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みそびっちょ じょけじょけ  作者: 雨野 鉱
20/31

第一部 公現祭篇 その二十

Epiphania Domini

挿絵(By みてみん)


20. 姫と魔女「木」


 容赦ない日差しが砂地を焼き、ゆらめく空気はとにかく暑い。

「どうするか、お二人がお決めください」

「アンタこの騎士団の団長なんだろ?ウチらに投げちゃっていいのかよ」

 超大陸アーキア南部。イラクビル王国南西部。オアシスの町エピオルニ。

 アントピウス聖皇国との国境から東へ約百キロ。そしてイラクビルの首都バルハチまであと六百七十キロの地点。

「糧食はあっても水がなく、このままでは干からびて死を待つのみです。かといってエピオルニで水を汲む能力は我々騎士団にございません」

「だからこのお天道様(てんとさま)に殺されるか、あの魔物に殺されるか、ウチらに決めろってか」

「あなた方二人を除き、エピオルニの魔物を討ち取れる見込みのある者はおりません。それにあなた方のご意見なら、誰も文句は言わないでしょう。……お連れの四人の召喚者様たちとは違うようですから」

 オアシスの町エピオルニ。

 正しくは元オアシスの町エピオルニ。

 半年前まではオアシスの町として確かに機能していたが、一夜にして廃墟(はいきょ)の町となった。

 盗賊が襲撃して騒ぎを起こして間もなく、魔物の襲撃が起き、そして魔物の〝置き土産〟が発動する。以来、水を打ったように静まりかえる廃墟となった。

「ブリコラメイデン、レベル30……あいつ、ほんとに動かねぇな」

 茨呪の刺青(スピーネプリンチェプス)を左半身に刻んだ永津朱莉(ながつあかり)が望遠鏡を覗き、眼の中に浮かぶ魔物のステータスを見据えながら言う。

「たぶん設置型(ミーネ)の魔物だと思う」

 同じく召喚者の赤荻(あかおぎ)晴音(はるね)が答える。その右目の眼帯の奥の脳には、上空に放っている使い魔のイヌワシが上から見る画像が映る。

「カウンターを狙ってくる奴かよ」

「一定の射程(しゃてい)圏内(けんない)に踏み込む者に対して襲い掛かると報告で聞いております」

 二人とともにいるアポロ・ショーフレア聖燕騎士団長が魔物について知り得る情報を伝える。

(とげ)のようなものを伸ばして攻撃するそうです」

 とその時、沈黙が破られる。一同はそこへ視線を集める。

 野良(のら)の牛の母子がブリコラメイデンへと近づいていく。

 ドグシャッ!

「だったら近づかなきゃいい。……といいてぇけど、奴の(そば)でコンコンと水が()く、か」

 母牛がブリコラメイデンの間合いに入った瞬間、黒く伸びた鋭い棘でその痩せた肉が突き刺される。子牛が慌てて逃げていく。そんなことはお構いなしに、ブリコラメイデンは棘に刺さった母牛を自分の傍まで引き寄せ、そして胴体にある口を開き、飲み込む。肉が千切れ骨の砕ける音が乾いた周囲に響き渡る。わずかにこぼれた血液が乾いた砂に染み込む。

「水を求めてうっかり近づいだ動物や人はあの魔物に食われてしまう。うっかりせずとも、水を求めてやむにやまれず近づいても結果は同じ。……大変厄介な置き土産です」

 アポロ団長が額の汗を布でぬぐいながら言う。気温は38℃。

「……こっちの、動けねぇのは何人だっけ?」

 望遠鏡を覗いたままの朱莉が晴音に尋ねる。

「熱中症が十三。盗賊との戦闘で負傷したのが四十四。あと、どうでもいいのが四」

 かさついた白い手でシカ革の鞄の中を物色しながら晴音が回答。

「へへ。あいつらクソ召喚者は数にいれなくていい。(ひじ)()りむいたり足を(くじ)いたりしただけでいつまでもグチグチ言ってるだけだ。馬車(ハコ)から降りてこなくなったから見苦しいもん見ないで済んで、むしろツイてる」

「うん。……それでどうするの?」

 晴音は鞄から水筒を取り出す。中身は砂漠の地にしか生えないカタウチワサボテンと呼ばれる植物の茎から手に入れた貴重な水。鬼人族以上の力がなければ開けられないほど硬いサボテンの樽型の茎の表皮は、晴音の使い魔の嘴と彼女自身の握力でかろうじて開けることができた。

 量が残り半分を切った水筒に晴音は口をつける。ゴクリと一口だけ飲み、朱莉に渡す。

「……」

 望遠鏡を覗くのをやめた朱莉は水筒を受け取り、やはりゴクリと一口だけ喉に流す。水筒をアポロ団長に回す。

「すみません。私のようなものにまで」

「いいから飲んどけ」

 アポロ団長は二人に礼を言って口の中に少しだけ水をため、晴音に頭を下げながら水筒を返す。口に含んだ少しの水をゆっくりと味わい、喉を湿らせる。

「晴音はどうしたい?」

「朱莉ちゃんの判断に従う。()れというなら私のアベルが殺る」

 水筒をしまいながら晴音は言う。

「そっか。………アベル(使い魔)、借りるぜ」

 言って朱莉が立ち上がる。自分の革鞄から肉食獣の頭蓋骨(ヘッドスカル)を取り出す。

「大丈夫?」

「ああ」

 朱莉の鞄を晴音が受け取る。

「〝あなた〟が、やるのですね」

 (すな)(ぼこり)と強い日差しと垂れ流れる汗で目を大きく開いていられないアポロ団長が目を細め朱莉に確認する。その朱莉は右手に持った肉食獣の頭蓋骨を自分の顔面に()てて頷く。

「喉が渇いたし、アイツはどっちかってぇと、ウチ向きの相手だ」

 頭蓋は赤黒い光を上げて朱莉の頭部を飲み込む。頭蓋の正体は面具型魔道具キツネヅカ。朱莉の頭部及び顔面が大型キツネの頭蓋骨で守られる。

(ヤツの正確な射程距離(レンジ)が知りてぇ)

 朱莉は手斧(ハチェット)を一本取り出し、慎重に歩き出す。焼きレンガの瓦礫(がれき)の転がる場所で止まり、レンガを拾い、手斧で砕いて(つぶて)にする。

 ブオン。

 ブリコラメイデンめがけて礫を次々に投げる朱莉。その礫を伸ばした棘でことごとく刺し砕くブリコラメイデン。

(射程は三十メートル弱。しかも一匹じゃなくて三匹が、湧き水のある池を囲んでいる。あの池の後ろで生い茂るでけぇ樹のせいでアベルの上からの攻撃角度にも制限がある、か)

「晴音。三十メートルだ」

「分かった。アベルに気を付けるように伝える。他には?」

「奴らの注意を引いてくれ。……つったって今回ばかりは、(とど)めはウチが刺すしかねぇ」

 朱莉が首をまわし骨を鳴らしながら言う。

「分かった。……絶対に死なないで」

「へへ。死なねぇに決まってんじゃん」

 イヌワシが急降下する。朱莉がもう一本の手斧を引き抜く。

「お兄ちゃんに会うまでは」

 小さく言った朱莉がブリコラメイデンへと駆け出す。

風花舞(ふうかぶ)!」

 体が黄色い光を帯びる。朱莉の特殊スキルである「舞踏(ブート)」が始まる。敏捷性(びんしょうせい)が向上し、矢のように加速する。足は砂に沈む前にその先の砂を踏みしめる。

 シュシュシュシュシュシュンッ!!!

 黒い棘がすさまじい速度で朱莉を刺し貫こうと容赦なく伸びる。

傀儡舞(くぐつぶ)!」

 棘の連撃を(かわ)しながらさらに「舞踏」を重ねる。術の発動条件は詠唱ではなく筋肉の躍動。ゆえに言葉は他の魔法に比べて格段に少ない。ただし激しく動く必要がある。

 その術の、重ね掛けが続く。体が青く光る。すなわち柔軟性向上。人体関節の可動域を大幅に広げ、魔物からの刺殺をギリギリで(まぬが)れる。一緒に踊る二本の手斧が襲い来る棘を素早く切断する。

 ガキンッ!

 魔物の応酬。ブリコラメイデンが棘を束ねて強度を上げる。切断に失敗する朱莉は器用に棘をよけながらさらに「舞踏」を重ねる。

(けん)()()!」

 身体に灯った赤い光が斧に流れ、斧だけが赤く光き続ける。強度を上げたはずの束ねられた棘が一刀に断たれる。攻撃力向上。

(あと少し!)

