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みそびっちょ じょけじょけ  作者: 雨野 鉱
22/31

第一部 公現祭篇 その二十二

ぼくは彼女なしで生きることはできない。

……しかしぼくは……

彼女とともに生きることもできないだろう。

                   フランツ・カフカ

挿絵(By みてみん)


22 姫と魔女「火」


 朝七時。砂漠地帯だがまだ冷える。

 アーキア超大陸南南東イラクビル王国、オアシスの町パピヨット。首都バルハチの八十キロ南西の場所。

「どうやらここには「切ってはいけない木」がなさそうですね」

 町の入口に到着したばかりのアポロ騎士団長が襟巻(えりまき)から口を出して永津朱莉(ながつあかり)に話しかける。砂漠の朝は意外なほど寒い。

「あんな物騒(ぶっそう)な「木」が何本も生えてたらやってられねぇよ」

 苦笑する朱莉はそれでも一応、まばらに生えているひょろ長い木を見る。物乞(ものご)いや行商人が、昼間に日陰になる所を求めて木の根元にいる。根元の土が踏み固められるような行為を、本物の「木」なら許さない。

「ははは。……それにしても、もうすぐバルハチですね」

 踏み固められた砂の道を行き交う人々の表情を見ながらアポロ団長が安心したように笑う。

「ああ。おタクらもようやくこれでお役御免(ごめん)だな」

 意地悪く笑いながら朱莉(あかり)が返す。彼女の近くを荷馬車をひくロバが歩き、立ち止まり、(くそ)をしてまた歩き出す。その糞を作物の()やしにしようといそいそと拾う男。

(さび)しくなります」

「よく言うぜ。異世界召喚されたふざけたガキどものお守りがなくなってせいせいするだろ?」

 双子の(マソラ)と似て、誰かにサヨナラを予言する時、茨の刺青(アカリ)は軽口をたたくように明るくふるまえる。

「ふふ。そうですね。まったく」

 アポロ団長は何か言おうとしたが、思い直し口をつぐみ、ただ笑みを作る。

「ほらな」

 聖燕(せいえん)騎士団のアポロ団長と召喚者の永津朱莉(ながつあかり)が馬上で談笑しながら今夜の宿営地をこのパピヨットにするか否かで話している。その隣には相変わらず(はん)を押したように(もく)したままの召喚者赤荻(あかおぎ)晴音(はるね)がいる。その晴音を、騎士団の兵士たちはやはり、距離をとって見ている。

(この召喚者は一体何を考えているのか……)

 眼帯の少女(ハルネ)は他のポンコツ召喚者四名の竹越(たけこし)宮良(みやよし)浅野(あさの)()奥宮(おくみや)とも異なり、かといって、口は悪いがいざという時に頼りになる朱莉(あかり)とも異なる。

 赤荻(あかおぎ)晴音(はるね)

 永津(ながつ)真天(まそら)(そば)にいられなくなってから滅多(めった)なことでは笑わなくなった少女は、今日も表情を消し、何事の興にも乗らず、一切を静かに見つめている。片方の目では地上の有象無象(うぞうむぞう)を見つめ、もう片方の目では使い魔アベルの鳥眼(ちょうがん)を通して、空から一切を見下ろしている。このため千人余りいる騎士団と召喚者たちは全て晴音の監視下に置かれている。もっともこの晴音の監視のおかげで、聖燕騎士団はあらかじめ敵の正体と武装と距離を知ることができ、多少の余裕をもって迎え撃つことができる。

「あっ!!」

「「「「!?」」」」

 その物静かな眼帯の少女が突如、馬上で明るい声を上げる。兵士たちは白昼の空にドラゴンが蛇行(だこう)するのを見つけたように仰天(ぎょうてん)してしまう。彼らの乗る馬ですら驚いて止まる。

「見ぃっけ!」

 晴音が突如(とつじょ)、年相応の可愛らしい声を上げる。それでようやく朱莉とアポロ団長も晴音の様子がおかしいことに気づく。

「どうしたハルネ?」

「ふんふふ~ん!」

赤荻(あかおぎ)様?」

 見たことのないウキウキとした様子の晴音に、アポロ団長が恐る恐る(たず)ねる。その晴音は既に肩で笑っている。それで朱莉がハッとした表情になる。

「おいハルネ。何を見つけた?」

 (うつむ)き、ニヤニヤ笑い始める晴音に真顔の朱莉が確認する。

「なんだと思う~?」

「「……」」

「答えはね~」

 晴音が二人に顔を向ける。ゴーグルのように分厚い眼帯をめくりあげる。トクトクと素早く脈打つ使い魔の心臓が二人の前に露出(ろしゅつ)する。


「ゴブリンの死骸(しがい)


