうか、その八雲はどこにいるんだよ」
腕を組んで、朝陽は独りごちる。昨夜も先輩たちが駆けつけた途端、八雲は再び姿を消してしまった。自称『敬虔なる僕』のくせに、あまりに自由すぎないか……?
朝陽が宙を睨んだとき、後ろでご機嫌な声が響いた。
『はいっ。貴方の八雲はここに』
「ぎゃあ!?」
朝陽は文字通り飛び上がった。慌てて振り返れば、いつのまに現れたのやら、八雲が胸に手を当ててにこにこと微笑んでいる。
朝陽はバクバクと鳴る胸を押さえて、反対の手で八雲をびしりと指差した。
「お、お前ぇ!! いつからそこにいたんだ!?」
『ずっと貴方のおそばに。姿が見えなかったのは、皆さまより隠れていたためです』
「またそれか!!」
本当にこの幽鬼、気配を完璧に消せるのが怖すぎる。ドン引く朝陽に、八雲は『して、』と促した。
『御用でしたか、主殿』
「へ?」
『へ?ではありません。呼びましたでしょう、わたくしを』
朝陽は「あー……」と言い淀んだ。なんかいないと思っただけで、特別用があったわけでない。どう誤魔化そうかと思ったところで、朝陽は思い付いた。
そうだ。用ならあるではないか。
「八雲」
「はい」
改まって向き合うと、八雲も居住まいを正す。そんな彼に、朝陽はまっすぐに告げた。
「昨日はありがとな。おかげで、すげえ助かった!」
『は……』
意外だったのか、八雲はぽかんと朝陽を見る。それに、朝陽は腕を組んで続けた。
「お前のせいで、めちゃくちゃひどい目にもあったけどな! けど、俺一人じゃ出来なかったことを、お前と一緒だから出来た。一応礼は言っとくぜ。ありがとな、相棒!」
にっと笑って見上げれば、八雲がわずかに息を呑んだ。しばし沈黙した八雲は、やがて小さく笑みを漏らす。そして、美しい面差しに柔らかな微笑みを浮かべた。
『……ええ、朝陽殿』
一瞬、朝陽はどきりとした。
昨日も思ったが、そういう表情をすると、強力な呪符で封印されていたヤバい幽鬼には見えない。
けれども瞬きの間のうちに、八雲はいつもの胡散臭い笑顔に戻った。
『しかし、良き眺めでありましたねえ。主殿を誉めそやす、皆々さまの表情といったら! お試しの仮契約ではございますが、我らゴールデンバディの大勝利といったところでしょうか」
「そういえば、お前への支払いはどうなるんだ?」
両手にピースを作ってはしゃぐ八雲に苦笑しつつ、朝陽はふと気になって訪ねる。
契約は「八雲が朝陽を守るかわりに、朝陽は己の霊気を八雲に与える」というもの。それに則るなら、昨晩の手助けの対価に、朝陽は霊気を喰わせてやらねばならない。
(霊気を喰わせる期間が、10日くらい伸びるのかな?)
前回が7日だったので、そう朝陽は目星をつける。--だが八雲は、満面の笑みでとんでもないことを言い出した。
『左様ですね。ざっと三月、返済期間が伸びまする』
「はあ!?」
仰天して、朝陽は口を開けたまま固まった。すると八雲は、ふむふむとひとり頷く。
『そりゃあ、前回はわたくしが勝手に主殿をお救いしたのです。初回キャンペーンの意味も込めて、対価は大層お値引きをさせていただきたした。しかし! 昨夜は主殿自ら、わたくしめに手を貸せとお命じになったのです。当然、正規プライスにてご請求させていただきますとも』
「け、けど。お前、三月って……」
『ええ、ええ! 三月もの間、毎日寝不足ヘロヘロでは主殿も辛いでしょう。わたくしとしては体にご負担のない、より緩やかな返済プランを推奨いたします。まあ、返済期間は半年に伸びますが』
いや、しかし、と。あんぐりと口を開ける朝陽から視線を外し、八雲は口元に袖を持っていく。そして、どこまでもとぼけた顔で首を傾げた。
『参りましたねえ。主殿は幽鬼に遭遇しやすい体質で、しかもお一人では対処できないペーペーのど見習いです。この調子でいけば、二度三度と、あっという間に主殿はわたくしめに借りを作られるはず。--これはなかなか、主殿とは長いお付き合いになりそうですなあ』
「お、お前、まさか最初からそれが目当てで……?」
がくがくと頭が揺さぶられるような衝撃を受けながら、朝陽は精一杯それだけを問う。
八雲は答えの代わりに、妖艶なる美貌の顔をにんまりさせ、「してやったり」といった悪い笑みを浮かべた。
『……というわけで、改めてまして』
八雲は百徳院の庭でしたのと同じに、お見本のような美しい平伏をする。
顔をあげた八雲は、あんぐりと絶句する朝陽に、にっこりと清々しい笑みを向けた。
『死がふたりを別つまで。末永くお仕えいたします、我が主殿っ』
ぷちんと朝陽の中で何かが切れて、ひくりと朝陽は口の端を引き攣らせた。
「末永く……お仕えされてたまるかーーーーーー!!」
腹の底から繰り出された朝陽の渾身の悲鳴は、百徳院の寮内に広く広く、響き渡ったのだった。
〜fin〜