 ブリコラメイデンの棘数(しすう)も無限にはない。しかも上空から牽制(けんせい)しに急降下してくるイヌワシのせいで何本かをそっちに割いてしまっている。加えて時間差でユラユラヒラヒラと落ちてくるイヌワシの抜け落ちた羽。それにまで棘で対応しているせいで、自らに迫る茨の斧に全力集中できない。

地火舞(じかぶ)!!」

 ガスンッ!!!

 鈍く重い音。

 火属性と土属性を帯びた斧がブリコラメイデンの金属の体を容赦なく叩き割る。中に隠れていた柔らかい本体までも一緒に割られる。ふやけた老婆のような姿の魔物はかすれた悲鳴と大量の体液をぶちまけて果てる。

「っしゃあ!次!!」

 腕を振り手斧(ハチェット)についた血を払い、汗と砂まみれの朱莉は別のブリコラメイデンへと駆ける。要領を得た茨の斧は素早く、しなやかに、重く、容赦なく魔物を粉砕する。

 ガスンッ!!!

「あと一匹!」

 その茨を晴音の使い(アベル)が掩護する。イヌワシは空を泳ぐように舞ってブリコラメイデンを牽制するだけでなく、棘を躱すとともに体を旋回させて刃物のような親指の(かぎ)(づめ)で魔物の尖る棘を傷つけ破壊していく。黒棘が減る。使い魔が悠々と泳ぐ。茨が目まぐるしく走る。魔物を斧で、粉砕する。

「「「「「「やったああ!!」」」」」」

 砂の上のブリコラメイデンがすべて、沈黙する。

 固唾(かたず)を飲んで見守っていた聖燕騎士団の兵士たちが喝采(かっさい)をあげる。晴音も強張(こわば)らせていた表情をようやくほぐす。使い魔が上空から送る画像を念入りに確認するも、異常はない。しかし……

「はあ、はあ、はあ、はあ………」

 肩で息をし、兜にまで汗を滴らせ、大きく見開いた視線を足元の砂に落としたまま、茨は手斧を一本たりとも仕舞おうとしない。逆に握りを強くする。


 ドシュシュシュシュシュシュシュッ!!!!!!


「「「「「「!?」」」」」」

 地面に突如穴が開く。地下から地上を貫くようにして黒い無数の棘が生え伸びる。斧を握らぬ一同は度肝を抜かれる。

「朱莉ちゃん!?」

 背中に氷水をぶっかけられたように晴音が叫ぶ。

(やっぱり隠れてたか!)

 無数の黒い棘に飲み込まれた茨は致命傷をギリギリで避ける。けれど棘の全てを躱しきることはできない。

「朱莉ちゃんっ!!」

 我を忘れて再び叫ぶ晴音の眼に血まみれの茨が映る。無数の切り傷を負いながらそれでも茨は走り出す。その茨を串刺しにしようと黒い棘が大地から飛び出し続ける。

 ドシュシュシュシュシュシュンッ!!!!!!

「!」

 黒い棘の猛追(もうつい)から逃げ続けていた茨の目と鼻の先で一斉に黒い棘が並ぶようにして砂から垂直に飛び出し、漆黒の槍衾(やりぶすま)を作りあげる。

(刃圏から逃がさねぇってことか!)

 茨がすぐさま針路を変えて棘から逃げる。逃げ続けながら斧で追ってくる黒い棘を叩き斬る。だが思うように刃が棘に届かない。棘から棘が生えるから。

(こいつやべぇ!棘から枝みてぇに棘が伸びて攻撃の邪魔をしやがる!)

 枝に枝を生やすフラクタル(繰り返し)構造をつくる黒棘を(かわ)すうちに、とうとう魔物の〝本体〟が姿を現す。

(これが大将(アタマ)か)

 茨の見据える先にいるのはアインザムメイデン。レベル35。

 レベル28の茨とのレベル差、実に7ポイント。絶望的ではないが、楽観的な希望をもてる差では決してない。

 ボボッ!!

 茨が射程圏内から出ようとしないことを確認したアインザムメイデンが黒い槍衾(やりぶすま)を解除する。聖燕騎士団をはじめ、四人の召喚者竹越(たけこし)宮良(みやよし)浅野(あさの)()奥宮(おくみや)は初めてその魔物(アインザムメイデン)を目の当たりにする。立てたムール貝が開いたように鉄の処女(アイアンメイデン)が扉を開き、中から生皮を剥いだような姿の女が白眼を剥き笑みを浮かべ、激しく痙攣(けいれん)している。

「んだよ、アレ」

「アインザムメイデン?……レベル35だと!?」

「ふぅ、ふぅ、ふぅ……終わりじゃん、あんなの無理!」

「死ぬ!みんな死ぬ!あれに狙われたら間違いなく死ぬ!嫌だ!!あう!腕がないのに痛い!痛い!痛い!」

 聖燕騎士団の誰もがチラリと思ったことを、四人の怯える召喚者が代弁する。ただし、

(それでもきっと、あの茨の召喚者なら、何とかしてくれる)

 騎士団の兵士たちには希望があった。

「はあ、はあ、はあ、はあ……へへっ」

 兵士たちが青ざめて見守る茨の召喚者は全力で走り、紙一重で棘を躱し、そして笑う。

(ギリギリのこの感じ……これだ)

 朱莉は笑みを浮かべながらアインサムメイデンとの距離をどんどん詰めていく。詰めながらまた笑う。舌を出して。

(あの時と同じ!あの夜の森で声を聞いた時と同じなんだ!死ぬほど怖いのに、死ぬほどゾクゾクする!)

 駆ける朱莉の体の半分を覆う刺青の呪いが青く強く、光り始める。棘の刺突で傷だらけになった面具の左眼窩(がんか)から蒼光が(はじ)けて(こぼ)れる。

(見ててお兄ちゃん……〝そっち〟に行くから!)

 茨海の呪印(スピーネプリンチェプス)、発動。

 十秒間、全ステータスが通常時の三倍に引き上がる禁術をもって茨が魔物に勝負をかける。

「うおおおおおおおおおおっ!!!!」

 二本の斧は持ち主に近づく無数の黒棘を高速で切断する。走り舞う茨はついにアインザムメイデンの本体というべき痙攣女を刃圏に捉える。しかし痙攣女を守る甲殻の(アイアンメイデン)は閉まり始める。同時に檻から伸びる黒棘は朱莉の心臓と首と左右の眼球に狙いを定め、銃弾のような速度で襲い掛かる。

 ドグシュッ!!!!!

 黒棘が止まる。茨の肉に触れる前に。

「ふぅうう……」

 アインザムメイデンの痙攣女は甲殻もろとも茨の降り下ろした斧で叩き割られ、傷口から炎と赤錆色の体液をまき散らせて左右に両断されて倒れる。

 ドスウウ――ンッ!!

 闘いを締めくくる地響きの後、急に訪れる沈黙。青く光る茨の深く長い呼吸と、乾いた砂が風に舞う音だけの世界になる。

「はあ!はあ!はあ!はあ!」

 もう一つ。茨へと全力で走っていく足音。呼吸は茨と違って浅く短い。

「朱莉ちゃん!」

 フラフラで倒れそうになる朱莉を、駆けつけた晴音が抱きしめる。朱莉の左半身の青い光が晴音の中で、徐々に退()いていく。

「「「「「「おおおおおおおおおおっ!!!!」」」」」」

 手に汗を握っていた聖燕騎士団が一斉に喝采の声をあげる。喜びを爆発させ、互いに肩を叩き抱きしめあう。

「朱莉のやつ、マジでやべぇ……やべぇよ」

「……ちっ。俺だって()れた……俺だって……くそ!震えが止まらねぇ!くそっ!」

「はぁ、はぁ、はぁ……うぷっ!おええええっ!」

「やった、やった!水が飲める!水が飲めるぞ!これで死ななくて済む!やった!!やった!やった!うっ、なんだか古傷がかゆい!!」

 四人の召喚者はまとまりもなく(おそ)れ、(うめ)き、(わめ)く。

 オアシスの魔物という〝置き土産〟は永津朱莉(ながつあかり)により、こうして討伐(とうばつ)された。


「んぐ、んぐ、んぐ、んぐ……ぷっはあああ!水メッチャうめぇ!」

 晴音の治癒魔法によって傷が癒えた朱莉は、木製のコップに()んでもらったオアシスの水を、喉を鳴らして一気に飲み干す。晴音は顔をほころばせてそれを眺めた後、自分もようやく水をコクコクと飲む。最後まで水を飲まずに耐えていたアポロ団長も二人が飲み終えたのを見た後、「いただきます」と礼儀正しくことわり、やっと水をめいっぱい飲む。