 初めて眼帯の下を見たアポロ団長が衝撃で表情を固まらせる。一方の朱莉は「ゴブリン」という言葉で固まる。が、朱莉の再起動は早い。深いため息を吐く。

「どこにあるんだよ」

「東に三キロ。半分白骨化してるね」

 残念そうにつぶやく晴音。でも歪んだ笑みが消えない。眼窩(がんか)の拍動が速い。

「アカリちゃん。いい~?」

「ダメって言ったって止まらねぇだろ」

「分かっちゃう~?ごめんね~。うふふ。一匹いるってことはきっとさぁ……」

「それは待て。そん時はウチも必ずついていく。だから念のためにここでたっぷり水を補給してぇ。いいだろ?それくらい」

「オッケー。分かった」

 言って晴音は眼帯を戻す。アポロ団長がようやく我に返る。

「ハルネの乗っている馬にも水飲ませっから。一旦(いったん)降りろ」

「うふふ。そんなこと言ってぇ~、本当は私に独りで行かせないための言い訳でしょ?」

「どっちだっていいから降りろって」

 朱莉が先に降りて晴音にも馬から降りるよう促す。それでしぶしぶ晴音も降りる。この時点でやっとアポロ団長も頭が回り始める。

「ふんふふ~ん」

 鼻歌交じりに眼帯が砂の上をウキウキと歩く。手にはモーニングスターが握られている。

「やべぇな」

 使い魔に指で指示を出している晴音を見る朱莉が顔をしかめる。

「何か、訳ありなのですか?」

 慌てて降りたアポロ団長は朱莉にそっと尋ねる。

「念のために給水する。それと団長の部下を使って急いでこの町の連中に聞き込みをしてくれ。特にゴブリンについてだ」

「え?あ、はい。わかりました」

「ハルネのことは、それから話す」

「……わかりました」


「アイツ、やっぱりイカれてやがる」

 竹越(たけこし)の視線の先には使い(アベル)に運ばせたゴブリンの死骸をモーニングスターでグシャグシャに叩き潰す晴音がいる。その嬉々(きき)とした表情に、他の三人の召喚者宮良(みやよし)奥宮(おくみや)浅野(あさの)()は血の気と言葉を失っている。

「そのイカれた奴とウチにホタルにされたんだ。下手なこと言うとあんなふうにミンチにされてぶっ殺されるぜ」

 朱莉はパピヨットの露店で買った樹液性(サポディラ)のチューインガムを噛みながら四人に釘を刺す。

「「「「……」」」」

 ポンコツ四人衆すなわち竹越(たけこし)沙友磨(さゆま)宮良(みやよし)(しょう)(へい)奥宮(おくみや)(かい)(せい)浅野田結(あさのだゆ)()は、朱莉によってここのところ強制的にやらされている〝ランニング〟の甲斐(かい)があって、異世界に来たばかりの時のようなステータスと健康状態に戻っている。ただし来たばかりの時とは違い、体には寄生虫型魔道具「夢幻蛍(イニスボラーレ)」を埋め込まれたせいで夜間に青白く発光し、今後の人生は四人で何でも乗り切らなければいけないと腹をくくっている。

「なんで、あんなふうになった?」

 アポロ団長も含め、その場にいる誰もが気になっていることを、宮良が朱莉に尋ねる。

「ロミツバ採掘場って覚えてっか?」

「ロミツバ?……異世界(パイガ)に来て最初の実践訓練で、三十六人全員で(もぐ)ったあれか?」

 水筒の水を飲みながら、竹越が返す。

「そう。そのロミツバ採掘場でお兄ちゃんがゴブリンに襲われた時のこと、覚えてっか?」

 そう朱莉が言った途端、少し前のことを思い出した召喚者四人の表情が暗くなる。

「ウチらが調子こいてドロップアイテム拾ってたらゴブリントラップに引っかかった。でゴブリンが十四匹参上」

「ゴブリンが集団でえげつない攻撃をしてくるのは、あの時初めて知った」

 水筒の水を飲む手が震える奥宮。

「あの時仕留めそこなったゴブリンの一匹がさ、お兄ちゃんを襲ったんだ。荷物背負ってて戦えねぇお兄ちゃんは太ももの肉をごっそり持っていかれて骨まで見えてたろ?あの時半狂乱になってお兄ちゃんの治療したのは誰だと思う?」

「……赤荻さんしかいない」

 ゴブリンを倒して経験値が入りレベルが上がってはしゃぐばかりだった自分を思い出した浅野田。

「そう。もう分かったろ?」

「「「「………」」」」

「要するにさ、お兄ちゃんを傷つけた〝魔物(ヤツ)〟は、みんなああしねぇと気が済まねぇんだよ、ハルネは」

 ガムを噛む朱莉の視線の先では既にゴブリンの死骸は細切れ肉になっている。その肉をイヌワシ型の使い魔がついばんでいる。

「魔物、だけだよな。ああなるのは」

 召喚者四人の誰もが気にし始めたことを、今度は奥宮が聞く。

「そうだといいなぁ。へへへ」

 クチャクチャ音を立てながら茨の刺青は笑い、四人の元を去る。ガムを吐き捨て、眼帯の召喚者へと近づいていく。

「終わったか?」

「うん。〝これ〟はもう飽きた。それより何か分かった?」

「ああ。こっから東に二十キロの所にポンチカっつう鉱山町がある。正確にはあった」

「……何匹きたの?」

「二か月くらい前にでけぇゴブリン一匹が(ひき)いる二十匹くらいが、夜中にやってきて鉱山を占拠したらしい。あとは想像つくだろ?」

「うん。統率数からして大きいのはたぶんゴブリンジャックだよね。エサ(ポンチカ)の規模は?」

「人間、亜人含めて五百人くらいらしい」

「じゃあ五分の三が女性(メス)だとして、その人たちはきっと全員ゴブリンに(おか)されてゴブリンを(はら)まされているだろうから、ゴブリンの数は少なくとも三百くらいになっていると思う。うっふふ。お年寄りや病人や小さな子供は全部食べられてるね、きっと~」

 眼帯は楽しそうに予測を朱莉に語る。

「三百って……本当にやれんのか?」

「うふふ。ふふふふふ……」

 兵士によって運ばれてきた馬を受け取り、眼帯は(くら)に手をかけて小さな笑い声を立てる。

「やれるか、じゃないよ。アカリちゃん」

 眼帯は馬に飛び乗る。

()る。それだけだよ」

 言って、馬上の眼帯はにんまりと笑う。

「ふっ。そうだったな」

 同じく運ばれてきた馬に飛び乗った朱莉は既に走り出している眼帯を追う。驚いた聖燕騎士団は慌てて後を追った。

「ゴブリン相手だ。どうする?」

「ついて行くしかねぇだろ。ゴブリンジャックを相手にするにしても」

赤荻(あかおぎ)さん以外、私たちの体に入れられたホタル、取り出せないし」

「赤荻に今死なれたらそれこそ一生ホタル。そんなの絶対イヤだ。行こう」

 水筒をしまい、馬のない召喚者四人も武器と荷物を(かつ)ぎ、急ぎ晴音の後を追った。

 ゴブリン。

 明るい場所を嫌い、群れで行動し、不潔で悪臭を漂わせる魔物。

 雑食であるためその肉は極めて不味(まず)く、同じ魔物であっても、ゴブリンを捕食することを好まない種は少なくない。ただし食物連鎖の中ではかなり下位にいるため、個体数の爆発的増加は起きない。