「本当に、お見事でした」

 声を絞り出すように言うアポロ団長は喉の激しい渇きを久しぶりに癒やせた幸福感と、召喚者本来の底力を見られた感動で涙ぐんでいる。

「まあさっきも言ったけど、今回はウチと相性が良い相手だった」

 木桶に()んだ水で斧に付着した魔物の体液を洗い落としながら朱莉はなんでもないように答える。

「普通ならあんな刺突を打ち込んでくる相手に近づくことなんてできません。いやそもそも近づこうという気が起きません」

「そんなこと言って尻込(しりご)みしてたら全員干からびちまうだろうが」

 鼻で笑い、朱莉は鞄から取り出した砥石で斧の刃を研ぎ始める。無駄な技量自慢をしたり勝利の余韻に浸るようなゲーム感覚を、この召喚者は既に捨てている。

「ええ。まさにその通りです。だからこそ心から感謝します。あなたがたと行動できて本当によかった」

「どうだかな。ウチらの護送がなければそもそもこんな所には来なかったんじゃねぇの?」

「ああなるほど。言われてみれば、それもそうかもしれませんね」

「やっぱり、とんだ災難」

 朱莉と晴音とアポロ団長の三人は互いの顔を見ながら声を立てて笑う。

 滾々(こんこん)と湧き出るオアシスの冷たい清水。

 その周りで今、誰もが喉を鳴らし、命を潤す。頭から水をかぶり、嬉しさを爆発させる者もいれば、互いに水をかけあい歯をむき出して笑う者もいる。兵歌が聞こえ、愛する家族の名を叫ぶ声がする。誰も彼もが喜びの声をあげる。水のありがたみを全身で噛みしめる。

「せっかくですのでここで大休止(だいきゅうし)を取ろうと思うのですがいかがでしょうか?」

 子どもに戻ったようにはしゃぐ部下を眩しそうに見ていたアポロ団長が朱莉と晴音に提案する。大休止とはこの場合昼食を指す。朱莉も晴音もそれに関して別に異論はない。

 ただそのあと、アポロ団長がこのオアシスの町エピオルニで夜営するかどうかを尋ねた時、朱莉が斧を研ぐ手を止める。

「どうかなさいましたか?」

「買った薪はちょうど昨日で使い切っただろ。どうやって暖をとるつもりだよ?知っての通り砂漠の夜はクソ冷えるぜ」

「ええ。ですので先ほどから部下たちに燃やせるものを探させています。それにいざとなればあの大樹を()ればいいのではありませんか?」

 アポロ団長はそう言って、オアシスのほとりにある大樹に顔を向ける。晴音は大樹を見た後、朱莉の判断を聴こうと彼女に目を向ける。しかし朱莉は大樹を見ていない。それどころか目を瞑っている。

「どうしたの?」

「う~ん……」

 目を開けた朱莉は斧と砥石を置き、木桶で手を洗い、のっそりと立ち上がる。大樹の方へと歩き出す。晴音が慌ててついていく。アポロ団長も気になって後を追う。

「……」

 大樹の根本にやってきた朱莉は太い幹をじっと見つめる。顔を上げ、枝ぶりを()、そして葉ぶりをじっくり()る。その朱莉の後ろ姿を、晴音とアポロ団長が音を立てず見ている。

 上を見上げたまま、朱莉がとうとう幹に触れる。

 兵士たちもやがてその様子に気づき、引き込まれる。彼らの視線の中心で朱莉は首を落とし、目を瞑る。やがて手を放す。晴音とアポロ団長の方へ体を向ける。ミディアムの赤い髪が揺れる。白い歯が覗く。


「ダメだこれ。切っちゃいけねぇ木だ」


「「……」」

 笑顔なのに、全てを諦めたように、悟ったように言い放つ茨の刺青。

 その雰囲気に、眼帯の召喚者は思わず幼馴染(ナガツマソラ)を重ねてしまう。総身に鳥肌が立つ。

 同じくアポロ団長も口を半開きのまま鳥肌を立てて固まる。ほぼ同じような台詞(せりふ)を、彼は幼いころ、(きこり)だった父から聞いた。その時の恐怖が蘇り、鉄の処女(アイアンメイデン)の棘のように全身に突き刺さる。

「暖はとれねぇ。それとここには長居をしねぇ方がいい。昼休みはいいとして、夜営地は少し離れた所にしようぜ」

 魔物の死骸をついばみ終えて毛づくろいを始めた使い(アベル)に目を移した朱莉はそう言い、頭をポリポリ掻きながら斧と砥石の所へ戻っていった。

 朱莉の提案はアポロ団長の指示となり、全兵士に伝わる。すなわち昼食は携行食の摂取のみとなる。それでも水の補給が十分にできたため、兵士たちに文句はない。ただし、

「ひゃっほおっ!」

「うまそうじゃねぇか」

「早く!早く!楽しみ~」

「久しぶりのヤキニク!早く!早く焼けろ!早く焼けろ!」

 ただ一つ文句があるとすればそれは、団長の命令に従わず、(くそ)の役にも立たない召喚者たちの存在。喉の渇きに耐えられずオアシスに戻ってきた野良の子牛を捕まえた四人はそれを潰し、放棄された家屋から木材をありったけ引っ張り出してきて火を起こし、勝手に焼肉パーティーを始めた。

((((ガキが、なめやがって))))

 塩辛い干し肉やナッツ類、それと固めたライ麦パンで我慢している兵士たちにしてみればそれは当然面白くなく、彼らはますますいら立ちを(つの)らせる。けれどそれでも暴発しないのは、自分を飾らない永津朱莉(ながつあかり)の驚異的な強さと、兵の中で誰よりも辛抱強く()えているアポロ団長の存在が彼らの頭に刻み込まれているためだった。聖燕騎士団は四人の召喚者たちを子牛のように石で殴り殺す真似はせず、ただ砂に向かって唾を吐いたり陰口を叩いたりして怒りに耐え、あとは無視に徹した。

 やがて話題のなくなった兵士たちはオアシスの水面を時々走る光のさざ波を黙って眺め、それにも飽きると例の大樹を見上げる。

「………」

 吸い込まれるかのように、彼らは樹の様々な表情を見つめ続ける。しばらくすると旅の疲れが津波のように押し寄せて、睡魔に襲われる。久しぶりの昼寝を始める。戦士の表情が消え、人の表情に戻る。

 焼肉パーティーではしゃぐ四人の声だけが遠くで響くオアシスの昼下がり。

「切っちゃいけない木って、何?」

 保存用に固めてあるライ麦パンを水に漬けてふやかしながら、晴音が朱莉に詮索(せんさく)する。朱莉はふやかしたライ麦パンを口に運びゆっくり咀嚼(そしゃく)してしばらく答えなかったが、ポツリと「教えてもらった」と答える。

(もしかして……)

 ある予感に、晴音の胸が高鳴る。

「じゃあ私にも教えて」

 ライ麦パンの浸るコップを脇に置いた晴音は〝切り札〟をリュックから取り出す。

「へへ、買収かよ」

 朱莉がにんまりと笑顔を浮かべる。

「食べるのに時間かかるでしょ。魔力の超回復にもなるし」

「干し肉、ですかそれ?」

「団長さん、何の肉か当ててみ。ビーフジャーキーなのは間違いねぇぜ」

「ビーフ、それでいて魔力の超回復?……まさか石牛(せきぎゅう)ではないですよね?」

「正解。最高級(ジェヌプリマ)の石牛です」

 淡々と言いながら晴音は手を伸ばした朱莉に板切れのような干し肉を手渡す。

「セキギュウ!?セキギュウといったらロンシャーン大山脈帯でしか生育していない幻の高級肉(ヴィンテージ)ではありませんか!?」

 アポロ団長の声のトーンがおかしい。

「だからそれで正解っつってんだろ」

 それがおかしくて笑いながら、朱莉は受け取った干し肉を三等分にちぎる。

「生肉なら100グラム金貨一枚、干し肉ですら100グラムで銀貨一枚はくだらないそのような逸品をいったいどこで手に入れたのですか?って、ええっ!?私にもくださるのですか!?」

 珍しくおずおずするアポロ団長。

「なぁに。武者修行(レベル上げ)の途中で手に入れたんだよ。監獄(ハイヤル)の囚人相手に戦わしてもらうかわりにそこんとこの所長に賄賂(わいろ)渡して話をつけたのによ、そのスケベ野郎の鼬人族(ウィゾル)がさらに「体で払え」とか抜かしやがったから、キンタマ蹴り飛ばして逆にふんだくってやった戦利品だ。気にせず堪能(たんのう)するとしようぜ」

 呆気(あっけ)にとられるアポロ団長と晴音に裂いた肉を渡した朱莉は、自分の分を噛み始める。二人もそっと肉を噛む。

 三人に訪れる沈黙。けれど三人の(ベロ)の上は大騒ぎになっている。

「すっげぇ。旨味がバカみてぇにじわじわ(あふ)れてくる。こんな旨ぇ肉は初めて食った。石牛の生肉のステーキとか、どんだけ旨いんだよ!想像するだけで腸がよじれるぜ」

 しみじみと噛んだ三人のうち、まず朱莉が感想を漏らす。

「ほんと……肉の濃厚な滋味(じみ)が洪水みたいに口中に広がる。香りまで……生肉のハンバーグとか信じられないほど美味しいと思う」

 ステーキに、ハンバーグ。口腔(こうくう)鼻腔(びこう)に生まれて初めての衝撃が走るアポロ団長の鼓膜(こまく)にさらなる衝撃が伝わり、脳を揺さぶる。

「団長、よだれがこぼれてるよ」

 朱莉が笑いながら優しくとがめる。

「あっ!すみません!色々なことにびっくりしすぎてしまいまして。……食べ物でこれほど驚いたことはありません。長生きはするものですね」

「ビーフジャーキー一つで大げさだよ」

「いいえ。今日は私にとって一生忘れえぬ日になりました。湧き上がる水があれほど旨いと思ったこともありませんでしたし、幻の肉がこれほど美味だと知ることもできましたから」

「はは。そいつはよかった」

「それで、話してくれる?」

 晴音が本題に入るよう促す。

「ああ。……切っちゃいけねぇ木ってのはさ、もともとウチのばあちゃんに教えてもらったんだよ」

 朱莉の声が、少しずつ硬くなる。

「「………」」

「切っちゃいけねぇ木が、森の中にはある。だけどそれは切るまで誰にも分からない。切ってようやく「あ、これは切っちゃいけねぇ木だったんだ」って人は気づくんだけど、もう遅いのな。何もかも」

 そこまで言って朱莉が肉を噛みちぎる。

(切った後ではもう遅い、何もかも……)

 朱莉に合わせて二人も肉を口に運びながら、朱莉の最後の言葉を反芻(はんすう)する。

「だけどさ、ウチのお兄ちゃんはそれを、見ただけでわかるんだよ」

「「え?」」

「切っちゃいけない木がさ、どれなのか見ただけでわかる。スゴくね?」

 口元を脂で光らせた朱莉が目を大きく開き、ニヤリと笑う。その不気味さに二人が黙る。

「ばあちゃん家には時々業者のオッサンが遊びに来るっていうか、ばあちゃんの様子を見に来てくれてさ、そのオッサンの仕事が木材の伐採(ばっさい)なんだよ」

 目を元に戻した朱莉は早すぎず、遅すぎず、話を続ける。

「木材の伐採というと、つまりそのオッサンとは(きこり)ということでしょうか?」

「そう。キコリ。お兄ちゃん風に言うと杣人(そまびと)

(お兄ちゃん風……マソラ君の言葉……ソマビト)

 どうでもいい言葉がいちいち胸に突き刺さり、その衝撃でうっとりする晴音。

「でさ、ウチとお兄ちゃんが小学校六年で十一歳くらいの時。たまたまお兄ちゃんだけ(きこり)のオッサンの仕事場についていってさ。それからかな、オッサンがばあちゃん家にやってくる時にちょくちょく「お兄ちゃん貸してくれ」ってマジ顔で言うようになったのは」

 既に表情を失っている朱莉に気づき、晴音が我に返る。

「マソラ君を、木を()るところに連れていくの?」

「そ。なんでお兄ちゃんを連れていくのかってばあちゃんに聞いたらさ、ばあちゃんがさっきのことを教えてくれた。〝切っちゃいけねぇ木〟が森にあって、お兄ちゃんにはそれがどれか、切る前に分かるから教えてほしくておっさんは連れていくんだとさ」

 朱莉が口元の脂を拭き、ゆっくりと水を飲む。

 その間、晴音とアポロ団長はそれぞれ肉を噛みながら、〝切ってはいけない木〟を想像する。けれどイメージはうまく結ばれず、浮かぶのは深い森だけ。その幻の森は次第に曇り、黒く、闇色に染まっていく。そして気づけば、闇から声が……

「ほんとうめぇな、これ」

 肉を再び噛む朱莉の言葉で二人は幻の森から抜け出す。乾いた熱気と肉の凝縮した旨味が二人の五感に戻る。

「だいじょぶか?二人とも〝どこか〟に行ってたぜ」

「へへへ」と声だけで笑う赤髪(ミディアム)の茨に二人は意識を集中させる。顎をよく使って肉を噛む。

「切っちゃいけねぇ木ってなんだ?」

「「!」」

 一瞬、晴音とアポロ団長は心を読まれたのかと思い、噛むことを忘れて止まる。

「そう思ってさ、ある日、お兄ちゃんと一緒に(きこり)のオッサンの仕事場についていったんだ。まあ樵のオッサンはいい顔しなかったけどな。無理言って連れてってもらった」

 二人は安堵し、咀嚼を再開する。

「ヘルメット被って首にタオルを撒いた作業着姿のオッサンたちが出迎えてくれてよ、でも全然楽しそうな顔をしてねぇ。まあケガも多いしちっとも楽じゃねぇ仕事だから当然っちゃあ当然だろうけど。……で、とにかくよ、ウチらが着いたところで、誰もウチのことなんて見てやしねぇの。みんな、お兄ちゃんだけを見てる」

「「………」」

「でもその表情がさ、ひでぇんだわ。薄気味悪いもんでも見るように、お兄ちゃんのこと(おそ)(おそ)る見てるわけ。こう、眉を(くも)らしてさ。でもお兄ちゃんはお兄ちゃんだから、そんなのどうでもいいみたいで、軽トラの荷台からヒョイと降りるとさ、森の方をじっと()て、それで言うんだよ。こうやって」

 干し肉を持つ朱莉の人差し指だけが伸びる。二人の視線が朱莉の指に向かう。傷だらけの召喚者の指は二人の脳裏で徐々に太くなり、固くなり、さらにひび割れ、一本の樹となる。

「指さしながら」

 心の中でとうとう、結んではいけない像が結ばれる。


「あれ、ダメですって」


「「………」」

「その場にいた全員がたぶんお兄ちゃんの指の先を見たと思う。ウチも軽トラのオッサンの後ろに隠れながらその木を見た。……でも最初はどれか分からねぇ。もう一回お兄ちゃんの指先を確認してさ、それでもう一回、指が指す方を見るんだ。何人かのオッサンたちが恐る恐る木に近づいていって、「これか?」「これか?」ってやるんだよ。それでさ、お兄ちゃんは違うと首を横に振って、当たったら「そうです」って縦に振った。……「そうです」って言った瞬間に、木に触ってたオッサンの一人が「ひあっ!」ってひっくり返ったのが忘れられねぇ。ヘルメットが転がった。何が起きたのか分からないで一瞬凍り付き、ひっくり返ったオッサンを急いで助け起こして大声を出すオッサン。タオルでしつこく顔の汗をぬぐうオッサン。「やっぱりアレだべさ」って小さく言って、ギュッと目を閉じて項垂(うなだ)れるオッサン……見てるこっちは手汗ぐっしょり。半端なく怖かった。あん時は」

 朱莉は自分の掌に目を落として言う。耳だけになっているアポロ団長は干し肉を手にしたまま動かない。いくら振り払おうとしても頭から樹が消えない。

「見た目とか、違うの?」

 同じく頭から樹が消えないけれど、そこに想い(ナガツマソラ)が立つ少女は、さらに踏み込む。

「切っちゃいけねぇ木がほかの木と違うかってこと?」

「そう」

「う~ん……そんな感じはなかった。たださ、お兄ちゃんが「そうです」って言った後と前で、もう何もかも変わっちまうんだ」

 朱莉が軽く拳を握る。空気の暑さをその手で確かめるように。

「「………」」

「「そうです」ってお兄ちゃんが言う前まではよ」

 拳を広げる。無表情のまま目を上げる。

「なんてことはねぇ、土と木の匂いが充満して、虫や鳥の声でそこらじゅうやかましくて、ちょっと涼しいくらいの夏の昼の森がさ、お兄ちゃんが「そうです」って言った途端……全ての匂いと音が消えて、暑いのか寒いのかも分からなくなる」

「「………」」

「昼だから森でもそこそこ明るいのに、明るくない所ばかり気になってさ、何かがそこにいるんじゃねぇのって感じに、世界が変わっちまったんだよ。だからどの木もそれまでと同じに見えなくなる。全部が全部、化け物みたいに見えちまうんだ」