 それとは別に、このゴブリンという魔物はこの異世界(パイガ)に生息する魔物の中でも少し特異な形質をもつ。

 それはメスが極めて(まれ)にしか生まれないということだった。

 メスがいないにも関わらず個体数を増やせるのには訳がある。それがこの魔物のもつ特異性、すなわち異種間交雑だった。

 普通の人や魔物は、異なる種の間で交雑した場合、たとえ子どもが生まれたとしても、その子自体は生殖能力を持たない。

 ところがゴブリンの場合、人間族や亜人族を相手に交雑すると、生まれてきたオスのゴブリンは正常な生殖能力をもつ。このため人のメスが暮らす人里近くに好んで住み着く。逆に魔王領のような魔物がひしめく領域では、繁殖相手としてメスの魔物を見つけたところで捕食の憂き目にあう恐れがあるため、ゴブリンは魔王領には少ない。魔物の領域よりも人の領域に個体数が多いという点でも、ゴブリンは特異な魔物だった。

「マソラ君が言ってた。ゴブリンは雑草と一緒だよって」

 マソラと過ごした思い出を一つとして忘れまいとする眼帯(ハルネ)は朱莉とともに馬から降りる。そこは既に鉱山町ポンチカ。昼過ぎ。気温は高い。

「どこにでもいるザコってことか?」

 晴音の横を歩く朱莉は前を見たまま聞く。

「違う。雑草は草刈(くさか)りをする人間がいないとやっていけない。雑草は除草されることを好むよう進化した特殊な植物。ゴブリンもそれと同じ特異種。小鬼(ゴブリン)は人がいないと成立しない特殊な魔物」

 町に到着し、配置についた聖燕騎士団たちが各々武器を構える。皆、一人にならないよう互いの位置を確認する。

「他の植物との競争に勝てない雑草を枯らすには結局、放っておくしかない。同じようにゴブリンなんて構わないで放っておけってマソラ君は言ってたけど、そんなの無理」

 坑道の入口に近づく眼帯は左腕をまくる。使い魔が降りてくる。古傷だらけの細い筋肉質の左腕に(つか)まる。眼帯の肉が鋭い爪のせいで裂けて血が(したた)り落ちる。

「マソラ君を傷つける魔物は決して許さない。雑草と同じなら全て私が刈りつくす」

「分かってる。でも少しは協力させてくれ」

 朱莉が立ち止まり、晴音の肩に手を乗せる。晴音も止まる。朱莉に顔を向ける。

「一緒にぶち殺そうぜ」

 朱莉はしっかりと晴音の目を見て告げる。

「うん」

 使い魔が天に向かって鳴く。朱莉が急いで眼帯から離れる。それを合図にアポロ団長が当初の指示通りに大声で叫ぶ。

「全員目を閉じろっ!!」

 木霊(こだま)のように各部隊長が指揮下の部下に「目を閉じろ」と叫ぶ。一同緊張が走る。しかし好奇心が勝ってしまった兵士の数名はこっそり目を開けたままでいる。

「世の常たる(らち)もない(うれ)い。記憶よりも入り組んだ悲命(ひめい)(きずな)。すべては我が照眼(しょうがん)忌爪(きそう)餌食(えじき)。心せよ。生きることは苦しみでしかないと」

 晴音の詠唱とともに、晴音の左腕の出血が止む。

 使い魔アベルの姿が淡く光り出し、その後晴音の全身も透明感のある黄金の光に包まれる。次の瞬間、晴音の背中にはイヌワシの立派な翼が二枚生えている。右腕には鋭すぎる(かぎ)(づめ)。そして左腕は、大きなイヌワシの首に包まれている。その左腕の先、イヌワシの頭が坑道の闇に向けられる。

 (くちばし)が開く。

 晴音の隻眼(せきがん)瞬膜(しゅんまく)が四重に覆う。


 カッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


「「「「「!?」」」」」」

 瞼を閉じた兵士ですらあまりの(まぶ)しさに仰天してひっくり返る。ましてや瞼を上げていた者たちは目から脳天に向けて五寸釘を打ち込まれたような激痛を食らい、その場で失神してしまう。

 アベルを〝装備〟した召喚者赤荻晴音の閃光弾(フラッシュグレネード)がポンチカの坑内の闇を昼間よりも明るくする。これに反応しないゴブリンなどいるわけがなかった。

「ゲアッ!!」

 おびただしい数のゴブリンが坑道や横穴から這い出てくる。レベルは平均して17。どれも強烈すぎる閃光のせいで視細胞のタンパク質が破壊され、視覚を既に失っている。しかし発達した嗅覚と聴覚で兵士の位置をすぐに特定し、彼らに迫ってくる。

「昼間のゴブリン狩りかよ!」

「しかも市街戦だ!こんなの聞いたことがねぇ!」

「いいから集中してっ!ぼうっとしてるとマジでみんな食われちゃう!」

「かかってこい!近づく奴は全員ぶっ殺してやる!!」

 朱莉に言われ、あえて棍棒を初期装備に変更した召喚者四人は互いの背中を守りながら、襲い掛かるゴブリンたちを次々に殴り(つぶ)していく。棍棒は威力こそ剣や斧に劣るが、壊れにくく、それに何より、多勢を相手に攻撃しやすい。ゴブリン集団相手では、一匹のゴブリンに剣を刺して引き抜こうとしている間に他のゴブリンに蹂躙されてしまうことがある。