 遠くを見るような茨の表情に、二人は完全に呑まれる。心の中に、樹だけでなく森が再び急速に蘇る。

「それはなんとも……恐ろしい」

 くぐもった声をあげることしかアポロ団長にはできない。

「お兄ちゃんが切っちゃいけねえ木だって言った木はその後よ、樵のオッサンたちが注連縄(しめなわ)を巻き付けるんだよ」

「シメナワ?それは一体なんでしょうか?」

「シメナワが何か?ああ、そうか。そりゃ知らねぇよな」

 表情を取り戻した朱莉が「ヘヘヘ」と低く笑う。そう言えばそれが何のためにあるのかよく理解していないと思った晴音が朱莉の答えを待つ。

「シメナワってのはさ、区切りを表す目印なんだ」

(区切り……)

 晴音の中に立ち上がる、朱莉から伝え聞いた幻の夜の森。その黒い森の奥から彼女を(いざな)う声が木霊(こだま)し始める。

「ウチらのいる世界と、そうじゃない世界を隔てるサインだ」

 木霊は木霊を呼ぶ。そこで無意識に晴音の口が動く。

「〝そっち〟側」

「そういうこと。注連縄を巻いた木は〝そっち〟に通じてる。だから近寄るなってわけ」

「封印ということですか。……なんとなく、わかりました」

 重く答えるアポロ団長の森の中にも、誘う声が木霊し始める。

「ビビってウチだけ動けなくなって、でも周りのオッサンたちは急いで注連縄巻き付けてるときによ、突然お兄ちゃんがウチに話しかけてきたんだ。「あの木、触ってみる?」って」

「「……」」

「触っても大丈夫かってウチ、聞いた。お兄ちゃんは「触るだけなら大丈夫だよ」って」

「……触ったの?」

「ああ。触った。触った瞬間は全然何ともなかった」

「何も、なかったのですか?」

「触った直後は何ともなかった。念のため目も閉じてみたけど、何ともねぇ。で、閉じた目を開いて、上を見上げた。…………風なんか全っ然吹いてねぇのに、枝が揺れててさ、葉がワサワサしてんの」

「「……」」

「なんで揺れてんだろうって思った時だった。首に急に冷たいもんが巻き付いた感じがしてさ、びっくりして木から手を離した」

「「……」」

「「帰れ」って。木に言われた気がした」

「「……」」

「近くにいたお兄ちゃんを(あわ)てて見るとさ、「ね?」って。……へへっ、何が「ね?」だよって言いたいとこだけど、たしかに「ね?」だった」

「「……」」

注連縄(しめなわ)を巻いた木を切っちまった別の業者は、ばあちゃんの言う通りちゃんといなくなった。伐採(ばっさい)の最中に二人事故って死んで、切ってから一週間で樵が三人死んで、切った樵どもの家族も全部でたしか五人だったか、同じ一週間でくたばったとさ」

 斜め上を見上げながら朱莉は、思い出した死者の数をただ報告する。

「お兄さまはそのことについて何と?」

「え?何も言ってねぇよ?」

「何も?」

「ああ。「切った後のことなんて知らないよ」だって。お兄ちゃんはそういうタイプ。忠告を無視した連中の末路なんて気に留めない。そんな暇があったら別の木を見つけて「あれです。そうソレです」って言い続けるのがお兄ちゃん。……訳あって、ちょっと変わってっからよ」

「「……」」

 鼻を指でこすりながら朱莉が、オアシスの大樹に顔を向ける。

「あの木、触ったら同じだった。やっぱり「帰れ」だとさ。でもよ、〝帰り〟たくねぇならアンタら騎士団の勝手にしていいぜ。ウチはアンタらが木を切る前に晴音を(かか)えてここを離れる………「切った後のことなんて知らないよ」」

「ふぅ……怖すぎだから」

 晴音(はるね)が立ち上がり、服についた砂埃を片手ではたく。もう片方の手に残る食べかけのジャーキーを朱莉に渡す。

「抱えなくて大丈夫。朱莉ちゃんとならどこへだって一緒に歩いて行く。でもその前に、いい?」

 きっと言い出すだろうと思っていた朱莉が晴音の隻眼をちらりと見る。

「はぁ……触るだけだぜ?」

 ため息をつき、もらったジャーキーを口に放り込んで噛み始める朱莉。

「うん。……感じてみたい」

 口をハンカチで拭った晴音はおもむろに樹木へと歩きだす。

 使い魔のイヌワシがソワソワと主人の方へ首を向ける。使い魔の目には、吸い寄せられるようにして樹に向かう主人の姿が映る。

「私は、遠慮します」

 まだ表情に暗いものを残したまま、アポロ団長が朱莉に言う。

(さわ)らぬ神にたたりなし。余計なことには首をつっこまねぇのが一番だ。それより出立(しゅったつ)の準備をしな。こんな砂漠で死にたくねぇだろ?」

「了解しました」

 アポロ団長が立ち上がり、兜をかぶり、気持ちを切り替える。その姿を見ただけで聖燕騎士団の隊長クラスは団長の意向を察する。団長が眠らずにいた隊長らを呼び、水の十分な補給と、夜営場所をこのエピオルニとは別に探すことを指示するころには全員目を覚まし、荷物をまとめ終えていた。

 四名の召喚者を除いては。

「嫌だ!俺はここに残る!!」

 奥宮櫂成(おくみやかいせい)の悲鳴に近い大声が砂漠に響く。子牛の焼肉をたらふく食っていた四名はここにきて子どものようにダダを()ね始める。ムッとする兵士たちの顔が再びの怒りで強張(こわば)る。

「魔物は退治しましたが食糧には限りがあります。どうか思い直して……」

 〝子ども〟をなだめるアポロ団長。

「うっせぇ!俺たちはここで暮らす!何が召喚者だ!召喚者なんざただの戦争の道具じゃねぇか!俺たちはゴミみてぇに殺されるだけの戦争に駆り出されるのなんざ、まっぴらなんだよ!!」

 この竹越沙友磨(たけこしさゆま)の言葉でアポロ団長の堪忍(かんにん)(ぶくろ)()がついに切れる。竹越の胸倉をつかむ。

「ふざけるな小僧!誰が好きで戦争などしていると思う!?愛する家族や友を守るために皆必死で恐怖を押し殺して戦っているのだ!それを何様のつもりだ!才能や力があるくせにろくに戦いもせず、友を鼓舞することもせず、友を癒すこともせず、好き勝手なことばかりしおって!!甘ったれるな!!!」

「ちっ!」

 悔しさのあまり竹越が剣を抜いてしまう。それを合図に我慢の限界に達していた兵士たちが武器を抜く。仕方なく宮良翔平(みやよししょうへい)、奥宮、浅野田結芽(あさのだゆめ)の召喚者三名も武器をとることになる。


 ギャアギャアギャアギャアッ!!


 一触即発(いっしょくそくはつ)の場面で、眼帯の使い魔の鳴き声が鋭く町に響く。その鳴き声で一同は大樹を見る。その大樹に抱き着いている、惚けた表情の眼帯の少女を見る。

「いいんじゃね?」

「「「「?」」」」

 オアシスの水を水筒に汲み終え鞄を持って近づいてくる茨が、皆に言う。

「おいハルネ!いい加減もう行くぞ!!」

「……うん」

 眼帯が名残惜しそうに大樹から離れる。使い魔がようやく鳴くのをやめる。主の合図で、夜営地を探すべく大空へ舞いあがる。

「別に残りたきゃ残れよ。てめぇら四人はイラクビルへの行軍中に遭遇した魔物と超勇敢(ゆうかん)に戦って惜しくも死去。ウチがちゃんとそう伝えといてやるよ」

 歩みを止めない朱莉が召喚者四名に告げる。

「……承知しました」

 アポロ団長は朱莉に従う。剣を収める。

「出発する」

 馬に(くら)を載せ、手綱を握ってまたがり、馬上の人となる。

「さっさと()せやがれ!マゾヒストの変態騎士団ども!!」

 竹越の捨て台詞を無視し、聖燕騎士団は北東に進路をとり、エピオルニを出発する。

「おい竹越、ほんとにこれで」

「うっせえ!だったらてめぇだけついてきゃいいだろ!どうせ赤荻とヤりてぇだけだろうが!!」

「んだと!?誰があんな片目ブスとヤりてぇっつった!このアル中ぶっ殺すぞ!!」

「や、やめてよ二人とも!」

 小さくなっていく焚火の炎の前で言い争う召喚者たちから一人また一人と騎士団が離れていく。気持ちも距離も。

「水がある!水があるし、あの木のフルーツだってある!死なない!俺は死なない!誰にも殺されずにここで生き続けてやる!!」

「だといいな」

「?」

 独り、オアシスの前で口から泡を飛ばしながら自分の絶対有利を叫ぶ奥宮の近くに移動した茨の刺青がニヤリと笑う。

「ど、どういうことだ!?」

「なんでもねぇよ。それより北東に十五キロほど進んだところでおそらくウチらは夜営する」

「それがどうした!?」

「どうもしねぇよ。へへ……気をつけろよ」

 言い争いに参加していない隻腕(せきわん)の召喚者へ、馬上の人となった朱莉は不吉な忠告をする。

「夜はきっと怖ぇぜ」

 隣で(アカリ)を見ていた眼帯(ハルネ)も含め、召喚者二名は騎士団の先頭を行くアポロ団長を追った。


 その日の夜。オアシスと「木」の町エピオルニ。

「おいっ!もっと落とせ!!もっともっとだ!」

「うっせぇな!今やってるところだろうが!!文句があるならてめぇが片腕でやれ!」

 オアシスのほとりにある大樹に登った宮良(みやよし)が樹の枝を揺さぶり果実を落とし、ついでに短剣で枝を大量に切り落とす。それを宮良と浅野田が集め、竹越が火を起こす。