「さすがは召喚者様。本来の力はあれほどなのですね!」

「覚悟がありゃあ誰だってあれくらいになれるぜ!へへっ!」

 アポロ団長はベロを出して笑う朱莉と二人して、ゴブリンを斬り払う。二人の技量と膂力(りょりょく)はゴブリンを肉どころか骨ごと断ち切ってしまう。

「来たぞっ!!」

「絶対に離れるな!!」

「「「「おうっ!!」」」」

 騎士団兵の誰も彼もが、押し寄せてくるゴブリン相手に〝個〟では決して(いど)まない。

 朱莉が禁じ、アポロ団長が彼らに強く念を押している。

 もっとも兵士たちにしてみれば、念を押されるまでもなかった。それは魔物ゴブリンの恐ろしさを知っているからではなく、集団で戦う強さをこの聖燕騎士団に所属することで嫌というほど思い知っているためだった。山麓(さんろく)の「鳥」の恐怖を克服し、オアシスの「木」の怨念(おんねん)に打ち勝った彼らは、仲間に背中を預けずに戦うほど間抜けではなくなっている。

「ふっふふふふふふ……」

 例外はただ一名。

「マソラ君見ていてっ!全部、ぜ~んぶ!ブッ殺してみせるから!」

 次々に襲い掛かるゴブリンをたった一人で殲滅(せんめつ)していく、羽毛の、眼帯の、戦乙女。

「ゲゲッ」

 晴音の背後からも迫るゴブリン。しかしその魔物の斧も矢もアベルの両翼が通さない。

 ズグシュッ!ガシュンッ!ドスンッ!!

「ゲアッ!?」

 右手の鋭い鉤爪は、近づくゴブリンを一撃で引き裂く。内臓をこぼして吹き飛ばす。

 キュイイイイイイイイイイイ……ドゴンンッ!!!

 左腕の(くちばし)から断続的に放たれる、眼を射るような輝黄色の光球は坑道に最初に打ち込んだ閃光弾ほど光らないが、衝突したゴブリンに電気ショックを与えて感電死させてしまう。肉が焼けて弾ける。

 目が利かず、鼻と耳だけが頼りになっているゴブリンに届く、仲間の血肉のニオイと悲鳴。すなわち死への警告。恐怖が彼らの小さな脳を蝕んでいく。

 だが、どこに逃げていいのか分からない。そこら中血肉のニオイと悲鳴だらけだから。

 ズグシュッ!ドゴンッ!!

 そして気づけば殺されていく。常軌(じょうき)(いっ)した一人の召喚者によって。

「うふふふ……」

 目を(うる)ませ頬を赤らめ、世紀末的な笑みを浮かべた赤荻晴音が、踊る。

 恐怖を押し殺して殺気立つゴブリンを踏みつけ、死体の上を踊る。

「ムオオオオオオッ!!!」

「ゴブリンジャック!ゴブリンジャックが現れました!!」

「出たぞ!ゴブリンジャックだ!!」

 誰かが叫ぶのと同時にレベル31の魔物の巨体は、坑道から出て早々にすっ転ぶ。増えすぎた仲間の(こぼ)した大量の(はらわた)と血で足元を滑らせた。

「こんにちは」

 無論それを計算してゴブリンを楽しく切り刻んでいた眼帯の召喚者は、倒れたゴブリンジャックに(いと)おしそうに挨拶(あいさつ)をする。

 バシュッ!!!

 同時に(かぎ)(づめ)はゴブリンジャックの右の眼球に突き刺される。眼球が激しく破裂しゴブリンジャックが悲鳴を上げる。反射的に目を両手で押さえてしまう。アベルの翼が動き、にやけた晴音がひらりと舞う。

「さようなら」

 ゴブリンジャックの右耳にそっとアベルの嘴が当てられる。一部始終を見ている朱莉に鳥肌が立つ。

 キュイイイイイイイイイイイッ!ドゴ――ンッ!!!ドバシャッ!!!

 ゴブリンジャックの全身に電流が流れ心室細動(しんしつさいどう)が起こる。ついでに光球の放たれた衝撃で左耳から脳が噴き出る。残っていた左眼球が炸裂する。

 ズドンッ!!!!