「さみぃ……寒すぎる」

 氷点下10℃。

 砂漠の夜は恐ろしく冷える。

 だから兵士たちは焚火(たきび)の周りで、互いに身を寄せ合って眠る。臭かろうと汚れていようと、少しでも体温を奪われないために、少しでも熱を仲間から分けてもらい、分けてあげるために身体をくっつけて眠る。けれど冷気の遮断(しゃだん)された馬車の中で温かい毛布とともにあった四人は、何不自由のない世界で生まれ育った四人は、それを知らない。

 全ては後戻りができないと悟っている朱莉や晴音と違い、知ろうともしなかった。

 時は経ち、さらに気温が落ちる。氷点下18℃。

 ポタ。ポタ。

「……?」

 たき火の傍で寒さに震えながら毛布にくるまっていた宮良が最初に気づく。

(闇が、ざわついている?)

 風がないのに、自分たちの周囲の闇が揺れる。それは決して火に炙られた空気の揺らめきとは違った。

(なんだ?………!)

 感知スキルを発動させ、青ざめる宮良。

「おい!全員起きろ!」

 その宮良の声で三人の目が覚める。

「「「!?」」」

 四名の召喚者は既に、魔物の群れに囲まれていた。

 誘引物質(フェロモン)――。

 動けぬ植物は身を守るために様々な手段を用いる。

 ある植物は毒をこしらえ、ある植物は栄養価を減らす。

 四名の召喚者が命の()り所に選んだ「木」は別の手段を備えていた。

 魔物を呼び寄せる――。

 傷口からにじみ出る物質は魔物を呼び寄せ、その魔物に自分を害する天敵を殺させる。

 半年前、エピオルニを襲った盗賊集団は自分たちを取り()まるイラクビル兵士を捕まえ、オアシスのこの大樹を使い、拷問(ごうもん)にかけた。

 生きたまま兵士から(はらわた)を引きずり出し、樹木に巻き付けた。それ自体は「木」にとってどうでも良いことだったが、その拷問の際、盗賊集団は引きずり出した腸が根元にずれ落ちないようにするために(くぎ)を何本も「木」の幹に打ち付けた。その釘が「木」に深々と突き刺さる。

 深部を傷つけられるほど、強力な魔物を誘引する物質を出す機構(システム)を備えた「木」は、こうしてブリコラメイデン三匹とアインザムメイデン一匹を従えた魔物の誘因に成功し、メイデン四匹はエピオルニに解き放たれ、結果的に盗賊も町の人も皆殺しになった。「木」の独り勝ちだった。兵士の腸も死骸も魔物たちが食らい、幹に刺さる釘は数日で「木」自身が中から押し出し、あとは砂に埋もれて消えた。

 そして今度も「木」は勝つ算段でいる。

「木」という戦闘兵器はただ、見ていればよかった。折られた枝の切断面、もがれて食われた果実の種子についた果肉から発する誘引物質の引き起こす復讐劇(ヴィンディクタ)を。

「ちくしょう!何がどうなってやがる!?」

「知るか!とにかくやべぇ!!」

「なんでこんなに魔物がいるの!?」

「ひいっ!ひいいっ!!来るな!こっちに来るな!こっちに来るなぁ!」

「木」が召喚したのは、巨大な(ハチ)の姿をしたブフリュードバルカンビー。レベル12。

 召喚者四名よりレベルは低いが、そのかわり数が多い。

 機銃(マシンガン)のように(うじ)をまき散らす魔物に対して四名はあまりに無力だった。

 強靭(きょうじん)(あご)で肉を噛みちぎられて絶叫する竹越。

 蛆を切断して飛び出る体液の酸に皮膚を焼かれて痛みに転げまわる宮良。

 蛆を殺すことに失敗し、噛みつかれそのまま皮膚の下に潜り込まれたことで恐怖に泣き叫ぶ浅野田。

 成虫の毒針を突き刺されて激痛で呻く奥宮。

 混乱の最中に焚火の灯は消えてしまい、周囲は闇に包まれる。それが四人のパニックにさらなる拍車をかける。

「おいあれ!」

 召喚者四名の誰かが鋭く叫ぶ。

 エピオルニの北東の夜空がぼんやりと白く光る。さらに自分たち四人の頭上、真っ暗な夜空を白く発光して舞うイヌワシの姿を四人は認める。イヌワシはエピオルニの上空を大きく一周した後、わずかの間だけ明るくなっている北東の方へと飛び去っていく。

「北東だ!永津が出発する前に言ってた!十五キロ先で今夜は夜営するって!」

「くそっ!!」

「行くしかないよ!」

「急ぐぞ!!」

 半死半生の四人がエピオルニからギリギリで逃げ出す。

 やはり、「木」の勝ちは揺るがない。

 しかし、この「木」は一切容赦しない。

「切ってはいけない木」におびき寄せられた魔物たちは、執拗(しつよう)なまでに召喚者四名を追いかけていく。蛆を吐きつくした魔物(バルカンビー)は力尽きて砂に散り、召喚者に切り裂かれた(うじ)もとっくに砂に散り、毒針を刺した魔物も体の一部を失いやはり砂に散る。彼らの死骸のずっと下に、メイデン四匹を持ち込んだ魔物の干からびた死骸が(うず)もれて眠る。そしてその下にも、堆積(たいせき)した無数の魔物が鉱石とともに眠る……。

「切ってはいけない木」に関わった者に用意された末路は一つしかない。

 普通ならば。


「来た」

 苛立(いらだ)ちを押し殺しながら晴音が朱莉に合図する。

「お優しいのですね」

 朱莉の傍にいるアポロ団長が言って、聖燕騎士団の隊長たちに合図する。隊長の指示で、既に武装している兵士たちが白い吐息を吐きながら抜剣(ばつけん)する。

「優しい?そりゃきっと思い違いだぜ」

「?」

 手斧(ハチェット)をそれぞれの手に握る朱莉は後ろに控える聖燕騎士団に向き直る。斧頭(ふとう)同士をぶつけると、斧に炎が灯る。茨の顔が下から赤々と浮かび上がる。

「クソったれがクソを引き連れて走ってくる!!クソ四人の後ろにいるクソはプフリュードバルカンビー!レベルは12で数は七十弱!ウジを飛ばしてくる!盾で戦うんだ!!」

 兵士たちの盾が動く。魔道具である火晶石を入れたカンテラが小部隊の数だけ灯る。

「働かざる者食うべからず!飲んだ水の分だけクソをぶち殺せ!!」

「「「「「うおおおおおっ!!!!!」」」」」

 アポロ団長まで武者震いをしてハハハと笑い、抜剣する。一人無表情の眼帯は相変わらず感情を押し殺し、四名の召喚者が殺されないようプフリュードバルカンビーの牽制(けんせい)を、使い(アベル)を駆使して行い続ける。

「カッカすんなよ」

「朱莉ちゃんがいなかったらとっくに生き埋めにしてる」

「へへ。ウチだってぶっ殺したいと思ってるけどさ。ちょっとだけ、お兄ちゃんごっこ」

「!」

「前に風呂で話した夢幻何とかって、もしかして持ってきてたりする?」

「……偶然四人分だけ買って持ってきた」

「へへ。そっか。偶然ね。……よく分かってんじゃん」

「私もマソラ君ごっこしようと思ってたから」

 ようやく晴音が顔をゆがめて笑う。

「そっか。気が合うな。じゃああとでやっか」

「うん……目標との距離、四百メートル」

 魔物の群れが迫る。

 朱莉は興奮する団長に合図する。

 団長が人変わりしたような大声で騎士団に戦闘の合図を送る。騎士団も狂ったような大声を上げて走り出す。同士討ちにならないように広がりつつ、かつ孤軍とならないように火晶石を持つ兵士を守りながら騎士団は闇の砂漠に展開していく。

「ぎゃああっ!」

「助けてくれ!!」

 騎士団が武装して待ち構えているとも知らず彼らの金品をこっそり(かす)め取ろうと砂漠に隠れていた盗賊たちがブフリュートバルカンビーの餌食となる。おかげで近づいてくる魔物と自分たちの距離をより正確に騎士団は知ることができる。けれど闇夜に響く人の悲鳴は恐怖を()き立てる。兵士たちの(ひざ)が少し震える。ロンシャーン大山脈南麓のスノードロップの恐怖が蘇り始め……

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ」

「ひぃ、ひぃ、ひぃ、ひぃ……」

「神様!神様!!神様!!!助けて神様!!」

 その時、ボロボロの四名の召喚者が汗と涙と血にまみれて聖燕騎士団の中に飛び込む。

 転がり込むみっともない四人を目の当たりにした時、兵士たちの恐怖が消える。

((((何が召喚者だ。クソの役にも立たねぇガキどもが))))

 兵士たちが甲冑面の下でほくそ笑む。けれどすぐに笑みを消す。

((((見せてやるよ。これが大人の戦いってもんだ!!!))))