 頭の上に大きく腕を振り上げた晴音が本気で下ろした右腕の爪で、ゴブリンジャックの首が落ちる。

「うふ。ふっふふふふふ……思い出した。マソラ君語録」

 ニコニコ顔の晴音がゴブリンジャックの首をサッカーボールのように蹴飛ばす。

「ゴブリンにとって一番良いのは生まれないこと。しかし生まれてしまったのならなるべく早く、出てきたところへ帰ること。……全員帰してあげる。坑道より暗い所に」

 老若を問わず、戦意の有無を問わず、残されたゴブリンたちは、この狂気の眼帯の相手をする以外に道はなかった。


 ゴブリン殲滅戦が終わる。

 レベルが上がったことすら気づかず晴音(はるね)はゴブリンたちの死骸を切り刻み続けたが、アベル装備の代償である魔力の急速枯渇(こかつ)によって戦闘後、気を失う。

 一方、悪臭がひどいため、朱莉の指示で騎士団一行と召喚者四人は急ぎゴブリンの死骸を焼き、オアシスの町パピヨットへ引き返す。日没ギリギリで彼らはパピヨットへと戻る。

「……」

「目が覚めたか?」

 薄暗いテントの中、晴音をつきっきりで看病していた朱莉が声をかける。

「大丈夫か?」

「うん。いろいろとスッキリした」

 そう答える晴音の表情は穏やかだった。

「そいつは良かった」

 言いながら、狂乱状態になった親友の姿を思い出す朱莉。決して初めてではなく、何度か見ているため、いつも驚きはするも、すでに慣れている。

「………ごめんね」

「熱くなるのは分かるけどよ、ちっとは加減しろよ」

「ごめんなさい。マソラ君のこととなるともう……何もかもどうでもよくなっちゃうの」

「知ってる……まあいいよ。ウチがハルネの(そば)にいるから」

「ありがとう」

「腹、減ってるだろ?」

「すごく減ってる。魔力の使い過ぎで、お腹ペコペコ」

「何か食いもん作ってやるよ。少し待ってろ」

「待って。一緒に行く」

「ん?そっか。じゃあ一緒に食おうぜ」

 起き上がった晴音は(かばん)を引き寄せる。朱莉も鞄を持ってテントを出る。朱莉の鞄には食材が入っていて、晴音の鞄には食器と調理器具が入っている。

「おお。目が覚めたのですね。良かった」

 寒い夜更けの見張り番をやっていたアポロ団長が焚火に近づいてきた二人に、嬉しそうに声をかける。

「ご迷惑をおかけしました」

「いえ、前から赤荻様のお力には興味があったので、すごいものを見られて感動しています。白昼のゴ……魔物との市街戦、よい土産話にもなりました」

 眼帯の召喚者には禁句(タブー)があることを知った団長は、慎重に言葉を選ぶ。

「あの後、どうしたの?」

「ん?ああ、死体か。全部焼いてきた。そのままにしておくと臭いにつられてまた集まっちまうんだろ?」

「大正解」

 ポテトポタージュスープを作り始めた朱莉に晴音は答える。

 晴音は朱莉を手伝おうとしたが朱莉はそれを止め、代わりにアポロ団長に手伝わせる。召喚者二人と出会ってから料理を始めたアポロ団長は不器用ながらもジャガイモを細かくカットしていく。一方の朱莉は手際よくマッシュルームをカットし、町で買ったばかりのベイリーフ、オレガノ、ソーセージを鍋に放り込む。

「なんか、団長さんが料理しているの、(さま)になってきてますね」

「そうですか?ありがとうございます。今まで料理は家内(かない)に任せきりでしたが、この(たび)の遠征が終わって家に帰ったら子どもたちも含めて、皆にスープを作ってやろうと思います」

「へへへ。いい心がけだ。今どきの男は料理くらいできて当然だ」

 水を鍋に加えて煮込み始めた朱莉が小さく笑いながら言う。

「マソラ君みたいに上手になるといいですね」

「そりゃムリムリ。お兄ちゃんは別格。器用だから何やらせてもだいたい普通以上にできる」

「うふふ。そうだね。こうやって火に当たりながらいつもそれ、思ってた。マソラ君って本当に器用だなって」

「………」


挿絵(By みてみん)


「「?」」

 時が止まったかのように朱莉が動かないでいることに二人は気づく。

「永津様?」

「え?ああ、げほっ、えほっ!」

 呼びかけられて返事をした拍子に咳き込んだ朱莉は急ぎ鍋から顔をそむける。それをアポロ団長は不思議そうに見る。一方、

(何かをまたきっと、思い出したんだ)

 晴音は獲物を見つけたような目で朱莉を見る。

「ごめんごめん!けほっ!けほっ!」

 朱莉が涙目になって二人に謝る。

「唾が気管に入るところだった」

「話して」

 晴音が隻眼をギラつかせて言う。

「え、何をだよ?」

「マソラ君のこと、思い出したんでしょ?話してほしいの」

「……へっへ。バレたか」

 鍋の水が沸騰するのを待つだけになった朱莉は、鼻を指でこすりながら笑う。

「ハルネが「火に当たる」なんて言うから、ちょっとな。考えてみりゃ焚火(たきび)の前で料理したり(だん)をとったりなんて、いつもやってることなのに、言葉にするまで忘れてた……いや、忘れてなかったのかもしれねぇ。お兄ちゃんが焚火の前に座っているのを見るたびに、頭の中のどっかで思い出していたのかもしれねぇな。んだからウチは異世界(こっち)に来てさらにお兄ちゃんにつらく当たってたのか……いやでも確かに忘れてた……あれ……」

 徐々に言葉が不明瞭(ふめいりょう)になり、自分の世界に没入(ぼつにゅう)していく朱莉を初めて見る晴音とアポロ団長。

「何かあったの?」

 晴音が呼び戻す。朱莉が「ん?ああ、すまねぇ」と戻ってくる。

「何かあったっつうか、それすらよく分からねぇことが、ばあちゃん家にいた時に起きた」

 マソラ話が始まり、晴音の目がキラキラと輝き出す。さっそく頭の中で、注連縄(しめなわ)を巻いた樹木だらけの暗い夜の山森を展開する。

「冬の、それは昼の話だ」

 晴音の頭の中の光景が若干しぼむ。「昼」と聞いて少しがっかりする晴音に対して、逆に安堵(あんど)するアポロ団長。彼もまた、幼き日に嫌というほど味わった、闇の空気と動物の声に埋め尽くされる夜の森が勝手に脳裏に浮かんでしまっていた。

「中学二年生の時だ。十四歳のウチはもうだいぶお兄ちゃんから距離を置くようになっていて、必要なければ口も()かないしなるべく会わないようにしていた」

「超もったいない」

 幻の夜の森を消された晴音は悔し紛れに朱莉を茶化す。けれど朱莉の心にまでそれは届かない。届かない所に、既に行き始めている。

「冬休み中のその日、ウチは学校の宿題を炉端(ろばた)でやってた。ウチのすぐ(そば)には寒いから何枚も着込んだばあちゃんがいつもみたく()て、お兄ちゃんの服に()いた穴を裁縫(さいほう)で直してた。あの頃のウチは()()ぎの服なんて絶対着たくなかったから、ばあちゃんに無理言って新しい服をたくさん買ってもらってたけど、お兄ちゃんは継ぎ接ぎとかボロとか全然そういうの気にしないから、同じ服をいつも着ていた」

 焚火の勢いが弱まる。朱莉が()(どこ)(たきぎ)をくべる。

「それで、お兄ちゃんはその時も、まあ、お兄ちゃんの冬の恒例(ルーティン)だけど、(けもの)の解体をやってた。広い山の中はさ、お互い近くはねぇけど、あちこちに結構人が住んでてさ、そいつら、イノシシとかシカを仕掛け罠で捕まることはできてもよ、結局、解体処理までは自分たちだけでできねぇんだよ。んまぁよ、山はジジィとババァばかりになってたから仕方ねぇじゃん?」

 朱莉が(まき)をくべてすぐ、火床が崩れそうになる。それを朱莉は大きめの薪で素早く押さえる。ついでに、次にくべる薪を火の近くに動かして、薪を乾かし始める。

「で、そいつらのかわりにお兄ちゃんが頼まれて解体やんの。「シカ捕まえたから何とかしてくれ」って、ウチのばあちゃん()に電話があるとさ、マソラを行かせっから待っててくれってばあちゃんが引き受ける。そしたらお兄ちゃんはお兄ちゃんで「分かった」って二つ返事でさ、こっそり軽トラを運転して、頼んできた家まで行って、シカをその家で〝()()め〟してよ、血が肉を汚さねぇように処理したら車に()っけてばあちゃん家まで持って帰る。あとは家の前でさっさと解体して肉と骨に分けて業者に売る。害獣(がいじゅう)駆除(くじょ)補助(ほじょ)(きん)だとかジビエ肉の提供だとか、あの頃のウチには難しいことは分からなかったけれど、とにかくお兄ちゃんのおかげで、ばあちゃんはすげぇカネがもらえてさ。それでウチはわがまま言って新しい服とか化粧品とか、欲しい物は何でも自由に買ってた。……マジで超最悪。思い出しただけでも昔の自分に超反吐(へど)が出る。ウチはマジでクソだった」

「「……」」

 眼帯(ハルネ)騎士団長(アポロ)は、見たことのないはずの景色の中にいる。

 茅葺(かやぶ)き屋根の民家に、二人はいる。

 囲炉裏端(いろりばた)で流行りの服を着、スマートフォンで音楽を聴きながら宿題をする中学二年生の少女の隣に、眼帯はいる。

 家の外で()るしたシカの首にナイフで切れ込みを一周入れ、服を脱がすように皮を()ぐ十四歳の少年の隣に、騎士団長はいる。

「突然さ、ドンドンって、閉めた戸を叩く音が家の中に響いた。「ごめんください」って言うその声で、とりあえず男なのは分かった。ばあちゃんに言われて仕方なくウチが戸の近くまで行ってさ。「誰ですか?」って聞いた」

「「……」」

「そいつの名前は確か、ノモリハルミとか言った。でも名前なんてどうだっていい。要は何しにばあちゃん家に来たのかってことだ。聞いたらそいつはさ、山歩きを趣味でやってて、この山にやって来たのはいいけど、外があまりにも寒いからこの家で少し休ませてくれねぇかってことだった。うさんクセェと思ったけれどよ、ウチとは違ってばあちゃんは優しくてちょっとボケちまってて人を疑わねぇような人だから「中にいれてやれ」ってウチに言った」

「それで入れたの?」

 風向きが変わる。焚火の勢いが強くなる。

「ああ。入れねぇわけにいかねぇだろ」

 朱莉は薪をいじりながら晴音に答える。

「扉をそっと開けた。その時ほんと、死ぬかと思った」

「何かあったのですか!?」

「いや何も」

「「?」」

「見た瞬間に寒気(さむけ)が全身に走った。別に魔物とかクマが戸口に立ってたわけじゃねぇ。立ってたのは普通の人間だ。それもどちらかって言うとヒョロヒョロしたモヤシみてぇな優男(やさおとこ)。だけどよ、なんだか知んねぇけど、いいようのない怖さがそいつにはあった」

「「……」」

「そのノモリとかいう男はウチに礼を言ってゆっくり家の中に入ってきた。ウチはオシッコ()らしそうになりながらばあちゃんのところに急いで戻った。久しぶりにばあちゃんにしがみつくようにして座ったから、ばあちゃんの方が驚いてた」

「アカリちゃんのおばあちゃんは、平気だったの?」

「うん。ばあちゃんは全然何ともなさそうな感じだった。むしろ「早くこっちに来て暖まりなさい」なんて言って、ウチに客用の湯飲みを持ってこいなんて言いやがる」

「まあ、普通の対応ですね」

「そ。でもウチはどうしてもそのノモリなんちゃらに耐えられない。理由は分からねぇけどそいつのことが怖くて、怖くて、仕方がなかった」

 炎の明滅を見ながら朱莉は言う。

「湯飲みをとりあえず炉端(ろばた)に運んだけど、我慢できなくなってトイレに駆け込んでオシッコしてたらさ、今度はそうやって独りでいるのがメチャクチャ怖くなって、さっさと用を足してばあちゃんの所に戻った。ばあちゃんはその時、ノモリと楽しそうに話してんの」

「おばあちゃんに何もなくて良かった」

「永津様、女性の小用の話はちょっと、(ひか)えてください」

「出るもんは男も女も出るだろ。小せぇこと気にすんな。……で、ばあちゃんはノモリの目を見て色々話すんだけど、ノモリの方はパチパチ燃える囲炉裏の火ばかり見ててさ。でも一応二人の会話は成り立ってんだ。どこから来たとか仕事は何をやってるとか……そうやって話している間も、ウチはこの得体(えたい)の知れねぇ野郎が怖くてたまらなかった」