 筋肉が躍動する。プフリュードバルカンビーの飛ばすウジを盾で受け止め、体当たりを全身で受け止め、顔面を狙う毒針を額当てで頭突く。

 聖燕騎士団――。

 アントピウス聖皇国の近衛部隊を除けば五本の指に入るほどの屈強の戦闘集団は、ようやくスノードロップの呪縛を抜け出す。理解不能の闇はそこにおらず、いるのは燃える斧を手にして自分たちの後ろに控える茨。その圧倒的な存在感が、心の中の闇をさらに追い払っていく。

 夜明け前。

 聖燕騎士団。負傷者をかなり出したものの、どうにか魔物(バルカンンビー)殲滅(せんめつ)に成功する。

「よお、どっかで見た顔じゃねぇか」

 斧頭の炎をへたりこむ竹越の顔に近づけながら、朱莉(あかり)が話しかける。

「はぁ、はあ、はぁ、はあ、はぁ」

「何か言えやコラ」

 朱莉が砂を蹴飛(けと)ばして竹越の顔にかける。口に砂の入った竹越は「ペッペッ」と吐きながら朱莉をキッと(にら)む。けれど自分の立場を理解し、涙ぐんで頭を下げる。

「助けて、ください……」

 それを見て、宮良も奥宮も浅野田も砂に頭をこすりつけて命乞いをする。

 戦闘が終わり座り込んだ兵士たちは、朱莉がどうするのか注目している。

 アポロ団長は朱莉が四人に対し反省を促し、また当初のように馬車にのせてイラクビル王国の首都バルハチまで運ぶのだろうと考えた。しかし、

「いいぜ。助けてやるよ。こっちの条件をのむなら」

「ホントか!?どんな条件でものむ!助けてくれ!」

 四人の召喚者はわかっていない。

「そうか。分かった。じゃあさっそく出発しようぜ」

「助かる、永津」

「ああ。ウチらも助かる」

 茨と眼帯の「お兄ちゃんごっこ」は決して易しくない。

「「「「?」」」」

「お前ら、今日から〝馬〟な。馬と一緒に走れ」

「「「「……は?」」」」

「は?じゃねぇよ。テメェらは敵前逃亡したクズのカスだ。水と食糧を分けてもらえるだけでもありがたいと思えよ。だから馬と一緒に残り370キロを走れ」

「何言って」

 ボグッ!

「はおっ!?」

 朱莉のボディーブローが竹越の内臓に直撃する。そのまま崩れ落ちる竹越。

「あと逃げ出した記念に、ハルネが素敵なプレゼントをしてくれるってさ」

 朱莉が表情をゆがめる。

 晴音が魔道具を大事そうに持って四人の前に近づいてくる。既に晴音の指示を受けていた兵士たちが四名の召喚者を後ろから羽交い絞めにして取り押さえる。

「何すんだテメェら!?」

「晴音ちゃん!何するの!?やめて!」

「助けてくれ!助けて!頼む助けてくれ!」

 眼帯の手の中の魔道具は黒いイモムシを細く大きくした姿で、(かぎ)(つめ)のような六本の(あし)をワサワサと動かし続けている。

「口を開けて。さもないと〝下の口〟から入れちゃうよ?」

 眼帯(ハルネ)のこの一言で、まだ意識のある召喚者三名は五体が凍り付くほどの恐怖を覚えて黙る。ガタガタ体を震わせながら口を開く。そして魔道具を無理やり喉の奥に押し込まれる。体内を虫が()(うごめ)戦慄(せんりつ)悪寒(おかん)で三人とも気が触れたかのように暴れる。そして……

「うふ」

「あ~あ。やっぱやっちゃうか。まあそれはそれで見ものだな」

 ボディーブローを食らい意識のない哀れな召喚者一名だけが、ズボンをおろされ晴音によって肛門から魔道具(ムシ)を直接押し込まれる。その衝撃で逆に意識を取り戻した召喚者(竹越)だったが、やはり戦慄と悪寒のせいで激しく暴れまわった。

「「「「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」」」」

 四人はようやく落ち着きを取り戻す。

「この人でなし!」

「なんとでも言って。過食のゲス」

「こんなことして、お前ら絶対地獄に落ちるぞ!」

「てめぇらと同じ所には行きたくねぇから遠慮するぜ」

 様々な感情が溢れて四人とも泣き始める。しかししばらくして驚きのあまり泣くことを忘れてしまう。取り押さえていた兵士も、傍でいていた兵士も驚いて言葉を失う。けれどしばらくして失笑が起こる。

「なんだよ、これ」

 宮良が自分の胸と脇腹を見て思わず言葉をこぼす。その宮良の胸と脇腹は、青白く光っている。

夢幻(むげん)(ぼたる)

 両肩が青白く光っている浅野田を見ながら、眼帯がつぶやく。

 夢幻蛍――。

 魔道具に分類されるが実のところ、中間宿主の体内に入ると発光物質を合成しながら成長する寄生虫だった。寄生虫は産卵可能な最終宿主の体内に入るために動物をおびき寄せるべく、中間宿主の体表を夜間に光らせる。すなわち被寄生者は「光病(ひかりびょう)」を夜間に(わずら)う。

「これ面白いね。体のどこが光るのか、どんな具合に光るのか、いつか見てみたいな」。

 眼帯の召喚者はかつて、アントピウス聖皇国のソペリエル図書館で、隣に座る少年(マソラ)からそんな言葉を聞いた。少年のいる机の上にはおびただしい量の文献と、寄生虫について書かれた図本。その図本の開かれたページには「光病」という文字と夢幻蛍の絵が載っていた。眼帯の残された隻眼は、少年と過ごしたすべての時間を昨日のことのように覚えている。

「逃げてもいいよ。私は追わないから。私が追わなくても、魔物が追うから」

 そう言われ、切断された腕の古傷部分と首元が光る奥宮は、魔物を見るような目で眼帯を睨む。

「どうした大将?」

 ヘラヘラ笑う朱莉に話しかけられた竹越は、屈辱で震えている。

「ホタルみてぇで可愛いぜ。これで夜でも魔物にカマ掘ってもらえるじゃねぇか」

 兵士たちは痛快のあまり笑いを(こら)えられない。肛門から夢幻(むげん)(ぼたる)を挿入された竹越の場合、股間全体が青白く光ってしまっていた。

「ハルネの言った通りだ。逃げたきゃ逃げろ。昼も夜もよく目立つから見送ってやる。あとは魔物に勝手に食われやがれ。生き延びたきゃついて来い。十キロ先で飲み水をくれてやる」

 茨は召喚者四名に反省を求めていない。恨まれようと憎まれようと嫌われようと、ただ戦力になることしか求めていない。

(腐っても召喚者(ナイフ)だ。お兄ちゃんならきっと研ぎ直して使い倒す)

 ただ、いま四名は堕落しきっている。苦痛で(たが)を締めなおす必要がある。

 そう考えた茨は馬上の人になり、眼帯と聖燕騎士団とともに駆け始める。

 空が(しら)む。召喚者四人の体に浮く青白い光が退()いていく。

「くそっ。待ちやがれ!」

「こんなことして二人とも、頭オカしいんじゃないの……」

「置いていくな。俺を置いていくな!」

「ぶっ殺してやる。いつかぶっ殺してやる!」

 色々と言葉にはするも、四人の頭の中には朱莉の言った「水」という文字しか既に残っていない。水一滴すら分け与えられず、四人はさらに砂漠を十キロ踏破しなければならない。思考は徐々に簡略化していき、茨や眼帯の仕打ちなどどうでもよくなる。とにかく生き残るために、四人はよろよろと走り始めた。