 朱莉がさらに薪をくべる。忍び寄る闇が遠のく。

「そん時だよ。外で獣の解体をしていたお兄ちゃんが戻って来たのは。メシの支度をするために戻って来たんだと思う。その頃はメシの準備もお兄ちゃんがやってたから」

「ヘヘヘ」と笑いながら塩コショウを鍋に入れ始める朱莉。常に話の世界を一変させてしまう少年の登場で、眼帯と騎士団長は心のゆとりが消える。

「戸を開けて入って来たお兄ちゃんはノモリを見てさ、「こんにちは」って挨拶(あいさつ)した。そしたら背中を向けていたノモリも体ごと後ろに向き直ってお兄ちゃんに「これはどうも。こんにちは」って頭を下げた。「火に当たらせてもらっています」ってノモリは言ってさ、自分が何者で、なんでここにいるかっていうのを簡単にお兄ちゃんに説明した。お兄ちゃんは「そうですか」って答えて、ウチを見た」

 夜の砂漠が強い息吹を吐く。炎が激しく揺れ動く。灰が鍋の中に入る。

「その時かな、いつもだったら視線が合ってもすぐに()らして何事もなく自分の仕事にとりかかるお兄ちゃんが、ウチのことをじっと見たまんま。動かねぇの。ウチがノモリにびびっているのが伝わったのかもしれない。でも正直、その時は心の底で叫んだ。「お兄ちゃん助けて」って」

「「それで?」」

「お兄ちゃんはウチのことをじっと見た後、ノモリに目をもう一度向けた。そしたら目線を落としてさ、何か考えている風だった。でもすぐに顔を上げて言ったよ。「すみませんが、出て行ってもらえませんか?」って」

 言いながら、朱莉は鍋の中の灰をオタマで取り除く。取り除き終え、オタマを置く。

「ばあちゃんとまた話し始めたばかりのノモリはお兄ちゃんの方をもう一度見た。そして「もう少しだけここにいさせてもらえませんか?」って言った。ばあちゃんも「今来たばかりだからそんな冷たいこと言う必要ないだろう」ってノモリに同調したんだけどさ、お兄ちゃんは「妹が怖がっているのでお帰りください」って言った。その時だぜ?」

 朱莉は突如、置いてあったナイフを取り上げてアポロ団長に向ける。団長の魂が消し飛びそうになる。

「腰に差していたナイフを、お兄ちゃんは抜いた。それ見てばあちゃん、怒っちゃってさ。「お客人の前でなんて真似すんだい!」って。でもお兄ちゃんは「どうぞお帰りください」ってナイフを逆手(さかて)に握ったまま今度は頭を下げるんだよ。すげぇだろ?」

 朱莉がナイフを下げて、逆手に持ち替える。ナイフの刃面で小さく揺らぐオレンジの光を晴音の目は追う。でも心は茅葺き屋根の囲炉裏端から離れられない。逆手に刃物を握る少年の姿が頭から離れない。

「そしたらノモリの方が折れてさ。「分かりました」って。見ず知らずの人間が自分の家に上がり込んだら不安になるのは仕方がないみてぇなことを言って、謝ったあと、出て行く支度を始めた。その時にさ、ばあちゃんの方を見て「ここ以外に火に当たれる場所はありませんか」って尋ねた。それで、ばあちゃん、困っちゃってさ、だって近くっつったって隣ん家は何キロも先なんだぜ?ウチも思いつかなくてどうしようってあれこれ考えた。その時お兄ちゃんがさ、「火に当たれる場所なら近くにありますよ」って指をさしたんだ」

「「?」」

「「近くに炭焼き小屋があります。今の季節は毎日のように小屋の隣の窯に火を入れているのでここからでも煙が見えます。そこが一番近いし暖まれます」。確かにあの時、お兄ちゃんはこう言った」

 朱莉がギュッと目を瞑る。ナイフを持つ手が震えている。

「炭焼き小屋のことを知ったノモリは「そうですか」って言った後、そこまで案内してもらえないかってお兄ちゃんにお願いした。お兄ちゃんは煙を目指して山道を道なりに進めばそこへたどり着けますって答えるんだけど、ノモリはしつこく道案内をお兄ちゃんに頼む。そしたらさ、へっへっへ……」

「なに?どうしたの?」

 朱莉がナイフを地面に突き刺す。その刃先にはオブトサソリが貫かれている。

「「俺は、〝そこ〟まではついていけません」。……そう、お兄ちゃんは言った」

「……」

「炭焼き小屋ならウチだって行ったことはあるし、お兄ちゃんの場合は炭を受け取りに何度も小屋に行ってる。だから「ついていけない」っていうのがどういう意味なのか全然分からなかった。けれどお兄ちゃんのその言葉でノモリは諦めてさ、「分かりました」って。でもお兄ちゃんは念のためにって言って、簡単な地図は紙に描いてノモリに渡した。それでノモリは礼を言って、やっとばあちゃん家を出て行った。いなくなった瞬間すげぇホッとしたのは今でも忘れない」

 煮立ったポテトポタージュスープを、朱莉は三つの椀によそう。椀の一つを眼帯が受け取り、もう一つの椀を騎士団長が受け取る。これで終わるはずがないという思いが、二人の味覚を消す。せっかくのジャガイモもブイヨンスープも、ただ喉を通過する物体に過ぎなくなる。

「次の日の昼かな。警官(けいかん)二人がばあちゃん家に尋ねてきた」

 眼帯と騎士団長のスプーンが止まる。

「警官っつうのは、この世界でいう兵士のことだ。聖燕騎士団のアンタらとは違って、国内で起きた面倒ごとを処理する兵士だな。何か事件が起きないと普通はやってきたりしねぇ。で、なんでやってきたのか分からないまま、二人の警官は勝手に家に上がり込んで炉端に腰を下ろしてよ、顔写真を見せてきた」