 夜が明けて、昼に近づく。

 時を同じくして、アーキア超大陸南南西のアントピウス聖皇国。

 珍しく天気雨に見舞われる首都アスクレピオスの中心レミエル城。

「そろそろジブリールは到着した頃でしょうか」

 窓の近くで雨音に耳を傾けていたオファニエル聖皇が傍に控えるマリク枢機(すうき)(きょう)に尋ねる。

「予定では今日にもクフラ山を登るはずでございます」

 そう答えるマリク枢機卿には元気がない。同時に召喚できた三十余名の勇者候補者たちが引き起こす諸問題の処理に日夜追われ、彼は疲れ果てていた。

「しかしあの老体でクフラ山を登るとなると、少々骨が折れるかもしれません」

 答えながら、若かりし頃登った峻険なクフラ山の峰を思い出すマリク枢機卿。

「ふふ。それでも好奇心が抑えられないところが、あの大魔法使い(ヴェネフィコス)なのですよ」

 聖皇は言ってクスクスとほほ笑む。

「大魔法使い、ですか」

 マリク枢機卿はそう(つぶや)いてみて、黙る。

賢者(ジブリール)の考えることは、私には正直分かりません」

消失対価魔法(コンペンセイション)のことですか?」

「はい。行使できる魔法を記憶から減らすかわりに、使用できる魔法の効果を高めるなど、とてもやりたいとは思えません」

「ふふ。……そして今やジブリールの扱う魔法はたった一つです」

 オファニエル聖皇はそう言って天気雨の先へ眩しそうに目を向ける。

「はい。……あのような魔法はカビ臭い書庫の管理人風情がもつべきものでは本来ないと思いますが」

「いいえ。あれは知識の番人だからこそ持つべき超級魔法なのです」

 上品にたしなめられたマリク枢機卿は首を垂れる。

「かねてから聞こうと思っていたのですが、マリク枢機卿はジブリールがお嫌いですか?」

「いいえ。……いや、そうかもしれません。幼いころからあの者とはずっと一緒で、周囲によくジブリールと比べられたので嫉妬しているのです」

 昔を思い出しながらマリク枢機卿は自虐的な笑みを人知れず浮かべる。

「うふふ」

「アイ・インザスカイ(空の眼)。本来なら一キロ先のものを遠視するだけの光属性中級魔法はジブリールの場合、半径千キロ以内全てを見通せます」

「「私はまだ知らない。私はまだ気づいていない。ゆえに私は世界(パイガ)をつぶさに見たい。世界に足りない何かを見つけるために」。……大魔法使いらしい極致(こたえ)ではありませんか」

オファニエル聖皇は先代から聖皇の座を継いだ際、賢者ジブリールに自己紹介を要求して彼が口にした言葉を思い出す。

アントピウスの国教であるカディシン教において、世界に足りない〝何か〟など存在しない。足りない物や心を満たすのは神の教えであり神の存在だとされていた。

ゆえにジブリールの発言は信仰心の非常に厚い先代聖皇の前であれば失職は無論下手すれば処刑されるほど危険な代物だったが、発想も物腰も柔らかいオファニエルは「それもいいでしょう」と水に流した。

「世界はともかく、しっかりとロンシャーンの噴火報告を上げさせますのでご安心ください」

 聖皇が代替わりしたその時にジブリールの隣に立ちヒヤヒヤさせられたことを思い出した旧友は、苦笑いを浮かべて聖皇に答えた。

 その、ジブリール。


ジブリール・フェアシュア Lv快速(指定席)

 生命力:700/700 魔力:土曜休日運休

 攻撃力:10 防御力:20 敏捷性:15 幸運値:50

 魔法攻撃力:50 魔法防御力:運転日注意 耐性:一日乗車券

 特殊スキル:女性専用席


「いたたたた」

 大陸一の蔵書数を誇るソペリエル図書館の現職館長は地質観測所の簡易ベッドに横になって〝お手伝い〟に背中から腰にかけて()んでもらっている。

「もうお(じい)ちゃんなんだから無理しちゃだめだよ」

 広背筋をさすり、押し、揉むのはティオティ王国のピルニツ諸島で目の光を失った召喚者田久保日葵(たくぼひまり)。同じくピルニツ諸島で左手足を失った召喚者小貝相登(こがいあいと)とともに現在、アントピウス北部の山クフラに来ている。

「しっかしこんな離れた所からロンシャーン火山の噴火なんて分かるんスか?」

 簡易ベッドで義手義足を外して古傷を自分で揉み(ほぐ)している小貝がジブリールに質問する。

「うむ。まあここから八百キロしか離れておらぬから、どうにか魔法で見ることができる……イタタタ。ソコソコ、効くのぉ~」

 肘を伸ばしてしっかりと体重をかけた田久保の両親指は脊柱近くの筋肉を押す。

「館長、八百キロ先まで見えるんスか?」

「そうじゃ。くまなく見えるおかげで若いオナゴの裸も見放題イダダダダダ!」

 田久保にツボを押されて悲鳴を上げるジブリール館長を小貝はケラケラ笑う。

「火山、本当に噴火するんスね?」

「間違いなかろう。情報によれば昼夜を問わずあのドラゴンがロンシャーンを舞っておるという」

「それはめずらしいことなの?」

 ジブリールの腰から肩に向かって手のひらで軽くさすりながら田久保が聞く。

竜人族(ドラフン)は滅多なことではドラゴンの姿にならぬと聞く。ドラゴンの姿では魔力を大量に消費するかららしいのぉ……うぅ~本当に効く~眠くなってきたわい」

「上手でしょ?」

「上手も上手。ワシの知らぬ異世界にはこんなに心地よい揉みほぐしが……」

 突如ジブリールが押し黙る。

「どうしたの?館長」

「……」

「おじいちゃん?」


(やはり、生きておったか!!!)


 クフラ山の麓に到着した時から腰を揉まれているこの瞬間までアイ・インザスカイを使用し続けてきた大魔法使いはロンシャーンの山脈を舞うドラゴンを見、杭を打ち込むクラーケンを見ていた。そして今、銀翼の少年をとうとう発見する。

猛禽(もうきん)の王のごとき銀色の三層(さんそう)(よく)、虹の光を帯びる蛋白石(オパール)のような白き(つや)(はだ)……なんという、神々(こうごう)しい姿……「封印されし言葉」を解き放ち、その身に得た超級の魔力(ポテスタス)。「封印されし言葉」に選ばれ()る、全てを食らいつくす超級の(テネブリス)。それが(げん)()要塞シギラリアを目覚めさせ、風の塔ペニエルを玉砕(ぎょくさい)し、海王種の蛸人族(クラーケン)はおろか風の大精霊(フルングニル)すら服従させ、今度は巨峰山脈ロンシャーンの噴火すら御そうというのか……)

「館長ってば!」

「むにゃ?すまぬすまぬ。気持ちよすぎて眠りこけていたわい」

 うつ伏せの大賢者は目を閉じたまま呆けた顔を二人に見せる。

「喋っている途中でいきなり寝ないでよ。びっくりした~」

「もう十分じゃ。ありがとう。ジジィのワシは疲れたから少し休む。二人は外でいつも通りチチクリあっておれ。若いからもう相当溜()まっとるじゃろうて」

「「シャラップ!」」

 プリプリ怒る田久保と恥ずかしがる小貝はジブリールの部屋を出ていく。

「ナガツマソラ……もはや疑わぬ」

 ジブリールは目を閉じたまま起き上がり、床に正座する。瞼を開く。


ジブリール・フェアシュア Lv80(賢者)

 生命力:690/700 魔力:81927/99999

 攻撃力:10 防御力:20 敏捷性:15 幸運値:50

 魔法攻撃力:50 魔法防御力:100000 耐性:光属性

 特殊スキル:アイ・インザスカイ


 眼球の白眼には万華鏡のような黄金の文様が回り続ける。賢者の脳内にはあらゆる映像が現在進行形で映り込んでいるが、賢者は今、たった一つの像にしか意識を向けていない。

 彼が永年焦()がれ、求めていた者の映り込む壮大な像。

まるで叙事詩をモチーフにした巨大壁画のような像

「ついに求めし者は公現(こうげん)した。私はあなた様に(すべ)てを(ささ)げましょう。お望みとあらば……」

(聖皇の首の一つや二つ……)

 どこに耳目(じもく)があるか分からないため、最後の言葉だけは口にせず呑み込むと、ナガツマソラの来た異世界を知るジブリールは深々と土下座(どげざ)をした。

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