「まさか……ノモリって人?」

 晴音が、つぶやく。

「ああ。ノモリの顔写真だった。この男を知らないかって、ウチとばあちゃんに聞いてきた。ちなみにその時もお兄ちゃんは家の外で解体の作業中」

「ノモリという男は、何者なのですか?」

「同じことをウチらも警官に聞いた。二人はさ、話していいもんかどうかって感じでお互いの顔を見合ってたけどよ、年食った方の白髪混じりの方が「いいぞ」みたいな感じで頷いたら、若い方が話した」

「それで?」

 晴音と騎士団長の脳裏で、森を駆ける一人の殺人犯が登場する。それは老女と少女を犯し、殺そうとする悪逆非道の山賊だった。

「死んだって」

「「え?」」

「炭焼き小屋で死体が見つかったらしい。遺留品があって、それで身元が分かったから調べているって」

 二人の脳裏の殺人犯は煙のように消えていく。炭焼き小屋の前で倒れる優男の死体が浮かぶ。刺されたか、殴られたか、首を絞められたか……


「小屋っつうか、炭焼き(がま)の中で見つかったんだけどな」


 再びスープを口に運びかけていた眼帯と騎士団長が止まる。

 そんなことは気にも留めず、朱莉は話し続ける。

「窯の中で焼けた人の死体が見つかった。(しょう)死体(したい)はうずくまるような姿勢だった。誰かが火のついている窯の(ふた)を開けてノモリを生きたまま中に入れて蓋を閉じた。なんでそんなこと分かるんだって聞いたら親切に教えてくれたぜ。……窯の蓋は外から鍵がかかっていて、中から鍵をかけることはそもそもできないとさ。つまり誰かがノモリを窯の中に入れた後、外から鍵をかけたって。それで、鍵をかけた奴が誰なのかを探して、窯に近い家を一軒一軒尋ねているとさ」

「「……」」

 晴音も、アポロ団長も、声が出ない。言葉が見つからない。

 森は、山は、二人の予想を超えて深かった。

「窯の外にあった遺留品の中に、お兄ちゃんの描いた地図のメモもあった。だから、当然ウチとばあちゃんだけじゃなくてお兄ちゃんも事情聴取された。けれどお兄ちゃんも「知らない」の一点張り。それで警官も諦めて帰っていった。後で知ったけれど、結局この事件はノモリっつう無職の男の自殺扱い」

「「……」」

「その後もう一度警官が来た時に、本当に自殺だと思うかってウチは聴いた。そしたら言ってた。生きたまま焼かれない限り、ヒトは体を丸めたりはしない。それとノモリには殴られたり縛られたり傷つけられたりした傷がどこにも残っていない。窯の中でもがいた形跡も見つからない。ノモリは自分から火のついている窯に入って蓋を閉じた。ただその後、指紋も足跡も残さない誰かが、念のために外から鍵を掛けた。そう考えるのが一番〝自然〟だってよ」

「「ふぅ、ふぅ、ふぅ……」」

「山中大騒ぎになった事件が片付いた後、どうしても気になって、ウチはお兄ちゃんに聞いた。「本当のことを教えて」って」

「「!」」

 二人が思わず息を止める。

「お兄ちゃんはそん時もシカの解体をしてた。シカの腋にナイフを入れて前脚を切り外そうとしてた」

「「……」」

「お兄ちゃんはさ、ウチが話しかけたその時、背中を向けたままな……」

「「……」」

「「火に当たりたいって言ってたでしょ」。……ナイフを止めずにそう言った」

「「……」」

「「この家の囲炉裏(いろり)(せま)すぎる。炭焼き窯の方が広いし、暖かいし、それに何より……」。そこまで言って、やっとウチを、お兄ちゃんは見た」

 冷たい一陣の風が三人をさらう。炎が消えそうなくらい小さくなる。


「火に近い」


 風が去り、焚火の焔が大きく蘇る。

「血まみれの手で、切り外したシカの前脚(まえあし)をもっているお兄ちゃんはそれきり。あとは何もこのことに関しては言ってくれなかった」

 二人は忘れていた呼吸を始める。

 騎士団長は恐怖で既に顔色を失っている。一方の眼帯の召喚者は……

「焼死体が見つかる前の夜更(よふ)けに何があったのか。それは誰にも分からねぇ。ばあちゃん家のあった山の夜は暗い。何もかも()み込んじまうほど暗い。お兄ちゃんが何かやったのか、お兄ちゃんは何かを知っているだけなのか。知っているだけだとして、いつからそれを知っていたのか。……何も分からねぇ。それくらい暗いんだ。あそこの夜は」

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

 晴音の様子がおかしい。足をモゾモゾさせ、頬を紅くさせ、息が上気している。

「ウチはあの時、何に怖がっていたのか。それも分からねぇ。死にてぇ奴の気配に気づいたから怖かった?それとも、殺されそうな奴の気配に気づいたから怖かった?分からねぇ。分かるのはただ、そこに火があったってこと……ハルネ?」

「もう限界…………いい?」

 理解した朱莉が「ったく」とぼやいて頭を小さく横に振る。アポロ団長は訳が分からず混乱した表情を浮かべる。

「遠くに行くなよ。それとサソリに気を付けろ」

「うん」

 スープの椀を置いた晴音は、朱莉の鞄を物色して見つけたキュウリと自分の水筒だけをもって闇に消えていく。

「あの、赤荻様はいったいどちらへ?」

「年頃の女にそういうこと聞くな。生理現象(ムラムラ)だよ」

「あぁ。そういうことですか……って、えっ!?なんでこのタイミングで!?」

「そういう奴なんだよ、あいつは」

 朱莉は冷めたスープを口にかきこんでもう一杯自分のために鍋から椀によそう。何と言っていいのかわからないアポロ団長もとりあえず、椀の具材を口に運び始める。

 満天の星空の底。

 泣くようにして少年(マソラ)の名を連呼する少女(ハルネ)の声と乱れる息が、少しの間砂漠に響いた。

Meteor imber


flamma

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